空の下で-雪(1) 始まりの空
酷い寒さだ。
こんな寒い中、山を登る意味が全くわからない。
大晦日の夜は、暖かい家の中で蕎麦でも食べながら紅白を観てるのがいい。
百歩譲って外に出かけるとしたって、近くに除夜の鐘でも突きに行くぐらいでいいと思う。
それなのに、僕は同じ陸上部の友達である牧野清一と一緒に山を登っている。
「寒すぎ・・・」
ぼやいてみても牧野は無言のまま山を登る。
部活で使っているストップウォッチ機能付きの腕時計を見ると、時刻は午前二時過ぎを指していた。
もうとっくに大晦日は終わってしまい、新しい年になっている。ああ、新年になった瞬間に時計を見ていたかった・・・。
極寒の中、山頂にたどり着いたのは午前四時前だ。
そこには大勢の人が溢れていて、まるで遅延した時の駅ホームみたいだ。
僕と牧野はその大勢の人の集団のハジの方に立ち止まる。
「着いたぜ。山頂」
そう言ってニッと笑う牧野だが、顔は真っ白だ。いつもの健康的な肌は色を失っている。
「着いたけどさ・・・寒すぎるよ」
山頂というのは、風を避けるものが少ない。数時間前に吹き出した北風が僕らの体温を奪っていく。
足の先が冷たいというか痛い。手袋をした手の指先はすでに感覚も無い。
「ああ、なんでこんな事してんだろ」
「初日の出を見るためだよ。言っただろ」
「わかってるけどさ・・・」
大晦日の朝の事だ。牧野から電話があり「一緒に高尾山に初日の出を見に行こうぜ」と言われたのは。
寒いとは想像していたけれど、まさかここまでとは・・・。
生まれてこのかた、こんなに寒くて辛い思いをした事は無い。
山頂に着き、歩くのをやめると、寒さはさらに厳しいものとなった。
数百人はいるであろう集団なのに、あまりの状況に会話はまばらだ。
話す気にもなれないし、話しても舌がうまく回らない。
「暖かいおしるこが食べたい」と言いたいのに「あたたたた・・・か、かい!」とかになってしまう。かみまくる。
体を揺らしたり、ホッカイロを頬に当てたり、水筒に入れたホットコーヒーを飲んだり、「ヒートテーーック!」と叫んでみたりしながら、初日の出の時間を待つ。
あの、おしゃべりな牧野ですら無言になり、どのくらいの時間が流れただろうか・・・。
そろそろ死ぬんじゃないか・・・?
そう思い始めた頃、東の空が少しずつ赤らんできた。
元旦の極寒の山頂で、数百人の人間が黙ったまま、そちらを向く。
赤みは次第に強くなり、空全体は黒から白みを帯びていく。なんという綺麗なグラディエーションだ。
いや、綺麗という表現は違うかもしれない。美しいだ。こんな言葉使った事はないけれど、今の空の色を表現する言葉は、きっと「美しい」だと思う。
「英太」
牧野がいきなり僕の名を呼んだ。約一時間ぶりの声だ。
「もうすぐだぜ。もうすぐ見れる。これを見れば、きっと今年も大丈夫だ。きっとやれる。オレならやれる」
牧野は自分に言い聞かす様にブツブツと話す。
ああ、やっぱり重圧なんだな。その重圧に負けないためにも、牧野は今年の幕開けである、この初日の出が見たいんだ。
あの、重要な役をこなすための闘魂注入の儀式なんだ。
でも、なんで僕まで・・・。あの役は僕は関係ないのに・・・。
「来る・・・!!」
どこかでそんな声が聞こえた。
見ると、はるか遠く、東の果ての方に、ついに太陽がその姿を現した。
「う・・・うわ・・・」
赤みを帯びた空から、力に満ち溢れたまばゆい光が放たれる。
まぶしい・・・。そして暖かい。
その光を浴び、冷え切っていた僕らの体が温まっていく。
太陽の光がこんなに暖かいなんて!!
そしてこれは気のせいなのかもしれないけど、エネルギーが体に充満していく様な気がした。
体の隅々にまで行き渡る、太陽からの生命エネルギーだ。
これか!牧野が欲しがっていたのは。確かにこれなら、あの役をもこなして行ける様な気がする。あくまで僕の意見だけど。
そんな僕らの思いなど関係なく、太陽はゆっくりと昇っていく。
ご来光・・・か。なんて物凄い景色だろう。この世にこんな凄まじい景色があるとは知らなかった。
「すげえな」
ポツリと呟いた牧野に、僕はあの役の名前で声をかけてみた。
「これで頑張れるね。部長」
空の下で
3rd season
(last season)
雪の部
山を下りながら、さっきの人事かの様な自分の発言を悔いていた。
何が「頑張れるね、部長」だ。
部長はもちろん大変だ。だけど、それをサポートするのは僕や他の部員だ。
今年の僕らは飛躍の年にしなくてはいけないんだから。
去年の高校駅伝大会で、僕らは40位を目指した。
それは実力からして厳しい目標だと周囲から言われていた。
でも、一区で前部長の雪沢先輩が高校ラストランで自己ベストを大きく更新してタスキを僕に繋いだ。
これをキッカケに僕らは好タイムで走り(実際には僕だけ調子よくなかったけど、まあそれはいいとして)、牧野がとんでもない自己新を出した。
おかげで最終順位は何と26位。
その前の年が50位だったので、これは物凄い跳躍だった。
そして雪沢先輩が引退する時にこう言ったのだ。
「次の部長は先生と相談してもう決めてあるんだ」
「エー、マジ?!」
牧野は自分だとは全く思わなかったらしくテンション高めな反応をしていたのだが、次の雪沢先輩の言葉で固まった。
「実力から言うとエースである名高かとも思ったんだけどな、部長というのは部をまとめるのに向いた性格ってのがあるからな。それで、牧野がいいかなという話になった」
「お、オレ?」
「嫌か?」
「いやいやいや」
微妙な言葉を口にする牧野に、雪沢先輩はみんなの前で宣言した。
「では、次の陸上部の部長は牧野だ!」
おおーっというどよめきの中、顧問の五月先生が「牧野、抱負を」と言った。
「と、豆腐?」
「ベタなボケ・・・」
そうして、いっぱいいっぱいの牧野が宣言した抱負がこれだ。いや、抱負というか目標だったけど。
「えー・・・個人戦、チーム戦ともに・・・、関東に行くように頑張るぞー!おー!!」
関東・・・。関東大会か。
それは僕らの多摩境高校陸上部としては雲の上の大会に思えた。
しかし、僕らは今年、真剣にそこを目指す事になるのだ。
こうして僕と牧野はご来光を拝みに来たという訳だ。
そしてこれが、あの、忘れる事のできないキラキラと輝いていた最後の一年の、始まりの空だったのだ。
雪の部「始まりの空」END
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