空の下で-風(25) 東京都大会(その6)
見上げると、青い空の中を白い雲がゆっくりと泳いでいた。
日が差したり影が出来たりの繰り返しで、少し暖かいとはいえ絶好のレース日和となっていた。
辺りを見回すとユニフォーム姿になった選手達に囲まれている。支部予選会を勝ち抜いた選手達だけにどの人も強そうに見えてしまう。
その中にいても注目されているのは優勝候補であり、第2支部の覇者でもある葛西臨海高校の相良という小顔で長身の選手だ。
そしてもう一人の優勝候補、稲城林業の五島林も視線を集めている。
その五島が僕を見つけて寄ってきた。
「やあ」
やけに気軽に声をかけてきたけど表情は固かった。
「キミ、さっきうちのカントクと話していた先生と一緒にいた人だよね」
先ほどのトイレ前でのやりとりの事を言っているらしい。それで僕の顔を覚えていて話しかけてきたという事らしい。
「そうですけど・・・」
「さっきの話。秘密にしといてね。オレは何が何でも関東大会に行ってカントクの役に立たなきゃいけないんでさ」
五島は柿沼監督と駆け引きをしていたんだ。関東大会まで進んで柿沼監督の指導力を学校に認めさせるかわりに、就職のあっせんをしてもらうという。
それが五島が最近になって陸上部に入った理由であり、走る理由なのだ。
そんな事で・・・、そう思うけど僕には五島のあの笑顔が忘れられない。
試合で走る前、試合中、あんなに楽しそうに跳ねまわっている五島の笑顔を。あれも偽物だと言うのだろうか。
「五島くんはさ」
「え?」
「陸上、楽しい?」
これから大事な試合が始まる時だというのに、ほとんど話した事も無い五島に僕は何を聞いているんだろう。少し後悔したけどもう後の祭りだ。
「うーん。楽しかった・・・かな」
「過去形?」
五島は自分の足首をさすった。
「ちょっと怪我しててね。楽しさだけで走ってたからケアを怠ってさ。正直、キツイんだよね。今日走るってのは」
五島も試合前だというのによくまあこんな秘密を語るもんだ。とはいえ、僕は温泉で五島の怪我を知っていたから驚きはしなかった。
「じゃあ・・・無理して走るの?」
「そうだね。関東大会に進まないとカントクとの約束を果たせないし」
五島はつまらなそうに言った。
「怪我、大丈夫なの?走って」
そう聞くと五島は僕を睨んで言った。
「オレにとっては関東に進む事が全てなんだよ。カントクの評判を上げて、就職を優遇してもらう。それだけが目的なんだよ。ここで多少怪我が悪化したって知った事じゃないっつーの。オレ、学校の出席率がヤバイんだよ。どうしても就職を優遇してもらいたいんだ」
「そう」
選手達がコールされ、僕らはスタート地点に向けて歩きだした。
その時、五島が僕に宣言をした。
「何がどうなろうと八位以内に入って関東に行くよ」
だけど僕は少し言い返した。
「なんか・・・今の五島くんにはもう脅威は感じないや」
「は?」
「楽しそうに走ってた五島くんは驚異的だった。でも今の、捨て身なだけの五島くんは怖くない。怪我を知ってるからじゃなくて・・・。なんかうまく言えないけど」
言われて五島は複雑そうな表情を見せた。これまでずっと楽しそうに走っていた男の、迷いを感じさせる表情だ。
「キミは、楽しさだけで走るんだ。気楽でいいね」
「違うよ」
「はい?」
「僕だって関東大会を目指してる」
言った瞬間、声が少し震えてしまった。
僕程度の選手が言っていい言葉なのかわからなかったけど、僕だって本当は関東大会に進んでみたい。
可能性は低くたっていいんだ。目指すものがあるって事が大切だと思うから。
牧野は宣言していたじゃないか。今年のうちの部は関東大会を目指すんだって。
未華は関東にコマを進めた。名高だって進む気だ。それなら僕も牧野も関東に進む気でやるに決まってるじゃないか。
「そうか。じゃあライバルだな」
五島はほんの少しだけ笑顔を見せてスタート位置へと向かった。
四十八人の選手が5000mのスタートラインに出そろった。
二列に分けて二十四人ずつになった選手達の、僕は二列目の外側だった。
牧野は同じく二列目の内側に陣取り、僕に向かって頷いた。何の合図かわかんないけど僕も頷いた。
名高は一列目の中央だ。一度だけ僕と牧野に視線を向けた後、背中からでもビンビンとオーラを発しているのがわかった。集中している。
その他の各選手も静かになった。
スターターの人が「よーい」と言ってピストルを持った手を空に向ける。
声援の声が聞こえなくなり、全ての神経はピストルの音に向けられた。
その神経にパンという音が飛び込んできた。
一斉に四十八人が飛び出す。
太陽に照らされた、赤いトラックへと。
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