空の下で-風(20) 東京都大会(その1)
インターハイ、東京都大会。
東京の六つの支部に分かれて行われた支部予選会を勝ち残った者だけが進む事の出来る大会だ。
それぞれの支部で上位八位に入った選手が、この東京都大会に出場する権利を得る。
今年は世田谷区にある駒沢オリンピック公園内にある競技場で行われる。通称、駒沢競技場だ。
競技日程は二日間に渡って行われ、上位八位に入賞した者は関東大会へと進めるシステムだ。
僕ら多摩境高校からは、初日に男子800mに天野たくみ、男子1500mに染井翔、女子3000mに大塚未華が出場する。
僕の出る男子5000mは二日目の午前中の予定だ。
初日の朝、牧野と堀之内駅で待ち合わせて電車に乗った時、空はどんよりとした厚い雲に覆われていた。
冷たい空気が流れていて、「降るかもな」と牧野が嫌そうな顔をしていた。
その予感は当たり、駒沢競技場に着く頃にはポツポツと小雨が降り出した。
僕らが到着した時にはすでに一、二年生によってテントが建てられていたので、出場する選手はテントに隠れた。
さすがに全員は入れないので出場しない部員は、傘を差してテント付近にいたり、メインスタンドのある施設が屋根付きなので、そこで雨宿りをしたりしていた。
「オレは雨のスプリンターって、宣言する先輩が昔いたんだよ」
テントの横で、牧野が初代部長である中尾先輩の話を一年生の一色和哉にしていた。
一色は長身なので牧野は少し見上げる感じに話す。
「あ、雨の日が好きって事ですかね」
「いや、雨の日の試合に強いって事だった」
「滑るのに凄いですね、その人」
やたらと感心する一色。真面目な一色は先輩の話を全てキチンと聞くヤツだ。
「まあ、その人は雨に強かった。でもほとんどのヤツには雨で滑るというのは悪影響のハズだよ」
「えと、その・・・。というと?」
話が掴めない一色は苦し紛れに質問した。それを聞いて牧野は神妙な面持ちで答える。
「今日は、荒れる」
多摩境高校からの最初は出番は天野たくみだ。
男子800mは午前中に予選を四組行い、夕方に決勝が行われる。
天気は霧雨に変わっていた。競技場内は濃霧の様な状態になっていて、トラックの反対側を見ると、なんとなく霞んでいる。
たくみには短距離からサポート係が着いているので、僕らは傘を差して応援席に立っていた。
「これが多分、最後の試合になる。全てを懸けてくるよ」
たくみはスタート地点に出かける直前に、僕にそう声をかけて行った。
どれほどの気持ちをかけてこの試合に臨むのか、それを計る事は僕には出来ない。
でも最初の頃、一緒に長距離を走ったたくみの「最後の試合」は一瞬たりとも目を離さずに見届けようと思う。
少し湿気を帯びたピストル音が鳴り、たくみの組がスタートした。
相変わらず最初に飛ばすたくみ。それは出会った頃と何も変わらないスタイルだ。
500mまで一位で飛ばしたが、徐々にペースを落とし順位を下げていく。
最終的に四位でゴールをした。
四位というのは決勝進出は絶望的な順位だった。
それでもたくみはズブ濡れの状態でも笑みを見せていた。
最後まで自分のスタイルを着き通して走りぬいた男、天野たくみ。
僕はその満足げな笑みを決して忘れないと思う。
続いてすぐに男子1500mの決勝が行われる。
48人もの選手が一度に走り、上位八人が関東行きだ。
これに出場するのは染井翔だ。
二年生でこの都大会に辿り着いた染井は、この一週間の間でずいぶんな追い込み特訓をしていた。
名高の引退後のエースを自覚している染井は、今日この場で、エースたる結果が欲しいのだと言っていた。
それが焦りとなったのかもしれない。スタート直後、染井は数人の選手と接触して転倒してしまったのだった。
多摩境高校の応援陣からは悲鳴に近い声が出た。
染井はすぐに起き上がり、鬼の様な形相で前方を追った。
次々と選手を抜いて行くも、21位という結果に終わった。
ゴール後、普段冷静な染井が地面を手で叩いて悔しがっていたのが目に焼き付いた。
昼を過ぎると雨が上がり、遠くの空に青空が見え隠れする様になった。
ただ地面は濡れたままだ。滑りやすい事に変わりはなく、どの競技でも番狂わせの様な事が起きていた。
そのたびに悲鳴や怒号や歓声が飛び交う。
やたらと賑やかになってきたと思ったら、雨が止んだので、屋内に避難していた生徒達が観客席に戻ってきたのだ。
その数は支部予選会とは全く規模が違った。人数もそうだけど、統制の取れた組織的な応援をする学校もあったりするのだ。
雨の降っていた午前中とは全く違う雰囲気の中、登場したのは女子3000m決勝の選手達だ。
この種目には未華が出場する。多摩境高校の期待を背負って。
「ついに来たかー」
多摩境高校の面々が観客席で立ちあがる。短距離も中距離も長距離もない。全ての選手が未華に注視した。
未華は去年も都大会に進出している。去年の時点では平凡な順位だったんだけど、今年の未華は去年よりもはるかに早くなっている。
そう、未華は「多摩境高校陸上部、史上初の関東進出」の期待を背負っているんだ。
五月先生も志田先生も腕を組んでトラックを見つめている。
『ただいまより、女子3000mの決勝を行います』
放送が聞こえると、僕らの中にただならぬ緊張感が張り詰めた。
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