空の下で-虹(18) 牧野清一
「部長をナメんじゃねーぞ」
六区の5キロを走りだしてすぐに目の前にいた四人の選手を追い抜いた。
想像以上にヒロが粘りをみせたおかげで、前の前に広がる長い直線道路には何人もの選手が見えていた。
「見えるヤツ、全員抜かすか」
牧野は燃えた。
ここは部長・牧野清一の見せどころだと確信した。
だが牧野と同じ様に四人を一気に抜かして並走してきた男がいた。
それは松梨大学付属高校の駿河二海(ふたうみ)だった。
ゴツイ輪郭の坊主頭がいかにも体育会系の雰囲気を醸し出している。
その駿河が牧野より前へ出ようとするので、牧野はそれを許さずに並走した。
少しペースが早いと感じたが、ここで松梨を追って行けば順位を上げて関東への道も見えそうな気がしたので、駿河を逃さなかった。
その駿河には焦りがあった。
松梨付属は四区までは三位で繋いでいて、もう関東進出は確実な情勢かと思えた。
それが五区の一年生がまさかの失速。急転直下の16位でのタスキとなった。
関東進出は八位内だ。強豪と言われる松梨付属にとっては、かつてない危機的状況に陥った形だ。
何としても八位以上に浮上しなければならない。最終七区が香澄圭だとしても、少しでも状況を良くしなければ・・・。
そういう危機感が駿河には・・・、いや、状況を知らされた松梨付属のメンバーにはあった。
それもそのはず、松梨付属は12年連続で関東進出を果たしているのだ。
駿河は一気に前へと急ぐが、それについてきたのが牧野だった。
「誰だこいつ・・・」
「部長だ!二年生がタメ口聞くな!」
試合中だというのに口を開く二人。その声に反応して、すぐ前を走る選手が振り向いた。
その顔に、牧野は「む・・・」と呟いた。見覚えのある顔だ。
「内村一志・・・」
僕や牧野と同じ中学だった葉桜高校の内村一志だ。いつの間にか葉桜高校に抜かれていたらしい。
「牧野」
内村はすぐに前を向いた。
牧野と内村は中学の時、同じく陸上部に所属していた。
いわば長年のライバルだったのかもしれない。
その辺のいきさつを牧野はあまり語っていないから知らないけど、牧野はすぐに内村の横まで進んだ。駿河もついてくる。
牧野、駿河、内村と並んで走る時間が続いた。
三人は次々と他の学校の選手を抜き去って行く。
途中、地元で名の通った分倍河原商業という高校の選手を抜いた。
駅伝で、あの分倍河原商業を抜くなんて・・・オレ達すげえじゃん。という気持ちになった。
気付くと内村が数秒遅れた位置に後退していた。
必死な表情で追っては来るが、ほんの少しずつ離れて行く。
「牧野ー!!」
「ファイトー!!!牧野さーん!!」
突如、右側の沿道から数人の声援が聞こえた。
たくみと一年生女子二人が声を張り上げているのが見えた。
いつものクセで手を振り上げる。
その一瞬のスキを見て駿河が前へ出た。
「こ、ここでスパート?」
まだ残りは二キロ以上ある。こんな手前でスパートをかけるなんて意外だった。
駿河の後ろにピタリとつけるが、かなりのペースに牧野は必死になった。
「こいつ・・・、早い!!」
口の中でブツブツと呟きながら駿河を追う。
早くて当たり前だ。松梨付属ではナンバー5の実力者だ。しかもトップ4は赤沢智、香澄圭、駿河一海、西隆登と、名の通った選手ばかりだ。
「こちとら多摩境ナンバー2だっつーの!」
ブンブンと腕を振り、駿河を追いかける。
「ぜってー離さない」
そんな牧野の思いは1キロと持たなかった。
駿河の背中を次第に離れて行く。
「こなくそ!!」
追いたい気持ちばかりが先行して、フォームも乱れていた。
息切れも酷い。
これはマズイと感じた。
これでは六区が終わった時点で八位内になっていない。
オレが部長として、責任持って八位にまで浮上させなければ・・・。
今は?今は何位だ。十二位くらいか?
オレが何とかしなければ・・・
打倒松梨を掲げたのは・・・、関東進出を宣言したのは・・・、このオレなのだから!!
「く・・・そお・・・」
駿河の背中は遠ざかり、それでも牧野は歯を食いしばった。
残りは1キロといったところだ。前には駿河の他にも二人ほど背中が見える。そのうちの片方は落川学園の様だ。
「ぜってー、ぜってーに!!」
その時、周囲の歓声をかき消すかの様な大声が響いた。
未華の声だ。
「チカラ入り過ぎてんぞコラー!!」
思わず声の方に目をやると、未華が沿道から乗り出す様な格好で何かを叫び続けていた。
「み、か」
もう手を振っている余裕は無かった。すぐに前を向き、歯を食いしばる。
その牧野の背中に未華の言葉が届いた。
「これは団体戦だろう!!」
その言葉が牧野の脳に達し、意味が理解されるまで、少しの時間が必要だった。
・・・団体戦・・・だよ?
知ってるよそんな事。
だから部長のオレが気合い入れて走って、最高の順位で最終の英太に繋ぐんだ。
今さら未華に言われなくたって大丈夫だよ。部長の責任の重さは痛いくらい知ってるよ。
部長として、チームのリーダーとして、何としてもオレが起死回生の展開を起こすんだ。
そうすれば英太だって楽できるし、関東への可能性はグッと高まる。
だからオレが、だからオレがここで何とか逆転劇を!!
・・・オレが?
オレがオレがって・・・
オレ一人で逆転劇なんかやってどうすんだ?
多摩境高校っていうチームが逆転しなくちゃ意味ないんじゃないっけ?
最高の順位で英太に繋ぐのは当たり前の目標だとしても・・・
オレの区間だけで八位に絶対入らなくちゃいけないわけじゃあ無いんじゃないか?
これまでの五人が必死で繋いできたこのタスキは、オレの中継順位ではなくて、最後の最後の順位を目指して運ぶものだったんじゃなかったか?
みんな、次の区間の選手を信じて繋いできたんだ。
オレも次の英太を信じて走り抜ければいいんじゃないか?
オレはオレで、今出来る最高の走りを見せれば、この区間で八位を目指す事は無い。
きっと、最後に英太がさらなる順位に上げてくれるはずだ。
あいつなら、あいつならきっとやってくれる。そういうヤツだ。
それなら・・・
それなら無理にこの区間で八位を目指す必要はない。
自分の中で最高最大、そして最強の走りをすれば、八位に届かなくても、英太がきっとやってくれる。
「はあ、はあ、だ、第一・・・」
第一なんだこの乱れ切ったフォームは。
こんなヤケクソな走り方でいい結果が出るわけがない!
後少し、後少しの距離を繋げばいいんだ。無駄な力を抜け!!
「ふうー」
牧野は一度だけ大きく息を吐いた。
その時は、力を抜き両手をブラリと下げた。
そしてすぐにフォームを立て直す。
腕の振りと足の運びは、五月先生の元で徹底的に教えられた。
例え試合中だろうとも、記録更新よりもフォームを優先するほどに。
その教えを頭で思い出して、いつもの牧野のフォームに戻る。
すると体が軽くなるのと同時に一歩一歩の距離も長くとれてる気がした。
「まだ、いける」
決して楽になったわけでもないし、体力が戻って来たわけでもなかった。
ただ、同じ体力の消耗で、さっきまでとは違う推進力を得た。
ひどい疲労の中で、何故か風が気持ち良く感じた。
かつて、これほどの気持ち良さの中で走った試合があっただろうか。
「さすがだ」
牧野は自分の凄さではなく、未華の凄さを思い知っていた。
ホントは、あいつが部長の方が良かったのかも。
一瞬笑みをこぼしてから牧野はひたすら進む。
せっかく直したフォームも、距離が進むにつれ段々と乱れて行く。
しかし一度ついた勢いは止まらなかった。
一人の選手を抜き、そしてついに駿河二海に並んだのだ。
残り400mというところで追いついたのだが、駿河はすでにペースを落とし出していた。
最初に感じた通り、少し早すぎるペースだったのだ。
ほんの数秒、牧野は駿河の左で並走した。
声をあげながら呼吸をし、アゴが上がり切っている駿河を見て、牧野はすぐに駿河の前へ出た。
追ってくるかと思ったが、駿河はあっという間に後方へと消えていった。
しかし牧野だってもう限界だった。
足がもつれそうになる瞬間が何度かあった。
それでもまだ進めるのは、中継地点が見えてきたからだ。
目の前には落川学園の黒いユニフォーム姿があったが、それよりも中継地点にいる僕の姿に集中していた。
「え・い・た!」
見えた!!見えたぞ英太!!
「う、お、おおお!!」
オレもアゴが上がっていた!!ラストスパートだ、前傾姿勢だ!!腕を振れ!!足を出せ!!
どけ落川学園!!お前らになんて用は無い!!
あるのは英太だ!英太に繋ぐ事だ!!
「おおおおお」
牧野は声を出して走る。
瞬間、牧野の脳裏に、僕との想い出が色々と浮かんだ。
中学の頃、そして高校入学してから一緒に走った景色。
しかしすぐにそれは忘れ去られた。そんな事を思い出していた事実さえ忘れた。
タスキをはずし、右手で握りしめる。
全ての想いを右手に込め、次に叫んだ。
「英太ーー!!!」
両手でタスキを横に広げる様に伸ばして持ち、その真ん中を僕がしっかりと受け取った。
僕はすぐに前方を向き、ついに走りだす。
その背中に牧野がさらなる叫びをぶつけてきた。
「行けえーー!!!」
「おお!!」
僕は前を向いたまま大声で返事をし、タスキを肩からかけた。
六区通過順位
1位 葛西臨海高校
2位 平和島第二高校
9位 落川学園高校
10位 多摩境高校(牧野清一)
11位 松梨大学付属高校(駿河二海)
14位 葉桜高校(内村一志)
31位 稲城林業高校
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント