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2010年6月

2010年6月 3日 (木)

空の下で-風(20) 東京都大会(その1)

インターハイ、東京都大会。

東京の六つの支部に分かれて行われた支部予選会を勝ち残った者だけが進む事の出来る大会だ。

それぞれの支部で上位八位に入った選手が、この東京都大会に出場する権利を得る。

今年は世田谷区にある駒沢オリンピック公園内にある競技場で行われる。通称、駒沢競技場だ。

競技日程は二日間に渡って行われ、上位八位に入賞した者は関東大会へと進めるシステムだ。

僕ら多摩境高校からは、初日に男子800mに天野たくみ、男子1500mに染井翔、女子3000mに大塚未華が出場する。

僕の出る男子5000mは二日目の午前中の予定だ。

 

 

初日の朝、牧野と堀之内駅で待ち合わせて電車に乗った時、空はどんよりとした厚い雲に覆われていた。

冷たい空気が流れていて、「降るかもな」と牧野が嫌そうな顔をしていた。

その予感は当たり、駒沢競技場に着く頃にはポツポツと小雨が降り出した。

僕らが到着した時にはすでに一、二年生によってテントが建てられていたので、出場する選手はテントに隠れた。

さすがに全員は入れないので出場しない部員は、傘を差してテント付近にいたり、メインスタンドのある施設が屋根付きなので、そこで雨宿りをしたりしていた。

「オレは雨のスプリンターって、宣言する先輩が昔いたんだよ」

テントの横で、牧野が初代部長である中尾先輩の話を一年生の一色和哉にしていた。

一色は長身なので牧野は少し見上げる感じに話す。

「あ、雨の日が好きって事ですかね」

「いや、雨の日の試合に強いって事だった」

「滑るのに凄いですね、その人」

やたらと感心する一色。真面目な一色は先輩の話を全てキチンと聞くヤツだ。

「まあ、その人は雨に強かった。でもほとんどのヤツには雨で滑るというのは悪影響のハズだよ」

「えと、その・・・。というと?」

話が掴めない一色は苦し紛れに質問した。それを聞いて牧野は神妙な面持ちで答える。

「今日は、荒れる」

 

 

多摩境高校からの最初は出番は天野たくみだ。

男子800mは午前中に予選を四組行い、夕方に決勝が行われる。

天気は霧雨に変わっていた。競技場内は濃霧の様な状態になっていて、トラックの反対側を見ると、なんとなく霞んでいる。

たくみには短距離からサポート係が着いているので、僕らは傘を差して応援席に立っていた。

「これが多分、最後の試合になる。全てを懸けてくるよ」

たくみはスタート地点に出かける直前に、僕にそう声をかけて行った。

どれほどの気持ちをかけてこの試合に臨むのか、それを計る事は僕には出来ない。

でも最初の頃、一緒に長距離を走ったたくみの「最後の試合」は一瞬たりとも目を離さずに見届けようと思う。

少し湿気を帯びたピストル音が鳴り、たくみの組がスタートした。

相変わらず最初に飛ばすたくみ。それは出会った頃と何も変わらないスタイルだ。

500mまで一位で飛ばしたが、徐々にペースを落とし順位を下げていく。

最終的に四位でゴールをした。

四位というのは決勝進出は絶望的な順位だった。

それでもたくみはズブ濡れの状態でも笑みを見せていた。

最後まで自分のスタイルを着き通して走りぬいた男、天野たくみ。

僕はその満足げな笑みを決して忘れないと思う。

 

 

続いてすぐに男子1500mの決勝が行われる。

48人もの選手が一度に走り、上位八人が関東行きだ。

これに出場するのは染井翔だ。

二年生でこの都大会に辿り着いた染井は、この一週間の間でずいぶんな追い込み特訓をしていた。

名高の引退後のエースを自覚している染井は、今日この場で、エースたる結果が欲しいのだと言っていた。

それが焦りとなったのかもしれない。スタート直後、染井は数人の選手と接触して転倒してしまったのだった。

多摩境高校の応援陣からは悲鳴に近い声が出た。

染井はすぐに起き上がり、鬼の様な形相で前方を追った。

次々と選手を抜いて行くも、21位という結果に終わった。

ゴール後、普段冷静な染井が地面を手で叩いて悔しがっていたのが目に焼き付いた。

 

 

昼を過ぎると雨が上がり、遠くの空に青空が見え隠れする様になった。

ただ地面は濡れたままだ。滑りやすい事に変わりはなく、どの競技でも番狂わせの様な事が起きていた。

そのたびに悲鳴や怒号や歓声が飛び交う。

やたらと賑やかになってきたと思ったら、雨が止んだので、屋内に避難していた生徒達が観客席に戻ってきたのだ。

その数は支部予選会とは全く規模が違った。人数もそうだけど、統制の取れた組織的な応援をする学校もあったりするのだ。

雨の降っていた午前中とは全く違う雰囲気の中、登場したのは女子3000m決勝の選手達だ。

この種目には未華が出場する。多摩境高校の期待を背負って。

「ついに来たかー」

多摩境高校の面々が観客席で立ちあがる。短距離も中距離も長距離もない。全ての選手が未華に注視した。

未華は去年も都大会に進出している。去年の時点では平凡な順位だったんだけど、今年の未華は去年よりもはるかに早くなっている。

そう、未華は「多摩境高校陸上部、史上初の関東進出」の期待を背負っているんだ。

五月先生も志田先生も腕を組んでトラックを見つめている。

『ただいまより、女子3000mの決勝を行います』

放送が聞こえると、僕らの中にただならぬ緊張感が張り詰めた。

 

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2010年6月 7日 (月)

空の下で-風(21) 東京都大会(その2)

これは全部、牧野に聞いた話だ。

大塚未華は三人兄弟の長女で、下には二人の弟がいるらしい。二つ下の高校一年と、五つ下の中学一年の二人だ。

未華は小学生の頃から活発な性格で、二人の弟にも頼りにされながら外で遊びまくっていたらしい。

遊ぶ相手は男の子が多くて、学校ではドッチボールに参加して男子顔負けの強さを見せたり、休みの日には近所の男の子達と鬼ごっこをしたりしていたんだという。

そんな未華も中学生になると男子と遊ぶ訳にもいかなくなってきた。

明らかに女性の体型になり、男子の方から「いや、二人きりで遊ぶのは・・・ちょっと恥ずかしいし」などと断られたりした。

もちろん未華だって女子だ。好きな人もいたしファッションとかにも興味を持っていた。

それでも未華は「いかにも女子」って感じにはなりたくなかった。

中学のクラスの中には、かわいさをアピールする女子もいれば、中二で彼氏を作ってデートしている女子もいた。

でも未華は恋愛中心な学生生活を送る事に違和感を持っていた。

そんな時、中学二年の体育祭である出来事が起きる。

当時、未華はハイキング同好会という妙な部活に参加していた。

それは小学生の頃から外で遊ぶのが好きだった未華にとっては魅力的な同好会で、毎週日曜日に先生の引率の元、色々な山を登ったり高原をハイキングするという集まりだった。

そこで知らない間に足腰や体力が鍛えられた。そこに生まれ持っていた精神力と持久力がプラス作用に働いた。

体育祭で3.2キロという持久走に参加し、数ある運動部員を抑えて一位でゴールしたのだ。

陸上部員の生徒達は未華を見てささやき合った。

「誰、あのコ。めっちゃ早いし」

「何部?」

「ハイキング同好会だって」

「うちの部に入らないかな」

「アタシのクラスのコなんです。ちょっと陸上部に興味ないか聞いてみましょうか」

「聞いて!絶対に陸上部が向いてるって!」

そうして中学二年の秋という中途半端な時期に未華は陸上部へと入ったのだった。

翌年、中学三年の時には初出場ながら市民大会を突破し、都大会に進出するという公式戦デビューを飾った。

「走るのって・・・楽しいね」

未華はこの大会の頃、よくそう言ったという。走るのが楽しいと。

それは多摩境高校に入っても変わらなかった。

くるみや早川と出会い、長距離女子チームを常に引っ張ってきた。

時には技術面で、時には持ち前の明るさで。

去年は東京都大会まで進み、今年は念願の関東大会を狙う。

年明けて、初めての彼氏、牧野が出来たわけだけど、そこで恋愛に夢中になりすぎる事もなく、今日この東京都大会の決勝の場を迎えるんだ。

 

 

ギシリ。

牧野が観客席の最前列に設置されている鉄製の柵を握りしめた。

視線は女子3000mのスタート地点の方に注がれている。

それは牧野だけではない。僕も、五月先生も、他のメンバーも、一様に緊迫感に溢れる表情だ。

くるみはサポートとしてスタート地点に行っているので、どんな表情で未華を見つめているのかはわからない。

ただ一つ言えるのは、走る未華だけじゃなく、観ているだけの僕らまで緊張しているという事実だ。

「未華・・・」

牧野がそう呟いた時、「よーい」という放送が遠くから聞こえた。

少しの間があり、パンという音が競技場に鳴り響き、48人の選手が走りだした。

一斉に各校から声援がかけられる。

僕ら多摩境高校も未華が僕らの前を通過するたびに声を振り絞った。

未華は力強く腕を振り、足を出し、前へ前へと進んで行く。

試合はハイペースな展開だ。予想よりか早いペースで先頭が走ったため、後続が次々と脱落していった。

そして何と、未華が1000mで先頭から脱落したのだ。

「み・・・」

「未華ーーー!!」

慌てて声を出す僕らの横で、五月先生は腕を組んだまま未華を睨む様に見つめていた。

「先生・・・」

「相原、心配するな」

「え?」

「大塚はな。ペースが早すぎると感じて自分のペースに戻しただけだと思う。よく見てみろ」

五月先生は首の動きで試合の方を見ろという仕草をした。

未華の目は生きていた。いや、むしろ生き生きとしている。

その未華は1500mから2500mにかけて、前から落ちてくる選手を次々とかわしていった。

「先頭が早すぎたんだ。見ろ、あまりのペースで実力のある選手達がどんどん崩れていっている。ハイになりすぎたんだ。先頭のヤツでさえペースが落ちている」

五月先生はは腕組をして微動だにしていないけれど、声は高揚していた。

なにしろ未華はすでに十一位にまで順位を上げてきている。

残り一周で八位にまで上がるのは無茶ではない。だって前から選手が落ちてきている状態なのだから。

最後の周の途中、僕らの前を駆け抜ける未華は明らかに辛そうだったけれど、ほんの一瞬、ほほ笑んだ様に見えた。

次の瞬間、未華はラストスパートをかけて前の選手達を追った。

一人、また一人と抜いて行く。

あっさりと、軽々と。そう見えるくらい簡単に抜いて行くんだ。

もちろん実際は必死で息をして必死で足を出しているに違いない。

そうして九位まで順位を上げて、残り200m。一つ前の選手に追いついたのだけど、この選手がなかなか抜かせてくれなかった。

「しぶとい!!」

「あいつ・・・、百草高校の古淵由香里だ!」

未華のライバルである古淵さんが粘るのだ。

あまりに粘るので、未華と古淵さんは並走したまま一人の選手を抜かし、また一人を抜かし、そのまま六位、七位でゴールした。

「え」

「あ・・・?」

あまりの激戦にみんなが一瞬だけ状況が飲み込めなかった。

「古淵さんに勝った?」

僕が言うと牧野が「い、いや、それより・・・」と声を出し、五月先生が呟いた。

「関東大会・・・進出・・・だ」

またみんなに間があき、そしてすぐに牧野が叫んだ。

「うおおお!!!関東進出だ!!未華、未華、おめでとうー!!」

僕らは両腕を空へ突き上げて喜び、叫んだ。

戻ってきた未華は満面の笑みで飛びはね、牧野に抱きついた。

「ゴ、ゴホン」

せっかくの恋人同士の抱擁だったけど、五月先生が咳払いで終わらせた。

 

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2010年6月14日 (月)

空の下で-風(22) 東京都大会(その3)

東京都大会の初日が終わった。

僕ら多摩境高校陸上部からは未華が史上初の関東大会進出を決めて、大騒ぎしながら一日を終えた。

日が傾き、人数が減った駒沢競技場を大山と二人で出る。

牧野は五月先生と何か明日の打ち合わせがあるらしくて別行動だ。

関東進出を決めた未華とも色々話したいところだったけど、くるみや早川、それと一年生の女子と一緒にファミレスに寄って行くという事で、一人で荷物をかたしていた大山と帰る事にした。

「今日、凄かったね」

競技場のある駒沢オリンピック記念公園の敷地を出たところで大山が公園を振り返りつつ言った。

「なんか興奮しちゃった」

楽しそうに言う大山に僕は笑った。

「な、なんだよー、英太くん」

「いや、何か大山見てたら明日の緊張が少しほぐれた」

「なにそれ・・・、何かボクが能天気みたいな言い方じゃない?」

「んー、そう言いたいけど、能天気ってのは僕も他人の事言えないや」

二人で笑いながら住宅街を駅へと歩く。

見知らぬ狭い路地だけど、他校の選手達も多く歩いていて、それらに着いて行けば道には迷わなそうだ。

「明日・・・さ」

唐突に大山が言いだした。

「ん?」

「英太くんもいいトコ見せれるといいね」

「んんん?」

何か色んな意味にとれなくもない言い方だ。大山はそういう意味じゃないかもしれないけど。

「いいトコ・・・ね。見せたいけどさ、実は僕は不安なんだよね」

「不安?」

「うん。何しろ僕は第6支部予選会をギリギリの八位で通過だったからさあ。明日は第1から第6までの支部予選会を上位八位で通過した選手だけが出るわけじゃん?てことは僕は順位的にかなり下位って事なんだよねー」

「ああ、そんな事?」

「そ、そんな事って・・・」

そんなに軽く返されるとは思わなくて思わず険しい表情をしてしまったけど、大山は僕の顔を見ないで歩きながら話す。

「英太くん知らないの?」

「何を」

「英太くん達が走った第6支部予選会のタイムの話」

「なにそれ?」

路地を地元の人らしきお姉さんが犬を連れて僕らの横を通った。大山は犬を見て手を振ったが犬は反応しなかった。

「タイムって?」

「第6支部のタイムは他の支部予選より断然に早かったんだよ。そりゃもうダントツで」

「そうなの?」

「五島林くんとか秋津伸吾くん八重嶋翔平くん、名高くんが全体を思い切りハイレベルで引っ張ったからじゃないかな。他の支部なら八位入賞できるタイムで走っても、あの日の第6支部じゃ十五位がいいところ」

思い出せば確かに全体としてかなりのペースだったのを覚えている。後半の方は向井や内村一志との戦いでよく覚えてないけど。

「英太くんのタイム、第5支部だったら四位だよ」

「え?!」

「それってあの香澄圭くんと同じくらいのタイム」

香澄圭・・・。あの嫌なポニーテル男と?あの洗練させたフォームで走る、強豪・松梨付属のナンバー2の、あの男と同じくらいのタイム?

ちょっと信じられない事だ。香澄圭とは今年何度か相対したけど、とても勝てる相手とは思えない。

もちろん、香澄圭が支部予選会で全力を出したのかはわからないけど。

「だからさ。明日もいいトコ見せてよ。ボクらにも、くるみさんにも」

「くる・・・」

やっぱりさっきの言葉にはこういう意味も含まれてたのか!

 

 

東急田園都市線の駒沢駅まで辿り着くと、前方に五島林の姿が見えた。

稲城林業高校のジャージを着た連中に混じっている。当たり前だけど。

その中に白いジャージを着た中年男性がいた。中年って言うのは頭が少し薄いからだ。

「五島、明日は死ぬ気で走れよ。関東まで行けば文句ない」

冷たい言い方だった。でも五島は笑顔で答える。

「平気ッスよ!怪我なんて大した事ないし」

「怪我くらいしたっていい。明日でしばらく走れなくなったっていい。関東にさえ進めれば俺も鼻が高いしな」

真顔でそういう中年男の横を僕らは通過した。

「じゃ、お疲れ様でした、カントク」

カントク・・・?この白ジャージのオッサンが稲城林業の監督か。

そう思いそのオッサンを振り返ってギョッとした。

意外と若かった。五月先生とそんなに変わらなそうだ。三十代前半ってとこか。それより驚いたのは、その強面さだった。

いかつくて堀の深い目、薄い眉、ゴツイ体つき。

本当にこいつ、陸上部の監督なのか??

 

 

その時の僕らには知る術など無かった。

その男が、五島林を見出だしてきた張本人だという事など。

いや、それより、この男こそ、僕ら多摩境高校陸上部にとっての、運命の男だという事など。

 

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2010年6月21日 (月)

空の下で-風(23) 東京都大会(その4)

東京都大会二日目。

薄くて白い雲がところどころに浮かんでいるものの、すがすがしい青空が広く出ていた。

今日、多摩境高校から出場があるのは午後にある男子5000m決勝だけだ。

なので僕ら選手はお昼入りという何とものんびりとした時間に競技場に到着した。

五月先生、志田先生、そして一・二年生は他校の選手の試合を見て勉強しなければいけないので、朝早くから会場入りしていたので、僕らを見て「やっと来たか」的な反応をした。

「センパーイ!遅いッスよー!」

ヒロは明らかに僕らが遅刻をしたかの様な声を出した。腹立たしいヤツだ。

 

お昼ゴハンをテントで軽く済ませ、一時間ほどしてから僕と牧野と名高はストレッチから始めた。

ぐっ、ぐっと体を伸ばすと、少しずつ体が目覚めて行く感じがする。

「今日は念入りにやっとけ」

僕ら三人を見ながら五月先生が真剣な眼差しで言った。この大会期間中、五月先生はずっと厳しい表情を保っている。

ストレッチをして準備体操をする。この準備体操はうちの高校オリジナルの物で、入部した頃は覚える事が大変だったけど、今は普通のラジオ体操の方がわからないくらいだ。

体操した後は三人で駒沢オリンピック記念公園内をジョックした。

5000mに出る選手はどの高校も大体同じタイミングでアップを始めたらしく、公園内は長距離ランナーのジョック会場と化していた。

しばらく走る中で、知った顔も目にした。落川学園の八重嶋翔平と向井だ。

白髪の八重嶋は遠くからでもすぐにわかる。横にべったりくっついている角狩り頭が向井だ。

この試合、向井はどう出るのか。

八重嶋のアシストのために、妨害行為を働く事はあるのか。

でも向井自身だって東京都大会まで生き残っているツワモノだ。実力は僕と同じくらいか。気をつかねくてはいけない相手だなと再確認しといた。

ジョックを終えて、何本か50mくらいをダッシュして心臓に負担をかける。

その横を松梨大学付属高校の三人がジョックして行った。

三人とは、エース赤沢智、ポニーテール男の香澄圭、二年生の西隆登だ。

赤沢と西はこちらを向いたりしなかったのに、香澄は僕の方を見て「あれ、生き残ってたの?せいぜいガンバー」なんて声を出しやがった。

その時の目つきったら酷いもんで、完全に僕を見下している感じだった。

でも、フォームは綺麗だ。これまでに出会った誰よりも。名高よりも、秋津よりも、五島よりも。

 

 

アップを終えて、僕は単身で公衆トイレに入った。すると偶然そこに五月先生もいた。

僕と五月先生は横並びで用をたす。

「どうだ相原。体は軽いか」

「そうですね。何かいい感じです」

「お、いいねえ」

「ちょっとプレッシャーは感じますけど、頑張ります」

「プレッシャー?んなもん感じるなよ」

「はい?」

「誰も相原に期待なんかしてねえって。みんな名高ばっか見てるんだから」

グサっと刺さる酷い言葉だった。ちょっと涙目になりそうだ。五月先生は構わずに言葉を続ける。

「でもウチは名高ばかりじゃねえからな。相原も牧野も凄い力持ってるんだ。プレッシャーは名高が背負ってるんだからよ。お前らは楽しく走ればいいんだ。そうすりゃ、お前らは墓の高校のヤツらを驚かす事が出来る実力があるんだぜ」

「そ、そうですか?」

「そうだよ。知らねーの?」

さぞ当たり前だという表情で五月先生が僕を見た。

「この試合のダークホースは相原と牧野だよ」

「ダークホース」

言われて、何だか体の中から湧き上がる様な高揚感が膨らんできた。

ダークホース!何だか面白そうじゃん!

そんな僕を見て五月先生は楽しそうに笑った。そしてすぐに真顔に戻り言う。

「ここで出し尽くせ。今までの成果を!」

「はい!」

その声はトイレで妙な反響を起こした。

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2010年6月24日 (木)

空の下で-風(24) 東京都大会(その5)

五月先生と一緒にトイレから出たところで、五島林と「カントク」とバッタリ遭遇した。

カントクは今日もイカツイ顔で真っ白なジャージを着ていた。

二人は僕らには気付く風もなく会話をしているので、通過しようとしたら五月先生が立ち止った。

「どうしました?」

五月先生は無言でカントクの方を見ている。

カントクは五月先生の視線には気付かずに五島に言葉をかけていた。

「いいか!必ず関東まで行けよ。そうすりゃウチの部もやっと日の目を浴びる事になる!学校のオレに対する感情も良くなる!だが都大会止まりじゃ中途半端なんだ。怪我しようが何だろうが必ず関東へ行くんだぞ」

「わかってますって。そのために半年も陸上部に在籍したんスよ。ちゃんと就職の世話してくれんスよね」

「関東行ったらな。農林関係の就職全部、お前を優遇して紹介してやる」

何だか穏やかじゃない会話がされている。聞いてはいけないと思いつつもやっぱり聞いてしまう。

もう少し聞きたいところだったけど、カントクが五月先生の視線に気づき、こちらを向いた。

「ん?何だよ、何見てんだコラ」

ホントに教師なのかコイツは!という物凄い重低音のある迫力の声でカントクは凄んだ。

でも五月先生も相当な修羅場をくぐり抜けてきたという元不良だ。一歩も引かずに言った。

「お前・・・、柿沼か」

カキヌマ?五月先生は確かにそう言った。するとカントクは「何で俺の名前を」と言ったまま固まった。

両者に沈黙が流れる。

そしてカントクは言った。

「まさか、五月隆平か」

「そうだ。てことは、お前やっぱり柿沼か」

「そうだ。あの柿沼だ」

だからカキヌマって誰なんだ。

再びの沈黙。今度の沈黙は五月先生も柿沼監督も睨み合っていた。

数十秒してから五月先生が五島をチラリと見てから聞いた。 

「五島林ってのはお前が育てた選手なのか」

すると柿沼監督は豪快に笑った。

「違うね。見つけたんだ」

「見つけた?」

「そうだよ。何部にも所属していなかった五島の才能を俺が見つけたんだ。見つけた時は驚いたぜー。どんなスポーツをやらせても通用するであろうバネと回復力をよ」

林業高校ならではの畑の実習中に見つけたんだそうだ。

「オレは今、農家を営んでてよ。何年か前からこの高校に講師として呼ばれていたって訳だよ。ところが去年になって陸上部の顧問が病気で退職してよ。誰も代役がいなかったもんで少しだけ陸上の知識があるオレが期間採用で陸上部の顧問を受け持ったって訳よ」

「そんな時に五島を見つけたのか」

「そう。顧問を受け持ったはいいが陸上部の成績は落ちに落ちてな。オレの評判も落ちてたところに五島が現れた。才能を感じたねー。コイツをうちの部で活躍させればいいって感じたよ。で、入部してもらったんだけどな。五島は陸上に興味なさそうだったんで、入ってくれたら就職の斡旋をしてやるって条件にしたんだ。すげえだろ」

一気にまくしたてる柿沼監督。

僕は話を聞いていてこの人が怖くなってきた。

それを察したのか五月先生は僕を見た。

「相原。時間とらせてスマン。もう行こう」

僕と五月先生が移動しようとすると柿沼監督は大声を出した。

「五月!ここで会ったのも何かの運命だ!その選手、5000mに出るんだろう?オレとお前の決着、互いの選手同士で着けれると面白いな!」

運命?

なんだそれ。五月先生と柿沼監督にどんな因縁があると言うんだろう。

「気にするな相原。お前は楽しめばいいんだ」

「・・・はい」

まあそうだ。僕は僕の走りをすればいいだけだ。

 

 

一人、また一人と、5000mのスタート地点に選手が集まって行く。

僕と牧野と名高も、サポート係の大山を伴ってスタート地点に到着した。

各支部を勝ち残った選手ばかりなので、浮ついている人はほとんどいなかった。

スパイクの感触を確かめるために、二・三度トラックを蹴ってみる。

うん、いい感じ。

さっき変な話を聞いて、一度落ちかけたテンションも、この場に来てみるとまた持ち上がった。

ポーンとジャンプしてみると、いつもより高く飛べてる気がした。

「お、調子良さそうだな」

牧野がニヤリと笑いながら、自分も調子良さそうに飛んで見せた。

「俺の方が高く飛べたな」

「えー?そう?」

そんな会話をしていると名高がシラッと「そういう勝負じゃないし」と言い捨てた。

名高はウォーミングアップ中もずっとウォークマンをして音楽を聞いていた。

そういう事をする名高は本気の証だ。集中しているのだ。この試合に。

『それではまもなく男子5000mです。点呼をするので集合してください』

メガホンで呼びかけられ集まる選手達。

秋津伸吾の姿が見える。八重嶋翔平と向井。赤沢智と香澄圭と西隆登。五島林。

「お、あいつ、優勝候補の相良だぜ」

牧野が言った先には葛西臨海高校の相良という選手がいた。葛西臨海高校というのは去年の東京高校駅伝の覇者だ。

この試合は東京都ナンバー1を決める戦いでもある。前評判では相良と五島の一騎打ちという予想が大多数なのだ。

そんな凄いレベルの戦いが行われる試合に参加出来る様になるなんて・・・

そう思い、体が熱くなる。

「ふう」

一息ついて興奮を冷ます。

まだだ。

まだ熱くなるな。

もうすぐなんだ。もうすぐ始まる。

僕の最大のレースが。その時に熱くなれ。全てを出し尽くす程、熱くなれ。

 

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