空の下で-紫陽花(9) ふたり「中編」
「相原、お前さっき授業中に携帯イジッてなかったか?」
帰りのホームルームが終わった後、担任の栃木先生がぼくの席まで来てそう言った。
「なんか授業中に自分の足元の方ばっか見てた気がするって他の先生が言ってたんだよ。どうなんだ相原」
栃木先生は薄汚れた白衣の姿で腕組みをしながら、席に座ってるぼくを見降ろした。
「授業中に携帯電話なんか使ってたら没収だからな。わかってるよな」
「い、いえ。授業中には使ってないです」
ぼくは栃木先生と視線を合わせずに答える。
そう、さっき授業中にこっそりと長谷川さんからメールが来て、確認してしまったのだ。
もちろん授業中に携帯電話を見るなんて悪い事だとはわかってる。
今までだってした事は無いんだけど、さっきはつい携帯を見てしまったんだ。
「使ってないんだな?じゃあ何で下を向いてた?」
一度否定しても栃木先生の追及は止まらない。
不思議と感じた事は納得できるまで追いかけるというのが化学専攻の栃木先生の信条だというのを聞いた事がある。
つまり簡単に言えば、しつこいんだ。納得できる様な説明をしなければならない。
「すいません・・・ちょっと眠くて。下向いてウトウトしてました」
「本当か?」
「あ、はい」
「困るんだよな。授業中に寝てもらっちゃ。今、頑張って勉強しないと来年に繋がらないからな。部活ばかりじゃなくて勉強にも力を入れてくれないとな」
そこから栃木先生は勉強の大切さを10分以上ぼくに語りかけて去って行った。
ドカッと音を立ててぼくの机の上に未華が座った。
イスに座ってるぼくの視線に未華の健康的に日焼けした足が映る。
「ちょ!ちょっと未華!!」
すぐ目の前に女子の足が登場したので、ぼくは慌てて視線を逸らす。
「なーに恥ずかしがってんだよ。そこまでスカート短くないよ」
未華はサラッと言うけど、角度的に恥ずかしいのでぼくは席から立ち上がった。
「な、なんの用だよ」
「いやーずいぶんと栃木先生にしぼられてたなあと思ってさ」
未華はぼくの方は見ないで窓の方を見ながら話す。
「英太、アンタ、本当は携帯で何かしてたでしょ。誰かとメールでもしてた?」
ドキリとする。
ぼくが中学の時に好きだった女子とメールしてると未華が知ったら何て言うだろう。
未華はきっと本気で怒る。「くるみが好きなんじゃなかったの?」とか言って。
「メールはしてたけど・・・」
「なにしてんだか。栃木先生にバレたら没収されるよ」
「わかってるよ」
「それよりさあ」
未華は辺りを見回した。その行動から何か嫌な予感がした。
「柏木が、くるみを呼び出したみたいだよ」
「か、柏木が?ど、どこに?」
動揺を隠そうと大声にならないように聞くが、噛みまくりだ。
「さっき、くるみの教室に柏木が来たらしくてさ。ちょっと話がしたいからって言って部活後に体育館裏に来てくれないかって」
「た、体育館裏?」
「そう。なんかイジメみたいな呼び出し場所だけどさ・・・」
「まさか・・・デートでも誘う気じゃ・・・」
ぼくの発言に未華はため息をついた。
「アンタねえ。なに悠長な事言ってるのよ。デートどころか告白だってありえるよ。部活後の体育館裏なんて夕方で暗いし誰もいないんだから・・・襲いかかるなんて事だってあるよ」
「そ、それは無いんじゃない?」
「わかんないよ。なにしろ柏木もくるみも高校二年だからね。キスくらいあるかも。ん?なに泣きそうな顔してんのよ英太」
「え?そそそ、そんな事無いって。うわー噛んだ!」
ぼくは落ち着かなくなってその場をグルグルと歩きまくった。
「なにパニクってんのよ。行くよ」
「ど、どこに?」
「今日の部活後。体育館裏よ」
未華は当然の様な顔をして言った。
その日の練習は全く集中出来なかった。
小雨が降ってきたので校舎の廊下で60分を走り、階段をダッシュで登るのを10本というメニューだったのだけど、五月先生に怒鳴られまくった。
「なにしとんだ相原!!腕が全く振れてないぞ!!目に力が無い!眼力つけろ!」
などという多少無茶な怒られ方もした。
練習が終わり、解散すると五月先生に捕まってしまった。
「相原!お前、今日は集中力無さ過ぎだぞ。どういうつもりだ」
「す、すいません。ちょっと・・・いろいろ訳ありで」
「なんだと?」
ぼくの言い訳が頭に来たらしい、校舎が揺れるかと思えるほどの声で怒鳴られる。
「言い訳してんじゃねーぞ!!このクサレ外道が!!」
「は、はい!!」
ぼくは裏返った声で返事をしてしまった。
ややあって五月先生は落ち着いたトーンで一言「・・・スマン」と言った。
「悪い相原。ちょっと興奮して昔のオレ・・・いや、先生の言葉に戻ってしまったよ。とにかく、練習するなら集中してくれ。集中力を欠くと怪我につながるからな」
低い声でそう言って職員室の方へ歩いて行った。
そこへ担任の栃木先生が通りかかった。
「おお、今の大声は五月先生か。ビックリしたな。さすが五月先生だ。迫力が違う」
「す、すごい迫力ですよね・・・五月先生って」
ぼくがそう言うと、栃木先生は苦笑いしながら言った。
「そりゃな。五月隆平って言えばこの辺りじゃ有名だったからなあ」
「有名?」
「あ、いや、こっちの話」
栃木先生は駆け足で職員室へ走って行った。
急いで体育館裏へ行く。
もう暗くなった体育館裏には、ちょっと暗めのオレンジ色の電気が一つだけ点灯していて、その明かりの中に未華だけがいた。
未華は小雨の中、傘を差して突っ立っていた。
「遅いよ英太」
駆け寄ると未華は怒ったような顔をしていた。
「ど、どうしたの未華」
「もう終わったよ。柏木もくるみも帰っちゃったよ」
思わずぼくは唾を飲み込んだ。
まさか・・・。
「なーに不安そうな顔してんだよ。何もなかったよ。何か二人で10分くらい話し込んでたけど、告白でもデートの誘いでもなかったよ」
「ほ、ほんと?」
「ホントだよ。ちゃんとくるみに聞いたもん。何の話だったのって」
「柏木のヤツ・・・何の話を?」
そこで未華は少し間を空けた。そのわずかな時間がぼくの心に不安感をもたらす。
「んー、ちょっと今は言えないかな。あんまり人に言う話でも無いし」
ぼくは再び唾を飲み込んだ。
そんなぼくを見て未華は笑って言った。
「大丈夫だよ。英太はちゃんとくるみを見ていれば大丈夫!柏木なんか気にせずにさ。柏木はけっこうセコイよ。セコイ事やってる」
未華はそれ以上、何も教えてくれなかった。
柏木は一体、何を企んでいるのか・・・。気になるばかりだ。
一人での帰り道、ぼくは授業中に来た、例のメールをもう一度見る。
長谷川麻友さんからのメールを。
『そろそろ梅雨明けだね。梅雨明けしたら、どこかにゴハンでも行きませんか?』
この返事はどうしたらいいんだろうか。
適当に返事したら、せっかく誘ってくれてる長谷川さんを傷つけたりしないだろうか。
曖昧な行動は、後から必ず痛い目に遭う事になる。
そんなのいつもの練習でわかってる。さっきだって曖昧な集中力で怒られたばかりだ。
なのにぼくは曖昧な行動に出てしまう。
誰かに嫌われたくないから。誰かを傷つけたくないから。
でも、無理なんだ。誰も傷つけずに生きていくなんて。
曖昧な行動は、自分自身を傷つける事になるんだ。
その事をぼくは思い知る事になる。
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