3-2.空の下で-風

2010年3月18日 (木)

空の下で-風(1) 旅立ちの日に「前編」

その日、家の玄関を出ると、不思議な感覚に襲われた。

いつもと何か違う空気が辺りに漂っていたんだ。

それが何なのか?すぐにわかった。

「春だ・・・」

思わず呟いてしまうくらい、昨日までとは違う空気が流れていたんだ。

暖かくて懐かしい匂いの風が吹いている。

つい先週まで雪が降っていたのが嘘の様な日差しが僕を照らしていた。

「ちょっと、何ぼーっとしてんの。遅刻するわよ」

開けっぱなしの玄関の中から母親が白けた口調で言った。

「今、行くってば」

「ちゃんとしなさいよ英太。今日は先輩の卒業式でしょ」

「うん、そうだよね。ちゃんとしてくる」

僕は玄関をほったらかして駆けだした。

そうだ。今日、三月五日は、多摩境高校では卒業式が行われる日だ。

 

 

空の下で 3rd season-2

風の部

 

校門には見慣れない立て看板が置かれていた。

『平成○○年度 東京都立多摩境高等学校 卒業式』

達筆な字で堂々と書かれているが、端の方に誰かのイタズラで『おめでと~♡』とピンクで書かれていた。

式には僕ら二年生も出席する。在校生からの挨拶と、送る合唱、吹奏学部の演奏が予定されているのだ。

「おう、相原じゃねーか」

校門から校舎へと歩いていると、前にいた男子生徒の集団からのうちの一人が声をかけてきた。

少し痩せた体型で坊主頭が特徴の男だ。

「あ、穴川先輩。久しぶりです」

去年まで陸上部で一緒に走っていた穴川先輩だった。

東京高校駅伝で引退してから、穴川先輩に会うのは初めてだった。

前よりか少しふっくらとした気がする。やっぱり走るのをやめてお肉がついたみたいだ。

「久しぶりだな相原。まだちゃんと走ってるか?」

「もちろんです。牧野が部長になったから任せておけませんし」

「おおー、言う様になったな」

穴川先輩は楽しそうに笑った。

でもすぐに真顔になった。思わずドキリとする。

「オレは相原達に任せたからな。完全に」

「え?は、はい」

「頼むぜ。陸上部を」

いつになく真剣な目でそう言われ、僕は目を逸らしそうになったけど、何とか耐えて返事をした。

「はい!」

それを聞くと穴川先輩は遠くを見た。どうやら校庭の方を見ているらしい。

「オレはさ。あんまりいい先輩じゃあ無かったからな。偉そうな事は言えないんだけどよ」

「そんな事無いです。穴川先輩のおかげで必死になった時もあります」

「お前、社交辞令うまくなるよ」

「は、はあ・・・」

「まあとにかくだ。引退したオレが思うんだけどよ。いい場所だったよ、陸上部って。そんな陸上部がよ、ずっと続いていくようによ、まあなんだ、逃げずに頑張ってくれよ」

穴川先輩は校庭の方を見たまま話していた。

まるで、校庭で走っていた昔の自分を見ているかの様だ。

「穴川先輩は卒業してどうするんでしたっけ」

「家業を継ぐ」

「家業?工場とかでしたっけ」

「寿司屋だ、寿司屋。どっから工場の話が出てきたんだよ。築地直送の穴川寿司ってんだよ。調布駅から歩いて行けるからよ。いつか来てくれよ。タマゴくらいタダにしてやるから」

「タマゴだけですかー」

僕と穴川先輩はそこで笑い会った。

「じゃあな、お前に会えてよかったぜ」

そう言って穴川先輩は僕の肩をポンと叩き、仲間の元へと歩いて行った。

僕はその後ろ姿にお辞儀をした。

言葉にはしなかったけど、ありがとうございます、と心で思った。

 

 

それから教室で未華や剛塚と一緒になり、二年生全体で体育館へと向かった。

広い体育館の前の方に三年生が座り、その後ろに二年生、その後ろに保護者席が用意されていた。

正面には仰々しい演台が置かれていて、これまた仰々しい花が右手に佇んでいた。

三年生の席の左右には教師の席や来賓の席が置かれていて、そこに陸上部の五月先生もいたのだけど、見慣れないスーツ姿なので未華と二人でクスクスと笑ってしまった。

「お前ら、卒業式くらいビシッとしろよ」

剛塚にそんな事を言われ、恥ずかしくなった。

剛塚って、不良だったせいか、こういう場ではキッチリとする。オンとオフの切り替えが凄いんだよね。

 

 

しばらくすると演台の左手にあるスタンドマイクのところに、先生が現れた。

何か言っているがよく聞こえない。途中で気付いたらしい別の先生がマイクのスイッチを入れる。

「あー、ゴホン。それでは、ただ今より、東京都立多摩境高等学校、第二期生の卒業式を執り行います」

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2010年3月22日 (月)

空の下で-風(2) 旅立ちの日に「後編」

「学校長挨拶」

司会役の先生がマイクでそう言うと、多摩境高校の校長である夢山校長が演台に立った。

夢山校長は、これから進学や就職をする三年生へ向け、試練が多いと思うけど、この高校で過ごした三年間の経験を生かして乗り越えて行こうという事を、リズム良く語った。

この人の話は、意外にもちゃんと最後まで聞ける事が多い。

さすがに新設校の初代校長に選ばれるだけあり、話は面白いし、普段から廊下ですれ違う生徒に話しかけたりと、生徒からの人気もある、なかなかの先生だ。

僕も一年生の時に少しだけ話かけられた事がある。まあ、その時は失言してたけど。

「来賓挨拶」

ここから三人の来賓が挨拶した。近くの高校の教頭や、PTA会長、教育委員会の人。

そのどれもがつまらなくて長い話だった。

スピーチは三分がベストという話を知らないのだろうか・・・。と、十回は考えた。

「卒業証書、授与」

最も長いのがこれだ。

三年生一人一人が演台まで行って卒業証書を受け取るので、長いのなんの。

でもそれを見て、部活の先輩とかが卒業証書を受け取るのを見ると、女子なんかはけっこう泣いてたりした。

かくいう僕も雪沢先輩や穴川先輩が受け取る時は、鼻が熱くなったんだけど。

だって、この時間、ずうっと切ない曲をピアノで生演奏されてるんだもん。そりゃ泣くよ。

ピアノ演奏は学校で一番人気の若い女性の先生、立花先生だ。

これは噂だけど、五月先生と仲がいいって事だ。多分、噂だろう。

「卒業生からの言葉」

「在校生からの言葉」

次々と式は進んで行き、やっと僕らの出番となった。

「在校生より、合唱」

二年生全員が立ち上がり、「旅立ちの日に」という合唱曲を歌う。

立花先生がピアノでイントロを弾いたところで、何故だか色々な思い出が頭に蘇った。

雪沢先輩との想い出、穴川先輩との想い出。

 

 

「君、足速そうだよね。ちょっとウチの部、見学してみない」

あれは二年前の春の事だ。入学して三日目の校門で、僕は雪沢先輩に声をかけられたんだ。

あの時、雪沢先輩に部活勧誘されていなかったら、今の僕はいないだろう。

陸上部に入り、雪沢先輩の指導の元、色んな練習をして、色んな試合に出た。

適当な練習をする穴川先輩に負けているのが悔しくて、必死で必死で穴川先輩を越えようとした。

いつしか穴川先輩を抜き、その穴川先輩も全力で練習をする様になり、挑んだ初の駅伝大会。

直前に安西という男に襲撃され、念願の駅伝出場を辞退した雪沢先輩の悔しそうな表情。

そこから一年間、雪沢先輩は部長としてずっとずっと長距離チームを引っ張ってきた。

最後の試合、僕は雪沢先輩からタスキを受け取った。

そのタスキはきっと、単なる試合のタスキだったんではなくて、これからの陸上部を引き継ぐタスキだったんだと思う。

しっかりしなくちゃ。そう考えてたら、合唱はもう終わっていた。

 

 

「卒業生、退席」

三年生全員が立ち上がり、吹奏学部が演奏を始めた。

その演奏の中を三年生は体育館の外へクラスごとに歩きだす。

僕の横を次々と三年生は歩いて行った。

穴川先輩が通り過ぎる。

「じゃあな」と言うのが聞こえた。

短距離チームのリーダーだった二本松ゆりえ先輩が通り過ぎる。

ニコッと笑いかけてくれるのが見えた。

そして、雪沢先輩の姿が見えた。

視線が合う。

雪沢先輩は軽く頷いた。

僕も頷いた。

隣にいた剛塚が「ありがとうございました!」と力強く言い、それを聞いた未華が涙声で「ございました」と続いた。

雪沢先輩は、一瞬泣きそうな表情を見せたが、歯を食いしばる様にして歩いて行った。

 

 

教室に戻ると、未華はもう号泣していた。きっと他のクラスにいるくるみもそうだと思う。

「雪沢先輩、カッコよかったな」

剛塚は教室の天井を見上げながら言った。

「大学行ってもあのままの雪沢先輩でいてほしいよな」

雪沢先輩は都内の大学に進学が決まっている。陸上は辞めるらしいけど、何かキチンとした目標があるという話だ。

「アタシ達もさ」

未華は涙を拭いながら、声を振り絞った。

「後輩からカッコいいと思われる様になりたいね」

「なるぜ。オレは」

剛塚は確信に満ちた声でそう言う。

僕も珍しく力強く言えた。

「そうだね。絶対、なろうね!」

雪沢先輩や穴川先輩の存在は、僕らの代に何か強い決心みたいなものを与えてくれた。

それがきっと、今年のあの出来事への大きな力になったんだと思う。

 

 

 

空の下で 風の部「旅立ちの日に」END

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2010年3月25日 (木)

空の下で-風(3) 足りない男

春が目に見えてやってきた。

多摩境高校の校門を入った所に、両脇に大きな桜の木が一本ずつ生えていて、そこに桜が咲きだしたのだ。

「あ、桜が咲いてるよ」

練習中にくるみがそんな事を言っているな、と思ってから二日もすると、桜は満開となった。

多摩境高校に入学してから三度目の春だ。

去年の春は何してただろう?

去年は染井とヒロが長距離チームに入って来て、二人の指導にやたらと苦戦していた記憶がある。

今年はどんな新人が入ってくるか。楽しみでもあるけど、不安でもある。

その不安が一番大きいのは、部長である牧野なのかと思ってたら、ヒロだった。

三月三十一日の練習後、僕はヒロに呼び出されたのだ。

 

 

制服に着替えて、校門のところでヒロと合流した。

「あ、すいません相原先輩」

ヒロは最近買ったフレーム無しのメガネを手で押さえながらお辞儀をした。

ここ一年で三回くらいメガネを買い換えている気がする。

二人で近くのコンビニ風の商店「佐久間屋」に行く。

佐久間屋に入るとレジのとこで漫画を読んでいた店長の佐久間のオジサンが「いらっしゃい」と声を出す。

僕は佐久間屋で自分のとヒロの分の缶コーヒーを買った。

ヒロが缶コーヒーが好きだと知っていたからだ。

「ゴチになります」

なんか少し腹が立ったけど、自分から言い出した事なので良しとする。

佐久間屋を出て缶コーヒーを片手に学校からすぐのところにある小さな公園に入る。

本当に小さな公園で、ベンチが二脚とちょっとした空間があるだけだ。その端に木製の柵があるので、そこに寄りかかりながら缶コーヒーを開けた。

「ここ、昔は多摩ヶ丘公園っていう、わりと立派な公園だったらしいですよ。でも多摩境高校が出来てちっちゃくなったんですって」

ヒロが妙な知識をひけらかす。

「ん、それはいいんだけどさ。話って何?」

するとヒロはぐびぐびっとコーヒーを一気飲みした。

「くあー!!」

そう言ってから「頭がクラクラしますー!」と叫んで座りこんだ。

「何してんだよ・・・」

僕は正直呆れた。こんなヤツが明日から二年生になるのかと思って。

僕は柵に寄りかかって立ち、ヒロはその足元に座りこんでいるという図も、何だかイジメをしているみたいで嫌だった。

「相原先輩。オレ、この一年で早くなりましたかね」

いきなり暗い声を出すヒロに思わずドキリとした。

「オレ、タイム的には少しは走れる様になったと思うんスけど・・・。でも全然、誰にも追いつけなくて・・・」

確かにヒロは遅いとはいえ、入部当初に比べれば早くなっている。でも、同学年の染井は元々早かったから、どうにもヒロが成長している風には見られないんだ。

「オレ、このまま陸上部で先輩になってもいいんスかね・・・」

「ヒロ・・・」

初めてだった。ヒロが陸上の事でこんなに悩んでいるのを見るのは。

もしかしたら、いつも明るく振舞っているけど、実はけっこう悩んでいたのかもしれない。

「もうすぐ新しい一年生が入ってくるじゃないスか。その中に、絶対にオレより早いヤツっていると思うんスよね・・・。そういうヤツらに、オレはどうしたらいいのかわかんなくって」

「あのさ」

「はい」

「大山はどうなんだよ」

「大山先輩・・・」

「大山だって、一年生の染井より遅いんだぜ。剛塚だってそうだよ。でも、あの二人がそんな事で辞めたりとかすると思うか?ちゃんと走って、ちゃんと指導もして、ちゃんと少しずつ早くなってるじゃないかよ」

ヒロは言葉に詰まった様だった。

「大山だってな、去年は染井に負ける実力で悩んでたんだ。でも今はちゃんと先輩してるよ。僕だって必死でやってるんだよ」

僕はそこでヒロの前に回り込んだ。

「ヒロ、本当に必死でやってるの?」

するとヒロはガバッと立ちあがる。

「やってますって!!今日だって必死に追いかけてたんスから!!」

「腕振りは?」

「はい?」

「ずっと言われ続けてるじゃん。五月先生に腕振りとかフォームの事。でも、全然守れてないじゃん」

もちろんそれはヒロだけが言われてる指摘事項じゃあない。

でも、みんなが必死に気にしている中、ヒロだけは改善しようとする意志が感じられないのだ。

「ヒロってさ、言われたその時だけなんだよ。必死になってるのって。もっと、なんていうか、練習前とか後とか、みんながやっている事とか、本当の意味では必死さが足りないんだよ」

言っていて自分はどうなんだろうと思う。僕はヒロに偉そうな事を言えるほど頑張っているのだろうかと。

「必死必死って・・・、そんなにやったって早くなるかなんてわかんないじゃないスか」

「やんなかったら早くなんてならないよ。絶対」

いつになく冷たいな、と自分で思う。でも、他に何も言葉が無いんだ。

ヒロは再び座り込んだ。

「なれますかね」

「何に?」

「大山先輩みたく」

「なればいいじゃん」

言うとヒロはちょっと笑った。

「相原先輩ってホント、ポジティブですよね」

「そうでもないけど・・・」

ヒロはため息をつき、「あーあ、もっと頑張らなくちゃ」と呟いた。

「そうだよ。あさってから春季記録会だよ」

「そうっスよね」

ヒロは立ち上がった。

「牧野が掲げる関東大会進出への、前哨戦だよ」

「関東・・・夢みたいな目標ですね」

「ホントに夢だよ、夢。でもまあ、目指すだけならいいかなって思うんだ」

ここでヒロはやっといつもの口調に戻って叫んだ。

「ついて行きます!!都大会、関東大会へ!!」

「はいはい」

笑いながら僕らは公園を後にした。

 

 

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2010年4月 1日 (木)

空の下で-風(4) 春雷「前編」

この日は朝から雲の動きが慌ただしかった。

遠くに見える丹沢の山脈の方から、次々と白い雲がちぎれるように飛んでいく。

それと一緒に砂ほこりが舞い上がり、街全体が靄で覆われているかの様な感覚がした。

 

 

春季記録会という名の大会に出るために、僕ら多摩境高校陸上部の面々はいつもの上柚木競技場へとやってきていた。

バックストレート側に大きなブルーシートを張り、そこに荷物を置いてシートが飛ばない様に固定していたのだけど、風が強く吹いているので、選手は体が冷えない様に、風に当たらない場所でウォーミングアップなどをしていた。

この春季記録会は、多摩地区の高校生が出場する記録会で、単に記録を計るための大会である。

来月から始まるインターハイ支部予選前の、最後の公式記録会という事で、各校の選手は予選の本番を見据えて走る人が多い。

 

 

大会は今日で二日目だ。

昨日は天野たくみが800mに出場し、自己ベスト・タイの記録で走り、まずまずの調整を見せていた。

それと今回、僕ら長距離チームは全員が1500mに出た。

1500mというと中距離に近いので、僕はハイスピードの展開に着いて行けず惨敗した。

しかし名高と染井はなかなかの記録で走り、スピード勝負ではこの二人は確実に僕より上だと確信してしまった。

そうして迎えた大会二日目、僕らは本業である5000mに出る。

女子は3000mへ出場だ。

 

 

「女子3000mが始まるぞー」

ホームストレート側にある建物の影で、風をやり過ごしながら準備していると、五月先生が声をかけてきた。

「まだ男子5000mまでは時間があるからな、みんなで応援しに行くぞ」

「はい!」

ヒロがやたらと大きい声で返事をし、僕らは観覧席へと移動した。

芝生で埋め尽くされた観覧席には、やはり強い風が吹いていた。

「今日はこの風に要注意だな」

牧野がそう言うと染井が「ヤバイ匂いがしますね」と言い空を見上げた。

空は晴れている。しかし、小さな白い雲が次々と通り過ぎていた。

「さっきから妙に暖かくなってきたしな。ひと雨来るかもしれないな」

五月先生がそう言った時、ピストルの音が会場に響き、女子3000mがスタートされた。

50名ほどの選手が走りだし、歓声が上がった。

一団は僕らの前を通り過ぎていき、先頭集団とその後ろの集団とに別れた。

先頭集団のトップは未華が引っ張っている。

「うわ、す、すご!!」

大山が目を丸くして驚いていた。いや、驚いたのは大山だけじゃないだろう。

みんな、未華が早いのは知っているけれど、まさか記録会で先頭で走るほどだとは思ってなかったはずだ。

ここのところ、未華は前よりもさらに楽しそうに練習を重ねていた。

記録も上がるし、彼氏も出来たし、今の未華の勢いは相当なもんだ。

まあ、期末テストは散々な結果だったらしいけど・・・

残り一周で未華は先頭集団より前に飛び出した。

しかし、それに着いて行く選手もいた。百草高校の古淵由香里という選手だ。

前々からライバルの二人は、最後までデッドヒートを繰り返し、古淵由香里が一位でゴールした。

未華が二位でゴールした時、僕らの前をくるみが走って行った。

肩で息を切らしながら懸命な表情で走っていた。

くるみはそんなに早い選手じゃあない。でも、決してあきらめる事なく、最後まで頑張る人だ。

辛そうな表情を見て、僕は拳に力が入ってしまう。

頑張れ。頑張れくるみ。

結局、くるみは18位、早川舞が22位でゴールした。

未華は古淵さんに負けて悔しさをあらわにするのかと思っていたら、すがすがしい表情で戻って来て、一言だけしゃべった。

その一言がすごく未華っぽくて、それでいて印象に残る言葉だった。

「手ごたえあり!!」

 

そして一時間後、男子5000mの時間がやってきた。

5000mは出場者が120名もいるので、40名ずつ、三組に分かれて行われる。

僕は第一組にエントリーされていた。

第一組は、他に染井と剛塚もいる。そして、髪をポニーテールにしている男、松梨学園の香澄圭もいた。

 

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2010年4月 5日 (月)

空の下で-風(5) 春雷「中編」

男子5000m第一組。

久しぶりに降りる上柚木競技場の赤いトラックの感触が懐かしかった。

試合用の長距離ピン付きスパイクを履いているのに、スタート地点でピョンピョンと跳ねてしまった。

別に体を温める効果を狙って跳ねた訳じゃない。何だかワクワクしたから跳ねただけだ。

「落ちつきないヤツだな」

一緒に走る剛塚に苦笑いされながら言われて少しへこんだけど、気合いが減ったりはしなかった。

「相原先輩。あいついますよ、松梨付属のポニーテール」

染井に言われて視線をやると、香澄圭が長い髪の毛をゴムで結ぶところが見えた。

その香澄と目が合い、会釈をすると香澄はこちらへ寄って来た。

「えーと?確か、多摩境高校の相原クンだっけ」

香澄は僕より長身なので、僕を見下げる様な眼で話してきた。

「そうですけど」

僕は強気な口調で答えてみた。走る前から格下に見られたくないっていう気持ちがあったからだ。

「この組はキミとそこの二人?名高クンはいないんだ」

「そうですけど?」

「じゃあ一位取れるかな。キミ達じゃあ僕には勝てないだろうからね」

キミ達という部分にやたらと強いアクセントをつけて言い、香澄は僕らから離れた。

「なんですかあいつ。めちゃめちゃムカツク人ですね」

染井が香澄の背中を睨みつけながら言うと、剛塚は「ほっとけ」と一言だけ口にした。

確かにほっといた方がよさそうだ。香澄はああいう嫌な事を言うヤツだけど、僕よりか早い。それこそこの組では一位を取りそうな実力だ。そういう人の挑発に乗って、ムリヤリ追いかけたっていい結果になるとは思えない。

そういう風に冷静に考えていたら、甲高い声が聞こえて、僕の冷静さを少し崩した。

「あっれー?相原じゃん、ずいぶん久しぶりじゃねー?」

この甲高い鼻声は・・・、振り返らなくてもわかる。僕の一番嫌いな男の声だからだ。

「よ、相原。無視すんなよ」

「内村」

それは内村一志だった。

僕や牧野と同じ中学出身で、葉桜高校の男だ。

こいつのせいで、僕は中学時代に一度失恋している・・・。あ、この説明、何度目だ?僕ってしつこい男だな・・・。

「相原と一緒に走るの久しぶりだなー。ま、お手柔らかに頼むぜ、英太ちゃーん」

やたらとテンションの高い内村を見ているとイライラしてきたが、僕が何か言う前にスタートの時間はやってきた。

『それでは男子5000m、第一組を行います』

 

 

この組の展開は予想通りなものだったんだと思う。

一位は、終始綺麗なフォームをし続けた香澄圭だった。それに続き強い選手が何人か入り、僕と内村は同着で五位だった。

染井が8位、剛塚が11位となった。

ゴール後、内村は息を切らしてその場に倒れこんだ。

でも僕はそのままゆっくりとジョックしてその場を離れた。

「はあ・・・はあ・・・。相原・・・?」

驚く内村をほったらかして僕は五月先生が観戦している場所までジョックして移動した。

「どうでした?僕」

問いかけると、五月先生は満足そうな笑みを浮かべた。

「いい感じだな。最初から最後まで、1キロのラップタイムがほとんど同じだ。フォームの乱れも少なかった。あの速さなら5000mで乱れる事は無さそうだな。このラップタイムをインターハイ予選までに少しずつ上げて行こう。そして予選本番ではこれにラストスパートを加えるんだ」

「はい」

そう、今回の記録会、僕は全力を尽くした訳じゃあない。ペースもフォームも乱さずに試合でどのくらいの速さで走れるかを検証するための走りをしていたのだ。

だからスパートとかはしていない。その状態で内村の全力と互角に走り、組で五位になれた。

そう考え、全身に震えが走った。

強くなっている。確実に。

 

 

5000m第二組は、秋津伸吾がブッチ切りの一位だった。その走りには何か鬼気迫る物を感じるほどで、単なる記録会とは思えない気合いの入れようだった。

二位に松梨付属の赤沢智、三位も松梨付属で西隆登、四位も松梨付属の駿河一海で、会場が驚きの大歓声に包まれた。

うちからは大山が13位、ヒロが31位だった。

 

 

5000m第三組のスタート前、会場はざわついていた。

うちからは名高と牧野が出る。でもざわついている理由はあの男のせいだった。

今年に入り、それまで無名だった選手が周辺の全ての大会で優勝をかっさらっている噂は、東京中に広まっているからだった。

新春駅伝大会の最終四区で、秋津伸吾や香澄圭を大幅に上回るタイムを叩きだし、区間賞を獲った事から始まった彼の活躍は、もう、この地区で陸上をやっている者なら知らない者などいなかった。

ただし、それは彼の名前をという意味であって、実際に目で見るのは今日が初めての人が多い。

だから会場はざわついていた。噂の怪物をついに観れるのだ。ざわつかない方がおかしい。

でも、当の本人は、それを知ってか知らずか、いつも通りにスタート地点で仲間とおちゃらけているのだ。

稲城林業という漢字で学校名の入ったユニフォームを着て、その男は笑いながら跳ねまわっていた。

「あいつが・・・」

すぐ近くで見ていた牧野が唾を飲み込みながらその名前を口にした。

「五島 林か」

その時、はるか遠くの空がピカリと光った。

 

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2010年4月 8日 (木)

空の下で-風(6) 春雷「後編」

会場全体が強い風にさらされていた。

遠くには黒い雲が見え始めていて、その雲が一瞬だけ鈍い光を放った。

「雷・・・?」

会場にいる誰かがそう呟き、ずいぶん経ってから低い稲妻音が小さく聞こえた。

それでも僕は多摩境高校のメンバーと共に5000mのスタート地点から目を離す事は出来なかった。

スタート地点には約40名の選手がいて、名高と牧野がそこにいるはずだ。

他にも有力選手としては松梨付属の駿河二海も出ているのだが、やはり会場の注目の的は怪物・五島林だ。

五島が集団の中で飛び回っているのが見える。遠くてよくわからないけど、何だか笑っている様だ。

「ねえ、英太くん」

僕が観客席から身を乗り出して見ていると、くるみが話しかけてきた。

「あの五島って人。本当に早いの?」

くるみは僕の方は見ずに言い、僕もくるみの方を見ないで答えた。

「早いよ。信じられないくらい早い」

「でも・・・、スタート前に、あんなにふざけて飛び回ってる様な人、見たことないよ。あんな事してたら体力減るし・・・、それに何か・・・、何か変だよ」

「変わったヤツなんだろ」

「そうじゃなくて・・・」

くるみはそこで言葉を切った。何だろうと見ると、くるみは不安そうな顔でスタート地点を眺めていた。

「そうじゃなくて?」

「ううん、何でもない。私の気のせいだと思う」

くるみが何を言いたいのか。僕にはさっぱりわからなかった。多分、怪物とまで言われる五島と走る名高と牧野の心配をしているんだろう。そう思った。

 

 

レースは序盤から数人の選手が先頭集団として前に出た。

その中には名高、牧野、駿河もいた。

集団より5メートルほど後ろに五島は陣取った。

思ったほどではないのか?会場のほとんどの人間はそう考えただろう。

試合が進むにつれ、先頭集団は一人、また一人と減っていく。

そいつらを五島は一人、また一人とかわしていくのだ。

まるでじっくりと料理しているかの様に、確実に一人ずつ仕留めて行く。

再びゴロゴロという雷の音が辺りに鳴り響いた。

その音をキッカケにしたのかどうかわからないが、名高が一気にペースを上げた。

他の選手はそれに着いていけない。牧野も駿河もだ。

グングンと差を広げる名高を見て、五島が笑ったのを見た。

そして次の瞬間、歯を食いしばったかと思うと、とんでもないスピードを出した。

その速さでもって、五島は次々と選手を抜かした。

駿河を抜き、牧野をも一秒かからずに抜いた。

そしてラスト一周に入ったところで名高と並んだ。

名高は粘った。しかしそれでも100mしか粘れなかった。

五島は名高よりだいぶ前に行き、そのままゴールした。

ゴールした勢いそのままに仲間のところへと向かって行き、ハイタッチなんかかわしていた。

こうして、今年の他の大会と同様、春季記録会でも実質的に優勝をかっさらった。

 

 

クールダウンを終えた名高と牧野が僕らのもとへ戻ってきた。

「信じらんねーよあいつ。とんでもねーよ」

牧野はなかば諦める様な口調でそう言った。

名高は言葉少なだ。戻って来てすぐにカバンからウォークマンを取り出した。

その言葉の少なさから、悔しさが伝わってきた。

「英太くん」

それを見てくるみはまた不安そうな声を出した。

「どうした?」

「大丈夫かな」

「名高?大丈夫だろ。あいつはこんな事でへこんでやる気を無くす様なヤツじゃないし」

「ううん、違うの」

くるみは首を横に振った。肩まで伸びた髪が揺れる。

「あの五島って人。してないの」

「え?何を?」

「私、たまたまだけど、今日、五島って人と何回も遭遇しちゃったんだけど・・・。あの人、してないんだよ」

「だ、だから・・・何を?」

くるみが早口になるのを見ていて、僕は何だか不吉な予感がしてきていた。

何か嫌な事が起こりつつある・・・そんな不気味で嫌な予感。

「あの五島って人ね・・・」

そこで耳を切り裂く様な強烈な爆発音が鳴り響いた。

体が、地面が、空気が震えた。と、同時に雨が降り出した。

「おい!危ないぞ、建物の中に避難だ!!」

五月先生がそう叫び、僕らは競技場の建物の中へと走った。

そのまま、一時間もの間、雷雨が降り続いた。

おかげで、くるみが何を言おうとしていたのか。というより、くるみが何か言おうとしていた事すら僕は忘れてしまった。

そしてそれは、今年のインターハイ予選に、重大な影響を与える事になったのかもしれなかった。

 

 

空の下で 風の部「春雷」 END

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2010年4月12日 (月)

空の下で-風(7) 三年生

今年は桜が咲くのが遅かったせいか、一学期が始まる日になっても桜は散っていなかった。

多摩境高校の校門のところにある二本の桜の木にも、まだかなりの花びらが残っていて、ヒラヒラと舞い散る桜の中を登校するという、まるで映画みたいな体験が出来た。

僕は一人で登校し、新しい教室へと入った。

多摩境高校はA館とB館があり、それらはL字型になって繋がっている。

今までは校門から遠いB館の教室を使っていたんだけど、三年生になるとA館の教室になる。

僕のクラスはA館の三階の教室だ。窓から見える景色は、今までと同じく校庭なんだけれど、見る角度が違うので新鮮な気分だ。

「あ、オハヨー!!」

未華が元気な声を出して教室に入ってきた。ちょっと違和感があったので聞いてみる。

「あれ?髪染めた?」

「うん、ほんのちょっとだけね!」

明るい場所でよく見ないとわからない程度だったけど、未華は髪を茶色にしていた。このくらいなら先生に何か言われる事もないだろうけど、最近の未華はカバンに小さなぬいぐるみを着けたり、携帯のストラップにかわいいキャラクターグッズのを選んだりと、女の子っぽいチョイスをする様になってきた。前は、何だか男っぽいガサツな感じだったんだけど、やっぱり彼氏が出来ると変わるのかなあ・・・。

「ん?何ジロジロ見てるの?惚れた?」

「惚れない」

「またまたー!」

バシンという音をたてて僕の肩を叩く未華。根っこの部分はやっぱり変わらない。

 

 

生徒全員が教室に揃い、担任の栃木先生が入ってきた。

教室は移動したけど、先生もクラスメイトも変わらない。二年生の時のままだ。

栃木先生は31歳の冴えない男の先生で、化学を担当している先生らしく、常に白衣を着ているのだけど、その白衣が薄汚れているし、校内ではサンダルを履いているので、何だか31歳には見えない。でも、メガネだけは高級ブランドの物をかけている。

「みんな、三年生に進級おめでとう」

教壇に立った栃木先生は、あまりめでたいとは思えない口調でそう言った。

「最上級生になった君達は、これから進学に向けて色々な試練が待ち受けていると思う。大学、短大、専門学校。そしてまあ就職する者。色々な進路があると思うが、妥協する事なく全力を尽くしてほしい。そのために先生も全力でサポートする」

ここで栃木先生はメガネを人差し指で押し上げた。カッコつけているらしい。

「みんなはまだ部活動もやっていると思う。でも今年は部活だけに集中するんではダメだ。それぞれの部で目指している目標や大会が終わったら、すぐに勉強する事に切り替えてほしい。世の中、やっぱり学歴や専門性は必要になるからな。是非とも進学してくれ」

何だか嫌だな。

そうは思うけど、先生の言っている事もわからなくはない。

僕は、いや、部活をやっているヤツらは、全力で部活に取り組んでいるはずだ。

今はそれでいい。それでも、僕らの高校生活は後一年で終わりなのだ。

いつまでも部活だけに燃えている訳にはいかない。進学なり就職なり、先の事も考えなくちゃいけない。

わかってる。

わかってはいるんだけど・・・、今は今。やらなくちゃいけない事が部活の中にあるんだ。

もちろん、進学塾などに熱心に通ってるヤツらもいるし、バイトに明け暮れてるヤツらもいる。

そういうヤツらを否定なんかしない。場合によっちゃあ、羨ましい事もある。

テストの成績が良いのを見たり、バイト代で遊んでいるのを見たり、確かに羨ましい。

でも、僕は今年も陸上部を頑張る。

春はインターハイ予選。秋は引退試合でもある東京高校駅伝。

この二本の大きな大会に向けて、僕は今年も絶対に陸上部の事を中心に生きて行こうと思う。

 

 

次の日から、牧野の主導で、校門のところで部活勧誘を始めた。

例年と同じ様に、チラシを作り、新入生に配りまくる。

どういう訳か、今年はチラシを受け取ってくれる生徒が多かった。

「名高さんがいる部ですよね!」という、実力者の名高や未華の名前が少しは中学陸上界で知れていたりするみたいだ。

「東京高校駅伝で23位」というのも効いた。意外と強いという印象を与える事になったらしく、走るのに興味がある人や、中学で長距離をやっていたという人がチラシを受け取ってくれた。

他にも学校のホームページ内に、陸上部のページも制作して、部員募集を計った。

ヒロがパソコンに詳しかったので、早川の考えた目を引くデザインをヒロがホームページ上に制作し、これを見た生徒からの反応もあった。

「たまには役に立ちたいですから!!」と、ヒロは春休み中ずっと作業をしてくれたのだ。

 

 

そうして、陸上部の仮入部の初日、見学に現れた一年生はかなりの数になった。

短・中距離には男女合わせて18人。投てきには男子4人。

そして長距離には男子8人、女子5人という、過去最大の人数となったのだ。

 

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2010年4月16日 (金)

空の下で-風(8) 一年生

「おいおい、本気かよ」

校庭に集まった仮入部の長距離の人数を見て、牧野は口を開けた。

男子8名、女子5名。二、三年生合わせた数よりも多い。

「こんなにたくさんの面倒を見るのかよー。嬉しい悲鳴ってヤツじゃんか」

牧野は大笑いした。そしてすぐに真顔になって一年生に向いた。

「俺は部長の牧野清一だ。部長って言っても練習メニューは顧問の五月先生が決めるし、エースはそこにいる名高だけど、何でも相談してくれ」

「はい!!」

一年生達は元気よく返事をした。

 

 

インターハイ予選は二週間後に迫っていた。僕らは自分らの実力が少しでも伸びる様に最大の努力をしながらも、一年生の指導もしなくてはならなかった。

五月先生の作るメニューは、ここにきて熾烈さを極めていた。

長い距離を走る練習は少し減らされ、スピードを身に付ける練習がメインとなっていた。

男子は1500mと5000m、女子は3000mに出場する。

このくらいの距離だと、やはりそれなりのスピードも必要になってくるからだ。

1500m×5本だとか、400m×10本だとかいうインターバル走をやったり、試合形式で5000mを走ったりだとか、とにかく体に負担を与えまくる練習が続いた。

そんな中で、一年生達には別メニューが与えられていた。

初心者には40分なり60分なりのジョックを、中学時代に陸上を経験している者は、ジョックに加えて、少しだけ僕らの練習にも加わらせた。

一週間もすると、男子からは三名、女子からは一名が脱落し、入部するのを辞めていた。

そして女子から二名が、マネージャーとして活動したいという申し出があり、僕ら多摩境高校陸上部に、初めてのマネージャーが誕生した。

「女子マネージャーだってよ。なんか部活みてーだな」

「部活だし」

たくみが興奮して言うので僕は冷たく突っ込んでおいた。

 

 

予選まで一週間を切ると、練習量は落ち着きを取り戻した。

これまでの追いこみ練習で疲労した体を回復させつつも、体力を落とさないという難しいコントロールを五月先生は丁寧に指導した。

この頃になると、一年生から一人だけ練習に着いてこれる男が現れた。

一色和哉という読みにくい名前の一年生で、中学の時から陸上部で走っていたという。

読み方?イッシキ・カズヤだ。

一色は細身で長身の優男で、年中ほほ笑んでいる感じのヤツだけど、練習になると顔を引きつらせて全力で走るという頑張り屋さんだ。

一色の実力はなかなかのもので、ヒロよりも早く、大山や剛塚と互角の走力を見せた。

 

 

「一色って早いッスね」

予選まで後三日という日の練習前に、ヒロはため息混じりにそう言ってきた。

「うん、なかなかだよね」

僕はそう言ってヒロを見ると、ヒロは再びため息をした。

「オレより早いんスよ。ヤバイッスよ。心が折れそうッスよ」

「一年で一番早いヤツに負けたってしょうがないでしょ。一人くらいいるよ、凄いヤツって。だからヘコんでないでさ、他の一年生をキチンと指導しなよ」

「そうっすよね・・・」

「ヘコむなって。ヒロのおかげなんだから、一色みたいな早いのがウチに入ってくれたのって。ヒロには感謝してるよ」

「お、オレのおかでげ・・・スか?」

ヒロは驚いた顔をして僕を見た。

「ああそう。一色って高校で陸上やるかどうか悩んでたんだってさ。でも、陸上部のホームページ見て、楽しそうな雰囲気がしたから入部することにしたんだってよ」

「ほ、ホントッスか!」

ヒロの目がキラキラしだした。単純なヤツ・・・と笑いそうになる。

「本当だよ。ヒロのおかげ。だからもっと元気出せって」

「うわーマジか。なんかやる気出てきたー!」

ヒロって気持ちの上げ下げが激しい。同じ二年生の染井が年中淡々としているのと全然違う。

でもそんなヒロの事を僕は嫌いじゃなかった。きっとヒロもそのうち開花する。そう思いたい。

 

 

予選前日の練習は、あっという間に終わり、部室には各種目の出場者メンバーが張られていた。

もちろん、誰が何に出場するかなんて、ずいぶん前に決まっていたし、知ってもいたけれど、改めて張り出されると気持ちも引き締まるってものだ。

そこに書いてある出場者リストの中の、長距離メンバーのところにはこう書かれている。 

 

 

『インターハイ 東京第6支部予選会 出場者リスト

長距離

男子 1500m  染井翔  大山陸  剛塚一

男子 5000m  名高涼  牧野清一  相原英太

女子 3000m  大塚未華  若井くるみ  早川舞』

 

泣いても笑っても、これが個人戦としては、上を目指す最後の大会だ。

空の下で 風の部「一年生」END

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2010年4月19日 (月)

空の下で-風(9) 支部予選会(その1)

朝から暖かい日差しが差し込む上柚木競技場。

近くの小川ではカモが水面をゆっくりと泳ぎ、競技場の横の林では小鳥達が楽しそうに羽ばたく。

隣接する公園には幼稚園の子供たちがはしゃぎまわり、老夫婦がそれを眺めながらのんびりと散歩をする。

そんな春の午後を、緊張感に溢れた陸上選手達が続々と競技場に集まりつつあった。

 

『全国高等学校総合体育大会・陸上競技大会 東京都第6支部予選会』

 

総体予選会、もしくはインターハイ予選会とも言われる。

僕ら多摩境高校は『東京都第6支部』に属していて、今日から二日間、いつもの上柚木競技場で予選会が行われるんだ。

ここで、上位八位に入賞した選手は、五月に駒澤競技場で行われる東京都大会に進む。

さらに上位八位に入れば六月に茨城県の笠松という場所で行われる関東大会へ進む。

最後、頂点の戦いとなるのは七月末に、なんと沖縄で全国大会となる。

僕ら多摩境高校が目指すのは団体であれ個人であれ、牧野が宣言した「関東大会進出」なんだけど、もちろん今までそんな実績は無い。

去年の成績はというと、僕は支部予選で17位で敗退した。

東京都大会まで進んだのは四人。

二本松先輩が幅跳びで都で11位。未華は3000mで都で19位。雪沢先輩が5000mで都で17位。名高が5000mで11位という結果だった。

関東大会へ行くには東京都で八位になる必要があるから、名高と未華はもしかしたら本当にチャンスがあるのかもしれない。

 

 

毎年、この大会が新入生にとって初めての試合見学となる。

なので二年生が指導しながら新入生が危うい手つきでテントなどを準備するんだ。

ヒロが大声を出して一年生に「そっち引っ張れい!」だとか「重りを乗せて固定しろい!」だとか指示を出していく。

その横で染井も小さな声ではあるが「ココ持って」とか恥ずかしそうに一年生に教えていた。

染井もヒロも少しは先輩としての自覚を持ってきたみたいだ。

「ヒロ先輩、すっごい詳しいですね」

一年生で実力ナンバー1の一色和哉が、感心した声を出すと、ヒロは「お前もすぐに詳しくなるよ」などと偉そうな事を言っていたので、牧野が「頭に乗るな」と突っ込んだ。

テントやブルーシートを芝生席に設置し終わり、僕らは荷物を置いた。

「ワクワクするな」

名高がトラックの方を眺めながら、そう言うのが聞こえた。

 

 

この会場には僕ら第6支部の他にも第5支部の高校も来ている。

同じ会場で、二つの支部予選会を一度にやってしまうという変な大会だからだ。

だから、どの競技も最初に第5支部の予選をやり、その直後に第6支部の予選もやるというタイムテーブルになる。

そんなだったら5支部も6支部も一個にまとめちゃえばいいのにって思うけど、大人の事情ってやつで、そうもいかないと志田先生が言っていた。

僕らがよく意識している高校で、同じ第6支部なのは、秋津伸吾と内村一志がいる葉桜高校と、落川学園高校だ。五島林のいる稲城林業高校もだ。

松梨付属だけは第5支部なので、赤沢や香澄と当たるとしたら、東京都大会でという事になる。

 

 

初日の今日、最初の競技は、いきなり男子1500mの予選からだ。

男子1500mは出場者が多いため、朝のうちに四組の予選をやり、夕方に決勝を行うのだ。

そのため、1500mに出る大山、剛塚、染井は僕らよりもだいぶ早い時間に競技場に到着していて、五月先生と一緒に体を温めていた。

僕らとゆっくり話す時間も無く、三人のコールタイムとなってしまった。

三人はそれぞれ違う組に割り当てられていた。

一組に剛塚、二組に染井、三組に大山だ。

それぞれに荷物持ちなどをするサポート係をつけるんだけど、僕は希望して大山のサポート係をすることにした。

 

 

大山と一緒に1500mのスタート地点へとジョックしながら向かう。

「どう、調子は」

僕が聞いたんじゃあない、大山が聞いてきたんだ。

「僕は調子いいよ。それよりも今は大山の出番でしょ」

「ボクもいいよ。だから英太くんの調子が気になったの」

ニコッと笑う大山。人の事ばっかり気にしてるのは相変わらずだ。本当に優しい性格なんだなって感心する。

スタート地点に到着すると、辺りは1500mに出場する選手でごった返していた。

「ねえ英太くん」

辺りの喧騒などまるで気にしていないかの様に大山はのんびりとした口調で話す。

「なに?」

「この大会がさ、個人で東京都とか関東を目指す、最後の大会になるんだよね」

「最後の・・・。そうだね」

最後のって言葉が妙に切なく感じる。

「牧野くんが宣言してた関東進出はボクには無理だけどさ。ここまで二年も走ってきたんだから、悔いの残らない様に頑張るよ」

「うん」

大山は右手を差し出してきた。

「握手、してくれる?」

「え?」

「握手だよ。ボクが辞めずにここまで来たのって、英太くんに支えられた部分もあったからさ。握手してほしい」

「な、なんだよ大山・・・なんか照れるって」

「そう?」

笑いながら僕と大山は握手をした。男同士で握手なんて恥ずかしいけれど、何だか悪い気はしなかった。

「大山、応援してるぞ」

「ありがとう」

 

 

春のそよ風が吹く朝、男子1500m予選の第1組がコールされた。

数十人の選手が赤いトラック上に並び、その中に堂々としたオーラを漂わせて剛塚が姿を現した。

早そう、ではなくて、強そう。そんな外見の剛塚。

よーい、の声がかかり一斉に構える選手達。

そして今年の支部予選会が開始された。

 

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2010年4月26日 (月)

空の下で-風(10) 支部予選会(その2)

男子1500mは、予選を突破すると午後に決勝がある。

決勝に行くには各組の上位二位までに入れば確実だ。

それ以外にも、全ての組の三位以下の中でタイムが上位八人に入れば決勝へと進める。

大会の冊子には、決勝に行ける人数が「4組-2位 プラス8」などと書かれていて、陸上をよく知っている人じゃないと、なんのこっちゃっていう感じだ。

その四組ある予選のうちの一組目がスタートライン上に姿を現した。

15人ほどのその中には剛塚もいて、前方を睨みつける様にして仁王立ちをしている。

『位置に着いて』

スタートの音が鳴り響き、選手たちは物凄い勢いで走りだす。

1500mのスピードは、いつも僕らが走っている5000mよりも一段と速い。

スタート直後のポジション獲りなんて、ほとんど短距離走だ。

いい場所を確保するために各選手が接触することもよくある。

案の定、二人の選手が接触で転んだ。すぐに立ちあがって追いかけるが、その数秒の差は大きい。

剛塚も肩が接触したらしいが、相手の選手がふらついたのに対して、剛塚は全くブレずに走り続けた。

強い。剛塚は体が強い。

それだけじゃない。そんなアクシデントに見舞われても、剛塚の意志は揺らがない。

それは今まで僕ら長距離チームがずっと思ってきた事だ。

決して早い選手ではないのに、自分の意志を曲げる事なく、ひたすら黙々と走り続ける姿は、かつての不良のイメージではなくて、アスリートそのものだ。

その剛塚は1300mまでは先頭集団に食らいついていたが、ラストスパートに着いて行けずに、五位でゴールした。

二位までは決勝確実。プラス全出場者から八人が決勝へと進めるけど、五位ってのは厳しい位置だ。

ゴール後、剛塚は険しい顔で後続のランナーを振り返っていた。

 

 

第二組には染井が出場だ。指をパキパキと鳴らしながらスタート地点に立ったが、隣に立つ選手を見て驚愕した。

それは五島林だったのだ。五島は5000mだけではなく、1500mにも出場してきていたのだ。

真横で楽しそうに跳ねている五島を染井はポカンと見ていた。

そうしていると、跳ねている五島と染井の手が当たってしまった。

「?」

五島は気づかない様子で体を跳ねさせ続けたが、染井は妙な感覚を覚えた。

それは一瞬触れた五島の体温だ。

ありえない。そんな事はありえない。そんなバカな事はありえない。

そういう思いが染井の頭に溢れた。

『位置について』

実はこの時染井は、くるみと同じく、五島がスタート前に跳ねまわっている理由に気付きかけたのだけど、レースがスタートしてその考えは消え去ってしまった。

でもそれは当り前の事だ。大事な予選だ。五島の事になんか構っていられない。

それにレース展開は意外な事になっていた。

先頭を一人の選手が独走し、それを染井と二人の選手が追う形になっていた。

五島なんてはるか後方だった。染井の視界には一度も五島の姿は映る事なく予選は終わった。

染井は二位に入り、決勝進出を決めた。

五島は七位。ゴール直後、「朝って、体、重っ」という声を発していた。

 

 

三組目は大山の出番だ。僕は大山のサポートをしているので、コールがかかった大山に声をかける。

「大山、決勝狙っていけよ!」

大山は嬉しそうに頷いた。

「うん!」

昨日、大山は言っていた。・・・こんなボクが決勝を目指せるタイムで走れる様になるなんて、夢みたいだって。

だから僕は今、大きな声で大山に言う。

「夢なんかじゃなくて現実にしちゃえ!!」

それが大山にはよほど面白かったらしく、大笑いしてからスタートラインに向かった。

三組目がスタートすると、大山は先頭集団に着けた。

300m、400m、500m・・・

大山はずっと先頭集団で走っている。

それを見ていて、僕は正直不思議に思った。

あんなに太くて遅かった大山が、今はこんなに立派に走っているのって凄いって思った。

二年前だったら考えられない事だ。僕だって大山本人にだって、こんなタイムで先頭集団で走る事は想像していなかっただろう。

最後の一周、大山は先頭から遅れだした。

大山の前には四人いる。決勝はやはり無理か。そう思った時だった。

会場に信じられない程の大きな声が響いた。

「大山先輩、男になれー!!」

ヒロの声だった。

どういう意味でそう叫んだのかは知らない。

でもヒロのその声を聞いて、大山は踏ん張った。

その結果、一人抜かして四位でゴールした。

四位ならばプラス八人には入れるかもしれなかった。

思わず僕は一人でガッツポーズをとってしまった。

 

 

しばらくして、会場の正面に予選結果が紙で張り出された。

僕は染井と剛塚と大山と一緒に結果を見に行った。

決勝進出16名のうち、上から七番目のところに染井の名前を見つけて、四人で「あった!!」と叫んだ。

そして下の方に視線を移していくと、剛塚と大山の結果がわかった。

13位 大山陸 16位 剛塚一

三人とも決勝進出!

「ありましたよ!!剛塚先輩!!大山先輩!!」

嬉しそうに叫ぶ染井。剛塚は小さく拳を握り、大山は笑顔で涙ぐんでいた。

剛塚と大山は互いを見た。

そして何も言わず二人は握手をして「よっしゃ!」とか「やった!」だとか叫んだ。

それを見て僕は涙が出そうになった。

イジメていた剛塚と、イジメられていた大山。

もうそんなイメージは全く無い。二人は完全に友達であり、走る仲間なんだ。

 

 

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