空の下で-熱(1) 全てを懸けて「前編」
あの東京都大会から一ヶ月半が経ち、季節は梅雨真っただ中の六月下旬となった。
学校所有のマイクロバスが田舎町の中をさらに郊外へと進んでいく。
薄い雲に覆われた世界は凄まじい湿気を帯びていて、バスの全ての窓を全開にして走っているのに、肌に汗が浮かび上がってくる。
バスの運転手は短距離担当の志田先生だ。持ち込みのCDで80年代のヒット曲をさりげない音量でBGMとして流している。
「俺はロックが聞きたいけどな」
運転席の一つ後ろの席で五月先生がそう言うと、近くにいた名高は大きく頷いた。
バスの中には長距離チームが全員乗り込んでいる。短距離からはたくみだけが来ている。
「ま、オレは全ての試合が終わっちまって、後は暇だからなー。取材がてら同行だよ」
誰も説明を求めてなかったのに、いちいち説明して回るたくみは面白かった。
そんなのんびり感が満載のこのバスが走っているのは茨城県の水戸市郊外だ。
向かうは関東大会が行われる茨城県笠松運動公園だ。
名高と未華が進出を決めたこの大会の応援のため、長距離チーム全員で向かっているという訳だ。
空の下で 3rd season-3
熱の部
茨城県笠松運動公園は広大な土地の中に色々なスポーツ施設が併設された場所だった。
陸上競技場はもちろん立派な施設で、何と最大で二万人も収容できるという話だ。
ただ屋根が小さいので急な雨があったらヤバイって事で、メンバーはみんな雨具を用意して来ている。
他にもテニスコートや体育館、さらにはスケートリンクまで併設されていて、本当に色んなイベントをやる場所なんだなーと感じた。
僕らのマイクロバスは大きな駐車場に止まり、そこから陸上競技場へ少し歩く。
他にも関東の各地から色々な高校のバスが来ていて、凄い喧騒となっていた。
僕はどこが強いとか弱いとか、そういうのはよくわからないんだけど、それでもテレビで聞いた事のある高校とかはわかった。
バスを降りてすぐに千葉県の有名市立高校を目にした。サッカー部が全国区の超有名高校だ。
競技場の入り口では全国色んな場所に付属高校を持つ有名私立高校とすれ違った。全ての運動部が強いというこれまた超有名高校だった。
ホームストレート側の観客席からフィールドを眺めると、すぐ下に立派なビデオカメラを持った人やマイクを持った女の人が数人いた。
地元テレビのクルーの様だった。その他にも陸上雑誌のロゴの入ったスタッフポロシャツを着た人が何人かいて、それを見ただけでも緊張感が漂ってくる。
「す、すごいね」
僕が名高にそう言うと名高は大きく頷いた。
「ここまで来れたオレがね」
いつになく爽やかに笑いながらそう言う名高を見て、蒸し暑いというのに寒気を感じた。
楽しんでる・・・。
名高はこの状況を楽しんでいる。
これまでとは規模の違うこの大会に。
じゃあ未華はどうなんだろうと思って未華の方を見たら、未華は「すごーい!」とか「ひろーい!」とか「人がたくさーん!」とかはしゃいでた。
やっぱり楽しそうだ。
競技が開始されると会場はこれまでの大会以上に異様な熱気を帯びた。
凄まじい熱量を放つ声援。それを受けて走り、飛び、投げる選手達の実力の高さ。
そしてそれらが僕らの心に残してくれる忘れられない記憶。
それは支部予選にもあったし、東京都大会にもあった。
でも今日のそれは今までとはまた一つ違う力を持っていた。
各地で熾烈なサバイバルを越えて生き残ってきた選手達だからこそ発する事の出来るオーラ。きっとそういう物だと思う。
そして午後一時、女子3000mの時間がやってきた。
多摩境高校の席を出発する時、牧野が未華に声をかけた。
「未華」
「ん?」
「ナイスファイト」
「はあ?まだ走ってないし」
未華はさらに「なんじゃこいつ、熱くて頭がおかしくなったか」と言った。
「いや、そうじゃなくってよ。ここまでの話だよ。今日までナイスファイトって事」
「え、ああ、ありがと」
未華はちょっと困った顔をした。
「そんでさ、今日までのそのナイスファイト、全てぶつけて頑張れよ」
牧野が何だか照れ臭そうに言うのでこっちまで照れ臭くなる。
「全て・・・か。全てね。そうだね、全てを懸けてやってくるよ!だってこれはアタシの夢の舞台だもん。ここを目指してやってきたんだもんね!」
未華はボクサーがする様なファイティングポーズをして笑った。
「行ってくる!応援よろしく!」
未華が試合で走る姿を見るのはいつでもすがすがしい気持ちのいいものだった。
今日もスタートして全力で駆け抜ける未華を見るのはそういう気分にさせてくれた。
いつでも元気でポジティブな未華。
僕は今まで何度もその雰囲気に助けられたと思う。実際に未華に助けてもらった事もあるし。
未華と出会えて良かったと思う。本当にそう思う。こんなに思うのに恋愛感情を抱いた事は無いんだけど、出会えて良かった。
今日の試合を見ていてそんな思いが込み上げた。
何だか見ていて涙が出そうになったけど、声を振り絞って応援した。
未華は「全てを懸けて」と言った。
それなら僕らだって全てを懸けて応援する。声が枯れたっていい。喉が痛くなったっていい。
少しでも。ほんの少しでも。未華の力になるのなら。
未華は最後の一周で宿命のライバル、百草高校の古淵由香里さんと争った。
すでに全国へ進める様な順位では無かったけれど、二人は最後の最後まで戦った。
その勝負は未華が軍配が上がり、未華は30人中15位という順位で戦いを終えた。
・・・悔しいかな。
未華の泣くところは見たくなかった。
だからクールダウンして戻ってきた未華を正面から見る事は出来なかった。
でも未華は笑顔で帰ってきた。
「いやー!!楽しかった!!」
そう言う未華の瞳は赤かった。
でも未華は名高の肩を叩き、こう言った。
「すごい面白いよ!!名高も楽しんできな!!」
言われて名高はニヤリとした。
「おう」
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