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2008年8月22日 (金)

空の下で53.合宿(その9)

一年生の大部屋は異常な光景が広がっている。

たくみが鼻血を出しながら倒れているし、未華は肩をおさえて座り込んでいる。

それは剛塚が手をあげたせいだ。

剛塚は大部屋の入口に立っているのだが、そこへ牧野が拳を握って走り出した。

ぼくは大声を出した。

「待てって牧野!!」

牧野はその声が聞こえないかのように剛塚の顔面めがけて右拳を突き出した。

剛塚はその拳をよけたが、牧野が勢いそのまま剛塚に体当たりしたので、剛塚は大部屋の外まで吹っ飛ばされた。

ドスンという音がして剛塚が大部屋の外の壁にぶつかった。

剛塚は痛そうな顔をしたが、すぐに牧野に向かって走り出した。

ヤバイ、剛塚が戦闘モードに入った。

そう感じた。

剛塚は「フン」と唸りながら拳を繰り出した。

牧野はなんとか避けたけど、剛塚が間髪入れずに蹴りを放ったので、牧野はそれを横っ腹に受けて、崩れ落ちた。

剛塚は息を切らしながら牧野を睨んで言った。

「なんでテメエが殴りかかってくんだ。関係ないだろ」

なんでかなんてすぐわかる。

好きな女子が目の前で押しのけられて痛い目に遭ったのだ。

それで黙ってるほど牧野は半端な気持ちで未華のことを想ってるわけじゃない。

牧野が答える代わりにぼくは剛塚に言った。

「関係ないとか言うなよ」

「は?」 

怖かったけど言った。ぼくも殴られるかもしれないけど言った。

「もう四ヶ月も一緒に走ってる仲間に、関係ないとか言うなよ」

剛塚はそれで殴りかかってくるわけではなかった。

何かを考えているような顔をしたが、すぐにぼくに向かって言い放った。

「仲間とか言うなよ、気持ちワリイな。勝手にやってろよ青春ごっこ」

そこで剛塚は一息切ってから言った。

「俺はもうやめた。帰るわ。」

そして大部屋から出ようとした。

もう誰も止めようとしなかった。

たくみも、未華も、牧野も、そしてぼくも。

一人減る。それだけのことだ。運動部で途中退部なんて珍しくもなんともない。

でも何か納得いかない。これまで四ヶ月やってきたことを思うと。

それはぼくだけじゃない気がした。

たくみも牧野も未華も、剛塚を止めたいんじゃないかと思った。

でも何もできない。

そう思った時だった。大山が声を出したのは。

「最後までやろうよ」

剛塚は足を止めて大山を見た。

大山は足が震えている。

「最後ってなんだよ大山」

「と、途中でやめるなんて。に、逃げるってことでしょ?」

大山は足だけじゃなくて声まで震えている。

「剛塚くん、見つけたんじゃなかったの?やりたい事とついていきたい人。それってこの陸上部の話なんじゃないの?」

剛塚は黙って聞いていた。

「最後までちゃんとやろうよ。逃げるなんてズルイよ」 

なんで大山は自分をイジメてきた剛塚にまで優しいんだろう。

剛塚はそんな大山の優しさに気づくべきだ。

そう思っていたらぼくは再び口を開いていた。

今度は怖がらずに自然に言えた。

「こんなに必要って思われてるんだからさ・・・。一緒にやろうよ」

「必要?誰が」

剛塚は眉間にしわをよせてそう言った。

まるで何の話をしてるのかわからないって顔だ。

たくみが鼻血を押さえながら言った。

「誰がって・・・わかんないわけ?」

やっぱり質問口調だ。なんだか偉そうだ。口火を切ったのはたくみなのに。

続いて牧野が立ち上がって言った。

「剛塚がっていうわけじゃないぞ。オレたち全員がだよ。オレはそう思う。オレたち長距離チームは、なんていうか全員いてこそのチームだからよ。それに途中で辞められたら、オレ達までやる気減るだろ。迷惑だよ」

一呼吸置いて牧野は剛塚を睨みつけながら付け加えた。

「だけど女を突き飛ばすような行動は許さないけどな。オレは」

牧野はチラッと未華の方を見た。まさかカッコいいことを言いたいだけじゃ・・・。 

その未華は一瞬「ん?」という顔をしたがすぐに真顔に戻った。 

ここで初めて名高が立ち上がった。

騒ぎの間もずっと聞いていたウォークマンをはずして一言だけ言い放つ。

「逃げるってキャラじゃねーだろ」

それだけ言ってまたウォークマンをつけた。

剛塚は全員を見まわした。

名高以外はみんな剛塚を見ている。

乱闘までしたというのに不思議にも悪意とか憎悪みたいな感情がこの部屋には感じられないのはなんでだろう。

殴りかかった牧野にしてもだ。未華の心配だけをしているように感じる。

これが一緒に走ってきた一体感とでもいうのだろうか。

そんな一言では済ませたくはないけれど。感情を言葉にできない。

だいぶ沈黙が流れたあと、ようやく剛塚はつぶやいた。

「逃げねーよ。別に」

そして部屋からは出ずに、元いた場所に戻った。

その瞬間、大山はその場にへたり込んだ。

 

 

雪沢先輩と穴川先輩がミーティングから帰ってきたのはその10分ほど後だ。

すでに未華は女子部屋へと戻っていて、部屋には黙り込んだ男子のみがいた。

部屋の異常には気付かずに雪沢先輩は翌日の練習メニューの発表をした。

「明日は朝練は今日と同じなー。で、喜べ。午前練習はナシだ。休憩だ」

おおーっと名高が嬉しそうな声を出した。

「で、午後練は。山中湖二周レースだ」

「二周?!」

聞き間違いかと思うほどの衝撃だ。

一周でもきつかったのに、その二倍?

さっきまでの乱闘騒ぎも遠のいた。走り切れるんだろうか・・・。

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