ブラスバンドライフ9.瞬間移動
夏休みに入った。
オレ達の通う多摩境高校は、すぐ横に山があるせいかセミがうるさい。
窓を開けておくとセミの声がうるさいので、夏休みは窓を閉めて練習をすることにした。
閉じ切りにした音楽室は、冷房が効くといっても暑い。
吹奏楽部は現在24人だ。
新入生がだいぶ辞めたけど、そこまで広くない音楽室で24人が一斉に楽器の練習をすると、やっぱり熱気がこもるというものだ。
この音楽室を夏休み中に使うのは吹奏楽部だけではない。
基本的に午前中はオレ達、吹奏楽部が使う事が多い。
でも午後は合唱部が使う。合唱部も立花センセーがかけもちで教えているので文句は言えない。
元からオレは立花センセーに文句など一言もないし。
立花センセーは忙しい人だ。
吹奏楽部・合唱部に加えて、来年からはハンドベル部の立ち上げメンバーになっている。
ハンドベル部なんてあるんだ・・・大変だな立花センセー。
オレでよければいつでも力になるよ。
・・・なんて大人みたいな事を言ってみたいもんだ。
「なにニヤニヤしてんのよ」
ふいに未希に話しかけられて「ひしゅ!」とかいう意味不明な声を出してしまった。
そうだ、今オレは朝から音楽室に来て、窓から見える校庭を眺めてたんだった。
「に、ニヤニヤしてたか?オレが?」
未希は見下したような顔で答える。
「してたよ。どーせ、校庭を見ながら田中ちゃんの事でも考えてたんでしょ」
「う・・・」
正解ではないが、ちょっと惜しい答えだ。
「ち、違えーよ。校庭でやってる運動部って頼もしいなあって考えてたんだよ。み、未来はな、ああいう元気な若者が担っていくんだぞ。期待してニヤニヤもするぜ」
「はあ?お爺さんみたい。しかも朝早いから誰も校庭で練習なんかしてないし」
言われて校庭を見てみると確かに誰も練習していない。
唯一見えるのは陸上部がマイクロバスに乗り込もうとしてる姿だけだ。
合宿でも行くのだろうか。と考えてると未希が「ああ」とつぶやいて言った。
「陸上部じゃん。なんか山中湖まで合宿に行くらしいよ」
「山中湖まで?遠くまで行くんだなー。オレ達も合宿でもする?」
「塩崎くん。合宿なんかして田中ちゃんと仲良くなりたいの?私服とか見たいんでしょ」
「そういう事じゃなくてさ」
合宿とかすると吹奏楽部のメンバーも私服とかになるのだろうか。
田中ちゃんの私服姿は確かに見たことないな。かわいいのかな。
「ん!?」
変な事を考えてしまったので思わず叫んでしまった。
「ど、どうしたの」
「い、いや・・・」
おかしいな。
なんだか最近、本当に田中ちゃんの事ばっか考えてるぞ。
オレは立花センセー一筋なのにな。
田中ちゃんか・・・。
その日、全体練習の後でトランペットの手入れをしていると、ナナが話しかけてきた。
「シオ、シオ」
「なんだよナナ」
「そろそろオリンピックでオグシオ出るね。シオはシオの応援すんの?オグ?」
なんだか意味わからん事言うね、ナナは。
「あのな、ナナ。あの人達はプロなんだからオグとかシオじゃなくってさ。ちゃんと塩田さんとか小椋さんとか言えよ」
「塩崎はシオでいいんでしょ?」
「オレはいいけど」
シオってニックネームに悪い気はしない。
中学まではずっと「塩漬け」という嫌なあだ名だったからだ。
「塩漬け」から変化して「漬物」だとか「浅漬け」だとか、はたまた「おふくろの味」とかいう塩崎とは何の関係もないあだ名の時期もあった。
「そんで何の用だよ、ナナ」
「オグシオだよ」
「はあ?」
ナナは真顔でそう言った。
なんなんだコイツは。3年間ずっと同じ部だけど、やっぱり意味がわからん。
「なにアタシの顔をマジマジ見てんのよ。見過ぎるとホレるよ」
「それはない」
ナナの激怒の蹴りが脇腹に入った。まじめに痛い。
「ぐお・・おまえ・・ちょっとは女子らしくしろよ・・・」
ナナは別にかわいくない訳ではないけど、この凶暴さが嫌だ。
「で、オグシオって?」
「この子よ」
よく見るとナナは横に男子を連れていた。
こいつはサックス担当の一年生だ。あんまりパッとしない男で・・・確か例の特技披露では何故かマジックをやって失敗したヤツだ。
名前は・・・小倉だったか。そうか。それでオグシオか。オレ的には手品クンだが。
「で、こいつがどうしたって?」
「小倉くんがね・・・いい案を出してくれたのよ。さすが手品好きね」
「案って・・・演奏会の演出案か? 手品なんて嫌だぞ。スベル」
オレがあからさまに嫌そうな声を出すと、手品くんは怯んだがナナは威勢よく言った。
「スベらないよ多分。なんていったって瞬間移動だもん!」
瞬間移動?
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