空の下で-虹(3) 最終選考(その1)
十月に入り、少しずつだけど空気が乾燥してきているのがわかった。
肌が乾くとか、湿度計を見たからだとかで判るんじゃあない。走っている時に喉に入ってくる空気の感じでわかるんだ。
「もう、秋だな」
長距離チーム全員でウォーミングアップのジョックをしながら僕は呟いた。
「走りながら感傷的な事を言うなよ」
すぐ隣を走る牧野が吹き出しながら言った。
この日の練習後、部室でミーティングが開かれた。
長距離チーム全員が狭い部室にぎゅうぎゅう詰めで集合すると、涼しいはずの十月の気候でもやたらと暑さを感じる。
「体育部ってこれだから嫌だよね!」
未華が手で顔を仰ぎながら言うと、早川が「アンタが一番体育会系っぽいよ」と真顔で言った。それを見て笑うくるみ。
この三人はずうっとこんな感じだ。三年間ずうっとそうだった。
そんな三人を慕う一年生の女子はこれまた三人だ。残念ながら二年生は存在しない。
女子は全部で六人だから、五人必要な秋の駅伝大会に出場予定だ。
騒ぎながら待っていると五月先生が部室に入って来た。
「お待たせ」
五月先生は部室内のイスに座るといきなりボヤいた。
「おい、このイス、買ってから四年しかたってないのに、なんでこんなボロボロなんだ」
確かにイスはカバーが破けて中のクッション材が見えている。
「はあ、だから体育部は乱暴とか言われるんだよ」
ため息つくけど全然気落ちしてなさそうな五月先生は声を張り上げた。
「じゃあ、今日の要件を言うぞー!」
騒いでいたメンバー達が静かになる。それを見てから五月先生は話し出す。毎回同じやりとりだ。
「来月の東京高校駅伝大会まで一カ月を切った。そこで、三日後の土曜日に立川の競技場を借りたから、駅伝のメンバー選考を行おうと思う」
「メンバー選考・・・」
大山がゴクリと唾を飲む音がした。
「そうだ。男子も女子も出場枠よりも部員の数の方が多いからな、出場選手と区間、それと補欠メンバーを選ぶためのタイムトライアルを行う」
ふと、くるみの方を見ると、くるみは不安そうな表情をしていた。でも目は先生の話を一言も聞き逃さない様に先生の方に集中している。
「選考方法は土曜のタイム結果と、これまでの試合や練習での適正を加味して先生と牧野と未華で行う。相原、加味って意味はわかってるか」
「は、はい?わ、わかりますよ!」
何故か爆笑するメンバー。なんだっての??
「男子は5000m、女子は3000mで行う。同じ学校内でレギュラー争いみたいな感じで少し嫌かもしれないが、それがスポーツだ。一年に一回の駅伝だから悔いの無い様にな」
話はそこで終わり、それぞれ解散となった。
僕は牧野と一緒に学校を出た。今日も佐久間屋に寄って、温かいココアを買った。牧野は炭酸飲料だ。
「なんかさ、最近さ、僕ってバカにされてない?」
牧野にそう問いかけると「前からじゃね?」と言われた。
思わず黙り込む僕を見て、牧野は「おいおいー!」と大声を出した。
「英太、お前、なに落ち込んじゃってんの?」
「だってさ、後輩たちまで笑うんだもん」
少しおおげさにため息をつくと牧野は真顔になった。
「いいんだよ、英太はその感じが」
「はあ?」
黙ったまま大通りを駅まで歩く。すっかり暗くなった道にオレンジ色の街灯が点いている。
ちょっと前までは街灯に小さな虫が大量にたかっていたのに、今はほとんどいなくなった。完全に季節が変わったという事だろうか。
多摩境駅に着き、二人で改札を通り抜けホームに移動すると、前の電車が行ったばかりだった。
「英太はさ」
十五分ぶりの会話だ。移動中、お互いずっと何かを考えていた。
「英太はそのままでいいんだよ」
「何でさ」
「オレとか名高とかには無い雰囲気を持ってるから」
「えー?そかなー」
「剛塚とも大山とも違うんだよ。多分、後輩から見ても」
牧野はわざと僕の方を向かないで話している。こういう時の牧野って何か大事な事を言おうとしている時だ。
「英太は、天然じゃん」
前言撤回。牧野はいつだって大した事を言わないヤツだ。
家に帰ってからも何か不安な気持ちがあって、落ち着かなかった。
牧野は何かを言おうとしてくれていたみたいだけど、途中から言うのをやめたみたいだった。
モヤモヤしていた気持ちを忘れたくって、くるみに電話してみた。
「もしもし、英太だけど」
『あ、英太くん。私も今、電話しようとしてた』
声だけでも嬉しいのに、こんな事を言われると一気にテンションが上がる。
「ホント?なんかあった?」
『うん・・・』
ちょっと気落ち気味のくるみの声。何故だかドキリとする。まさか別れを切り出されるんじゃ・・・と。自分に自信の無い僕は、もう何度も何度もそういう風に思ってきてる。
『選考、大丈夫かなって不安なんだ』
「な、なんだそれか」
言ってからヤバイって思う。そんな事かって感じの言い方になってるのに気付いたから。
「くるみなら大丈夫だよ!すごい真面目に練習してるんだもん!」
『さすがポジティブ英太くんですねー』
急に明るい声になるくるみに少しホッとする。
「ナニソレ・・・」
『私、英太くんのそういう前向きな雰囲気って好きだよ』
「え、あ、ほんと?」
ほとんど裏声で答えた。ゴホンと咳払いをして言葉を続ける。
「くるみも前向きで行けば大丈夫だよ。真面目な話、一年生にも早いコいるみたいだけど、それは一年生にしてはって話でさ。くるみは三年間練習してきて、確実に早くなってるもん」
『優しいね』
「あ、どうも」
なんだこりゃ。これカップルの会話かー?
『英太くんって優しいし前向きだよね。みんなから慕われてる理由がわかるよ』
「慕われるかなー」
『慕われてるよ!優しさだけだと大山くんも優しいけどね。英太くんは大山くんとも違う雰囲気があるんだよ。なんていうか、みんなを明るい雰囲気にさせる何かを持ってるんだ』
早口で力説するくるみに僕は驚いた。
『きっと牧野くんとか名高くんとか、みんなそう思ってる。じゃなきゃ山梨まで迎えに行ったりとかしないし』
その話はやめてほしいけど・・・
『だから私も・・・、英太くんと・・・、い、一緒にいたんだし・・・・・・』
急に声が小さくなって僕は笑った。
『な、なんで笑うんですかー。真面目な話をしてるのに』
「ごめん。でも、ありがとう」
何だかモヤモヤしていた気持ちはどこかへ消えていた。
やっぱり僕は僕のままでいいらしい。それに気付かせてくれるのが、くるみだっていうのがまた幸せだった。
そうか、きっと牧野もさっきこういう事を教えてくれようとしていたのかもしれない。
急にやる気が出てきた僕はくるみとの電話を終えてから、気持ちが抑えきれずに軽いジョックをしに外へと飛び出した。
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