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2010年12月 2日 (木)

空の下で-虹(13) 名高涼

ウォークマンを一色に渡してからも、名高の頭の中には、いつもの曲が流れていた。

最初は歌詞が好きで聞いていたロックナンバーだった。

『息絶えるまで走り続けろ』

ヒットチャートなどを賑わす事などないであろう、耳が痛くなる様な、全編深いディストーションを使いまくったエッジの聴いたエレキギターをメインとした曲だ。

その中で、サビの頭で必ず歌われる歌詞が『息絶えるまで走り続けろ』というものだった。

いつもいつも試合や大事な練習の前には聴いていたのだけど、いつの間にかその曲のリズム感も必要になっていった。

この曲を聴いた後のテンションとリズム感が、試合の時に名高に最高の気持ちにさせてくれるのだ。

だから今日も直前まで聴いていた。

僕と牧野と別れてからも名高の気持ちは高まり続け、最終点呼で一色に着ていたジャージを渡した時にはすでに最高潮になっていた。

「じゃあ行ってくる。よく見てろよ一色。いつかお前の役に立つかもしれないからな」

「は、はい」

虹色の中間色として働くと決意した一色だったけど、この時は名高を見て「試合に出たい」という気持ちが蘇ったという。

名高は115人いる一区の出場者の中に飛び込んだ。

左右を見ると知らない選手しかいなかった。

「全員エースか。面白いな」

不敵な笑みを浮かべ、スタートの合図を待つ。

やがて、始まるというアナウンスが流れ、係員が台座に立ち、ピストルを上に向けた。

名高は自分がこれまでにもなく集中力が研ぎ澄まされるのを感じていた。

今なら誰かの心臓の音でさえ聞こえそうだ。そんな感覚。

前方を見ると、テレビカメラを肩にかかえた係員がいる事に気付いた。

係員の胸元にはケーブルテレビの会社名が刻まれている。

へえ、中継でもするのかな。

一瞬だった。

名高の集中がそっちへ傾いたのは時間にして一秒も無かったはずだ。

だが、その瞬間にピストルは鳴り響いた。

一斉に115人が走りだし、それに気付いてから名高はスタートを切った。

あっという間に目の前には選手達で壁が出来てしまい、名高は先頭に出る事が出来なかった。

「ち」

少し走れば集団が乱れてスキマが出来る。それまでは我慢するしかない。

再び集中力が研ぎ澄まされる。

スキマが出来た瞬間に先頭を追う。秋津だろうが赤沢だろうが五島だろうが追いつく。

そうやって集中していたからかもしれない。

わざとらしく名高の前に現れた足に気付いたのだ。

引っ掛けて転ばさせようと右から出てきたその足をジャンプしてかわして足の持ち主を見た。

それは落川学園の向井という選手だった。

卑劣な作戦に失敗した向井は、しかし動揺する気配も無かった。

慣れているのだと名高は思った。

こいつは今まで人と接触して試合の番狂わせを何度も作って来た男だ。

失敗したって動揺するヤツじゃあないんだ。

去年の秋の試合で、向井のものと思われる妨害行為で、名高は足を怪我した経験がある。

だから名高も動揺なんてしなかった。

二度もそんな手を食うか。卑劣なヤツに二度も負けるか。

それから数十秒して、前にスキマが出来た。

そこを名高は逃さずに一気に前へと進む。

しかし後ろを向井がへばり付く様に追ってくる気配があった。

「こいつ・・・卑劣なだけじゃないのか」

スキマをかいくぐり、大集団の一番前へと進むと、すでに1キロの標識が見えていた。

大集団の少し前に見慣れた連中を含めた7、8人の先頭集団が存在していた。

このまま追うために一歩前に出たところで、向井がさらなる速度で先頭を追った。

「まさか」

向井というのはそれほどの実力者なのか?

それともまさか、先頭集団に意地でも追いつき、そこで波乱を起こす気なのか・・・。

どちらかはわからないが、名高は向井の後ろを追った。

少しずつ先頭集団に近づくが、ここで向井は追いつくペースをやめて、先頭集団と後ろの第二集団の中間に陣取った。

「・・・?」

思わず名高も向井の横につくが、その意図がわからなかった。

2キロの通過タイムは想定の時間より三秒遅かった。

確かにこのペースでもいずれは先頭に追いつけるのかもしれないが・・・

その時、未華の叫ぶ声が聞こえた。

「名高ー!なに中途半端な位置走ってんだー!らしくないぞ!!」

沿道のどこかに未華がいたのだ。一年生女子の「名高先輩ファイトー!」という声も聞こえる。

らしくない・・・か。確かに。さすが未華だ。

よく見れば並走する向井は苦しそうな表情をしている。

先頭に追いついて何かしようとしたけど、追いつけずにいる。それだけだ。

名高はほんの少しペースを上げて先頭を追った。

向井は予想通り、着いてくる事は無かった。

前から落ちて来た選手を一人抜き、6人となっていた先頭集団に追いついた。

「はあ・・・はあ・・・」

前半から追い上げるのはかなり体力消耗になった。息が上がりつつも集団のメンツを見る。

秋津伸吾、相良勇、それにインターハイ東京都大会で活躍していた平和島第二高校の伊坂広太郎もいる。後二人は知らない顔だ。

そんな中で秋津と目が合った。首の動きで前を見ろというそぶりをする。

何かと思うと、この集団より50mほど前に、まだ選手が二人いた。

その二人は後ろ姿だけで誰だかわかった。

稲城林業の怪物・五島林と、松梨付属のエース赤沢智だ。

ギクリとした。

まさか五島が以前と同様の力を取り戻し、さらに赤沢がそれを追える力を身につけたのか?

しかし未華のさっきの言葉通り、オレらしく行こうと決意する。

あの二人は早すぎる。ここはじっくり秋津と勝負だ・・・と。

 

何キロ走っても声援は止まずに沿道から続いた。

右へ曲がり、左へ曲がり、長い直線を走っても沿道には応援する人がチラホラといるのだ。

時折、多摩境高校のメンバーの声も聞こえた。

そういう状況は変わらなくてもいい。しかし、試合の展開も一向に変わらなかった。

先頭集団は一人も減らないし、前の二人も相変わらず50mほど前だ。

すでに7キロを過ぎていて、変わったのは自分の体力が減った事くらいだ。

「はあ、はあ!!」

すぐ横や前にいる秋津や相良たちも息を切らしてはいるが、まだ落ちる感じはしない。

それどころか他の伊坂や知らない二人でさえ食らいついてくる。

神経戦だ・・・と思った。

いずれどこかで誰かがしかける。それが誰で、どのタイミングか・・・

五島と赤沢が7、8秒も前にいるので、残り1キロまで待つと厳しい。それよりも手前で勝負がある。

というか・・・。

名高は一人で吹き出した。

今、オレが作っちまおう。

もうすぐ残り2キロの地点だ。そんなに悪いタイミングじゃあ無い。

名高は集団の一歩左に出た。

そして前へ前へと進んだ。

「はあ!!はあ!!く・・・」

思ったより厳しいかもしれない。そう思うほど息が切れていた。

少しして後ろを振り向くと、着いてきたのは秋津と相良と伊坂の三人だった。

前方から急激に五島林が落ちて来た。

表情も苦しそうだし、やはり完全復帰とはいかなかったみたいだ。

五島はそのまま後方へと消えて行く。

名高たちは先頭の赤沢を追う。

この時点で残り1キロは切っていた。

松梨の赤沢智を先頭に、5秒後ろに名高、秋津、相良、伊坂が固まって追う。

「すげえ!!」

名高は高揚感が抑えきれなかった。

こんな凄いメンバーで競い合うなんて夢みたいだ。惜しくも五島は完全調子じゃなくていないけど、これは正に東京の頂点を決める展開だ。

残り800mくらいでついに赤沢に集団が追いついた。

赤沢は必死な表情だ。しかしそれは全員がそうだった。

チームのため、自分のため、全員が持っているモノを惜しみなく全力で出していた。

そこから伊坂が遅れだした。

自分は遅れまいと残り四人も体に残る全ての体力、気力を振り絞る。

信じられない事に、さらに早さが上がる。

「こ、この・・・」

赤沢が遅れだす。というより名高と秋津と相良が早くなる。

しかし試合はまだ500m以上残っている。

この早さがそんなに持続するのか、名高は不安を感じながらも遅れない様に歯を食いしばった。

苦しい。

苦しい。

苦しいしか感じない。

秋津と相良はまだ遅れない。

なんてヤツらだ。信じられない。

くそったれが!!

もう腕も足も息も限界だぞ!!

息・・・?

くそ!息絶えるまで走るんじゃなかったのか!!

走ってやる!意識が続く限り!!

相良が後ろに下がりだした。

秋津!!また秋津伸吾か!!

いつもいつもオレの前を走りやがってこの野郎!!

最後に・・・

最後にこのオレが勝って繋いでやる!!

チラっと秋津を見ると、秋津も名高を見たところだった。

すぐに二人は前を見る。中継所まではもう100mも無かった。

名高と秋津は並走したまま走る。

全く横並び、ほんの少しでも名高も秋津も前に出る事は出来なかった。

二区を走る染井と、葉桜高校の選手が見えたので、名高と秋津はタスキを肩からはずす。

全く譲らず。

そして二人は完全な同着で二区へとタスキを渡した。

それは名高が初めて秋津に「負けなかった」試合になった。

二人はそのまま道路の端で倒れこんだ。

「はあ!!はあ!!く・・・!!染井ーー!!頼むぞ!!」

名高の叫びは擦れて声になっていなかった。

隣に倒れこんだ秋津は息切れしたまま名高を見た。

「はあ!!はあ!!」

互いの高校のサポート係が二人に走り寄る。

「大丈夫かー!!名高!!」

「秋津先輩!!おつかれっす!!」

呼びかけの中、名高と秋津は上半身だけをムクリと起こして見つめあった。

「はあ!!はあ!!あ、秋津・・・」

「はあ!!はあ!!・・・な、名高・・・」

やや間が合って、秋津は握手を求めた。

「名高・・・、最後が同着だなんて・・・」

名高は握手に応える。

「・・・大学で・・・、また続きだな」

名高と秋津は息切れしながら笑いあい、互いのチームの仲間に支えられて中継所を後にした。

 

 

一区通過順位

1・2位同着 多摩境高校(名高涼)・葉桜高校(秋津伸吾)

3位 葛西臨海高校(相良勇)

4位 平和島第二高校(伊坂広太郎)

5位 松梨大学付属高校(赤沢智)

8位 稲城林業高校(五島林)

18位 落川学園高校(向井)

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