空の下で-虹(15) 大山陸
「りく君、まだ終わらないのー?」
「先生ー、りく君がまた問題を解けないみたいなんですけど、先に帰っちゃっていいですかー」
大山が小学校五年生の時の話だ。
その日最後の授業が算数で、プリントで配られた問題を全部解いたら、そこでもう解散という状態になっていた。
けれど大山は算数が得意じゃなかった。
考えても考えても問題が解けずにいて、他のクラスメイトは次々と帰って行ってしまった。
そんな大山に担任の先生はこう言った。
「りく君、わかんなかったら宿題にするから、お家で頑張ってきなさい。もう暗くなる時間だから」
大山は問題が解けない自分が悔しくて悔しくてボロボロと涙を流した。プリントに落ちて、計算問題が滲んでゆく。
算数だけじゃなかった。国語の漢字テストだろうと、社会の歴史だろうと、理科だろうと、体育だろうと、何にも得意な科目は無くて、どの授業でも遅れをとっていた。
「どんくさい白ブタだよ」
太っていて、それでいて色白だった大山は小学五年から中学三年まで「白ブタ」と罵られて生きていた。
そう、ただ生きているだけだった。
目標なんか無いし、趣味なんか無いし、そんな自分が恋なんかしたら相手の女子に迷惑だと思ってたから恋愛だってしなかった。
中学になってもみんなから遅れをとり、クラス中から笑われた。
不良グループには目をつけられて、トイレで殴られたり、荷物を家まで届けさせられたりした。
その中のリーダー格だった剛塚に言われた。
「お前、使いやすい」
大山はどんな事柄でも途中で投げ出す事はしなかった。
出来ない勉強でも、家で深夜までとりかかっていた。しかし答えは合ってなかった。
不良グループに言われてやっていた事も、律儀にこなしていた。
そんな日々を耐え抜き、いつしか剛塚も「もうイジメはやめた」などと言いだした。
そうして高校に入ると、状況は一変した。
太った男はイジメられると思い、なんとなくダイエット目的で入部した陸上部にのめり込んだ。
走るというシンプルでいて奥が深い行為に、大山はやりがいを見つけ出したのだ。
自分には数学だとか複雑な事は無理だ。でも、これなら出来るかもしれない。
剛塚とも和解したし、僕や牧野とも仲良くなった。
後輩が出来た時は挫けそうになった時もあった様子だけど、ついに大山はこの最後の駅伝大会まで辿り着いたんだ。
それも、三区の8000mという長丁場を任せられた。
短い距離のスピード戦より、長い距離でじっくりやる方が向いてるという五月先生の判断だけれど、大山はこれ以上の光栄は無いと感じて走りだした。
そのタスキは信じられない程の好順位でやってきた。
115チーム中、4位。染井がびゅんびゅんと飛ばしてやってきて、あれよあれよという間に大山はスタートを切った。
少し前には松梨付属の三区、駿河一海が走っているのが見えた。
彼は屈強な漁師の長男で、弟の二海と一緒に松梨の主力の選手だ。
ゴツイ坊主頭が印象的な男で、その坊主頭にハチマキを巻いていた。
自分のすぐ前が駿河一海だと気づいて、大山はすぐさま追うのをやめて自分のペースを守った。
「ふう」
・・・どうせ駿河の方が遥かに格上だよな。無理して追って失速するよりも、ボクは確実に繋ぐ事に専念するんだ。
きっとボクや剛塚やヒロは、順位を上げる事は期待されていない。
出来るだけ落ちないでキチンと後半の選手に繋ぐんだ。
確実に、確実に。
遅い選手のさらなる失速は許されないぞ!
「後半の牧野くんと英太くんに繋ぐんだ」
大山は必要以上のペースを出す事なく、自分が出した事のあるベストタイムを想定してペース配分をしていた。
計算は苦手だ。だから単純に8キロのベストタイムを8で割って、1キロのラップタイムを出し、その時間通りに走る。
前半抑えるとか、そういうややこしい作戦は立てない。
ずっと同じペースを守るのだ。
しかし他のチームにはそんな事は関係ない。
4位という順位は強豪高校がひしめく好順位だ。
次々と有名高校が大山を抜き去って行く。
一人、また一人、そして二人同時に。
「動揺しちゃだめだ」
口に出して自分の任務を確認する。
「確実に確実に。ボクのベスト出すペースで確実に確実に」
それでも走れば走るほどに順位が下がって行く。
焦る気持ちは生まれなかった。
ただ沸き起こるのは悔しい思いだけだ。
もっとボクが早ければ!
もっと、もっと、チームの格になれる様な力がボクにあれば・・・!
名高くん、英太くん、牧野くんとかの迷惑にならない程の力さえあれば・・・!
「はあ・・・!!はあ・・・!!」
残念ながら大山には長距離選手として上に行く実力は無かった。
人には向き不向きは絶対にあるし、素質というものも絶対にある。
名高の様な素質は、一握りの人だけが持つモノだ。
大山は誰よりも努力してきたけど、努力だけではどうにもならないものが世の中にはある。
でも、名高も牧野も僕も誰も、大山を否定なんかしてないし、迷惑だなんて思った事は無い。
いや、それよりも、大山がいなかったら、今の多摩境高校長距離チームがあるのかどうかさえ疑問だ。
少なくとも、大山がいたからこそ、僕や剛塚やヒロが生き残っているという事実があるし、チーム内の雰囲気が悪くならなかったという事もある。
だから、誰も大山を迷惑だなんて思ってない。
思ってないのに大山は悔しい思いでいっぱいになりながら、それでもペースを乱さないで走り続けた。
「はあ!!はあ!!」
もうだいぶ走って来た。残りは2キロといったところだ。
さっきから並走して走る選手がいる。
葉桜高校の選手だ。名前は知らないけど、去年の夏の合同合宿で見た事のある顔だ。
その選手も苦しい表情を浮かべながら息を切らし、必死で大山に食らいついていた。
もう順位も15位くらいまでは下がってきた。
こんな注目もされない順位で、名も無い選手同士が張り合っているんだ。
「はあ!!はあ!!・・・そ、そうか!」
体力の限界が近づく中で、大山は悟った。
注目されてなかろうが、名前を知られてなかろうが、そんな事は関係ないんだと。
今ここで全力で走っている、その事自体が大事な事なんだと。
この葉桜高校の選手だって、きっと色んな出来事を越えてここにいるんだ。
東京トップクラスの秋津伸吾がいるのに、葉桜というチームは他に有力選手がいなくて注目されていない。
そういう葛藤の中でも、この人だって全力だ。
だったらボクだって同じだ。
名高という秋津クラスの選手と染井が繋いだタスキを出来る限りの力で次へと繋ぐんだ。
きっと剛塚もヒロもそういう気持ちで後半に繋いでくれる。
そうすれば最後には牧野くんと英太くんがいる。
あの二人なら、松梨にも追いつける。関東にも連れていってくれる。
「絶対に・・・繋ぐんだ」
残り1キロの時点で、葉桜高校の選手は大山から遅れていった。
そこからは誰に抜かれる事もなく、大山は進んだ。
中継所が見えてくると、その中心に剛塚がドッシリと構えているのがわかった。
声が聞こえるくらいに近づくと、剛塚は突然叫んだ。
「来い!大山!!」
大山はタスキを肩からはずし、剛塚の手のひらに渡した。
握手の様な感じがした。
「ナイスラン!!続きは任せろ!!」
剛塚は力強く叫び走りだした。
後ろ姿を見送ってから大山は座り込んだ。
「はあ!!はあ!!」
ややあって、サポートのたくみがやってきた。
「大山!!」
しかし大山は顔を向けなかった。
「すげえな大山!!最後にベスト更新してたぞ!」
大山は体育座りしたまま剛塚の走って行った方向を見ていた。
「役に、立てたかな」
ボソリと言った言葉にたくみは素直な気持ちを返した。
「おまえ、カッコよかったよ」
生まれて初めて言われた言葉に、大山は「ホント?」と満面の笑みを見せた。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
やり尽くした人にだけ浮かぶ、満足の涙が。
3区通過順位
1位 葛西臨海高校
2位 平和島第二高校
3位 松梨大学付属高校(駿河一海)
13位 稲城林業高校
15位 多摩境高校(大山陸)
17位 葉桜高校
18位 落川学園高校
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