読切 「自転車を押しながら」
アクセス数1万件突破記念 特別読切
自転車を押しながら by cafetime 2009-6-3
駅前のバスロータリーはもう薄暗くなりつつあった。ふと視線を上げると、はるか遠くに見える巨大な山に夕日が隠れていくところだ。立ち止まって、その夕日をじっと見つめる。普段なら太陽が動いているのなんて気付く事はないのに、夕日となって山に消えていく時は「こんなに早く動いてるんだなあ」なんて思ったりする。
待ち合わせ時間は午後六時半だったので、もう十五分は過ぎている事になる。夕日とは反対方向にある京王線の駅の方を見ても知らない人しか歩いてはいなかった。
「けーちゃん、遅いな」
けーちゃんとは私の彼氏のあだ名で、普段あまり待ち合わせに遅れる事はない人だ。たとえ遅れる事になったとしても電話かメールできちんと連絡をする性格のはず。とはいえガサツな男の人なのでメールでも「ごめん!遅れ!」などと文字が足りなかったりする。でもそれが楽しかったりもするんだけど。
そういえば何の連絡も来ないのは、けーちゃんと私が付き合ってから初めてな気がする。
私は高校二年生で、けーちゃんは今年の春から大学一年生になった。一緒の高校の部活で知り合った先輩がけーちゃんだ。
一年前、吹奏楽部に入部したばかりの私がチューバの演奏が上手くいかなかった時、優しく楽しく教えてくれた先輩がけーちゃんだった。
私、すぐにけーちゃんが好きになっちゃんたんだよね。中学の時から「惚れやすいコだねー」なんて友達にからかわれたりしたけど、その時もすぐにけーちゃんに惚れてしまったよ。だって優しいんだもん。
それで初めての定期演奏会の後、頑張って告白しようとしたら、逆にけーちゃんに「どこかに遊びに行こう」なんて言われてしまったわけだよ。私の気持ち、見透かされてたのかな。そこんところはまだ聞いてないや。
そうして横浜に遊びに行って、今度はちゃんと私から正式に告白して付き合ったんだよね。それにしても告白した横浜の赤レンガ倉庫は素敵な場所だったなあ・・・また行きたい。
それから約半年。けーちゃんと待ち合わせを何度も何度もしてるけど、遅れる時に何の連絡も無いのは初めてだ。不安になるよ。
「あれ?田中ちゃん?こんな所で何してんの!?」
聞き覚えのある爽やかな声がして私はそっちを向いた。まだわずかに見えている夕日をバックにしてクラスメイトのくるみちゃんが手を振りながら歩いてくる。今日も制服姿がかわいいな。
くるみちゃんは背は高くないけど陸上部だというだけあって無駄なお肉がついてないので制服がとても似合う。私なんかちょっと・・・(だいぶ?)ふっくらタイプなので制服姿に自信が無いんだよね。なんで高校の制服ってスカートなのかな。足とかこんなに見せたくないんだけど。
「くるみちゃんこそ、こんな時間に何してんの?」
「ん、部活の帰りだよ」
「え・・・でもここって学校からだと駅の反対側になるのに・・・」
「ああ、こっち側のバスロータリーにお母さんが車で迎えに来てくれるんだ。今日は家族で回転寿司屋に行くから」
「へえ。いいなあ、お寿司・・・」
思わずヨダレが出そうになった。私、食べ物の話になるとだらしないんだよね。炙りサーモンを想像しちゃったよ。
「お寿司って言っても100円の回転寿司だよー。不景気だから」
「ほんと不景気だよね」
「うん、不景気だあ」
不景気と繰り返す女子高生二人は大人から見ると嫌だろうな、と思う。
「田中ちゃんは何してるの?彼氏と待ち合わせ?」
彼氏とかいう単語を使われるとドキリとするよ。けーちゃんは彼氏なんだけど、彼氏という単語に慣れてないので・・・。
「うん、待ち合わせ。でもなかなか来ないんだ」
「そうかあ・・・電車遅れてるもんね」
「え?」
そこへスルリと車がやってきた。どうやらくるみちゃんちの車らしく「じゃあまた明日、学校でね!」と言って、くるみちゃんは車の助手席に乗り込んで行った。
爽やかだなあ・・・。運動部のコってみんなあんな爽やかなのかなあ?ううん、くるみちゃんは特別だ。仲良しの家族に仲良しの陸上部。それにクラスメイトにも仲良しが何人もいる。キラキラしたコだ。トロくさい私なんかとは違う。
駅に戻ってみると確かに電車遅延の放送が流れていた。「信号機トラブルのため、現在上下線共に運休しております。運転再開は19時20分頃を見込んでいます」と慌てた男の人の声が何度も繰り返されている。
こんな事に気づかないなんて、やっぱり私ってトロくさいというかマヌケだよ。電車が止まってるんじゃけーちゃんが大学からここまで辿り着けないって。
でも疑問が残る。だったらけーちゃんはメールくらいしてくれそうなんだけどな。
もしかしたら気付かないうちに着信があったかもしれないと思って携帯電話を開くとメール着信が一件と表示されていて「しまった!」と小声でつぶやいてメールを見る。
『でこぽん 待望のNEWシングル発売決定!!夏ドラマ主題歌のタイアップ!』
けーちゃんからではなくて、私が好きな音楽ユニットのお知らせメールだった。公式サイトに登録してたから情報がメールで届いたんだ。ありがたいけどガッカリした。
その一つ前には一度読んだけーちゃんからのメールが表示されていたので、読み返してみる。着信は昨日の夕方だ。
『今日は大学の友達とボーリングに行ってくるね!なんと総勢十人で行くんだ!盛り上がりそうだから楽しみ!明日は六時半に多摩境駅だよね。ちゃんと行くね!』
このメールには返信した記憶があったので、送信メールを読みなおしてみる。
『十人なんてスゴイね!けーちゃんってボーリングうまいもんね!あー、十人もいるってコトは女の人もいるんでしょー?』
我ながら嫉妬深そうに見られる内容だなあと笑ってしまう。
しかしすぐに胸にズキンとくる不安がこみ上げてきた。この問いに対する返信が来ていないのを思い出したからだ。
『女の人もいるんでしょー?』
いつもは何度も返信しあっていて、電話した方が早いじゃんって笑われるくらいメールしてるのに、昨日はこの問いに対しての返信もなく、急に連絡が途絶えている。そして今日は朝から一度も連絡が無い。
良くない想像をしてしまい、心臓の鼓動が早くなり、呼吸も荒くなった。以前から私は緊張したり不安になったりすると過呼吸気味になる。必死に「落ちつけ!」と自分に言い聞かせる。大丈夫。大丈夫。けーちゃんは浮気とかする人じゃない、と。
日は完全に山に隠れ、辺りは急激に暗くなっていった。この多摩境駅というのは駅前にあまりお店が無いために日が沈むと共に寂しさが増す田舎の駅だ。
電車は再開予定の時間になって動き出したのに、けーちゃんは来ないし連絡も無い。もちろん私からもメールをしてみたけれど返信は無いし、電話しても繋がりもしない。
「今日は・・・逢えないかな」
つぶやきながら駅を出る。もしかしたら今日は・・・ではなくて、これからずっとだったらどうしようと考えて、少し涙が出そうになったので頭を大きく横に振って嫌な考えを振り払った。・・・でも嫌な考えは振り落とされなかった。しぶといやつだ。
駅からすぐのところにある駐輪場へ行く。私の家はこの駐輪場から自転車で20分くらい走った先の田舎町にあるから、いつもここに自転車を止めている。
自転車のチェーンロックを外し、係員のオジサンに会釈をして自転車を押して駐輪場を出る。そこで自転車にまたがったけど、何故だか漕げなかった。
何度も何度も漕ごうとしたのに漕げない。自転車が壊れているんじゃなくて、漕ぐ力が湧いてこない。こんな事は初めてだ。もしかしたら鍵をはずしてないんじゃないかと確認したけど、鍵は外れているし、タイヤの空気は満タンっぽい。
なんでだ?なんでだ?
パニックになりそうな心をなんとか抑えつつ、私は自転車を降りた。今日はきっと漕げない。
「けーちゃん・・・」
駅の方を振り返ってそう言ったけど、けーちゃんの返事は無かった。聞こえてきたのは近くの田んぼで大合唱をしているカエルの声だけだ。
しかたなく、私は自転車を押しながら歩く。ここから歩いて帰るとなると50分から1時間はかかるハズだ。バスに乗るという手もあるけど、自転車から手を離すと立ってられそうもなくって、自転車を押しながら歩く。
一度不安になると止められないのが私だ。
去年、吹奏楽部に入った時、先輩達の前で自己紹介がてら自分の特技を見せるという事があった。私は、その前日にたまたまテレビで見たプロレスラーのイノキさんのモノマネをした。そしたら翌日から「イノキ」というあだ名がついた。
「おいイノキー」「イノキちゃーん」「イノッキ!!」「元気ですか!!」
まさかこのまま三年間この名前で呼ばれるのか。演奏会でモノマネをやらされるのか。二年生になったら後輩からもそう呼ばれるのか。モノマネが定着して部内のお笑いキャラにされるのか。それでそれで・・・、お笑い好きの女子と出会い「一緒にお笑いを目指そう」とか言われてお笑い養成スクールに入り、特に大ブレイクせずにローカルテレビで活躍して、親にバカにされた一生を過ごす・・・。
そんな想像をした事があった。でもそれを止めたのもけーちゃんだ。
けーちゃんの苗字は塩崎という。普段はシオって呼ばれているんだけど、シオから発展して「シオ漬け」とか「漬物」とか「おふくろの味」とか呼ばれて嫌な気分になった事があるらしい。それで私の事も「田中ちゃん」って呼んでくれる様にしてくれた。
「けーちゃん・・・」
なんで連絡をくれないんだろう。もしかして昨日、ボーリングに行ったメンバーの中にやっぱり女の人がいて、仲良くなっちゃって、それでそれで・・・、今日は大学休んでまで女の人とどっかデートとか行っちゃってて、しかもデート先が横浜の赤レンガ倉庫で、「オレやっぱ君と付き合いたい」なんて展開も0%とは言い切れないよーー。
気がつくと歯がカチカチと震えていた。
怖い。
けーちゃんがいなくなる事が怖い。
しょうもない妄想かもしれないけど、連絡が無いってだけで怖いんだ。
携帯電話なんて無ければいいのに。そしたら連絡が無いって事にすら気付かずに済むんだ。「来れなくなったのかなあ」なんて、あっけらかんと過ごす事だって出来るかもしれないのに。
もうずいぶんと駅から一緒に進んできた自転車を押しながら空を見上げた。東京とはいえ郊外の田舎町であるここら辺では星空がよく見える。
カエルの声と自転車のチェーンが回る音を聞きながら星を見る。
「ふわあ・・・綺麗だ」とかつぶやいて歩いてたら前方にあった電柱に激突した。
「ぎゃ!!」
顔をぶつけて、痛くて自転車から手を離して座り込んだ。自転車がガシャンと音をたてて倒れる。
マヌケだなあ・・・。もう一度空を見上げると、もうカエルの声しかしなかった。
「けーちゃん・・・逢いたいよ・・・」
呼びかけた声に反応するのは、またもやカエルの合唱。ケロケロと頑張ってる。
そのケロケロの声の他に、誰かが息を切らして走ってくる音が聞こえた。
その人は私の近くまで走って来て、立ち止まった。
「はあ・・・はあ・・・・」
「け、けーちゃん・・・」
けーちゃんが汗だくになって息を切らして立ち尽くしていた。
「悪い。遅れた」
けーちゃんはそう言って私の自転車を起こした。
「電車が止まって・・・しかも携帯を昨日、ボーリング場ではしゃいでたら壊しちゃって・・・ごめん!」
「え・・・誰かと浮気してたんじゃ・・・」
「はあ?なんでオレが浮気なんてするんだよ。オレの彼女は未由、お前じゃん」
ただそれだけの事だった。何の心配もいらなかったんだ。ただ私が不安の妄想を広げただけだったんだ。それなのにけーちゃんは駅からかなり離れたこんな場所にまで必死に走って来てくれた。この道に私がいるなんて保証は無いのに。
私は安心しきってしまい涙が出てしまった。
「お・・ちょっと・・未由・・・何も泣く事・・・・ごめんて・・・ほんと・・・ごめんて」
バカらしいなあ・・・。何してんだろ私。もう17歳になるってのに妄想特急しちゃって。けーちゃんはこんな彼女でいいのかね。
「ううん、謝んなくってもいいよ。謝るのは私もだからさ」
勝手に妄想して疑ったからね。
「な、なんだかよくわかんねーし・・・わかんねーけど!」
けーちゃんは起こした私の自転車を押しだした。
「せめて家まで送ってく」
「え、でももう家までちょっとしかないよ」
「ちょっとでもいいよ。送らせろよ。夜は危ないだろ」
けーちゃんは自転車を押しながらそう言った。こういうカッコつけるセリフを言う時、けーちゃんは私の目を見ない。見れないのかもしれない。恥ずかしいから。
「じゃあ・・・送ってもらおうかな・・・。少しでも一緒にいたいし・・・」
私もこういう言葉を言う時はけーちゃんの目を見れない。恥ずかしいから。特に今日はしょうもない勘違い妄想劇場を繰り返したので。
お互い目を逸らし合いながら二人は歩く。
暗い夜道を。へんてこな笑い話をしながら。自転車を押しながら。
でも遅刻は遅刻。今度なんか美味しいもの奢ってもらおう。100円の回転寿司でもいいけどね。不景気らしいから。炙りサーモンがあればそれでいいよ。
劇的な展開なんて無くてもいい。ただ目の前に広がる日常に小さな幸せが転がっていればいい。そんな、特別でもない日々をけーちゃんと一緒に過ごしていきたいんだ。今日みたいになんでもない日だって、私にとっては劇的だし特別なんだから。
「自転車を押しながら」 END
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