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2010年10月

2010年10月 4日 (月)

空の下で-熱(15) 雷雨(その4)

東京の夏は気持ち悪い。

特に今年は例年にない酷暑となっている上、修学旅行での北海道や、夏合宿での富士山付近など、わりと涼しいエリアへと出かけていたので東京の熱に耐えられない。

それでも僕の住んでいる八王子市などはまだ郊外なのでマシなんだけれど、南風に乗って栄えている街の熱気が流れてくるらしく、息苦しいほどの暑さと湿度の日々が続いている。

夏合宿後、一週間が経っていた。

全く雨の降らない東京エリアは地面が冷える事も無く、連続熱帯夜の記録を伸ばしていた。

今日もそんな夜だ。練習で疲れ果てて家に着き、すぐにぬるいシャワーを浴びて居間でごろーんと寝転がった。

「お前、ずいぶんと焼けたな」

冷蔵庫から缶チューハイを片手にやってきたお父さんがそう言った。

「あれ?お父さん、今日は山梨じゃないの」

「お盆休みだ」

僕は起き上がり、畳みの上に置かれた低めのテーブルの脇に座る。お父さんも横に座り、パシュッという音をたてて缶チューハイを開けた。

「今度出る、秋の新商品だ。ふらっと5%ブドウってんだ。飲むか?」

「まだ未成年なもので」

「誰も見てないって」

お父さんがそう言って笑うと、お母さんがやってきて「見てるよ」と言った。

お母さんはコップにアイスティーを注いで同じくテーブル脇に座る。

何も会話しないで三人でテレビを見ていた。

それでも別に息苦しいという事は無い。これで自然なんだ。

僕らは元々静かな家族なんだ。無理に何か話す必要は無い。もちろん、お父さんもお母さんも僕の学校での話とか部活での話とかを聞きたいんだと思うけど、何か自分から学校の事を話すのって少し恥ずかしい。

最近は特にそうだ。くるみと付き合ってからは、部活で学校に行っていても、くるみの事ばっか考えてたりするから、そんな空気がお父さんお母さんにバレたくないって気持ちになってしまう。

だから話すとしたら牧野とのアホな会話や出来事の話ばかりだ。

「英太はさ」

お父さんがテレビの方を見ながら突然話し出した。まるでテレビに話しかけているみたいだ。

「部活はいつまでやるんだ」

「部活? えーと、秋の駅伝大会までだけど・・・」

「九月だっけ?」

「十一月」

「そうか・・・」

お父さんがそう呟くと、今度はお母さんが声を出した。

「その後どうするか決めた?」

ギクリとした。

お母さんは僕の高校卒業後の事を聞いているのだ。

もちろん僕だって無計画な訳じゃあないんだけど、部活やくるみの事ばかり考えていて、卒業後の事は何となく後回しにしているので、この言葉には冷や汗をかいた。こんな熱帯夜なのに・・・。

「えと・・・専門学校に行きたいんだけど・・・」

「専門学校?何のだ」

何故か問い詰める口調になるお父さんの声に少し怖気づいたけど、やりたい事を言った。

「そうか・・・。まあ、何となくお父さんの仕事とも遠くはないのかもな」

「そうね。確かに」

僕の答えに二人とも何だか納得していた。

ホッとした。そんな夢は現実的じゃないとか言われるかと思ったからだ。

いつかカフェを開きたいなんて夢は。

 

 

自分の部屋に戻り、ベッドに横たわる。

くるみからメールが来ていた。絵文字をけっこうたくさん使っているけれど、時折敬語になる文面だ。

こうやってメールをしたり、電話をしたり、たまにデートっていうか二人で映画観たりカフェでお茶したりはしているんだけど、僕らはまだ手を繋いだだけのピュアな関係でいた。

キスなんてした事ない。いや、したいんだけど・・・、今のとこ、そんな場面は無いというか、まあ勇気が絞りだせない・・・。

「はあ・・・」

思わずため息。自分の勇気の無さを実感するデートが続いてるからだ。

男らしくないなあ。そう思いつつも、まあいいかとも思う。

そんな事を考えていると牧野から体育会系バリバリのメールがやってきた。

『打倒!松梨付属!!&関東大会出場!!』というタイトルなのに本文は『来週の記録会の出場種目の一覧送っとくー』というものだった。

五月先生は、この記録会の結果で秋の駅伝の出場区間を仮決定すると言っていた。

春以来の公式大会だけに僕も少しずつ気持ちに熱が入っていった。

 

 

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2010年10月 7日 (木)

空の下で-熱(16) 雷雨(その5)

多摩地区の記録会はお盆休みのすぐ後に二日間に渡り行われた。

ここで僕ら長距離チームはみんなで1500mと5000mに出場した。女子は3000mだ。

結果的に言うと、僕ら多摩境高校のメンバーは順当な記録と順位だったと言える。

名高が5000mで秋津伸吾と張り合って二位となったり、未華が3000mで優勝したり、牧野と僕は5000mで自己新を出して五位・六位となったり、染井が1500mで五位になったりと、多摩境高校陸上部という名前は確実に地域で有名になってきていた。

1500mと5000mのダブル優勝をした秋津伸吾でさえ、「名高くんが凄いのはわかってるけど、多摩境高校はみんな強いから油断できません」と顧問の真木先生に言っていたという話だ。

しかしそれでも松梨大学付属高等学校のレベルの高さには息を呑んだ。

リーダーの赤沢智は5000mで三位。香澄圭は続く四位。そして圧巻は六位以降だ。

六位から十位までが全員松梨なのだ。

つまりまとめると、こうだ。

男子5000m結果

一位、秋津伸吾(葉桜高校)

二位、名高(多摩境高校)

三位、赤沢(松梨付属)

四位、香澄(松梨付属)

五位、牧野(多摩境高校)

六位、僕(多摩境高校)

七位、西隆登(松梨付属)

八位、駿河一海(松梨付属)

九位、駿河二海(松梨付属)

十位、弓平祐樹(松梨付属)

十一位、勅使河原大輔(松梨付属)

そして十二位に染井、十七位に一色、十八位に剛塚、二十位が大山だ。ヒロは三十位だった。

「これは凄いな」

大会後、夕方のベンチ席で五月先生は結果表を見て唸った。

誰が見ても松梨の強さはわかった。

どう考えても多摩地区で駅伝をやったら松梨の優勝だ。

なのに五月先生はおかしな事を言うのだ。いや、いつもおかしな事ばかり言ってるけど。

「うちのガッコ、かなり凄いよな」

名高が大きく頷くのが印象的だった。

「こりゃあ、うちがダークホースになるって予想する人も出てくるかもしれないぞ」

五月先生は楽しそうに笑みをもらした。

その時だ。

辺り一面がふわりと暗くなったのだ。

何かと思えば傾いていた夕日が分厚い雲に隠れて光が遮られたのだ。

思わず見えなくなった夕日の方を見ると、ドス黒い雲が凄い勢いで広がりつつある気配を感じ取れた。

暗さを感知したのか、辺りの電灯が一斉に点灯した。

「夕立でも降るのかな」

未華がポツリと言い、冷たい風が吹き出した。

にわかに嫌な予感が漂う。

「よし、降る前に解散しよう。早く家に帰る様に」

五月先生の号令で、僕らは競技場を出て駅へと向かった。

 

 

長距離チームは全員一緒に競技場の最寄りである南大沢駅へと歩いて到着した。

それぞれ改札に入るが、くるみが「あたし、今日はお母さんが迎えに来るから」と言って駅前に残った。

「じゃあ、気をつけてね」

僕はそう言い牧野と一緒に改札を通る。

駅のホームへと降りると、雨が降り出してホームの屋根にパラパラという音が鳴りだした。

「降ってきたな。英太、くるみを送って行った方がよかったんじゃね?」

牧野はそう言うけれど、お母さんが来るんじゃ役不足だよ・・・。

京王線の各駅停車の電車がホームにやってきて、僕と牧野はそれに乗った。

わずか一駅で二人の住む堀之内駅だ。

堀之内に着くと雨はどしゃ降りへと変わっていた。

「うわー、こんなに降ってたら傘さしても意味ないんじゃね?」

「た、確かに・・・」

牧野の言う通り、雨は勢いが凄まじい上、風が出てきたので横殴りだ。

おまけに遠くでは低いゴロゴロ音が聞こえてきていた。

「雷雨・・・か」

嫌な感じだ。

辺りはすでに夜の暗さになりつつあり、その暗さに時折光る稲妻と轟音が不気味さを演出しだしていた。

「どうする英太、走って家まで行く?」

なんとも陸上部らしい提案が牧野から出された。

どしゃ降りの中を家まで走るという訳だ。確かに走れば五分くらいで二人とも家まで着くだろう。傘をさしてもダメなくらいな雨なら仕方ないかもしれない。

「うーん、行くか」

「よし」

雨の中を走るために一応アキレス腱を伸ばす。

その時、携帯電話がバイブレーターで振動した。

画面には『くるみ』の文字が表示されたけど、わずか二秒ほどで着信は途切れた。

「どした?くるみ?」

「うん、すぐ切れちゃった。ちょっと電話するから待っててもらっていい?」

「どうぞどうぞー」

牧野のニヤニヤ笑いが気に食わなかったけど、僕はくるみに折り返した。

しかし電話は鳴るものの、くるみは電話に出なかった。

「出ないや」

「へえ、なんだろね。間違いじゃないの?」

「うん・・・」

僕はさっきくるみと別れた南大沢駅の方角を見た。

そんな事をしたってくるみの様子がわかる訳ないんだけど、何となく見たんだ。

豪雨で近くの建物させも霞んでいる。いつもとは違うその景色が、なんとも言えない不安感を漂わせている。

そうして僕が黙っていると、牧野は「戻るか?」と言いだした。

「え?」

「南大沢に。何か心配なんだろ?」

珍しく真顔な牧野を見て、牧野も何か嫌な予感がしているんじゃないかと思った。

「うん、何かさ。気のせいかもしんないけど・・・、胸騒ぎっていうか・・・がして。ちょっと戻るや」

「わかった。オレも行く」

そうして僕と牧野は南大沢駅まで電車で戻った。

 

 

忘れてた・・・

こないだの襲撃の犯人まで予想しておきながら・・・

あいつが犯人だとしたなら、この日に何か起きるかもなんて簡単に見当がついていたはずだったのに・・・

 

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2010年10月11日 (月)

空の下で-熱(17) 雷雨(その6)

南大沢駅の改札を牧野と二人で出ると、凄まじい雷光が夜の街を一瞬染めた。

すぐ後に地面が揺れるかの様な響きを持った爆音が鳴り、思わず身をかがめた。

「うおっ!す、すげえ音!」

牧野も引きつった顔で空を見上げていた。

次々と不気味な光が空中で発せられ、ゴロゴロという音やドカンといった衝撃音がしょっちゅう鳴る。

風は収まってきたものの、雨は強さを増していて、地面に落ちて跳ねかえった雨水が膝くらいまで届きそうな感じだ。

「牧野、くるみいそう?」

僕は改札の前でキョロキョロしながら牧野にそう言うが、牧野は「いない!」と叫んだ。

もう一度、携帯電話にかけてみるが、電波は届くが電話には出ない。

しかたなく『雨、大丈夫?さっき電話もらったみたいだけど、何かあった?』と、メールを打った。

そのまま五分ほど待ったけど返信は無い。凄まじい雷が鳴り響くのを僕らは黙って聞いているだけだ。

「やっぱさ、お母さんが車かなんかで迎えに来て、帰ったんじゃない?」

牧野がそう言ったが、僕は何か嫌な予感が拭えないでいた。

そこへ「おー、相原、牧野!」と叫びながら、びしょ濡れで走ってくる学生が二人いた。

雨で髪の毛が濡れていてよくわからなかったが、どうやら葉桜高校の秋津伸吾と内村一志だった。

「何してんの?」

僕が内村に聞くと「試合終わってファミレスでメシ食ってたら、いつの間にかこの大雨だよ」と叫んだ。

何故みんな叫ぶのかと言えば雨音が凄過ぎて、普通の会話の音量じゃあよく聞こえないからだ。

普段は大声など出さない秋津伸吾も、キーを上げてしゃべる。

「相原くんと牧野くんは、こんなトコで何してる訳?!」

「んー。いや、まあちょっとね」

僕は何となくごまかした。内村一志に「彼女が心配で」なんて言ったら、どう嫌味を言われるかわからない。

「そうか、じゃあこんな雨だし、気をつけてな。行こう、内村」

「おう」

秋津と内村は改札を抜けようとしたが、内村は振り返ってこう言った。

「そういや、相原たちの高校の女子が、傘もささずに他の高校の男子とかと歩いてたぞ。いい御身分な女だな!」

「え、ど、どこで?」

「あっちの広場だよ。こんな暗い時間に何するんだか」

そう言って内村はいやらしい笑いを浮かべて秋津の後を追って行った。

「牧野」

「わかってる」

僕と牧野は一応傘をさして、内村が指差した広場の方へと走った。

牧野は傘を持っているのとは逆の手で誰かに電話しだしたが、僕はそんなのどうでも良かった。

気が気じゃない。

くるみは一体、何しているんだ。それだけが気がかりなんだ。

駅から少しだけ走り、大通りを横断歩道で渡ると、あまり街灯の無い殺風景な広場へと出た。

真ん中には池があるので、晴れた昼間は公園としてのんびり過ごせる場所なんだろう。

でも今は雷が鳴り響く夜だ。池は溢れかえりそうなくらい水がいっぱいになっているし、広場の地面は土なため、雨でぐしゃぐしゃになっていた。

その広場には人なんていなかった。ただ雨が打ちつけるだけだ。

広場の周りは、家でいうと二階建ての高さほどの木々で囲まれていて、そこにいくつか街灯が灯っていた。

「誰か・・・いるぞ」

牧野が目で方向を指示する。

街灯の下を数人の男子高校生が右から左へと移動するのがチラリと見えた。

地元の高校生だろうか。しかし、いくら木が生えているとはいえ、こんな豪雨の中、暗い広場をうろつくだろうか。

僕がそっちへ歩きだそうとすると牧野が僕の肩を掴んだ。

「なんだよ牧野」

「行くのか?もし、くるみが今のヤツらにナンパでもされて掴まってるんなら、相手は何人かいたぞ」

「行くしかないだろ。くるみと関係ないんなら無視して通過すりゃいいんだし。もし、くるみがいるなら・・・」

「いるなら?」

「死んでも助ける」

なんかドラマだか映画みたいな事を言ってしまったが、恥ずかしくも何とも無かった。

そんな事よりも焦りが強かった。

牧野は腕時計に目を落とした。部活で使っている精巧なタイムを計れるやつだ。

「五分か・・・」

「何が」

「いや、五分前にさ」

その時、木々の方から誰かが左方向へ走りだした気配がした。

早い。こんな雨の中、この早さは素人じゃあない。走りなれた人間だ。

「待てよ!!」

男の声が聞こえた。そして、僕は見た。

走りだしたのは、女子高生だった。カバンを持って走るその姿は、まぎれもなく、くるみだった。

「くるみだ!!」

僕は傘を投げ捨ててくるみの方に走りだした。土がぬかるむけれど、必死で走った。

「英太!!くっそ!」

後ろから牧野もついてくる気配がした。

くるみは木々の方から池の方へと走って来ていた。僕は横からくるみに追いつき声をかけた。

「くるみ!!」

ビクッとしたくるみは強張った表情で僕を見た。

「あ・・・!え、英太くん!!」

くるみはガシッと僕の腕を掴んだ。

「変な人達に、掴まっちゃって」

くるみの声は泣き声だった。僕の腕を掴んだ手をかすかに震えているのがわかった。

「大丈夫。もう大丈夫だって」

僕がアタフタと言っていると、牧野がやってきて「駅に戻るぞ英太!」と叫んだ。

僕は頷き、その場から去ろうとすると「ダメだよーん」というふざけた声が聞こえた。

気がつくとすぐ近くに四人の男子高校生が立っていた。

どいつもこいつも人相が悪い。一目で「マズイ」と思った。

「せっかく捕まえたんだから逃げちゃダメ。多摩境高校のヤツはみーんな逃げちゃダメ」

こいつら・・・。

「こないだ一色達を襲ったのと同じヤツらか」

牧野が僕の考えと同じ事を言った。

そして制服からして落川学園ではない事がわかる。こいつらは・・・

「稲城林業高校・・・」

怪物・五島林をエースとして活動していた、稲城林業の生徒だったのだ。

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2010年10月14日 (木)

空の下で-熱(18) 雷雨(その7)

雨は収まる気配が全く無い。すぐ目の前にまで迫って来ている男子学生四人の姿でさえなんとなく霞んで見えるかの様だ。

その男子学生達はそれぞれが傘をさしているが、僕と牧野とくるみは何も差さずにズブ濡れのまま立ちつくしていた。

僕と牧野が前に立って、くるみと男子学生達の間に割って入る。

暗い公園内に稲光の閃光が走り、相手の制服がどこのものか正確にわかった。

制服は、稲城林業高校のものだ。あの怪物、五島林が所属していた高校だ。

「逃げんなよなー。せっかく雨の中で捕まえたんだからぁー」

四人のうちのリーダー風な男子生徒がフザケた口調で笑う。この声、この表情、嫌な気配が全身にバリバリと伝わってくる。

いつか落川学園の安西に感じたのと同じ様な気配だ。

「まあとにかく、二人はジャマだからさ、とりあえずそのコ置いてけよ」

そいつは後ろにいるくるみを首の動きで示した。

言われてくるみは僕の背中に隠れる。

ここでリーダー風の男は僕のカバンに目をやって「へえ」と呟いた。

「お前ら、多摩境高校の陸上部か」

どうやら僕のカバンに書かれている『都立多摩境高校 陸上競技部』という文字を読んだ様だ。

「だったら何だよ」

牧野が強い口調で問うと、そいつは「全員覚悟してもらいてーな」と言った。

やっぱりな・・・と思う。

やっぱりこいつらは前に一色達を襲ったのと同じヤツらだ。

つまり、多摩境高校の陸上部を標的にしているヤツらだという事になる。

一色は言っていた。襲いかかってきたヤツらは「うちのカントクに迷惑をかけるな」と言い残したんだと。

「あんた達」

僕は思ったままの事を言ってみた。

「あんた達、何で落川学園だなんて嘘ついてうちの一年生を襲ったんだ」

するとリーダー風の男は声を低くした。

「なんだよお前、別にオレ達が誰に何しようと勝手だろうが。いちいち理由なんて聞くなよ」

さっきまでよりも圧力がある声だ。足が震えそうになる。でもくるみが背中に隠れている今、怖がっている場合なんかじゃない。

「理由、あるでしょ?」

「はあ?」

「カントクに言われたんじゃないの?あんた達、カントクに言われて僕ら陸上部を標的にしたんじゃないの?」

僕がそい言うとそいつは顔色を変えた。

「お前、なんでそれを?」

そう言ってそいつは傘を横に投げ捨てた。

「それに気付いたんなら、ただじゃ帰さねえな」

ゴウゴウと降る雨の中、そいつは鋭い目で睨みつけてくる。

やる気だ。

こいつはここで襲いかかってくるつもりだ。

「牧野」

僕が牧野に呼び掛けると、牧野はニヤリと笑った。

「使うか?武器を」

牧野は僕とくるみを交互に見た。

「武器?」

僕が不思議そうな声を出すと、くるみが「使おう」と言った。

「じゃあ使おう。それしかない」

牧野が指をボキボキと鳴らした。

「これって武器だったんだね。違う気もするけど・・・、まあ仕方ないよね」

僕はそう言ってくるみの手を握った。

くるみが頷く。

「何、ごちゃごちゃ話して・・・」

リーダー風の男がそう言いかけた瞬間、僕らはその場で逆方向に体をターンさせた。

そして走りだす。

「あ!待てよ!!」

男子生徒達はすぐに追ってきた。

僕は焦りながらもいつもの練習を思い出していた。

インターバル走のイメージだ。

1000mを80%の力で走り、400mをジョックする。そのメニューを五回繰り返すイメージ。

そんな事を街中でやりきって、僕らに追いつける人間なんて、陸上部以外ではそうはいない。

ダダダーっと公園の入口まで走り切る。振り返ると男子学生はかなり遅れて走って来ていたので、一度少し速度を落として息を整える。

「大丈夫か!!」

牧野が僕とくるみを見るが二人で「もちろん」と言った。

やや追いつかれたところで再びスピードを出して駅へと走る。

人通りのいない大通りに出たところでギクリとした。

目の前に大きな黒い傘を差した白いジャーシ姿の大人が立っていたからだ。

見覚えのある、ゴツイ輪郭と薄い眉毛の強面な三十代前半と思われる男。

「なに逃げ出してんだよ」

牧野がその男の横を駆け抜けようという気配を見せた。

それを見てその白ジャーシの男が拳を握る仕草をしたのが見えた。

「ま、牧野!!ストップだ!!」

僕が慌てて声を出すと牧野は急ブレーキをかけた。

「な、何だよ英太、止まったら追いつかれるって」

振りかえる牧野に僕は「この人は、ヤバイ。絶対ヤバイ」と声を荒げた。

焦っていた。ここにこの人がいるなんて。今までの僕の推理からすると、この人だけは関わっちゃいけないからだ。この白いジャージの男だけは・・・。

「だ、誰なんだよ、こいつは!!」

牧野の問いかけに僕は答えた。

「稲城林業の陸上部のカントク、柿沼監督だよ」

「柿沼監督?」

僕らは柿沼監督を見た。薄い眉毛が非常に怖い。

「公園、戻ろうか」

柿沼監督は無表情でそう言った。

後ろからはさっきの男子生徒が走って来ていた。それを見て柿沼監督はため息を漏らした。

「簡単に逃げられやがって。使えない四人だな」

四人は僕らのところまで走って来たが、息が切れまくっていた。

「はあ・・・はあ・・・か、カントク」

「バカかお前らは、簡単に逃げられて。走りこみが足りねーんだ。そんなんで陸上部所属なんて言えるのか」

こいつらが陸上部?こんな体力の無い連中が?

「就職対策したいって言うから、プラスポイントになる陸上部に入れてやったのに、使えない連中だ」

「ス、スイマセン。こいつらはすぐに何とかするんで」

そう言ってリーダー風の男が僕の胸元を掴んだ。

「く、いって・・・」

「テメエらは絶対逃がさねえ!」

凄い大声で僕に迫る。でもそいつは後ろから誰かに腕を捻られて僕から手を話した。

「ぐえええ、だ、誰だ、何すんだ」

「ハイハイ、高校生はもう家に帰る時間だよ」

この声は・・・、ああそうか、さっき牧野が電話してたっけ。

リーダー風の男の腕を捻ったその人は・・・

「五月先生!!」

僕と牧野とくるみは同時に叫んだ。

五月先生も傘をささずにやってきていた。

「五月・・・」

柿沼監督は五月先生を睨みつける。

「やっぱりお前だったか、柿沼」

こうして、五島林を理由とした騒動は最後の局面を迎えようとしていた。

それは、僕ら多摩境高校陸上部にとって、そして五月隆平先生にとって、逃げられない運命の局面だったのだ。

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2010年10月18日 (月)

空の下で-熱(19) 雷雨(その8)

南大沢の駅までは歩いて二分といった場所だというのに、この雷雨では辺りに人の気配は全く無かった。

大通りの歩道にいるというのに車もほとんど見る事が無い。

時折通過する車からは僕らの姿はどんな風に写った事だろうか。

おそらくワイパーを全開で動かしていても前が見えないほどのこの豪雨の中、柿沼監督以外の全ての人間が傘も差さずに向き合っているというこの光景は、尋常では無いはずだ。

「カントク・・・、こいつは誰ッスか!こいつもやっちまいますか!」

五月先生に対して物騒な事を言うリーダーの学生。こいつも相当な悪いオーラを持っているんだけれど、柿沼監督はそれとは別次元の怖さを持っていた。

その柿沼監督が五月先生を睨みつけながら言う。

「こいつは、五月隆平だ」

「五月?」

リーダー風の学生はそう言って固まった。「さ、五月って・・・あの?」

「そう、あの五月だよ」

柿沼監督は不敵な笑みを浮かべながらも目は笑ってなかった。

「カントクと・・・、高校時代にずっと争っていたっていう・・・、あの五月隆平っすか」

高校時代に争う?五月先生と柿沼監督が?何の種目で?ていうか同じ年くらいなのか?

「そう。当時の落川学園の一大不良グループのトップだった男、五月隆平だよ」

「おち・・・?」

僕も牧野もくるみも五月先生を見た。

五月先生はつまらなそうな表情をして僕らの顔を見まわす。

「いらん事言うなよ、柿沼」

五月先生は捻っていたリーダー風の学生の手を離した。

そのとたん、そいつは五月先生に殴りかかったけど、片手で受け止められた。その殴りかかった拳を掴んで離さない。

「キミ、無駄に殴りかかるな。オレには勝てないから」

リーダー風の学生は妙な声で唸り、あまっていたもう一方の拳で殴りかかったけど、そっちの拳も受け止められた。

「こ、こんな事って・・・」

リーダー風な男は愕然とし、周りの三人の学生は後ずさりした。

「風邪引くから、そっちで雨宿りでもしてなさい」

ひどく迫力のある声で優しい事を言う五月先生に、学生達は「は、はい・・・」と俯き、その場を離れていった。

「さて、柿沼、これは一体どういう事なんだ?」

傘を差して悠々とこちらを眺める柿沼監督に、五月先生は困った様な表情で問いかけた。

「あの学生達は柿沼のトコの生徒だろう。自分のトコの生徒使って、うちの陸上部を狙うっていうのはカケラほども納得いかない行為だな」

柿沼監督は一瞬僕を見た。ドキリとする僕からはすぐに視線を離し、五月先生に話す。

「オマエんとこの部員がよ。インターハイの時、オレの切り札だった五島林の怪我にいち早く気付いたんだよな。おまけに怪我してる状態で無理して走るのは楽しくないでしょ?なんて言ったらしい。おかげで五島は怪我をかばって都大会で敗退だ」

再び僕を見る柿沼監督。確かに、そんな様な事は言ったかもしれないけど、そんなに睨まないでほしい。

「五島林が関東大会まで行けば、監督としての資質が問われていたオレにとっては、学校に認められるチャンスになってたのによ。都大会敗退でオレの存在は認められなくなっちまった。そしたらどうしたい?そんな原因作ったヤツに報復したいって思うだろう?」

・・・、なんなんだ?この監督は?本当に教師なのか?いや、確か柿沼監督は部活の指導だけに呼ばれている外部講師だったっけ?どちらにしろ、この人はおかしい。

「ま、この報復も五月にバレたんじゃ、もうどうにもゴマかせないな。せめてこの場でお前だけには報復しとくか」

バサリと傘を地面に叩きつけ、柿沼監督は僕らの方へと寄ってくる。

五月先生は僕らの前に立ちふさがり、拳を握りしめた。

「マズイ」

牧野が呟いた。

わかってる。陸上部の顧問である五月先生がケンカなどしたら、陸上部の活動自体が止められる可能性がある。

二年前にも似たような事があった。あの時の様な事は繰り返したくない。

「さ、五月先生!」

「わかってる」

五月先生はそう言ってから柿沼監督に話し出した。

「柿沼、お前とオレの決着はまた持ち越しにしよう」

「はあ?」

「今日やると互いに生徒に見られていて立場がまずくなるだろ?今度、正々堂々と決着つけてやるよ。誰もいない場で、二人きりでよ」

「むう」

柿沼監督は少し悩んだそぶりを見せると、さっきの傘を拾った。

「まあ、急いで決着つける必要はないか。これまでも十五年以上も決着ついてないんだからな。また会う事があったら容赦しねーがな」

よくわからなかったけど、柿沼監督は引き上げて行った。

「ど、どういう??」

見つめても五月先生はつまらなそうな表情をするばかりだ。

そして急に笑顔になったかと思うと「しっかし寒いな、雨に打たれると!あっちに先生の車あるから乗ってけよ!」と元気な声を出した。

 

 

全身びしょ濡れの制服のまま僕ら三人は五月先生の車に乗り込んだ。

運転席に五月先生、助手席に牧野、後部座席に僕とくるみだ。

「今、暖房かけるからな。夏だってのにな」

車は豪雨の中、くるみの家に向かって走りだした。

珍しくロック音楽がかかっていない車内で、五月先生は過去の色んな話をしてくれた。

中学生の時からケンカばかりしていた事。

高校は落川学園に通っていた事。

そこで色んな不良学生とケンカをし、次々と倒して不良グループのボスになった事。

当時、多摩地区で一番強いと噂されていた他校の柿沼とケンカするけど決着がつかなかったという事。

「ずっとずっと力で色んな事を解決してきたんだけどな。高校を出る頃になって、自分で稼ぐ方法がわからなかったんだ」

五月先生は運転しながら何も隠さずに話してくれた。

「それでまあ、通っていたのが当時から不良で有名な落川学園だったからな。ここで教師でもやれば、入ってくる不良って呼ばれる学生の気持ちが少しはわかるんじゃないかなーって、そういう軽い気持ちで教師の道を選んだんだよ」

でも落川学園に就職する事は無かった。落川は私立だったのだけど、五月先生は色んな高校を見たいという希望が出てきて、公立の教師になったんだという。

その時の教師試験に至るまでの勉強時間は生半可じゃあなかったらしい。

「そんで新しく出来る多摩境高校に来たんだ。まさかそこでまた不良学生とのやりとりが待っているとは思わなかったけどな。まして、高校時代に争った柿沼まで登場するなんてな。人生って何があるかわかんねーもんだな。はっはー」

なんだか能天気だ。

あれほどの出来事の後だというのに能天気だ。

僕らは互いの顔を見まわして、笑った。

「おい、なんで笑う。笑う場面か?」

五月先生も、そう言いながら笑っていた。

「ま、あいつも先生も、もう大人になって、ケンカなんかしていられる立場じゃあなくなったって事だな。おかげで今回の一件はきっと解決だ。それもそれで寂しいものだが・・・」

ケンカできなくなって少し寂しそうな表情がミラー越しに見えた。

「あ、見て見て」

突然、くるみが窓の外を見ながら叫んだ。嬉しそうな声だ。

見ると、雲の切れ間から月が見えていた。

雨はまだ小降りながら降っているけれど、その向こうに綺麗な月が出ていたんだ。

「嵐が去って平和になるって事だな」

牧野が何故か満足そうに言うのが気になったけど、まあ平和になるんならいいか。

 

 

それから柿沼監督や稲城林業の生徒が襲ってくる事は一度もなかった。

記録会などで出会っても特に何もないし、会話する事もなかった。

ただ気になるのは彼らに混じって、五島林がジョックなどをしている事だ。

足の怪我は治ったらしく、以前ほどではないとはいえ、「秋の駅伝の一区は走るよー」と笑っているのが印象的だった。

そして、見知らぬ優しそうな新しい指導者が五島達を指導していた。

きっといい指導者が見つかり、いいチームへと導いて行ってくれる。

そんな楽観的な想像をしてしまった。

 

 

そして季節は移り変わる。

真夏の熱は少しずつ収まっていき、最後の大会である駅伝の待つ、秋へと。

 

  

空の下で 「熱の部」 END

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2010年10月19日 (火)

熱の部、描き終わりましたー!

お久しぶりです。cafetimeです。

やっと熱の部が描き終わりました。

途中、一ヶ月に及ぶ休載があり、さらに週1ペースの更新になったりと、連載が大幅に遅れてしまいました。

おかげで今年中に終わる予定だったこの物語も、どうやら来年頭までかかりそうな感じです。

 

 

熱の部では、ついについに!英太とくるみが付き合ってしまいました!!!

この二人がどうなるか・・・、実は連載当初から最近までずーっと作者も悩んでいました。

でも、こういう結果になって作者としても嬉しいです。

そして稲城林業高校の監督との因縁も一応の決着をみました。

これで1stシーズンからずっと謎だった五月先生がやたらと強い理由も何となくわかりました。

 

物語のほぼ全ての疑問が解決し、残すはいよいよ最後の試合となる秋の駅伝大会です。

そうです、次が長きにわたった「空の下で」の最終章となります。

 

最終章は「虹の部」です。

英太たちの高校最後の雄姿(?)をお送りします。

今まで応援してくださった方々、いよいよラストとなりますので、最後の応援よろしくお願いいたします!!!!!

 

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2010年10月20日 (水)

虹の部/目次

 

1.受け継がれる者たち「前編」

2.受け継がれる者たち「後編」

3.最終選考(その1)

4.最終選考(その2)

5.最終選考(その3)

6.最終選考(その4)

7.最終選考(その5)

8.道のり

9.いつまでも忘れない時間

10.夜明けの空

11.一人じゃない

12.証

13.名高涼

14.染井翔

15.大山陸

16.剛塚剛

17.好野博一

18.牧野清一

19.相原英太

20.それからの日々

最終話 新しい物語

あとがき

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2010年10月21日 (木)

空の下で-虹(1) 受け継がれる者たち「前編」

うおっという大歓声が上柚木競技場のスタンドから沸き起こった。

新人戦の支部予選会での話だ。一年生と二年生だけが出場するこの大会で、たった今、男子5000mの一位がゴールしたのだ。

タイムは大会記録とまでは行かなかったが、二位以下に大きな差をつけての優勝だった。

「うおー!!早いなあいつ!!」

僕ら多摩境高校のテントからもどよめきと歓声と、そして悲鳴が聞こえていた。

僕は立ちつくしゴクリと息を呑み、隣にいる名高に聞いた。

「あいつ、誰?」

「二年生の西だな。西隆登」

「西?」

優勝して飛び跳ねている西という選手を目で追う。

童顔で背が低い。ピョコピョコと高速で足を回転させて優勝をかっさらった。さっきまでとは違い、大きくジャンプしながら両手を挙げて喜んでいる。

春のインターハイ東京都大会で、ゴール間際で僕を抜き去り、関東へとコマを進めた二年生だ。

「あれが松梨大学付属高校の次期エースって言われてる西隆登か・・・」

僕が深刻そうな顔で西を眺めている間に、染井が四位でゴールした。

「お!染井!!あいつ、凄いじゃん!!」

「なんたってうちの次期エースだからな」

名高は嬉しそうに頷いた。

うちからは染井が東京都大会に進出。松梨付属からは西の他、二年生の駿河二海ともう一人が進出を決めた。

「強いな・・・」

五月先生が腕組しながら試合を見つめていた。

明らかに、松梨付属は僕らより格上だった。

でも僕らは駅伝大会に向けてのスローガンは変えなかった。

関東大会出場。そして打倒・松梨付属高校。

そしてその高すぎるともいえる目標が、いよいよあの出来事へと僕らを導くのだ。

 

 

空の下で 3rd season-4

 

 

二学期が始まり、僕ら三年生は本格的に受験に向けた動きが加速してきた。

夏休みは夏期講習に追われていたという同級生が多い中で、まだ引退してない部活の連中は出遅れた感に悩まされていた。

「全然勉強してない」

学校からの帰り道、佐久間屋で肉まんを買いながらそう宣言するのは吹奏楽部の日比谷だ。

「いいねえ、その楽天的な感じ。オジサンも昔はそうだったよ」

レジ打ちをしている佐久間のオジサンがひどく感心した様子で何度も頷いた。

「だからこんな店やってんだけどね。ヒヒヒ」

佐久間屋というのは個人店だ。多摩境高校の目の前にあるから経営は成り立っているらしいのだけど、学校が出来る前は散々な状態だったという。

肉まんを袋に詰めている佐久間のオジサンに僕は問いかける。

「なんでこんなトコにお店出したんですか。ここ、駅からも遠いし」

「先見の目を信じてたからだ」

「はあ?」

日比谷がすっとぼけた声を出しながら肉まんを受け取る。

「オレがここに店を出すって決めた頃はな、この辺りはほとんど開発されてなくて山ばかりだったんだ。そこへある企業が一件の大きなマンションを建て出した。これは多分、この辺り全てを新しい街にするプロジェクトが進んでいるなって気付いたんだ。だから店を出した。そしたら数年でマンションがたくさん建ち、一軒家も出来て、学校まで出来たっつーわけさ」

「へえ、スッゲーなオヤジ」

日比谷はすでに肉まんを頬張っている。

「だろう?でも相原くん、なんでそんな事を聞くんだ?」

「え?いや、まあ、お店の経営に少し関心があって」

「ほうほう。そんならメニュー開発とかよりも先にちゃんと経営の事を勉強した方がいいぞ」

「あ、はあ、ありがとうございます」

僕はペコリとお辞儀をして、日比谷と一緒に佐久間屋から出た。

 

 

もう九月も下旬だ。五時を少し過ぎただけで夕日が街を照らしていた。

二人で肉まんを食べながら佐久間屋から多摩境駅まで、大通りの歩道を歩く。

「英太、専門学校行くんだって?」

「うん。日比谷は?」

「オレは大変だぜ?」

「あ、いや、僕も楽ではないんだけど」

「音大目指す」

「え?!お、音大?」

それは知らなかった。日比谷は音楽大学を目指していたのか。いつの間にかずいぶんと大きな夢を持っていたもんだ。

「なんかまだ辿り着かねーんだ。出したい音によ」

「出したい音・・・か」

聞くところによると、日比谷は三年生になってから、東京都が主催するトランペットアンサンブルのコンクールで金賞を獲ったらしい。

アンサンブルだから一人での力では無いんだけれど、やはり日比谷がチームを引っ張っていたという話だ。

そんなでも日比谷は全く満足していない様だ。

いつもはアホな事ばかり言っている日比谷が今日は少し真面目に見えた。

 

 

この頃、長かった残暑もやっと一区切りが着いた。

酷暑と言われ、全国で部活中に倒れる者が続出した今年の夏も、本当に終わった。

涼しくなったのはいいのだけど、その分、五月先生は練習メニューをハードにしていった。

毎日の通常メニューの後に、筋トレもしっかり行う。

体力回復や怪我防止のためのストレッチや栄養指導も忘れない。

練習が全て終わって部室を出る頃には真っ暗闇だ。

そうして訪れたのは、染井が出場する新人戦の東京都大会だ。

 

 

「マジ、ぐったりだな」

早朝から僕と牧野とヒロと一色の四人で、東京都大会の行われる駒沢競技場へとやってきていた。

さっきのセリフは牧野だ。このところのハードな練習で疲れ果てているのに、駒沢に朝一番で乗り込んで自分達のテントを建て終わったところでの一言だ。

「なんで三年生のオレ達がテントを作るんだよ」

牧野が愚痴ると一年生の一色が慌てた。

「きょ、今日は一年生は違う市民大会に出ていて・・・!ぼ、ぼぼぼ、僕しかこっちに来れなかったんです!!」

「一色だけこっちなの?」

「は、ははははい。さ、五月先生がこっちの試合を見学するようにと・・・」

自信なさげに俯く一色。

でも五月先生が一年生の中で一色だけに駒沢の試合を見ろって言ってきたという事は、それだけ一色には期待しているものがあるという事かもしれない。

「そうなの!市民大会からハズされたんだ!うひゃーかわいそう!!」

ヒロがそう叫び、牧野がスパーンとぶったたいた。

「とにかく一色、こっちに来たからには染井のフォローをちゃんとやるぞ。それと、他校の一年生をよく見ておけ。松梨付属から出てる西なんかもまだ二年生なんだからな」

「西隆登・・・ですね」

いつもはオドオドしている長身の一色が、西という名前を聞いて少し険しい表情をした。

 

 

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2010年10月25日 (月)

空の下で-虹(2) 受け継がれる者たち「後編」

酷暑が終わったばかりで、急に涼しくなった感のある駒沢競技場は、その温度差を気にしてか、やたらと念入りにウォーミングアップしている選手が多かった。

男子5000mは48人が出場予定で、そのうちの八人だけが次の南関東開会へと進める。

染井の目標はギリギリでもいいから南関東へと進む事だった。

ここのところ、染井はやたらと宣言している。宣言と言っても声が小さいヤツなので近くにいた人にしか伝わらないけど。

「名高さんの跡を継ぐつもりですから、南関東くらい行きますよ」

相変わらず強気でかわいげの無い口調だったけど、それがたくましくもあった。

染井とヒロが入部してきた頃は、この強気発言がやたらと気に障ったものだけど、今はそういう気持ちにはならない。後は頼むぞ・・・とか思うんだけど、後って何だろうとも思うし、僕はそんな事を発言出来るほどの実力なのかなとも思う。

そう、僕って何なんだろう?

実力は名高が一番だし、チームのまとめ役は牧野だし。

僕って何なんだろう?

剛塚みたいな兄貴肌じゃないし、大山みたいなムードメーカーでもないし。

この部にとって僕という存在は、何かを残せるんだろうか?

「相原さん!相原さん!!」

一年生の一色に呼ばれてはっと我に帰る。

「ど、どうしたんですか!ボーっとしちゃって・・・。もうすぐ染井さんの試合が始まりますよ」

長身の体をアタフタとさせてる一色を見て「あ、ああ、悪い」と言った。

すると大山が「くるみさんの事を考えてたんじゃないのー?」と笑い、一色が申し訳なさそうな顔で「す、すいません」と言って立ち去った。

「お、大山!!変な事言うなよ!!」

やたらと楽しそうな笑い声が周辺から聞こえる。

僕、こんなんでいいのか?

 

 

染井を含めた48人がスタートラインに立つ。サポート係として僕と一色が近くにスタンバイし、コールタイム直前に染井が脱いだジャージなどを受け取る。

「いいか一色、こうして出場選手の手伝いをする事はとっても大事なんだ。淀みなく動けよ」

「は、はい」

僕は一色にサポート役としての仕事を教える様に五月先生に言われているのだ。もちろん、言われてなくても教えるけど。

「陸上部ってのは個人競技に思われるけどさ、それって全然間違い。出場する選手をこうやって手伝ってくれる信頼できる仲間がいるから、選手が走る事に集中出来るんだ」

「はい!!」

「いや、声が大きいって一色。まあとにかく、変ないい方かもしれないけど、いい選手がいい記録出せるのは選手だけの力じゃないってコト。その辺、気付かない人って多いんだけどね」

「は、はい!!!」

「声、大きいって」

僕が言ったではない。最後の言葉は他校の選手が言ったのだ。ドキッとしてそちらを向くと、小柄の童顔の選手がいた。思わず女子かと見間違う様な肌の綺麗な選手だ。

「西・・・先輩」

一色が表情を険しくする。

よく見れば松梨付属の二年生エースの西隆登だった。その西が「久しぶり、一色」と言った。

一色は「久しぶり・・・ですね」と言うが今度は声が小さい。

「なに?一色と西って知り合い?」

僕が一色に向かって問いかけると、何故か西が答えた。

「中学が同じなんですよ。同じ陸上部でした。僕が三年生エースの時に一色が二年生エースで、よく争ったもんですよ。まあ、負けはしませんでしたけど」

「へえ」

「一色は新人戦には出なかったんですか?」

西に問いかけられ僕は頷いた。すると一色は「西先輩とはどこかでまた戦いたいです」と珍しくやる気のある言葉を吐いた。

西は目を丸くした。そして答える。

「そっか。じゃあいつでも返り打ちに出来る様に頑張るよ」

そうして西はスタートラインへと歩いていった。

 

 

5000mの試合が始まると、一色はいつもよりもはるかに小さい声で染井の応援をしていた。

「西先輩はですね・・・」

「ん?」

応援の合間に一色は聞いてもないのに西との思いをしぼり出した。

「僕の憧れの先輩なんです」

「そう」

「中学の時、何回もタイムトライアルの時に本気で挑んだのに、いつもいつも勝てなくて、結局一度も勝てないまんま卒業しちゃって。悔しくて悔しくて。それが高校に入ってまた会えるなんて・・・」

西と染井を含んだ先頭集団が僕らの前を駆け抜ける。

「だから、今度こそ勝てる様になりたいんです。一度でもいいから」

「わかるけどさ」

「はい?」

「今、西に勝とうってのは置いておきなよ。今はまだ勝てないし」

ひどく冷たい声で言ってみた。

「今、西とかの強豪選手と戦ってるのは染井だ。さっき言ったろ?僕らは染井のサポート役をしてるんだから、染井が全力で走れる様にするんだって」

言われて一色は染井を見た。

染井はというと3000mを通過したところだ。先頭集団につけていて、西と染井、それと数人の選手が固まって走っている。

「自分の事ばっか考えてちゃ駄目だよ一色。さっき言ったでしょ?個人競技って思われてるけど・・・、僕らはチームなんだから」

一色は僕を見てから俯いた。

何かをブツブツ呟いたかと思うと、トラックの方を向いた。

そして通過する染井に向かって、今まで聞いた事の無い様な荒げた声を上げた。

「染井さん、ファイトー!!」

それを見ていて僕は思った。

きっと大丈夫だって。

来年、僕らがいなくなっても、染井とヒロが頑張ってくれる。ヒロは微妙だけど。

そして染井たちがいなくなっても、一色たちがいる。

そうして受け継がれて行くんだ。雪沢先輩が作り上げ、僕らが受け取った陸上部という名のタスキを。

それなら、僕らは僕らの仕事をこなそうじゃないか。

秋の駅伝大会で、僕らの爪痕を残そうじゃないか。

僕はその爪痕のメインメンバーじゃなくたっていい。その爪痕の端っこを手伝えるだけでもいいんだ。

でも、確実に力になろう。後輩たちから「すごい」って言われる爪痕の一端になれる様に。

「なんだかテンションが上がってきた」

僕がそう言うと一色は「僕もです!」と言ってさらなる声援を上げた。

その力が染井にも伝わったか、染井はギリギリ八位で南関東へのキップを手にした。

 

 

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2010年10月28日 (木)

空の下で-虹(3) 最終選考(その1)

十月に入り、少しずつだけど空気が乾燥してきているのがわかった。

肌が乾くとか、湿度計を見たからだとかで判るんじゃあない。走っている時に喉に入ってくる空気の感じでわかるんだ。

「もう、秋だな」

長距離チーム全員でウォーミングアップのジョックをしながら僕は呟いた。

「走りながら感傷的な事を言うなよ」

すぐ隣を走る牧野が吹き出しながら言った。

 

 

この日の練習後、部室でミーティングが開かれた。

長距離チーム全員が狭い部室にぎゅうぎゅう詰めで集合すると、涼しいはずの十月の気候でもやたらと暑さを感じる。

「体育部ってこれだから嫌だよね!」

未華が手で顔を仰ぎながら言うと、早川が「アンタが一番体育会系っぽいよ」と真顔で言った。それを見て笑うくるみ。

この三人はずうっとこんな感じだ。三年間ずうっとそうだった。

そんな三人を慕う一年生の女子はこれまた三人だ。残念ながら二年生は存在しない。

女子は全部で六人だから、五人必要な秋の駅伝大会に出場予定だ。

騒ぎながら待っていると五月先生が部室に入って来た。

「お待たせ」

五月先生は部室内のイスに座るといきなりボヤいた。

「おい、このイス、買ってから四年しかたってないのに、なんでこんなボロボロなんだ」

確かにイスはカバーが破けて中のクッション材が見えている。

「はあ、だから体育部は乱暴とか言われるんだよ」

ため息つくけど全然気落ちしてなさそうな五月先生は声を張り上げた。

「じゃあ、今日の要件を言うぞー!」

騒いでいたメンバー達が静かになる。それを見てから五月先生は話し出す。毎回同じやりとりだ。

「来月の東京高校駅伝大会まで一カ月を切った。そこで、三日後の土曜日に立川の競技場を借りたから、駅伝のメンバー選考を行おうと思う」

「メンバー選考・・・」

大山がゴクリと唾を飲む音がした。

「そうだ。男子も女子も出場枠よりも部員の数の方が多いからな、出場選手と区間、それと補欠メンバーを選ぶためのタイムトライアルを行う」

ふと、くるみの方を見ると、くるみは不安そうな表情をしていた。でも目は先生の話を一言も聞き逃さない様に先生の方に集中している。

「選考方法は土曜のタイム結果と、これまでの試合や練習での適正を加味して先生と牧野と未華で行う。相原、加味って意味はわかってるか」

「は、はい?わ、わかりますよ!」

何故か爆笑するメンバー。なんだっての??

「男子は5000m、女子は3000mで行う。同じ学校内でレギュラー争いみたいな感じで少し嫌かもしれないが、それがスポーツだ。一年に一回の駅伝だから悔いの無い様にな」

話はそこで終わり、それぞれ解散となった。

 

 

僕は牧野と一緒に学校を出た。今日も佐久間屋に寄って、温かいココアを買った。牧野は炭酸飲料だ。

「なんかさ、最近さ、僕ってバカにされてない?」

牧野にそう問いかけると「前からじゃね?」と言われた。

思わず黙り込む僕を見て、牧野は「おいおいー!」と大声を出した。

「英太、お前、なに落ち込んじゃってんの?」

「だってさ、後輩たちまで笑うんだもん」

少しおおげさにため息をつくと牧野は真顔になった。

「いいんだよ、英太はその感じが」

「はあ?」

黙ったまま大通りを駅まで歩く。すっかり暗くなった道にオレンジ色の街灯が点いている。

ちょっと前までは街灯に小さな虫が大量にたかっていたのに、今はほとんどいなくなった。完全に季節が変わったという事だろうか。

多摩境駅に着き、二人で改札を通り抜けホームに移動すると、前の電車が行ったばかりだった。

「英太はさ」

十五分ぶりの会話だ。移動中、お互いずっと何かを考えていた。

「英太はそのままでいいんだよ」

「何でさ」

「オレとか名高とかには無い雰囲気を持ってるから」

「えー?そかなー」

「剛塚とも大山とも違うんだよ。多分、後輩から見ても」

牧野はわざと僕の方を向かないで話している。こういう時の牧野って何か大事な事を言おうとしている時だ。

「英太は、天然じゃん」

前言撤回。牧野はいつだって大した事を言わないヤツだ。

家に帰ってからも何か不安な気持ちがあって、落ち着かなかった。

牧野は何かを言おうとしてくれていたみたいだけど、途中から言うのをやめたみたいだった。

モヤモヤしていた気持ちを忘れたくって、くるみに電話してみた。

「もしもし、英太だけど」

『あ、英太くん。私も今、電話しようとしてた』

声だけでも嬉しいのに、こんな事を言われると一気にテンションが上がる。

「ホント?なんかあった?」

『うん・・・』

ちょっと気落ち気味のくるみの声。何故だかドキリとする。まさか別れを切り出されるんじゃ・・・と。自分に自信の無い僕は、もう何度も何度もそういう風に思ってきてる。

『選考、大丈夫かなって不安なんだ』

「な、なんだそれか」

言ってからヤバイって思う。そんな事かって感じの言い方になってるのに気付いたから。

「くるみなら大丈夫だよ!すごい真面目に練習してるんだもん!」

『さすがポジティブ英太くんですねー』

急に明るい声になるくるみに少しホッとする。

「ナニソレ・・・」

『私、英太くんのそういう前向きな雰囲気って好きだよ』

「え、あ、ほんと?」

ほとんど裏声で答えた。ゴホンと咳払いをして言葉を続ける。

「くるみも前向きで行けば大丈夫だよ。真面目な話、一年生にも早いコいるみたいだけど、それは一年生にしてはって話でさ。くるみは三年間練習してきて、確実に早くなってるもん」

『優しいね』

「あ、どうも」

なんだこりゃ。これカップルの会話かー?

『英太くんって優しいし前向きだよね。みんなから慕われてる理由がわかるよ』

「慕われるかなー」

『慕われてるよ!優しさだけだと大山くんも優しいけどね。英太くんは大山くんとも違う雰囲気があるんだよ。なんていうか、みんなを明るい雰囲気にさせる何かを持ってるんだ』

早口で力説するくるみに僕は驚いた。

『きっと牧野くんとか名高くんとか、みんなそう思ってる。じゃなきゃ山梨まで迎えに行ったりとかしないし』

その話はやめてほしいけど・・・

『だから私も・・・、英太くんと・・・、い、一緒にいたんだし・・・・・・』

急に声が小さくなって僕は笑った。

『な、なんで笑うんですかー。真面目な話をしてるのに』

「ごめん。でも、ありがとう」

何だかモヤモヤしていた気持ちはどこかへ消えていた。

やっぱり僕は僕のままでいいらしい。それに気付かせてくれるのが、くるみだっていうのがまた幸せだった。

そうか、きっと牧野もさっきこういう事を教えてくれようとしていたのかもしれない。

急にやる気が出てきた僕はくるみとの電話を終えてから、気持ちが抑えきれずに軽いジョックをしに外へと飛び出した。

 

 

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