空の下で-虹(11) 一人じゃない
板橋区の空は今日も晴れていた。
小さな白い雲がゆっくりと流れていて、朝の太陽が街を照らしていた。
こんな空の下で走るのか。そう思うと恵まれているなって感じる。
競技生活最後のランが好天になるなんて素敵な事だ。
人によっては雨の中を苦労して走るのが最後になる事だってあるだろうし、そういう最後だと気持ち良く終われるのか不安になる。
幸い今年はこういう天気なので、試合だけに集中して走る事が出来る。
せっかくの条件なんだから、楽しもうと思う。
会場の中心地となる陸上競技場内に入り、バックストレート側の芝生席まで歩く。
早めに到着していた一年生達が五月先生の指導の元、テントやシートを張っていた。
「おはようございます」
僕と牧野が先生に挨拶すると、一年生達が「おはようございます!!」といつもより元気に声を出した。
「おう、相原、牧野。早いな。まだ他の連中は大山しか来てないぞ」
「大山早いですね」
「朝六時に着いたらしい。始発で来たんだとさ。早すぎるよ」
五月先生は苦笑していた。
そこへ見覚えのある白いジャージの男が歩いてきた。
「あ・・・」
堀のある強面の薄眉毛の男。そう、柿沼監督だった。
「柿沼・・・」
五月先生は警戒心をあらわにした声を出した。
柿沼監督は「五月か」と言い立ち止った。
嫌な沈黙が両者に漂う。
「柿沼、なんか用か」
「用?邪魔しに来たんだよ」
柿沼監督の言葉に僕と牧野は一歩後ろに下がった。
この男はこんな日に一体何をしに来たのか。
「また生徒使って邪魔する気か」
五月先生の言葉に柿沼監督は白い歯を出して笑みを浮かべた。スキマのある嫌な歯並びだ。
「よくわかってるじゃねーか五月。今度はこないだみたいな中途半端な邪魔じゃないぜ。オレの生徒も必死だ。全力でお前の邪魔をしてやる」
五月先生が拳を握りしめるのが見えた。
「やるんなら一人でオレのところへ来い。生徒を関わらすな」
「いや、それは無理な相談だな」
「なんだと」
「言っただろ。オレの生徒も必死だと。もうあっちで体を温めだしてる」
「体を温める?」
言われて柿沼監督が向いた方向を僕らも見た。
第3コーナーあたりの芝生席の方だ。
柿沼監督率いる稲城林業の選手達がストレッチなどをしているのが確認できる。
「あいつらが稲城林業の駅伝チームだ。五島林をリーダーに必死こいて今日まで練習してきたんだぜ。あいつらがお前ら多摩境高校を上回って活躍してやるよ」
「な、なに?」
柿沼監督は稲城林業の選手達の方へと歩き出した。
「ま、待て柿沼」
柿沼監督は振り返らずに立ち止った。
「五月。オレも少しどうかしてた。オレとお前の決着はサシで何かを懸けてやろう。今は同業者として駅伝チームとしてお前と戦う。新しく入った指導者がけっこうよくてな、五島も他のメンバーもかなり凄くなってきたぜ」
そう言って柿沼監督は立ち去った。
「あいつ・・・」
五月先生は柿沼監督の背中を見送っていた。
「ガラでも無い事をやりだしたな・・・」
それから三十分もすると、多摩境高校の選手も全員が姿を現した。
名高はいつもと同じ様にウォークマンで音楽を聴きながら登場し、「おはようございます」とボソリと言ってシートに腰を降ろした。
剛塚はやたらと大きなドラムバッグを持って現れ、ドサリという音を立ててカバンを置き、「ウィス」と言った。
大山はトイレに行っていたらしく「あーすっきり」という何ともしまりのない言葉を口にしてバナナを食べだした。
染井とヒロは一緒に現れて、染井が「おはようございます」と淡々と言ったのに対しヒロが「バカ、もっと気合い入れた挨拶しろよ!」と息巻いた。
いつも通りの光景だった。
いつもの試合と変わらない光景。
でもこれを見るのはこれが最後なんだと思うと不思議な気がした。
いつまでも、いつまでも、こんな時間が続いて行くのかと思ってた。
牧野がいて、名高がいて、大山、剛塚、染井、ヒロ、一色がいて、五月先生の号令でみんなが走りだす。
そんな事が当たり前で、何の疑いも無い出来事で、ずっと続いていくかの様に思っていた。
それが今日で終わる。そんな事実が不思議だし、信じられなかった。
「おっはよ!!」
急に後ろから背中をドンと叩かれた。
振り返ると未華がいて、その横にくるみと早川もいた。
「いよいよだね」
くるみがそう言うので僕は頷いた。
「あー、ラブラブー」
未華が嫌な声でそう言うので顔が熱くなった。
「ラブとか言うな、俺の前で」
五月先生がよくわからない注意をし「よしでは集合ー」とみんなを集めた。
五月先生を中心に長距離メンバーが輪を描く様に丸く集まる。
「えーでは、今日は東京都高校駅伝大会の二日目、男子の部だ。競技開始は午前十時。今はえーと、何時だ牧野」
「八時過ぎです」
「あと二時間くらいだな。走る予定の七人は自分の出番の時間を計算して、きちんとしたタイミングで体を温める様に。それと、いつもの試合もそうだが駅伝はチームプレーだ。サポート係もちゃんと動ける様にシュミレーションを怠らない様に。七人だけじゃ出来ないからな。大丈夫か?」
「はい!!」
全員が声をそろえる。
「目指すは関東大会。今のチームなら無理な話じゃあ無いと思う。もし行ければもちろん多摩境高校初となる快挙だし、多摩地区だけじゃなく東京全体としても強豪高校の仲間入りという事になる」
五月先生は間を開けて僕らをゆっくりと見回した。
「お前らは一人じゃない」
よくわからない言葉だったけど、僕らは「はい」と返事をした。
「一人でここまで育ったんじゃない。みんながいたから、ここまで来れたんだ。この中の誰か一人でも欠けていたら、これほどのチームにはならなかったと思う」
僕らは黙って聞いていた。五月先生がこんなに神妙な声を出す事はあまり無かったから。
「お前らは虹なんだ」
「さむ!!」
未華が叫び、牧野が叩いた。五月先生が「さむい?マジで?」と笑った。
この場にいる全員が苦笑した。なんだこれ、変な部だよ。
「とにかくなんだ。ほら、虹って七色あるだろ?レインボーカラーだ」
「はあ」
「今日出るのも七人。七人が全員それぞれの色だ」
「はあ」
「でもな、知ってるか?虹って色と色の間に、その中間色が入ってるんだ。その目立たない色があるからこそ、目立つ七色が引き立つ」
五月先生は一色や、一年生達を見た。
「試合に出るのは七人だ。でもな、お前ら補欠メンバーやサポート係が、その中間色の役割をしないと、綺麗な虹は出来ない。だから俺達は一つのチームなんだ」
五月先生はもう一度全員を見まわした。
「全員で多摩境高校駅伝チームという綺麗な虹を作るんだ。そうすればきっと、まだ見えない景色にも辿り着ける」
そう言って「牧野!」と叫んだ。
牧野は「円陣組むぞ!」と言う。
全員が肩を組み合い、野球部がよくやる様な円陣を組んだ。
その輪には五月先生も入り、一色も一年生も未華もくるみも早川も女子一年生も入った。
「ちょっと待ったー」
気合いを入れて牧野が叫ぼうとしたところに、誰かが走って来た。
「いやー、間に合った。先生、みんな!オレもその円陣に入ってもいいですか!」
それは天野たくみだった。
一年生の途中で長距離から中距離へと転向した天野たくみだ。
「いいでしょ?何回も長距離の試合を手伝ったんだからさー」
鼻のところにあるホクロをポリポリとイジリながら口を尖らす。
「仕方無いな。せっかくここまで来たんだから・・・。じゃあ入れ」
たくみは嬉しそうに円陣に加わった。
牧野が大声を出す。
「よしじゃあ行くぞ!多摩境高校ーーー!!ファイッ!!」
「おお!!!」
男子も女子も選手も補欠もみんが全力で声を張り上げた。
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