ブラスバンドライフ6.方向性
ブラス・フェスティバルへの練習が始まった。
このイベントは橋本という、わりと栄えた街の駅前で開かれる七夕祭りの中のワンコーナーで、野外ステージが組まれていて3時間のうちに10団体が出演するということだ。
ステージは人通りの多いメインストリートに組まれるらしく、いい演奏をすれば人の足も止まるだろうし、派手なアクションをすれば大盛り上がりするということだ。
ちなみにオレはこのイベントを見た事はない。
今言ったのは去年見に行ったという未希の話だ。
「お祭りだからね。しっとりした曲をやっても聴いてもらえないよ」
未希の話は最もだ。
だからこそ立花センセーはテコンドーの動きを取り入れることを考えたんだろうか。
今回のイベントに用意する曲は3曲だ。
たった3曲。
といっても一年生の中には高校で初めて楽器演奏するヤツもいるから、初歩的なところで何度も何度もつまづいて、全体で曲を通して演奏できるまでには1ヶ月かかった。
それも上手い訳ではない。
まあ人に聴かせてもいいかなってレベルだ。
それも楽器とか出来ない人にはなんとかってくらいだ。
演奏がつまづくたびにひと波乱が起きた。
泣きだしてしまう一年生の女子。
「くっそー」とか叫んで楽器を床に投げつけてしまう男子。
「演奏はともかく、泣いたり楽器に八つ当たりとかすんなよバカ!」と言うナナ。
「まあまあ。努力すればそのうちなんとかなるよ」となだめる未希。
「み、未希センパイ!」
何故か未希は一年生に慕われ、ナナはイライラ度を増していった。
「気合込めろー!」
ナナは毎日そう叫んだ。
気がつけば一年生の人数は半分に減っていた。
7月に入ったころ、音楽室でミーティングが開かれた。
メンバーは立花センセー、部長のナナ、副部長のオレ、それと未希だ。
ナナがイライラ全開で言う。
「部員は減るし梅雨でジメジメしてムカツクねー」
未希が静かになだめる。
「でも残ってるメンバーはわりと良くなってきたよ。人前で演奏できるんじゃないかな」
「オレもそう思う。日比谷はもちろんだし、他にもなかなかいい演奏のヤツいるよ」
ナナが急にニヤリとしてオレを見て言う。
「たとえば?」
「えーと、テコンドーのコなんかパーカスうまいじゃん」
「そうだね。あとは?」
「あと?特技披露でマジックやってた男もいいじゃん。いいコントラバス弾くよ」
「そうだね。それと?」
「しつこいな。ブリッジしてたコは?けっこうフルートがうまいよ」
「金管隊は?シオと日比谷の他にもいるんじゃない?」
「オレと日比谷以外で?うーん、た、田中ちゃんもけっこういいよ」
「わあー!田中ちゃんとか言ってるー!キモーイ!」
ナナはそう言って腹をかかえて体を折って笑う。これが言いたかっただけか。
「ね、田中ちゃんとはうまく行ってるの?デートとかした?あ!チューとかはまだ早いよ!」
「し、してねーし。付き合ってねーし」
「あー!なんか今、噛んだー!」
ムカツク女だな!
立花センセーが話題を変える。
「ブラス・フェスティバルは来週よ。演奏はなんとか形になってきたけれど」
「なんとか・・・ですよね」
未希が冷静にそう言う。
「これにテコンドーの動きなんて追加して演奏できるでしょうか」
「できないでしょうね」
立花センセーはバッサリと言い切った。
「できなくていいんです。それが目的だからね」
「え・・・」
オレとナナと未希は固まった。
「テコンドーの動きをつけるのは3曲のうち1曲だけ。それもラストの曲。この方針は変えないからね。みんなヨロシクね」
立花センセーは優しい声でそう言った。
「センセー。一つだけいいすか」
オレは珍しく真顔で立花センセーに質問してみた。
「このやり方で・・・『景色』は見えるんですか」
景色・・・。
こないだ日比谷がソロ演奏した時に見えた草原の景色。
本気の演奏と、本気の聴き手がいた時にだけ見えるという『景色』。
「オレはまたあの景色が見えるような演奏をしたいんです」
立花センセーはニコっと笑って即答した。
「きっと見えるよ。みんなの音がお客様の心に届けばね」
音が心に・・・か。
オレは密かに拳に力を入れた。
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