空の下で-金木犀(5) つながり(その4)
少し前までより乾いた風が競技場に吹いている。
その中で、多摩境高校の陸上部のメンバー全員がトラックに集まった選手の一団を見ていた。
男子5000mの出場者達だ。
この種目には多摩境高校のエースである名高、そして牧野と染井がエントリーしている。
出場者は55名いるので、スタート地点はかなりごったがえしている。
多摩境高校の陣取っているテントは5000mのスタート地点に近い位置にあるので、ここからでも名高たちの姿は確認出来る。
名高と牧野はすでに試合慣れしているのか、ジャンプしたり体をひねったりしてウォーミングアップで温めた体を冷さないようにしているのが見える。
染井は公式戦は初なので緊張してるかと思いきや、かなりリラックスしている様子だ。
逆に、三人のサポートでスタート地点にいる大山とヒロが、おろおろしてる感じがする。
「大丈夫かな」
すでに都大会行きを決めた未華が僕の隣に立ち、心配そうにスタート地点を見ている。
「誰が?大山とヒロ?」
僕がそう聞くと未華が意外な事を言った。
「牧野」
「え?」
すると未華は自分の言った事に気づいたらしく、顔を赤らめて「いや!いやいやいや!」と言って顔の前で手を横にブンブンと振った。
「いや!牧野の心配ばっかしてる訳じゃなくって!違うって!みんなの心配してるんだって!あーもう、英太くん!勘繰るのやめてよね!最悪!!」
めちゃくちゃ必死に否定しまくる未華に思わず吹き出してしまった。
が、すぐに頭を後ろから叩かれた。
「なにイチャついてんだ相原、大塚。ちゃんと見ろ、もうスタートしたぞ」
叩いたのは穴川先輩だった。言われてトラックを見るとすでにスタートしていた。
「うわ!スタート見逃した!!」
「最悪!やっぱ最悪!!」
55名の選手が最初のコーナーを走って行く。
5000mというのは400mのトラックを12週と半分を周る競技だ。
いつもはこの中にいるはずなのに、今回は応援に回ったのが少し悔しいけれど、名高たちが僕らの前を通り抜けるたびに僕は大声を出した。
距離が進むにつれ、先頭から選手が次々と遅れて行く。
2000mを過ぎると、先頭集団は15人ほどまでに減っていた。
その中に名高も牧野も染井もついていた。
「すごい」
いつの間にか未華の隣にくるみが立っていて、ボソリと呟いたのが聞こえた。
そう、これは凄い。三人とも先頭集団についていってるなんて。
そう思った時、一人の選手が先頭集団からさらに前に出たのが見えた。
「あれは・・・赤沢だな」
穴川先輩が厳しい表情でそう言った。
「赤沢?」
「松梨大付属高校の二年生エースの赤沢だよ。去年の今頃は雪沢と同じくらいだったのが今年に入って物凄い勢いで成長してるヤツだ」
松梨大付属高校というと、この地区の運動部では有名な私立高校で、陸上部もかなりの強豪だ。
それに・・・長谷川麻友さんが通っている高校でもあるんだよね・・・。関係ないけど。
「ファイトー!!」
赤沢に続いて名高が僕らの前を通り抜ける。
「に、二位で走ってる!!」
そのすぐ後ろには、白髪の選手と秋津伸吾が続いた。
「な、なんだあの髪の毛はー?!」
「染めてるんだろ」
ややあって牧野と染井を含めた10名の集団が通り抜ける。
「牧野ー!!」「ファイトー!!」「多摩境ファイトー!!」
僕らは必死に声を出す。
声で背中を押すぐらい出来るんじゃないかと錯覚しながら声を出す。
4000mを最初に突破したのは赤沢で、その後ろに名高と秋津と白髪の選手が続いた。
この四人はすでに遅い選手を周回遅れにしながら走っている。
牧野はというと10位前後を走っていて、染井は15位ほどの位置につけている。
「都大会へは8位までだから・・・牧野、チャンスあるんじゃねーか?!」
剛塚が興奮してそう言うと、未華の声にも力が入った。
「牧野!!死ぬ気で頑張れ!!」
その時だった。
わあ!!という歓声とも悲鳴ともつかない声が会場に響いた。
僕ら多摩境高校のメンバーにも悲鳴が上がった。
何かと思いトラックを凝視する。
染井も牧野も何も無かった様に走っている。
視線を先頭の方に向けると、何人かの選手がトラックに倒れているのが見えた。
二人、いや三人の選手がトラック上に倒れていた。
すぐに二人が起き上がり走りだす。
その二人とは、名高と秋津伸吾だった。
「ど、どうしたんだ?!」
僕が大声で未華に聞くと、未華は首を横に振って「わ、わかんない!」と慌てて言った。
すると穴川先輩が「接触した!」と叫んだ。
「名高が周回遅れの選手を抜こうとしたら、周回遅れの選手とぶつかったんだ!それで近くにいた秋津にもぶつかって、その三人が転倒した!!」
「転倒?!」
そのせいか、一緒に走っていた白髪の選手から名高と秋津はかなり遅れていた。
ここで秋津は今まで見たこともないような厳しい表情をして、猛追を見せた。
しかし名高は追わなかった。
いや、追わないというより失速した。
みるみるうちに秋津から遅れ、後続の選手にも抜かれていく。
「な、名高ー!!」
4位、5位、6位、と順位がどんどん落ちて行く。
7位まで落ちた時、名高はコースから外れて立ち止まってしまった。
そして、右足首に手をやって座り込んでしまった。
「足を捻ったか・・・!!」
穴川先輩が歯を食いしばって言い、「コールドスプレーを用意しろ!!」と怒鳴った。
名高はゴールまでわずか300mでそのままリタイヤした。
試合は松梨大付属の赤沢が制し、二位が白髪の選手、三位が秋津伸吾という結果だった。
牧野も奮闘したが9位、染井は15位だった。
これで多摩境高校は、都大会行きのチケットを手に入れたのは未華だけという結果に終わった。
試合後、テントをかたずけ終わった後、競技場を出たところで五月先生がミーティングを開いた。
短距離も長距離も投擲も関係なく、全員がその場に集まった。
いなかったのはレース後にすぐに近くの接骨医院に運ばれた名高と、車を出した志田先生だけだ。
すでに午後4時を回り、辺りは夕焼けに染まり、涼しくなってきていたが、五月先生は熱くなっていた。
「今日の名高の件だが!!」
いつもよりドスの効いた低い声で五月先生は話を始めた。
「接触というのはどの競技でもあり得る話だ!名高は残念な結果になったが、あの姿を忘れないでいてくれ!誰にでもあり得る話なんだ。ああいう事も起こりえると・・・それを忘れるな!」
名高はあのまま走っていれば確実に都大会行きを手にしたはずだった。
だから、メンバーには悔しさが広がっていた。
長距離メンバーはもちろん、短距離・中距離・投擲のメンバーもそれは同じだった。
陸上部の仲間という繋がりのあるメンバー名高のリタイヤという結果に、悔しい気持ちが充満しているのだ。
しかし、五月先生はこんな事を言うのだ。
「みんな、この悔しい結果を絶対に忘れるな。そして、こんな事を絶対に巻き起こすな」
巻き起こす・・・?
「オレは・・・」
五月先生の拳は何故か震えている様に見えた。
「オレは、こんなやり方は許さん」
それが一体何の事なのかわからなかった。五月先生が言った事が何なのか。
でもこの時、剛塚が頷いたのを、僕は見逃さなかった。
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