3-1.空の下で-雪

2010年1月25日 (月)

空の下で-雪(1) 始まりの空

酷い寒さだ。

こんな寒い中、山を登る意味が全くわからない。

大晦日の夜は、暖かい家の中で蕎麦でも食べながら紅白を観てるのがいい。

百歩譲って外に出かけるとしたって、近くに除夜の鐘でも突きに行くぐらいでいいと思う。

それなのに、僕は同じ陸上部の友達である牧野清一と一緒に山を登っている。

「寒すぎ・・・」

ぼやいてみても牧野は無言のまま山を登る。

部活で使っているストップウォッチ機能付きの腕時計を見ると、時刻は午前二時過ぎを指していた。

もうとっくに大晦日は終わってしまい、新しい年になっている。ああ、新年になった瞬間に時計を見ていたかった・・・。

極寒の中、山頂にたどり着いたのは午前四時前だ。

そこには大勢の人が溢れていて、まるで遅延した時の駅ホームみたいだ。

僕と牧野はその大勢の人の集団のハジの方に立ち止まる。

「着いたぜ。山頂」

そう言ってニッと笑う牧野だが、顔は真っ白だ。いつもの健康的な肌は色を失っている。

「着いたけどさ・・・寒すぎるよ」

山頂というのは、風を避けるものが少ない。数時間前に吹き出した北風が僕らの体温を奪っていく。

足の先が冷たいというか痛い。手袋をした手の指先はすでに感覚も無い。

「ああ、なんでこんな事してんだろ」

「初日の出を見るためだよ。言っただろ」

「わかってるけどさ・・・」

大晦日の朝の事だ。牧野から電話があり「一緒に高尾山に初日の出を見に行こうぜ」と言われたのは。

寒いとは想像していたけれど、まさかここまでとは・・・。

生まれてこのかた、こんなに寒くて辛い思いをした事は無い。

山頂に着き、歩くのをやめると、寒さはさらに厳しいものとなった。

数百人はいるであろう集団なのに、あまりの状況に会話はまばらだ。

話す気にもなれないし、話しても舌がうまく回らない。

「暖かいおしるこが食べたい」と言いたいのに「あたたたた・・・か、かい!」とかになってしまう。かみまくる。

体を揺らしたり、ホッカイロを頬に当てたり、水筒に入れたホットコーヒーを飲んだり、「ヒートテーーック!」と叫んでみたりしながら、初日の出の時間を待つ。

あの、おしゃべりな牧野ですら無言になり、どのくらいの時間が流れただろうか・・・。

そろそろ死ぬんじゃないか・・・?

そう思い始めた頃、東の空が少しずつ赤らんできた。

元旦の極寒の山頂で、数百人の人間が黙ったまま、そちらを向く。

赤みは次第に強くなり、空全体は黒から白みを帯びていく。なんという綺麗なグラディエーションだ。

いや、綺麗という表現は違うかもしれない。美しいだ。こんな言葉使った事はないけれど、今の空の色を表現する言葉は、きっと「美しい」だと思う。

「英太」

牧野がいきなり僕の名を呼んだ。約一時間ぶりの声だ。

「もうすぐだぜ。もうすぐ見れる。これを見れば、きっと今年も大丈夫だ。きっとやれる。オレならやれる」

牧野は自分に言い聞かす様にブツブツと話す。

ああ、やっぱり重圧なんだな。その重圧に負けないためにも、牧野は今年の幕開けである、この初日の出が見たいんだ。

あの、重要な役をこなすための闘魂注入の儀式なんだ。

でも、なんで僕まで・・・。あの役は僕は関係ないのに・・・。

「来る・・・!!」

どこかでそんな声が聞こえた。

見ると、はるか遠く、東の果ての方に、ついに太陽がその姿を現した。

「う・・・うわ・・・」

赤みを帯びた空から、力に満ち溢れたまばゆい光が放たれる。

まぶしい・・・。そして暖かい。

その光を浴び、冷え切っていた僕らの体が温まっていく。

太陽の光がこんなに暖かいなんて!!

そしてこれは気のせいなのかもしれないけど、エネルギーが体に充満していく様な気がした。

体の隅々にまで行き渡る、太陽からの生命エネルギーだ。

これか!牧野が欲しがっていたのは。確かにこれなら、あの役をもこなして行ける様な気がする。あくまで僕の意見だけど。

そんな僕らの思いなど関係なく、太陽はゆっくりと昇っていく。

ご来光・・・か。なんて物凄い景色だろう。この世にこんな凄まじい景色があるとは知らなかった。

「すげえな」

ポツリと呟いた牧野に、僕はあの役の名前で声をかけてみた。

「これで頑張れるね。部長」

 

 

空の下で

3rd season

   (last season)

 

雪の部

 

山を下りながら、さっきの人事かの様な自分の発言を悔いていた。

何が「頑張れるね、部長」だ。

部長はもちろん大変だ。だけど、それをサポートするのは僕や他の部員だ。

今年の僕らは飛躍の年にしなくてはいけないんだから。

去年の高校駅伝大会で、僕らは40位を目指した。

それは実力からして厳しい目標だと周囲から言われていた。

でも、一区で前部長の雪沢先輩が高校ラストランで自己ベストを大きく更新してタスキを僕に繋いだ。

これをキッカケに僕らは好タイムで走り(実際には僕だけ調子よくなかったけど、まあそれはいいとして)、牧野がとんでもない自己新を出した。

おかげで最終順位は何と26位。

その前の年が50位だったので、これは物凄い跳躍だった。

そして雪沢先輩が引退する時にこう言ったのだ。

「次の部長は先生と相談してもう決めてあるんだ」

「エー、マジ?!」

牧野は自分だとは全く思わなかったらしくテンション高めな反応をしていたのだが、次の雪沢先輩の言葉で固まった。

「実力から言うとエースである名高かとも思ったんだけどな、部長というのは部をまとめるのに向いた性格ってのがあるからな。それで、牧野がいいかなという話になった」

「お、オレ?」

「嫌か?」

「いやいやいや」

微妙な言葉を口にする牧野に、雪沢先輩はみんなの前で宣言した。

「では、次の陸上部の部長は牧野だ!」

おおーっというどよめきの中、顧問の五月先生が「牧野、抱負を」と言った。

「と、豆腐?」

「ベタなボケ・・・」

そうして、いっぱいいっぱいの牧野が宣言した抱負がこれだ。いや、抱負というか目標だったけど。

「えー・・・個人戦、チーム戦ともに・・・、関東に行くように頑張るぞー!おー!!」

関東・・・。関東大会か。

それは僕らの多摩境高校陸上部としては雲の上の大会に思えた。

しかし、僕らは今年、真剣にそこを目指す事になるのだ。

 

 

こうして僕と牧野はご来光を拝みに来たという訳だ。

そしてこれが、あの、忘れる事のできないキラキラと輝いていた最後の一年の、始まりの空だったのだ。

 

 

雪の部「始まりの空」END

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2010年1月28日 (木)

空の下で-雪(2) 出会い(その1)

正月はあっという間に過ぎ去って行った。文字通り「あっ」という間だ。

元旦は初日の出を見に行ったせいで、昼間は寝て過ごした。

二日から四日までは家族全員で、おじいちゃんの家に泊まりに行ったので、気がつくと一月五日になっていて、今日から陸上部の活動が再開されるんだ。

 

 

久しぶりに多摩境高校の制服を着ると、不思議なもので何だかシャキッとした気持ちになった。

ジャージとウィンドブレーカー、ランニングシューズなどをカバンで持って、今年初の部室に入ると、すでにみんなが登校してきていた。

「あ、英太くん。あけおめー!」

一番最初に大きくて元気な声をくれたのは女子エースの大塚未華だ。冬だというのに少し日焼けしている。ハワイに遊びに行くと言っていたのは本当らしい。とはいえ、未華は普段から少し色黒なのでよくわからない。

次に声をかけてきたのは同じ長距離チームの大山だ。

「英太くん、今年もよろしく」

「よろしく」

ほんの少しぽっちゃりした体だけど、入部当初の様な「太ってる」イメージはもう無い。今、あの頃の写真を見たら「誰?」という感じだろう。

他にも長距離メンバーの名高や剛塚や牧野がいて、手を振ったり「ウィス」とかいうよくわからん挨拶をしたりする。

「相原先輩!あけましておめでとうございます!!」

未華よりさらにデカイ声で挨拶するのは後輩で一年生のヒロだ。こいつは年中うるさい。

「今年、やりましょうね!ヤバイくらいやりましょうね!」

何だかテンション高いヒロの横で、同じ一年生の染井は低いテンションで会釈をした。

懐かしいな。ただ単に年末年始休んでいただけなのに、このメンバーがひどく懐かしく感じる。

「英太くん」

呼ばれて振り返ると、若井くるみがピースサインを作ってほほ笑んでいた。

「あけましておめでと」

言われて、すぐに返す。「おめでとうー」

相変わらずかわいい・・・。いや、そんなすごいかわいいコじゃないんだけど、僕にとってはかわいいんだ。運動部なのに控えめな性格にドキドキする。

クリスマスも何にもなかったけど、今年こそは告白して付き合いたい!!

・・・去年もそう思ってたんだけどね・・・・・・。

「はいはい、呆けない呆けない」

様子を見ていた女子メンバーの早川舞が冷たくそう言う。こいつも相変わらずだ。

 

 

長距離チーム全員が練習着に着替えて、再び部室に集合する。

新しく部長になった牧野が「せーしゅくに!!」と声を荒げた。

「な、なんだあ?」

牧野は一枚のチラシをかかげた。

そこには新春駅伝大会と大きく書かれている。

「駅伝・・・ですか?」

染井が質問すると牧野は「そうだ」と言って鼻息を荒くした。

「今月の下旬に昭和記念公園で行われる公式戦だ。ちゃんと都の陸上連盟が開催している大会だ。これが今年の最初に試合になる」

おおーっという歓声が上がった後に、名高が質問した。

「また七人でやんのか?」

「いや、今回の大会は男女とも四人で編成したチームで走るんだ。他にも何故か個人戦も用意されているから、駅伝メンバーにならなかったヤツは個人戦に出る」

「えーと?」

くるみが不思議そうな表情で手を挙げて質問した。

「男女ともっていうのは、女子も四人編成で駅伝に出るって事?」

うちの部は、女子は未華とくるみと早川しかいない。三人じゃ出れないって事だろう。

「そうなんだよね。一人足りない事になるから・・・個人で出る?」

「だねー」

くるみは「ウンウン」と言いながら頷いた。

それを見て牧野が再び大きな声を出した。

「では!!すでに顧問の五月先生と相談して決めた、男子駅伝メンバーを発表します!!」

「え?もう決まってるの?!」

「そう!今回は特別に2チーム出ます!!

 まずはAチーム、名高・英太・オレ・染井!!

 Bチームは、剛塚・大山・ヒロ・それと中距離の天野たくみが出る事になりました!!」

またも、おおーっという歓声が響いた。

「展開はやっ!!」

未華がそう言うように、まさか年明けていきなり駅伝とは思わなかった。

慌ただしいけど、早速僕らは駅伝に向けての練習に取り組まなければならない事となった。

 

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2010年2月 1日 (月)

空の下で-雪(3) 出会い(その2)

「新春駅伝大会。東京の西半分のエリアにある高校が参加出来る大会で、男子の場合は四人でチームを組む。一区間の距離は全員同じで五キロだ。陸上連盟が開催してはいるが、これは上を目指す大会じゃあなくて、あくまで経験を積むだとか、駅伝の楽しさを知るっていうのが目的の大会だな」

今年最初の練習を終えて、クールダウンの体操をするのを見ながら、長距離顧問の五月隆平先生は大会について説明してくれている。

僕ら長距離チームはクールダウンの屈伸とかをしながら、先生の方を向くでもなく話に耳を傾けていた。

「女子は一区間三キロなんだが、四人いないとチームを組めないんだよな。誰か中距離とか短距離から一人頼もうか。男子は中距離の天野たくみに手伝ってもらうし」

五月先生は未華の方向を見ながら言った。長距離の女子の中で、リーダー的存在なのが未華なので、意見を聞きたいみたいだ。

その未華は立ち上がり、反復横とびを開始した。

「な、なんだ?!」

さすがの五月先生もビックリだ。

「なにしてんだ大塚」

未華は動きを止めてニヤッと笑った。いや、何の笑みだか100%理解不能だ。

「先生、女子は個人の部に出ます!くるみも舞ちゃんも実力がついてきて、久しぶりにレースに出てみたいだろうから、助っ人呼んでプレッシャーかかるより、ただ単にレースを楽しんでみたいと思うし。ま、私がそうなんだけど」

「うーん、そうか。まあ春に向けて、経験を積むって事になるからな。そうするか」

話はまとまったけど反復横とびの意味は不明のままだ。

 

 

部室に戻ると、短距離チームや中距離チーム、投てきチームも練習を終えて戻って来ていた。

おかげで陸上部の全員が、あまり広くもない部室に密集していて酸素が薄い。

騒がしい中、中距離の天野たくみが声をかけてきた。

「よ、英太」

「あー、たくみ!あけおめー」

「何だよその挨拶は。略さずにちゃんと言えよ。あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します・・・だろう?」

「そんなかしこまらなくても・・・」

「ったく」

たくみは鼻のところにある大きなホクロをかきながら話を続けた。

「ところでよ、今度の駅伝大会、俺がヘルプで出るんだけどさ、五キロだろ?俺、もうそんなに長い距離を走る練習してないから、あんまり期待するなってメンバーに言っておいてくんない?」

天野たくみは元々は長距離メンバーだった。でも半年ほどして、中距離の方が向いていると判断し、800メートルや1500メートルを中心として大会に出場している。

「わかった。伝えておくよ」

「頼むよ。ちなみに俺が走るBチームって誰?早いヤツいないだろうな」

「えーとね、剛塚と大山とヒロだよ」

「なるほど、ヒロよりか早く走りたいな」

たくみの言う通り、ヒロは一年近く練習してきたにもかかわらず、それほど伸びなかった。

秋の体育祭では、三キロのレースに出たものの、他の運動部員に敗北したりした。

牧野が「ヒロを育てるのも今年の使命の一つだな」とか呟いているくらいだ。

「でさでさ、耳より情報聞きたくない?」

たくみがにやーっと笑う。こういう顔をするたくみは要注意だ。何か変な情報を得て来たに違いない。

「な、なんだよ」

「牧野と未華、デートしてたぜ」

「なんだって!!?」

思わず大声を出してしまい、騒がしい部室が一瞬静かになる。

「あ・・・なんでもないでーす」

再び騒がしくなる部室の中で、たくみと僕は小声で話す。

「ちょ、ホントそれ?」

「見たんだよ、それもクリスマスの夕方にさ!多摩センターのイルミネーション通りを二人で歩いてたんだってば。手は繋いでなかったけど・・・くー、隠し撮りすれば良かった」

「いや、それはキモイって・・・」

僕は牧野の方を見た。

いつの間にか未華と付き合ってたのか・・・?それともうまく行く途中?

どちらにしても聞いてないぞー!?

ぼ、僕も何か行動しなければ!

「と、いう訳で、今の話、ネタ料金はジュース一杯でお願いしますー」

「は、はあ?」

「タダじゃあ無い!世の中そんな甘くは無い!」

「ヤなヤツー」

多少抵抗したものの、結局は帰り道でジュースを奢る結果になってしまった。

ホント、変な奴ばっかだ。この陸上部は。

 

 

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2010年2月 4日 (木)

空の下で-雪(4) 出会い(その3)

練習で牧野に会うたびに未華とどうなってるのか聞きたかった。

たくみによれば、クリスマスの夜に多摩センター駅前にあるイルミネーション街を二人で歩いていたという話だ。

あそこはこの辺りでは有名なイルミネーションのスポットで、夕方以降は大勢のカップルで賑わっている。

早く、この事を牧野に確認したいんだけど、こういう時に限って、練習中に牧野とゆっくり話す機会が無かったり、帰りが一緒じゃなかったりする。

まさか・・・未華と一緒に帰ったりしてるのかと思ったけど、未華はくるみと早川との三人で帰っている様子だ。

 

 

「あー!気になる!!」

練習の無かった日曜日の事だ。家でお母さんの作ったホワイトシチューを夕食として食べて、二階の自分の部屋に戻り、窓から景色をぼんやりと眺めていたら、牧野の事が気になって仕方なくなった。

「で、電話してみるか」

携帯電話を手にし、牧野の番号を呼び出した。

後は発信ボタンを押すだけなんだけど、躊躇してしまった。

今日は今年初めての部活の無い日だ。牧野に電話して、未華とデート中だったらどうしよう・・・。

「あー、もう!くそ!」

携帯電話をベッドに放り投げて、年末に買った漫画を手に取った。

数ページ読むが、どうにも集中出来ない。

牧野と未華がどうなってるのか。それも確かに気にはなる。

でも、落ち着かない理由は他にもあって、そっちの方が強いかもしれない。

それは、僕の知らないところで牧野と未華がデートしていた様に、こうしている間に、誰かがくるみにデートを申し込んだり、ヘタしたら告白するヤツだっているかもしれないって、思い始めたからだ。

もちろん、そんなの誰にだって、何時だって、ありえる事だ。

なのに、牧野達の話を聞いてからは、どうにも焦ってしまってしょうがない。

こんな事なら、クリスマスにデートくらい誘えば良かった。そしたら、鈍感そうなくるみだって、僕の気持ちに気付いてくらたかもしれないのに・・・。

「あーくそー」

布団の上をゴロゴロバタバタと転がったり、頭を掻きむしったりする。

「うーーん・・・手、繋ぎたいなあ・・・」

「は?なんか言った?」

「え?!」

気付くと、僕の部屋にお母さんが入ってくるところだった。

「な、なんだよ急に!!」

「さっき洗濯した服を届けに来ただけよ。どしたの大声出しちゃって」

「い、いや、別に・・・」

「なんかしたいって呟いてなかった?」

僕は顔が熱くなるのを感じた。

「いや!それは・・・! そう!せっかくの休みだけど練習したいなって言ったの!」

「じゃあ走ってくればいいじゃない。一時間走れば練習になるでしょ?」

「そ、そうだね」

 

 

僕はホントに走る事にした。もう午後七時だから、かなり寒いけど、ジャージの上にウィンドブレーカーを着こんで、ランニング用の手袋をすれば、ちょっと走れば温かくなるはずだ。

それに、あのまま布団の上でくるみの事ばっか考えてると、勢い余ってメールで「好きです!」とか送りそうで怖いから、走って気分を落ち着ける事とする。

玄関を開けると、やっぱりかなり寒い風が吹き込んできた。

空にはオリオン座が輝いている。「冬だな」とか呟いてみた。

一時間弱、ジョックするだけ。それだけできっと気分は変わるはずだ。

走るってのはそういうもんだ。走る前と、走った後では、気持ちは全然違う。意見まで変わる日もある。

準備体操を玄関の前ですると、近所のふくよかなおじちゃんに声をかけられた。

「お!健康的でいいな!メタボ対策だな!?」

決してそういう訳じゃないけど、笑顔で返事をし、走りだす。

 

 

夜の町をゆっくりと走る。

五分も走ると、小さな川があり、川沿いには細い道ではあるけどランニングするのには悪くない道が続くので、それを下流の方へと向かった。

夜の川沿いって、少し怖い。

でも、他にも走っている人や、ウォーキングしている人、犬の散歩をしている人もチラホラいるので、心強い。

気付くと三十分も走ってしまい、大きな大きな川に出た。多摩川だ。

ここから戻れば一時間だ。丁度いいと思い、引き返す。

すると、僕のちょっと前に、僕と同じような背の女の人が走っていた。

ちょっと短めのポニーテールを揺らして上流へと走っている。

なかなかいいペースで走る人だったので、その後を少し離れて着いていく事にした。

その人は、そこから十分走っても、全くフォームに乱れが無かった。それどころか、常に僕より綺麗なフォームで走っている。

腕の振り方、足の接地、膝のあげる角度、背筋、どれをとっても綺麗だ。これは、もしかしたら相当な女性ランナーかもしれない。

そう思って追走していると、その人は突然スピードを緩めた。ここでゴールなのかもしれない。

僕はそのまま横を通過した。その時にチラリと横顔を見てみた。

しかし残念ながら、タオルで顔を拭いているところで、どんな人なのかわからなかった。

でも、着てるウィンドブレーカーの胸のところに、英語でashi high schoolと書いてあり、高校生なのだと察した。

「・・・アシ高校・・・?足?そんな高校ないか・・・」

そして腕のとこにある文字も読めた。

kashumi

カスミ。きっとそれがあの女性ランナーの名前なんだろう。もしかしたら、この辺じゃ有名かもしれない。明日、未華あたりに聞いてみよう。

そう思い、僕はまた上流へと走り続けた。

 

これが、僕がカスミを見た最初の出来事だった。

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2010年2月 8日 (月)

空の下で-雪(5) 出会い(その4)

「英太ー!おーい!英太、英太ー!!」

午後の授業も全て終了したところで、大きくて元気で少しうるさい声が教室に響いた。

「うるさ!!」

同じクラスの未華が思わず耳をふさいだけど、そんなのおかまいナシで吹奏楽部の日比谷が「英太ー」と叫びながら僕の席までやってきた。

「なんだよ日比谷、声大きいって」

日比谷は短く切った髪の毛をバリバリといじりながら、「キンキューなんだよ、キンキュー」と言った。

「緊急?なんの用で?」

「牧野が呼んでるんだ」

「それのどこが緊急なんだよ」

そう質問すると日比谷は深刻そうな表情を見せた。この楽天的なトランペッターがこんな表情するとは一体何事だ。

「牧野は何の用で呼んでるの?」

「彼女出来たとか、出来ないとか、そういう話らしい」

「な!!」

ガタンと音をたてて僕は席から立ち上がった。そして思わず、近くにいる未華をチラリと見てしまった。

未華はといえば、仲の良いらしい他の女子と何か笑いながら話している。

「牧野はどこに?」

「佐久間屋」

 

 

多摩境高校を出るとすぐに多摩境通りという二車線のメインストリートがある。

ここを十五分ほど歩くと多摩境駅なのだけど、その途中にコンビニっぽいお店がある。

佐久間屋というそのお店は、朝七時から夜十一時まで営業していて、見た目は一見すると地方のコンビニエンスストアみたいな感じだけれど、お店の中の大半はお弁当だ。

店長の奥さんと数人で毎日作っているお弁当を主力商品として置いていて、その他に飲み物や文房具も売られている。

お店の一番奥には、何故か古本コーナーもあり、そこは完全に店長の佐久間のオジサンが趣味で読んだであろう小説が並んでいた。

僕と日比谷が佐久間屋の手動のガラス扉を開けると、ピロローンとチャイムが鳴り、レジのところでイスに座っていた店長の佐久間のオジサンが「いらっしゃい」と言って手を振った。

「おお、陸上部の相原君と、吹奏学部の日比谷君か。二人は知り合いだったのか。まあ、ゆっくり店を見て、できたら何か買って行ってよ」

実にのんびりとした店長だ。四十過ぎだという佐久間さんは、少し太ってはいるが、昔は野球部でそれなりに活躍したという噂だ。

だからなのかわからないけど、部活をやっている生徒の顔と名前を完全に覚えているらしい。もちろん佐久間屋に来る人に限るけど。

僕も始めて佐久間屋に来た時、「キミ、何部?」といきなり聞かれた記憶がある。

「陸上部の牧野、来てますか?」

尋ねると佐久間さんはお店の奥を指差して行った。

「あそこにいるだろ、さっきからパンをじっと見てるよ、キモイよな」

口の悪い佐久間さんに会釈をして、僕と日比谷は牧野のいるところに移動した。

「お待たせ、牧野」

僕がそう言うと牧野は「待ったよ」と言った後、周りを見まわしてから「ちょっと裏道行こうぜ」と不良みたいな事を言った。

 

 

佐久間屋でジュースを買って、大通りから離れて人通りの少ない路地へ移動した。

ここまで大人しくしていた日比谷が大きな声で質問する。

「なんなんだよ牧野、もったいぶるなよ!」

言われて牧野は「もったいぶってねーよ。焦るなよ日比谷」と笑った。

一口ジュースを飲んでから「実はよ」といきなり本題に入る。

「黙ってて悪かったんだけど、オレ、去年のクリスマスに未華にコクったんだ」

思わずドキリとした。

牧野は去年の夏合宿で未華に告白している。

でも、その時は未華はハッキリとした答えは出さなかった。

ただ、「私より遅い選手と付き合う気はないけどね」と言い、それから牧野は練習に励んだ。

「オレ、秋の東京高校駅伝で好成績を残したからよ。あの後、未華をデートに誘ったんだよ。クリスマスデートにさ。そしてら意外にもさ、いいよって言ってOKしてくれたんだ」

「マジか!んでんで?」

日比谷はかなり興奮気味で聞く。僕はといえば心臓が高鳴っているけど頷いたりするだけだ。

「多摩センターのさ、イルミネーション道を歩いてさ、晩飯も一緒に食べて、夜の公園を散歩したりしたんだ」

「うおー!マジか、スッゲスッゲ!!」

「ん、でもさ」

ここで牧野はトーンダウンした。

「またフラれた」

「おーっと!予想外!!」

日比谷は楽しそうに笑った。

「つ、付き合うのはダメって事?」

僕が恐る恐る聞くと牧野は首を振った。

「ちょっと待っててって言われたんだよ・・・。いつまで待てばいいんだか・・・」

「え・・・、それって・・・」

僕は日比谷を見た。日比谷は頷く。

「牧野、それって別にフラれた訳じゃないんじゃないの?」

牧野は眉間に皺を寄せて考え込む。

「んー、どうなんだろな。どういう事なんだと思う?それを聞きたくてさ、英太と日比谷を呼んだわけよ」

「そ、そんなの・・・」

言いかけた僕の言葉の続きを日比谷がズバリと言い切った。

「そんなの知らん」

 

 

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2010年2月11日 (木)

空の下で-雪(6) 出会い(その5)

立川で行われる新春駅伝大会まで一週間を切った。

ここのところ、牧野と未華の事で頭がいっぱいだった僕も、いよいよ練習に追い込まれていた。

五月先生は牧野が部長になってから、少し練習方針を変えていた。

フォームについては、やたらと腕振りを重視していた五月先生だったけれど、今年に入ってからは足の接地やら背筋の伸ばし方などを指示してくる。

みんなで1000m×5本のインターバル走の様な厳しい練習をしている時でも、横から大声で怒鳴っていた。

「相原!!背筋が曲がってるぞー!!」「大山!!膝が上がってないぞ!!」

駅伝まで一週間を切ったせいか五月先生の指導にも熱が入ってきていた。

特に厳しいのは一年生のヒロに対してだ。

「ヒロ!!、お前、さっき先生が言ったフォームの注意点、五分でダメになったぞ!!やる気あんのか!!」

「す、すいません!!なんとかします!!」

そんなやり取りをして次の日にはこんなやりとりをする。

「ヒロー!腕振れてないぞ!!直す気あるのか!!」

「はい!!なんとかします!!」

その翌日はこうだ。

「ヒロ・・・お前、昨日言った事は覚えてるのか?」

「すいません・・・。なんとかします」

牧野が言うには、ヒロは「なんともしません病」だそうだ。

つまり、怒られた時はなんとかしようとしているのだけど、ものの五分もすると怒られた事は忘れて、勢いだけで走ってしまうのだ。

それでも部活を辞めずに走っている。それだけはスゴイ。

 

 

大会三日前。この日も厳しい練習をこなしたんだけど、部室に戻ってから、みんなで大会用のゼッケンを作っていた。

「毎回毎回、このゼッケン作りが面倒っすよね」

ゼッケンをユニフォームに安全ピンでとめる作業をしながら一年生の染井が呟いた。

「うちの部にもマネージャーとかいたら、こういう作業もしてくれるのになあ、とか思うんスよ」

染井はブツブツと言いながらも丁寧に作業を進めている。意外と器用なヤツだ。

それを見ながら大山が牧野に向かって「聞きたいんだけどさ」と言った。

「な、な、何をだ?」

何故か動揺する牧野。何か違う質問と勘違いしている様だ。

「今度の大会って、何校くらい出るの?」

「な、なんだ、そんな事か」

そう言いながら牧野はカバンから何かノートを取り出した。

パラパラとページをめくって何かを読み、そして言った。

「すげえな、今年の参加チームは111チームだ」

「え?そんなに出るの?」

「東京高校駅伝が130校だったのにな、東京西地区だけの今回の大会に111チームってのはすげえ。でも、今回の大会はどんな弱いチームでも四人いれば出場出来るからな。レベル的には少しは楽だと思うよ。オレ達みたいにAチーム、Bチームって感じで二つのチームがエントリーしてる高校もけっこうあるしさ」

「これって勝つと何かあるんすか」

染井が完成したゼッケンを見ながら質問した。

「いや、勝っても上に進む訳じゃない」

「ふーん」

ややつまらなそうな表情をする染井に牧野は注意する。

「だからって油断すんな。強い高校も出るしな」

それを聞いて僕も聞いてみる。

「強い高校?」

すると牧野は再びノートを見た。そして険しい表情をしてから言う。

「まずは昨年優勝の松梨大学付属高校が出てくる。松梨は3チームもエントリーしてる」

「松梨って、あの?」

名高が興味ありげな視線をみせている。

昨年秋の東京高校駅伝で、総合三位に入った強豪高校だ。名高はこういう強豪相手だと燃えるらしい。

「それに葉桜高校も1チームだけどエントリーしてる」

名高がさらに反応を見せた。

葉桜高校といえば、去年の夏に一緒に合同合宿をした高校だ。

それより何より、この地区で最強の二年生、秋津伸吾の所属する高校だ。

名高はいつか秋津伸吾に勝つ事を目標としている。

「落川学園は?」

剛塚が聞くと、牧野は「落川学園は部員の喫煙行為が発覚して、今大会は棄権してる」と言った。

剛塚は「フン」と鼻息をし、不満足そうな表情をした。

「ねえねえ牧野」

今度は僕が問いかける。

「アシ高校って無い?」

僕は、こないだ夜の川沿いで出会った、ポニーテールの女性ランナーが気になっていた。

ウィンドブレーカーには「ashi high school」と「kashumi」と書かれていた様に見えた。

「はあ?アシ高校?アシってどんな字?足?」

「ギャハハ!!」

何故か大笑いするヒロに妙に腹が立つ。

「いや、字はわかんないけど」

ノートをめくりながら牧野は答える。

「アシって高校はエントリーしてないけど・・・、てゆーか聞いた事無いぞ、そんな高校」

「そっか、ありがと」

と言う事は、この辺の高校じゃないのか。

アシ高校。ashi high school。ashi・・・。

その時、頭に何かが閃いた。

でも「それより早くゼッケン作るぞー!!」という牧野の大声にそれは消し飛んだ。

でも別に、それはそれでよかったんだ。

どちらにしろ、アシ高校のカスミという人物とは、このすぐ後に出会うのだから。

 

 

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2010年2月15日 (月)

空の下で-雪(7) 出会い(その6)

新春駅伝大会の前日、僕ら長距離チームと助っ人である中距離の天野たくみは、大会前最後の調整を終えて、校庭でクールダウンの体操をしていた。

今日の練習は40分のジョックだけだった。連日、厳しい練習をしてきたので、体力を戻すためのジョックだ。

体力を回復させたいなら休めばいいじゃないかと思う人も多いだろうけど、多少走っておかないと、明日体が起きてこない事もあるんだ。

こんな事、一年生の時は全く知らなかったし、納得も出来なかったんだけど、約二年近くも走ってくると、僕にもそれが理解できる様になっていた。

「よし、今日はこれで終了だ。今日はやたら冷えてきたからな、温かくして寝ろよ」

五月先生は体を揺すりながら言った。確かにかなり寒い。

「それから、天野。久しぶりに実戦で五キロも走るんだからな、あまり無理はしなくていいからな」

言われてたくみは首を横に振った。

「いえ、全力で取り組みますよ。じゃないとBチームのメンバーに申し訳ないし」

たくみはメンバーである剛塚と大山とヒロを見ながら言った。

「だよな、ヒロ」

特にヒロには視線を向けている時間が長かった。

それに気付いたのかヒロは大きく頷く。

「はい!駆け抜けますって!!」

ヒロは元気よくそう言うが、染井は「気合いだけで走るなよ」と同学年なのにクギを刺した。

「うるせーな、わかってんよ」

 

 

久しぶりに牧野と二人で、帰りの電車に乗り込んだ。

僕らは多摩境駅からわずか二駅の堀之内という駅まで電車で帰る。

これは、多摩境からは上りの電車なので、車内はやたらと空いていて、座れない日はほとんど無い。

それなのに牧野は椅子には座らずに扉の脇に立って、窓から夜の景色を眺めてる。

「なにしてんの牧野」

「ん?いや、夜に見る町の景色って、昼と違って面白いなって思ってさ。なんかこう、表情が違うっていうか」

「また微妙にロマンチックな事を・・・」

「いいだろが!年頃なんだからよ!それに、チックじゃなくて、ティックだ。ロマンティック」

「はいはい」

「アーお前、今、俺の事、バカにしただろ?イヤだなあーそういう英太。実にイヤだ」

そう言いつつも牧野は笑っている。ちっとも嫌そうじゃない。

それを見て僕も笑ってしまった。

ふいに牧野が笑いを止める。

「な、なに?牧野」

「ん?いや、こういうくだらない事言ってる日がずっと続けばいいのになって思って」

「続いてるじゃん」

「今はな。でもさ、俺達が一緒になってバカやりながら同じチームで走ってるのって、今年までじゃん?その先、どうなるんだろって思っちゃってさ」

珍しく神妙な面持ちを見せる牧野を見て、大人になったなあと親みたいな事を考えた。

しばらく沈黙が続き、一つ目の駅に着いたところで僕は言った。 

「そんな先の事はまだいいんじゃないかな」

「え?」

「今は今だよ。明日の駅伝の事を考えていようよ」

そう言うと牧野はちょっと目を大きくした。驚いているみたいだ。

「今は今・・・か。英太も大人な意見言う様になったなあ!今を生きるってか!」

「な、なに?なんか上から目線だよね、そのセリフ。しかも今を生きるって言ってないし」

「悪いか!」

再び笑いあう僕と牧野。

ああ、確かにこんな下らなくて楽しい日々、ずっと続いたらいいなって思うや。

 

 

電車は堀之内駅に着き、僕らは改札を出る。

改札を出るとすぐに僕らは別々の道を帰る事になるので、「じゃあ、明日!」と牧野が言って別れる。

「あ、でもちょっと待った!」

牧野は自分で別れを切り出しておいて、僕のところに戻ってきた。

「コレ、明日の出場予定者のリストだ。俺は何回も見たから、英太も見といて」

そう言って渡されたのは、新春駅伝大会の冊子だ。

牧野を見送った後、冊子を開いて多摩境高校のページを見る。

『多摩境高校Aチーム 名高涼・牧野清一・染井翔・相原英太』

すぐ近くに乗っている、あの強豪高校のところも見てしまった。

『松梨大学付属高校Aチーム 赤沢智・駿河一海・駿河次海・香澄圭』

「えっ・・・」

ある事に気づいて牧野に聞こうとしたが、牧野はすでに帰ってしまっていた。

 

 

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2010年2月18日 (木)

空の下で-雪(8) 出会い(その7)

新春駅伝大会の日の朝、僕は目覚まし時計が鳴るよりも三十分くらい早く起きた。

興奮していたって事もあるのかもしれない。何しろ久しぶりの大会だ。

でも起きた理由で一番大きいのは、寒かったからだ。

布団にくるまって寝ていたのに、寒くて目が覚めた。

まだ寝ていてもいい時間だったけど、温かいシャワーを浴びて、部活のジャージとウィンドブレーカーを着こみ、朝食のパンとヨーグルト、それとバナナを口に入れる。

日曜日という事もあり、母親は起きてこない。

試合道具であるシューズなどを小さめのドラムバッグに詰め込み、玄関を出たところでギョッとした。

「え・・・」

雪が降っていたんだ。

見上げると、それほど大きい粒ではないけど、真っ白な粉が大量に空から降りてくる。

中止・・・?

そう思い、辺りを見回すが、地面は湿ってはいるものの積もってはいなかった。

ただ、寒い。

突っ立っていると足先から一気に体が冷えてしまいそうだ。

僕はそのまま駅へと急ぐ事にした。電車の中の方が温かそうだ。

 

 

最寄りである堀之内駅のホームに着くと、牧野もほぼ同時にやってきた。

「おはよ牧野。さ、寒いね」

寒さで噛みながら言う。

「ホントだな。これはキツイ試合になるな」

灰色に染まる空を見上げて牧野は厳しい表情を見せた。が、すぐに僕に向かって笑った。

「役に立ったな」

「え?何が?」

何の話だかさっぱりわからない。

「初日の出を見に行ったじゃんか。あの時ほどは寒くないだろ?あれを経験したオレ達には有利だ」

「うーん、そうかなあ?」

「オレを信じろって」

「ちょっと無理」

「なにー!?」

 

 

堀之内駅から京王線で一つ行くと多摩センター駅がある。ここで多摩都市モノレールというのに乗り、二十分ほどすると今回の会場である昭和記念公園のある立川駅に到着した。

立川に着いても雪は降り続いていた。風が無いのが幸いだけど、十分に寒い。

少しずつ雪は小降りになりつつあるけど、止む様子はなさそうだ。

「試合まで後二時間近くあるからな・・・。少し滑るかもしれないぞ」

立川駅から公園まで歩きながら牧野はそう呟いた。

確かにそうだ。積もる様な雪ではないけれど、坂道とかでは滑るかもしれない。

と、言う事は・・・

「スピード勝負にはならない?」

僕が聞くと牧野は頷いた。

「多分な。わかんねーけど」

微妙な答え方だけど、牧野はスピード勝負にはならないと踏んでいる様だった。

 

 

この昭和記念公園というのは、立川駅前の繁華街から西へ少し離れた場所にある広大な公園だ。

広いのなんのって、ハンパじゃあない。

その広さを生かして、公園内だけで5キロ×4人の駅伝を行うんだ。

新春駅伝大会というタイトルなのに、5キロの個人種目も行われる。

うちの女子チームは個人の部にエントリーだ。

 

 

「おはよう」

公園に入ったところでいきなり後ろから声をかけられた。振り向かなくてもわかる。くるみの声だ。

「あ、おはよう」「うぃーす」

僕と牧野がそれぞれ声を返す。

「雪、チラついてきちゃったね。さっむいよ」

言いながら、くるみは腕を組んで寒そうなポーズをした。え?はい、かわいいです。

三人で公園の中心広場に向かうと、色々な高校の生徒が走り回っていた。

遠くに僕ら多摩境高校のウィンドブレーカーを着た連中が見えたので、そっちに向かって歩く。

するとここで視界に気になる人物が映った。

思わずそちらを凝視する。

「ど、どうしたの英太くん」

「え?いや、あの人・・・」

僕が視線を向けた先には、僕と同じくらいの身長で少し短めなポニーテールをした人物が背中をこちらに向けて立っていた。

「あの人がどうかしたの?知り合い?」

こないだの人だ。夜に川沿いをランニングしていた ashi high school の kashumi だ。

物凄く洗練されたフォームで走る人だった。だから僕は相当な女性ランナーだと考えていた。

でも昨日、牧野から借りたこの大会の冊子を見てから、ある推理が頭に浮かんだ。

そしてそれは今、kashumiの着てるウィンドブレーカーを見て、確信に変わった。

「どうしたの英太くん。あの女の人、知り合い?」

「いや、あの人・・・男だよ」

「え?そうなの?」

細身な体だし背もそんなに高くない。何よりポニーテールだから後ろ姿だけだと女の人と見間違えてもおかしくない。

その背中には高校名が英字で書かれていた。やっぱりだ。こないだ、ちゃんと読めていなかっただけだ。

そこに書かれているのはこういう英字だ。

mathunashi U high school

ashiというのはmathunashiの最後の四文字だったんだ。

つまりポニーテルの「彼」は、強豪・松梨大学付属高校の選手だったんだ。

そして昨日見た冊子で名前も知っていた。

「彼」の名は香澄圭。カスミ・ケイだ。kashumiというのは下の名前ではなくて、名字だったのだ。

その香澄が、誰かに呼ばれて横を向いた。その時、初めて僕は香澄の顔を見た。

優男だけど目だけは強気そうだった。やせ気味の顔に前髪が垂れている。まるで陸上選手とは思えない。なんといってもポニーテールだし。

それを見てくるみが呟いた。

「なんか、変な人だね」

それを聞き頷く僕に牧野が言った。

「あいつ?松梨の香澄圭じゃん。早いよ」

だろうな。僕はそう思った。

 

 

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2010年2月22日 (月)

空の下で-雪(9) 出会い(その8)

後から思えば、今年の新春駅伝大会では波乱が多かった。

いくつか印象的な出来事が起きるんだけど、その前に僕ら多摩境高校Bチームがどうなったのか。

そもそもBチームってのは、物凄く酷くて冷たい言い方をすると「二軍」だ。

うちのBチームのメンバーは、一区から順番に剛塚・たくみ・ヒロ・大山というメンバーだ。

スタート地点にはAチーム一区の名高と一緒に剛塚が向かった。

 

 

「最初から飛ばすのか?」

剛塚は屈伸をしながら名高に聞くと、名高は「まあな」と答えるだけだった。

「秋津伸吾は四区らしいぞ」

剛塚が言うと名高は目を丸くした。

「四区?一区じゃねーのか?」

名高は111人の選手でごったがえしているスタート地点を見まわした。

確かに葉桜高校の選手がいるが、秋津伸吾ではなかった。

「なんだよおい、普通、エースが一区だろが」

あからさまに残念そうな名高の声が響き、周りの選手が不満そうな顔をよこすが、名高は知らぬ顔だし、剛塚はそういう選手を睨み返す始末だ。

「一位通過しろよ」

「は?」

再び目を丸くする名高に剛塚は言う。

「この東京西地区で、秋津伸吾がいないなら、残る強敵は松梨大学付属の赤沢くらいだろ?」

剛塚は笑い、名高は一瞬ポカンとした後にニヤリとした。

「なるほど。確かにな。思いきって一位通過を目指すか」

「そうそう。多摩境高校の名を知らしめて来いって」

「剛塚。お前って・・・」

「あ?」

「意外といい事言うヤツだよな」

「意外とじゃねーんだけどな」

二人でクックッと笑い、駅伝はスタートした。

 

 

地鳴りの様な響きと共に一団はスタートした。

この大会はどの区間も五キロだ。粉雪が舞っている状況とはいえ、かなりのスピードで一団は走りだす。

「スピード勝負にはならない」

牧野はそう言っていたが、それは先頭のヤツらの話であって、剛塚にとっては充分過ぎる早さの展開だった。

一団が少しバラけたところで並走していた名高が風を切るかのごとき速さで前へと消えて言った。

「すげえ」

剛塚はその速さに高揚したが、自分のペースは崩さずに淡々と走り続けた。

 

 

Bチームのタスキは111チーム中50位という何とも平凡な順位で二区のたくみに繋がった。

たくみとしてみれば五キロの試合に出るのは約一年半ぶりだった。

最初、いつも出ている800メートルの試合の様に飛ばしてしまい、順位こそ上がったものの疲れてしまいペースを落としたが、中盤からは立て直し、助っ人の役割をキチンと果たして三区のヒロに繋いだ。

「助っ人参上!!」

そう言ってタスキを繋ぐたくみの姿はいつかもあった。

 

 

三区のヒロは酷かった。

53位でスタートしたヒロは「二軍をナメるな!」とか叫んで走りだしたが、終盤になってガクンとペースダウンした。

明らかにオーバーペースで走っていたのだ。

「こ、こんなハズじゃ・・・オレはこんなハズじゃあねー!!」

そんな事を叫びながら走るから恥さらしだった上、それを叫ぶ体力があるなら走りに使ってほしかった。

自分の体力とペースを全く考えていない走りに、試合後、五月先生が激怒する事になる。

結局70位まで順位を落として最終四区の大山は走りだした。

「お疲れ!」

そう言ってタスキを受け取った大山を見てヒロは涙ぐんだ。「なんで・・・、なんでオレは・・・」

 

 

大山といえば多摩境高校陸上部では「遅い」「太い」「白い」というレッテルを張られた新入部員だったし、実際、相当な遅さだった。

でもそれはもう過去の話になりつつあった。

走るという行為を毎日繰り返すと、これほどまでにカロリーを消費するのか、と考えさせられる。

ダイエット目的で入部した大山は、いつしか目的を果たし、タイムを上げる事を心がけていた。

この日、大山は一区の剛塚を上回るタイムを叩きだし、五キロの自己ベストを大幅に更新した。

しかも担当の四区では何と23人抜きでBチームは47位でゴールした。

「うわー、ホント、今日は楽しく走れたー!」

大山ゴール後のこの言葉に僕は何故だか涙が出そうになった。

 

 

同じ時間帯に、女子の個人種目が行われた。3キロのロードレースだ。

くるみと早川ともに自己ベストをわずかに更新する会心の走りだったらしい。

試合後に、くるみが「ちょっと早くなったよ」と胸を張って言ってきたのが印象的だった。

未華はというと、二人とは別次元の戦いだったらしい。

数多くの選手が出ていたけれど、主力選手が駅伝に出場している事もあり、松梨大学付属高校の一年生エースとの一騎打ち状態だったとの事だ。

最後の数百メートルで、未華は遅れをとったが「一年生に負けてたまるかバカ野郎!」という野蛮な事を叫んで、ゴール前で一気に相手を抜き去ったらしい。

主力選手がいなかったとはいえ、この大会で未華は優勝をかっさらった。

本人は信じられないテンションではしゃぎまくり、表彰台でメダルを受け取る時に表彰台から滑り落ちて会場の笑いを誘った。

 

 

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2010年2月25日 (木)

空の下で-雪(10) 出会い(その9)

多摩境高校Aチーム、一区でエースでもある名高はびゅんびゅんと飛ばしていた。

最初、剛塚と一緒に一団を走っていたが、人と人の隙間を見つけると一気の前をめがけた。

一団を抜けると、前に数人いるのが見えた。それぞれ一人で走っている。

一番前の選手との差が、思ったよりもあったのでギクリとしてペースを上げかけた。

でも少し前に松梨大学付属高校の赤沢智がいるのを見つけて思いとどまった。

さっきの剛塚の言葉を思い出す。

「秋津伸吾が四区なら、強敵は赤沢だけだろ」

そう、名高はもう、東京西地区では現在トップクラスの実力なんだ。

この地区では現時点でトップ4の名前が挙げられる。

まずは葉桜高校の秋津伸吾。これはトップ4の中でも一歩出ている感じだ。

そして落川学園の八重嶋翔平。髪を白く染めて、眉が薄いという怖い選手だ。

それと強豪・松梨大学付属高校の赤沢智。エース不在と言われる松梨付属で一番早い男だ。

そして僕ら多摩境高校の名高涼。元々早かったけど、去年の秋くらいからついに有名人になってきた。

その中で、秋津伸吾は四区を走り、八重嶋翔平は喫煙行為で出場停止中ときている。

なので名高はすぐ前を走る赤沢を追う事にした。

赤沢より前に数人の選手が走っているけど、いずれ落ちてくる。そう踏んだのだ。

 

 

名高の予想は当たった。中盤で赤沢と名高は前にいる選手を次々と抜いて行く。

ついに二人は一番前の選手にまで追いついた。

一番前を走っていたのは赤沢と同じ松梨付属のユニフォームを着ていた。どうやら松梨Bチームの選手の様だ。

ユニフォームにはNISHIと書いてある。「こいつ、西 隆登か」と思った。

クラシック音楽をやっていて、名前の通りリュートを弾いていたりしたのだけど、高校になって陸上部に転向したヤツだ。中学時代の名高の後輩だった。

「英太みたいなヤツだ」

そう思いながら名高は赤沢と一緒に西隆登を抜いた。

 

 

西を抜いた後の残り一キロちょっとは名高と赤沢の一騎打ちだった。

二人は並走したまま、一歩も遅れる事なく走り続けた。

残り500メートルくらいのところで名高は赤沢の横顔を見た。

息を切らしているが厳しい表情はしていない。フォームも乱れていない。

「やっぱりか」と呟きそうになる。

赤沢は、完全な全力では走っていない。何か目標を自分に掲げて、ペースを乱さずにゴールを目指しているだけだ。

何かとは、例えば1キロ単位のタイムだとか、フォームを乱さないだとか、そんな所だろう。

名高はそう見切り、ペースを上げた。一歩、また一歩と赤沢の前に出る。

「・・・ち」

そう赤沢が言うのを名高は聞いた。名高ががむしゃらに前に出るのを見て赤沢もフォームを崩しながらも追ってきた。

二人はがむしゃらになってゴール目がけてスパートをかけた。

途中、誰かの叫び声が聞こえた。

「おい!赤沢ー!! 今日はペース乱さずに走る実践練習のハズだろー!!」

なるほど、と名高は思った。そういう目標をかかげていたのかと。

でも名高が前に出るのを見て、赤沢は我慢できなくなったのだ。

しかし、前に出るのが数秒早かった名高が、わずかの差で一位でタスキを繋いだ。

 

 

二区は牧野だ。ほぼ同時に松梨の二区、駿河一海が追ってきた。

ヒトウミという不思議な名前の二年生選手だ。三区には二海と書いてフタウミという一年生の弟がエントリーされている。

四角い顔をした坊主頭の兄弟だ。この地区では駿河兄弟と呼ばれている。漁師の息子だという話だ。

その兄である駿河一海は走りだしてすぐに牧野に並んだ。

「かかって来い来い!!」

牧野は楽しそうにそう言って一海と並走を続けた。

しかしさすがは強豪・松梨のAチームの選手だ。中盤で牧野を置き去りにした。

「くそが!!部長をナメんな」

牧野も未華と同じように野蛮な言葉を口にして走りまくったが、駿河一海より30秒ほど遅れてタスキを染井に繋いだ。

それでも二位だった。

 

 

三区は一年生の染井翔だ。童顔なのに口だけはキツイ染井は「御苦労っす!」という言葉を牧野にかけて走りだした。

「何か微妙にムカつくな・・・・・」

牧野の呟きなど気にする事もなく染井は前を行く駿河二海を追った。

「活躍してやりますからねー!!」

染井は心でそう言い前へ前へと進む。

染井には明確な意思があった。来年のエースになるという明確な目的が。

そのために、一年生の間は基本体力を身につけると決めていた。だから早い先輩の言うアドバイスはキチンと聞いて、それをモノにするように頑張ってきた。

しかし反対に剛塚や大山とかの遅い先輩の言う事はあまり聞かない一年生だった。

でも途中で変わった。大山や剛塚の「遅くても必死な走り」を見ているうちに、必死さを会得しようとしだしたのだ。

自分には必死さが足りない。そう思ってきていた。

だから今回の試合も必死で全力で走る事を目標としている。

けれど、勝っても上に進めない大会だと知って、少しモチベーションが下がっていた。

しかし三区で待っていたら、何と松梨Aチームに次ぐ二位で牧野がやってきたので、染井は幼い顔をニヤーっとさせて興奮した。

「必死で活躍してやる」

駿河二海との差は広がったものの、三区も二位のままでタスキを繋いだ。

しかしすぐ後ろには、この地区では強い高校が3チームも迫ってきていた。

 

 

こうして僕の走る四区が始まった。僕より少し前にスタートしたのは、あのポニーテールの男、香澄だった。

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