空の下で65.転向(その6)
静寂が辺りを包んだ。
心地良い静寂じゃあない。不安感のある静寂だ。
校庭のハジでぼくらはそういう空間に包まれていた。
もちろんド田舎でもないので車の音や、他の部活の人の声とかが遠くで聞こえているんだけど、ぼくの耳には今、それは入ってきていない。
たくみと五月先生の声だけが聞こえていた。
「天野、おまえ、長距離楽しいか?」
五月先生のこの質問で、たくみは固まってしまった。
いや、きっとたくみの頭の中は固まってないのかもしれない。
いろんな事が頭の中でぐるぐると駆け巡っているような気がする。
それでも口から言葉は出てこない。そんな状態なんじゃないだろうか。
静寂を破ったのは、やはり五月先生だった。それも意外な展開だった。
「相原、おまえは楽しいの?長距離」
「え?!」
イキナリぼくが質問されたので大きな裏声が出てしまった。だ、ださい・・。
五月先生は思わず噴き出した。
「相原、おまえって体育部っぽくないよなー。そんなとこが面白いんだけどさ」
「あ、はあ・・・」
「で、どうなの?楽しくないのか?」
ぼくの答えは決まっている。
「楽しいです。ぼくは走るのがすっごい楽しいんです。みんなで走りあうのが」
この「答え」は前からぼくの中にあったものだ。
でも、いざ口に出してみると恥ずかしい気もする。
「そっか。相原は楽しいか。うん、それが一番だな」
そう言って五月先生は再びたくみを見た。
「天野、答えろ」
突然ドスの聞いた声を出した。
言われたのはたくみなのに、ぼくは5センチくらい飛び上がってしまった。
やっぱ怖い先生なのか?
と、思った瞬間、五月先生は「あ!」と声を出した。
「いや、ごめん。ついケンカ口調に・・・。いや、ホント、ごめん天野。メンゴ、メンゴ。マジで。学生の頃ケンカばっかしてて・・・ごめん~」
メンゴって何だ??
とにかく五月先生はたくみに頭を下げまくって謝ってた。
すると、その行動でたくみが笑い出した。
最初は少しだけ、その後すぐに大笑いしだした。
「ギャハハッハ!!」
ぼくと五月先生は驚いてお互いを見合ってしまった。
「ど、どうした?」
「い、いえ、先生。五月先生って意味わからん人だなーって」
意味わからんのはこっちだ。なんで大笑いしてんだ。
たくみの深刻な話題につきあってるってのに。
「でも先生。今のでなんだか吹っ切れました。言います。答えを」
たくみは笑顔を抑えて先生に向きなおした。
「今、オレは長距離やっていて楽しさを感じないわけじゃないです」
たくみはチラっとぼくを見た。
「そこにいる英太とか、牧野とか、先輩たちとか、春からずっと一緒にやってきた仲間と走るのは楽しいです。でも・・・中距離はもっと楽しくやれそうな気がして・・・・だから」
たくみは一度、息をついた。
ああ、言うんだな。そう思った。
「中距離がやりたいです」
その後、たくみと五月先生は色々と話し込んだ。
持久力をつけたくて長距離に入ったこと。
思ったよりも長距離に向かなくて悩んでいたこと。
致命的だったのは合宿でみんなについていけなかったこと。
たくみの悩みを聞いた上で五月先生は言った。
「本当にやりたんなら中距離に転向しようか。800メートルや1500メートルに」
「でもうちの学校は短距離と長距離しかないですけど・・・」
「だったら中距離チームを作ればいいだけだ。志田先生と相談する」
そう言ってその場を離れようとする五月先生に、たくみは言った。
「五月先生」
「ん?」
「あ・・・いや、その・・・・ありがとうございます」
たくみにしては素直な言葉だ。それを聞いた五月先生はニヤっと笑ってから
「オレは普段よー」
と、五月先生は空を見上げてつぶやいた。
もう薄暗くなった空を。
「オレは普段よー。自分から動くことはしねぇ。でも自分の生徒のためなら、なんでもやってやんよ」
そして校舎の方へと歩いて行った。まるで不良みたいな口ぶりのセリフを残し。
部室に戻るともうみんな帰っていて、ぼくとたくみは二人で着替えた。
着替え終わって駅まで歩いて帰ってるとき、たくみがぼくに言った。
「英太、今日はサンキューな」
「え?お、おう!」
「英太がさ、ためらいもなく楽しいって宣言してるのを見てさ、オレも迷いがなくなったよ。やりたいことをやるべきだなーって」
「そ、そっかあ。じゃあ、少しは役に立てたってことかな」
「どうかなー。やっぱわかんないや」
「あ、なんだそれ急に!サンキューって言ったばっかなのに」
ぼくらは笑いながら暗くなった道を駅まで歩いた。
たくみは中距離に転向してしまう。専門分野は変わってしまう。
けどぼくらは仲間だ。一緒に走った仲間だ。笑いあえる仲間だ。
それは変わることはないんだ。
それがなんだか嬉しかった。
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