3-4.空の下で-虹

2010年10月21日 (木)

空の下で-虹(1) 受け継がれる者たち「前編」

うおっという大歓声が上柚木競技場のスタンドから沸き起こった。

新人戦の支部予選会での話だ。一年生と二年生だけが出場するこの大会で、たった今、男子5000mの一位がゴールしたのだ。

タイムは大会記録とまでは行かなかったが、二位以下に大きな差をつけての優勝だった。

「うおー!!早いなあいつ!!」

僕ら多摩境高校のテントからもどよめきと歓声と、そして悲鳴が聞こえていた。

僕は立ちつくしゴクリと息を呑み、隣にいる名高に聞いた。

「あいつ、誰?」

「二年生の西だな。西隆登」

「西?」

優勝して飛び跳ねている西という選手を目で追う。

童顔で背が低い。ピョコピョコと高速で足を回転させて優勝をかっさらった。さっきまでとは違い、大きくジャンプしながら両手を挙げて喜んでいる。

春のインターハイ東京都大会で、ゴール間際で僕を抜き去り、関東へとコマを進めた二年生だ。

「あれが松梨大学付属高校の次期エースって言われてる西隆登か・・・」

僕が深刻そうな顔で西を眺めている間に、染井が四位でゴールした。

「お!染井!!あいつ、凄いじゃん!!」

「なんたってうちの次期エースだからな」

名高は嬉しそうに頷いた。

うちからは染井が東京都大会に進出。松梨付属からは西の他、二年生の駿河二海ともう一人が進出を決めた。

「強いな・・・」

五月先生が腕組しながら試合を見つめていた。

明らかに、松梨付属は僕らより格上だった。

でも僕らは駅伝大会に向けてのスローガンは変えなかった。

関東大会出場。そして打倒・松梨付属高校。

そしてその高すぎるともいえる目標が、いよいよあの出来事へと僕らを導くのだ。

 

 

空の下で 3rd season-4

 

 

二学期が始まり、僕ら三年生は本格的に受験に向けた動きが加速してきた。

夏休みは夏期講習に追われていたという同級生が多い中で、まだ引退してない部活の連中は出遅れた感に悩まされていた。

「全然勉強してない」

学校からの帰り道、佐久間屋で肉まんを買いながらそう宣言するのは吹奏楽部の日比谷だ。

「いいねえ、その楽天的な感じ。オジサンも昔はそうだったよ」

レジ打ちをしている佐久間のオジサンがひどく感心した様子で何度も頷いた。

「だからこんな店やってんだけどね。ヒヒヒ」

佐久間屋というのは個人店だ。多摩境高校の目の前にあるから経営は成り立っているらしいのだけど、学校が出来る前は散々な状態だったという。

肉まんを袋に詰めている佐久間のオジサンに僕は問いかける。

「なんでこんなトコにお店出したんですか。ここ、駅からも遠いし」

「先見の目を信じてたからだ」

「はあ?」

日比谷がすっとぼけた声を出しながら肉まんを受け取る。

「オレがここに店を出すって決めた頃はな、この辺りはほとんど開発されてなくて山ばかりだったんだ。そこへある企業が一件の大きなマンションを建て出した。これは多分、この辺り全てを新しい街にするプロジェクトが進んでいるなって気付いたんだ。だから店を出した。そしたら数年でマンションがたくさん建ち、一軒家も出来て、学校まで出来たっつーわけさ」

「へえ、スッゲーなオヤジ」

日比谷はすでに肉まんを頬張っている。

「だろう?でも相原くん、なんでそんな事を聞くんだ?」

「え?いや、まあ、お店の経営に少し関心があって」

「ほうほう。そんならメニュー開発とかよりも先にちゃんと経営の事を勉強した方がいいぞ」

「あ、はあ、ありがとうございます」

僕はペコリとお辞儀をして、日比谷と一緒に佐久間屋から出た。

 

 

もう九月も下旬だ。五時を少し過ぎただけで夕日が街を照らしていた。

二人で肉まんを食べながら佐久間屋から多摩境駅まで、大通りの歩道を歩く。

「英太、専門学校行くんだって?」

「うん。日比谷は?」

「オレは大変だぜ?」

「あ、いや、僕も楽ではないんだけど」

「音大目指す」

「え?!お、音大?」

それは知らなかった。日比谷は音楽大学を目指していたのか。いつの間にかずいぶんと大きな夢を持っていたもんだ。

「なんかまだ辿り着かねーんだ。出したい音によ」

「出したい音・・・か」

聞くところによると、日比谷は三年生になってから、東京都が主催するトランペットアンサンブルのコンクールで金賞を獲ったらしい。

アンサンブルだから一人での力では無いんだけれど、やはり日比谷がチームを引っ張っていたという話だ。

そんなでも日比谷は全く満足していない様だ。

いつもはアホな事ばかり言っている日比谷が今日は少し真面目に見えた。

 

 

この頃、長かった残暑もやっと一区切りが着いた。

酷暑と言われ、全国で部活中に倒れる者が続出した今年の夏も、本当に終わった。

涼しくなったのはいいのだけど、その分、五月先生は練習メニューをハードにしていった。

毎日の通常メニューの後に、筋トレもしっかり行う。

体力回復や怪我防止のためのストレッチや栄養指導も忘れない。

練習が全て終わって部室を出る頃には真っ暗闇だ。

そうして訪れたのは、染井が出場する新人戦の東京都大会だ。

 

 

「マジ、ぐったりだな」

早朝から僕と牧野とヒロと一色の四人で、東京都大会の行われる駒沢競技場へとやってきていた。

さっきのセリフは牧野だ。このところのハードな練習で疲れ果てているのに、駒沢に朝一番で乗り込んで自分達のテントを建て終わったところでの一言だ。

「なんで三年生のオレ達がテントを作るんだよ」

牧野が愚痴ると一年生の一色が慌てた。

「きょ、今日は一年生は違う市民大会に出ていて・・・!ぼ、ぼぼぼ、僕しかこっちに来れなかったんです!!」

「一色だけこっちなの?」

「は、ははははい。さ、五月先生がこっちの試合を見学するようにと・・・」

自信なさげに俯く一色。

でも五月先生が一年生の中で一色だけに駒沢の試合を見ろって言ってきたという事は、それだけ一色には期待しているものがあるという事かもしれない。

「そうなの!市民大会からハズされたんだ!うひゃーかわいそう!!」

ヒロがそう叫び、牧野がスパーンとぶったたいた。

「とにかく一色、こっちに来たからには染井のフォローをちゃんとやるぞ。それと、他校の一年生をよく見ておけ。松梨付属から出てる西なんかもまだ二年生なんだからな」

「西隆登・・・ですね」

いつもはオドオドしている長身の一色が、西という名前を聞いて少し険しい表情をした。

 

 

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2010年10月25日 (月)

空の下で-虹(2) 受け継がれる者たち「後編」

酷暑が終わったばかりで、急に涼しくなった感のある駒沢競技場は、その温度差を気にしてか、やたらと念入りにウォーミングアップしている選手が多かった。

男子5000mは48人が出場予定で、そのうちの八人だけが次の南関東開会へと進める。

染井の目標はギリギリでもいいから南関東へと進む事だった。

ここのところ、染井はやたらと宣言している。宣言と言っても声が小さいヤツなので近くにいた人にしか伝わらないけど。

「名高さんの跡を継ぐつもりですから、南関東くらい行きますよ」

相変わらず強気でかわいげの無い口調だったけど、それがたくましくもあった。

染井とヒロが入部してきた頃は、この強気発言がやたらと気に障ったものだけど、今はそういう気持ちにはならない。後は頼むぞ・・・とか思うんだけど、後って何だろうとも思うし、僕はそんな事を発言出来るほどの実力なのかなとも思う。

そう、僕って何なんだろう?

実力は名高が一番だし、チームのまとめ役は牧野だし。

僕って何なんだろう?

剛塚みたいな兄貴肌じゃないし、大山みたいなムードメーカーでもないし。

この部にとって僕という存在は、何かを残せるんだろうか?

「相原さん!相原さん!!」

一年生の一色に呼ばれてはっと我に帰る。

「ど、どうしたんですか!ボーっとしちゃって・・・。もうすぐ染井さんの試合が始まりますよ」

長身の体をアタフタとさせてる一色を見て「あ、ああ、悪い」と言った。

すると大山が「くるみさんの事を考えてたんじゃないのー?」と笑い、一色が申し訳なさそうな顔で「す、すいません」と言って立ち去った。

「お、大山!!変な事言うなよ!!」

やたらと楽しそうな笑い声が周辺から聞こえる。

僕、こんなんでいいのか?

 

 

染井を含めた48人がスタートラインに立つ。サポート係として僕と一色が近くにスタンバイし、コールタイム直前に染井が脱いだジャージなどを受け取る。

「いいか一色、こうして出場選手の手伝いをする事はとっても大事なんだ。淀みなく動けよ」

「は、はい」

僕は一色にサポート役としての仕事を教える様に五月先生に言われているのだ。もちろん、言われてなくても教えるけど。

「陸上部ってのは個人競技に思われるけどさ、それって全然間違い。出場する選手をこうやって手伝ってくれる信頼できる仲間がいるから、選手が走る事に集中出来るんだ」

「はい!!」

「いや、声が大きいって一色。まあとにかく、変ないい方かもしれないけど、いい選手がいい記録出せるのは選手だけの力じゃないってコト。その辺、気付かない人って多いんだけどね」

「は、はい!!!」

「声、大きいって」

僕が言ったではない。最後の言葉は他校の選手が言ったのだ。ドキッとしてそちらを向くと、小柄の童顔の選手がいた。思わず女子かと見間違う様な肌の綺麗な選手だ。

「西・・・先輩」

一色が表情を険しくする。

よく見れば松梨付属の二年生エースの西隆登だった。その西が「久しぶり、一色」と言った。

一色は「久しぶり・・・ですね」と言うが今度は声が小さい。

「なに?一色と西って知り合い?」

僕が一色に向かって問いかけると、何故か西が答えた。

「中学が同じなんですよ。同じ陸上部でした。僕が三年生エースの時に一色が二年生エースで、よく争ったもんですよ。まあ、負けはしませんでしたけど」

「へえ」

「一色は新人戦には出なかったんですか?」

西に問いかけられ僕は頷いた。すると一色は「西先輩とはどこかでまた戦いたいです」と珍しくやる気のある言葉を吐いた。

西は目を丸くした。そして答える。

「そっか。じゃあいつでも返り打ちに出来る様に頑張るよ」

そうして西はスタートラインへと歩いていった。

 

 

5000mの試合が始まると、一色はいつもよりもはるかに小さい声で染井の応援をしていた。

「西先輩はですね・・・」

「ん?」

応援の合間に一色は聞いてもないのに西との思いをしぼり出した。

「僕の憧れの先輩なんです」

「そう」

「中学の時、何回もタイムトライアルの時に本気で挑んだのに、いつもいつも勝てなくて、結局一度も勝てないまんま卒業しちゃって。悔しくて悔しくて。それが高校に入ってまた会えるなんて・・・」

西と染井を含んだ先頭集団が僕らの前を駆け抜ける。

「だから、今度こそ勝てる様になりたいんです。一度でもいいから」

「わかるけどさ」

「はい?」

「今、西に勝とうってのは置いておきなよ。今はまだ勝てないし」

ひどく冷たい声で言ってみた。

「今、西とかの強豪選手と戦ってるのは染井だ。さっき言ったろ?僕らは染井のサポート役をしてるんだから、染井が全力で走れる様にするんだって」

言われて一色は染井を見た。

染井はというと3000mを通過したところだ。先頭集団につけていて、西と染井、それと数人の選手が固まって走っている。

「自分の事ばっか考えてちゃ駄目だよ一色。さっき言ったでしょ?個人競技って思われてるけど・・・、僕らはチームなんだから」

一色は僕を見てから俯いた。

何かをブツブツ呟いたかと思うと、トラックの方を向いた。

そして通過する染井に向かって、今まで聞いた事の無い様な荒げた声を上げた。

「染井さん、ファイトー!!」

それを見ていて僕は思った。

きっと大丈夫だって。

来年、僕らがいなくなっても、染井とヒロが頑張ってくれる。ヒロは微妙だけど。

そして染井たちがいなくなっても、一色たちがいる。

そうして受け継がれて行くんだ。雪沢先輩が作り上げ、僕らが受け取った陸上部という名のタスキを。

それなら、僕らは僕らの仕事をこなそうじゃないか。

秋の駅伝大会で、僕らの爪痕を残そうじゃないか。

僕はその爪痕のメインメンバーじゃなくたっていい。その爪痕の端っこを手伝えるだけでもいいんだ。

でも、確実に力になろう。後輩たちから「すごい」って言われる爪痕の一端になれる様に。

「なんだかテンションが上がってきた」

僕がそう言うと一色は「僕もです!」と言ってさらなる声援を上げた。

その力が染井にも伝わったか、染井はギリギリ八位で南関東へのキップを手にした。

 

 

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2010年10月28日 (木)

空の下で-虹(3) 最終選考(その1)

十月に入り、少しずつだけど空気が乾燥してきているのがわかった。

肌が乾くとか、湿度計を見たからだとかで判るんじゃあない。走っている時に喉に入ってくる空気の感じでわかるんだ。

「もう、秋だな」

長距離チーム全員でウォーミングアップのジョックをしながら僕は呟いた。

「走りながら感傷的な事を言うなよ」

すぐ隣を走る牧野が吹き出しながら言った。

 

 

この日の練習後、部室でミーティングが開かれた。

長距離チーム全員が狭い部室にぎゅうぎゅう詰めで集合すると、涼しいはずの十月の気候でもやたらと暑さを感じる。

「体育部ってこれだから嫌だよね!」

未華が手で顔を仰ぎながら言うと、早川が「アンタが一番体育会系っぽいよ」と真顔で言った。それを見て笑うくるみ。

この三人はずうっとこんな感じだ。三年間ずうっとそうだった。

そんな三人を慕う一年生の女子はこれまた三人だ。残念ながら二年生は存在しない。

女子は全部で六人だから、五人必要な秋の駅伝大会に出場予定だ。

騒ぎながら待っていると五月先生が部室に入って来た。

「お待たせ」

五月先生は部室内のイスに座るといきなりボヤいた。

「おい、このイス、買ってから四年しかたってないのに、なんでこんなボロボロなんだ」

確かにイスはカバーが破けて中のクッション材が見えている。

「はあ、だから体育部は乱暴とか言われるんだよ」

ため息つくけど全然気落ちしてなさそうな五月先生は声を張り上げた。

「じゃあ、今日の要件を言うぞー!」

騒いでいたメンバー達が静かになる。それを見てから五月先生は話し出す。毎回同じやりとりだ。

「来月の東京高校駅伝大会まで一カ月を切った。そこで、三日後の土曜日に立川の競技場を借りたから、駅伝のメンバー選考を行おうと思う」

「メンバー選考・・・」

大山がゴクリと唾を飲む音がした。

「そうだ。男子も女子も出場枠よりも部員の数の方が多いからな、出場選手と区間、それと補欠メンバーを選ぶためのタイムトライアルを行う」

ふと、くるみの方を見ると、くるみは不安そうな表情をしていた。でも目は先生の話を一言も聞き逃さない様に先生の方に集中している。

「選考方法は土曜のタイム結果と、これまでの試合や練習での適正を加味して先生と牧野と未華で行う。相原、加味って意味はわかってるか」

「は、はい?わ、わかりますよ!」

何故か爆笑するメンバー。なんだっての??

「男子は5000m、女子は3000mで行う。同じ学校内でレギュラー争いみたいな感じで少し嫌かもしれないが、それがスポーツだ。一年に一回の駅伝だから悔いの無い様にな」

話はそこで終わり、それぞれ解散となった。

 

 

僕は牧野と一緒に学校を出た。今日も佐久間屋に寄って、温かいココアを買った。牧野は炭酸飲料だ。

「なんかさ、最近さ、僕ってバカにされてない?」

牧野にそう問いかけると「前からじゃね?」と言われた。

思わず黙り込む僕を見て、牧野は「おいおいー!」と大声を出した。

「英太、お前、なに落ち込んじゃってんの?」

「だってさ、後輩たちまで笑うんだもん」

少しおおげさにため息をつくと牧野は真顔になった。

「いいんだよ、英太はその感じが」

「はあ?」

黙ったまま大通りを駅まで歩く。すっかり暗くなった道にオレンジ色の街灯が点いている。

ちょっと前までは街灯に小さな虫が大量にたかっていたのに、今はほとんどいなくなった。完全に季節が変わったという事だろうか。

多摩境駅に着き、二人で改札を通り抜けホームに移動すると、前の電車が行ったばかりだった。

「英太はさ」

十五分ぶりの会話だ。移動中、お互いずっと何かを考えていた。

「英太はそのままでいいんだよ」

「何でさ」

「オレとか名高とかには無い雰囲気を持ってるから」

「えー?そかなー」

「剛塚とも大山とも違うんだよ。多分、後輩から見ても」

牧野はわざと僕の方を向かないで話している。こういう時の牧野って何か大事な事を言おうとしている時だ。

「英太は、天然じゃん」

前言撤回。牧野はいつだって大した事を言わないヤツだ。

家に帰ってからも何か不安な気持ちがあって、落ち着かなかった。

牧野は何かを言おうとしてくれていたみたいだけど、途中から言うのをやめたみたいだった。

モヤモヤしていた気持ちを忘れたくって、くるみに電話してみた。

「もしもし、英太だけど」

『あ、英太くん。私も今、電話しようとしてた』

声だけでも嬉しいのに、こんな事を言われると一気にテンションが上がる。

「ホント?なんかあった?」

『うん・・・』

ちょっと気落ち気味のくるみの声。何故だかドキリとする。まさか別れを切り出されるんじゃ・・・と。自分に自信の無い僕は、もう何度も何度もそういう風に思ってきてる。

『選考、大丈夫かなって不安なんだ』

「な、なんだそれか」

言ってからヤバイって思う。そんな事かって感じの言い方になってるのに気付いたから。

「くるみなら大丈夫だよ!すごい真面目に練習してるんだもん!」

『さすがポジティブ英太くんですねー』

急に明るい声になるくるみに少しホッとする。

「ナニソレ・・・」

『私、英太くんのそういう前向きな雰囲気って好きだよ』

「え、あ、ほんと?」

ほとんど裏声で答えた。ゴホンと咳払いをして言葉を続ける。

「くるみも前向きで行けば大丈夫だよ。真面目な話、一年生にも早いコいるみたいだけど、それは一年生にしてはって話でさ。くるみは三年間練習してきて、確実に早くなってるもん」

『優しいね』

「あ、どうも」

なんだこりゃ。これカップルの会話かー?

『英太くんって優しいし前向きだよね。みんなから慕われてる理由がわかるよ』

「慕われるかなー」

『慕われてるよ!優しさだけだと大山くんも優しいけどね。英太くんは大山くんとも違う雰囲気があるんだよ。なんていうか、みんなを明るい雰囲気にさせる何かを持ってるんだ』

早口で力説するくるみに僕は驚いた。

『きっと牧野くんとか名高くんとか、みんなそう思ってる。じゃなきゃ山梨まで迎えに行ったりとかしないし』

その話はやめてほしいけど・・・

『だから私も・・・、英太くんと・・・、い、一緒にいたんだし・・・・・・』

急に声が小さくなって僕は笑った。

『な、なんで笑うんですかー。真面目な話をしてるのに』

「ごめん。でも、ありがとう」

何だかモヤモヤしていた気持ちはどこかへ消えていた。

やっぱり僕は僕のままでいいらしい。それに気付かせてくれるのが、くるみだっていうのがまた幸せだった。

そうか、きっと牧野もさっきこういう事を教えてくれようとしていたのかもしれない。

急にやる気が出てきた僕はくるみとの電話を終えてから、気持ちが抑えきれずに軽いジョックをしに外へと飛び出した。

 

 

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2010年11月 1日 (月)

空の下で-虹(4) 最終選考(その2)

秋の夜は静かだった。

午後八時といえば、いくら郊外とはいえ東京都に所属する堀之内はまだまだ通勤時間だ。

それでも駅前から離れた住宅街は人通りが少なく、加えて車の出入りも少ないので虫の音しか聞こえなかった。

自宅での練習用に買ってもらった安いジャージを上下に着込み、玄関の前で軽い準備運動をしてから走りだす。

部活以外で走る時のコースはいつも同じだ。

家から住宅街を通り抜け、近くの小さな川へと向かう。

その川沿いには細いながらも走ったりサイクリングしたり出来る道があり、それを下流へと向かうのだ。

今年の初め、あの厭味ったらしい松梨付属の香澄圭を見かけたのもこのコースでの事だった。

リズム感を保ちながら川沿いを下流へと走る。

軽やかで楽しい。

何故だか心が軽いんだ。

さっきのくるみとの会話がそうさせたのか。

最近悩んでいた「僕ってこんなんでいいのか」という疑問は過去へと置いてきた感じだ。

彼女のくるみにも、長年一緒にいる牧野にも「そのままでいい」という様な事を言われ、僕自身も「このままでいいか」と思えたからこそ、軽やかに走れている。そう思う。

ただ、実力の方はこのままでいいとは思わない。

駅伝大会まではわずか一ヶ月だから、そんなに実力がググンと上がる事は無いとは思うけど、今のままでは関東大会へと進むのは厳しい情勢だ。

まだメンバーは固まってないけど、僕らの自己ベストタイムを計算して、去年の駅伝の記録と照らし合わせてみると、順位は20位あたりという事になる。

去年は25位だったので前進はしているのだけど、雪沢先輩や穴川先輩の抜けた穴を埋めるくらいにしかなっていないのが現状だ。

関東へ進むには8位内に入らなくてはならない。強豪がひしめく東京都で8位というのは本当に夢みたいな順位だ。

目安として目標としたのは松梨大学付属高校だが、彼らでさえ優勝した事は無い。

五月先生いわく、今年の松梨は「4位から6位くらいかなー」と言う事だ。

確かに試合中に松梨を目安としていれば関東へのペース配分などの戦略にもなる。

ただ、あまりにも高い目標でもある。

「んー、焦らない焦らない」

走りながら思った事が口に出てしまった。

今回の目標、名高なんかは大いに燃えている。本気で関東に行くつもりでいるし、「うちの地区最強ってのを松梨から奪いとれたら面白ろいな」とか言ってる。

確かに名高一人の個人戦なら勝てるだろう。でも駅伝はチーム戦だ。誰か一人が凄くても仕方が無いんだ。みんなが強く早くならなくては。

夜、一人で川沿いを走る時はいつもこんな風に考え事をしてしまう。

もちろん陸上の事だけじゃない。くるみの事だって考えるし、進学の事だって考える。

そんな時間が好きだ。一人で物想いにふけりながら走る夜という時間が。

時折、同じ様にランニングしている人とすれ違う。

本格的なランナーから健康作りのためにジョギングしている人まで様々だ。

きっと、それぞれみんなが何かしらの想いを込めて走っているんだろうな、と想像する。

そんな時だ。

リズム良く足音を鳴らしながら後ろから接近してくる気配を感じた。

すごい軽やかな足音と乱れの無いリズム感。

振りかえって姿を確認しなくても、相当なランナーが素晴らしいフォームで走っているのが感じ取れる。

まさか?

息切れはしてないのに動悸を感じた。

この足音とリズム、これは今までに感じた事があった。

その人物は僕の横を通り、追い抜いた。

頭の後ろで結んだ黒い髪の毛が左右に揺れている。

後ろから見たら女の人かと思う様なこの髪形は・・・

「か、香澄圭」

思わず声に出してしまい、香澄圭はこちらを振り返った。

少し不思議そうな表情で僕を見ていた香澄だったが、数秒して「あ」と呟き、僕の横で並走した。

「どうも、キミって確か多摩境高校の相原クンだったよね」

「あ、どうも、こんばんは」

僕も相手もそんなに息切れはしてない。どうやら香澄も軽いジョックをしている様子だ。

「こんな遅い時間に練習?熱心だねえ」

香澄は熱心だねって部分を少しいやらしく発音した。

「香澄くんだって練習でしょ?」

「まあそうだね。駅伝大会で関東に確実に進める様にしたいからさ」

「関東に」

「そ。ボクがアンカーだからさ、何かのトラブルでチームが遅れていても、すぐに取り戻して八位内でフィニッシュ出来る様にね」

「香澄くん、アンカーなんだ」

「そ。アンカー。それより相原くんは何の練習?」

「何って・・・そりゃこの時期だから駅伝に向けた練習だよ」

「駅伝・・・」

川沿いのコースは折り返しポイントへと到着した。

僕も香澄もここで上流へと引き返す。

「多摩境高校って駅伝で何目指すの?関東は無理でしょ?努力賞?そんなの無いか」

「む・・・」

腹が立って走りに乱れが出た。それに気付いて一度深呼吸する。

「無理かどうかはわかんないよ。やってみなきゃ」

「へえ?だって名高くんはいいとしても、キミと牧野くんでやっとそこそこのレベルなだけじゃん。後の選手なんて名前も知らないし・・・」

「あのさ」

また走りに乱れが出そうだったので今度はフーっと息を吐いた。

「僕の事はなんて言ってもいいけど、仲間の事を侮辱したら許さないよ」

「へえ?じゃあ楽しみにしてるよ。せいぜい頑張って僕ら松梨の背中がちょっとでも見えたらいいね」

どうやら僕って負けず嫌いというか、挑発に乗るクセがあるらしい。ここで余計なひと言を言ってしまった。

「背中どころか追い抜く様に頑張るよ」

香澄はひゅうっと口笛を鳴らして「強気だねー」と言い残して、川沿いではない方向へと曲がって行った。

「嫌なヤツ・・・」

 

 

二日後、授業と授業の間の休憩時間中に廊下で五月先生に話しかけられた。

「おう相原、お前なかなかやるな」

五月先生は嬉しそうにニヤけている。

「はい?何がです?」

「昨日、この辺の陸上部顧問の集まりがあったんだよ。色んな高校の顧問が集まって大会運営の話とかするんだけどな。いやー、全然関係無い話はするし、議題のプリントが足りないし、おまけにその後で懇親会っていうか飲み会があってな。先生酔っちゃってさー、二次会のカラオケでロックな曲を選ぼうとしたらリモコンの使い方が・・・」

「えーと、何の話ですか?」

「そうそう、松梨付属の顧問の先生が言ってたんだけどな。相原、お前、松梨に宣戦布告したらしいじゃないかー!」

バシバシと僕の肩を叩く先生。

「せ、宣戦布告?」

「そうだよ。絶対にブチのめすとか言ったらしいな。いやー、相原もなかなかやるなー」

「な、なんか話が少し変わってますが・・・」

「だから先生も松梨の顧問に言ってやったんだ。油断してると足元すくわれますよって。あはははは!」

こうして僕らの「目安」としての打倒・松梨は、「公言」されての打倒・松梨にすり替わってしまったのだった。

 

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2010年11月 4日 (木)

空の下で-虹(5) 最終選考(その3)

十月第二週の土曜日がやってきた。

天候は曇り、ちょっと肌寒いくらいの気温で、風はほぼ無風。

午前中だけ授業があったんだけど、僕に限らず長距離チームのメンバーは誰もがソワソワとしていた事だろう。

なにしろ今日は東京高校駅伝の出場メンバーを決める最終選考のタイムトライアルをする日である。

男子は七人と補欠、女子は五人と補欠を決めるのだ。

今回は短距離顧問の志田先生にも手伝ってもらい、車二台で立川市にある陸上競技場へと向かった。

車内は二台とも静かだったけれど、五月先生の運転する車はロックが鳴り響いていた。

対する志田先生は80年代のナツメロだ。

志田先生が昔からやっていた「シダはわたしだ」というブログは、最近閉鎖したそうだ。

 

 

「先に女子のタイムトライアルからやる」

五月先生が以前から指示していた通り、まずは女子のタイムトライアルだ。

距離は3000mだから、400mトラックを七周半するというわけだ。

エントリーは女子全員がした。

三年生の大塚未華、若井くるみ、早川舞、そして一年生が三人だ。

正規メンバー枠は四名。一人が補欠に回り、一人がポジション無しだ。

さすがに未華は何の固さもなく、体を温めているが、他の五人は固い。

くるみは大きく息を吸ったり吐いたりしているし、早川は他のメンバーを睨みつけたりしているし、一年生なんかは目が泳いでいる。

見かねて五月先生は「コラコラ、誰が見てるわけでもないんだからリラックスしろよ」と言う。

すると早川が「じゃあ、アレは誰?」とスタンドの方を指差した。

「ん?」

確かに誰か中年の男性が座ってこちらを見ている。短髪で眉毛の濃い人だ。ジャージ姿なので体育会系の人だって事はわかる。

「ああ、あれは・・・松梨の顧問だな」

「な・・・」

「相原が宣戦布告したから、一応練習を見に来てみたってトコだろうー」

みんなが僕の方を見た。い、いや、すいません・・・

「へえ、面白い」

未華が首をコキコキと鳴らしながら笑みを浮かべた。どこかの格闘家か。

 

 

女子のタイムトライアルは前半から予想通りの展開だった。

まずは未華が圧倒的な実力で一週目から単独トップに躍り出た。

その後を早川が一人で追い、あと四人は団子だ。

その団子からも一年生が一人遅れ、また一人遅れた。

くるみと一年生一人がずっと一緒になって走り、くるみが五週目で生き残った。

そして前から落ちて来た早川を抜いて、二位でくるみがゴールした。

結果、圧倒的一位で未華、くるみが二位、わずかな差で早川が三位、四位に一年生が入った。

「はあ・・・はあ・・・、やっぱり先輩たちは早いですー」

四位の一年生がそう言うと、くるみも早川も嬉しそうな笑顔をした。

「ま、真面目にやってればすぐに早くなるよ。ただし、健康作りくらいな目的意識じゃ、全然ダメだけどね」

早川がそう言うと、くるみは吹き出した。

 

 

そうして男子の5000mタイムトライアルの時間はやってきた。

男子の出場枠は七人。10000mが一人、8000mが二人、5000mが二人、3000mが一人という変則パターンだ。

今日は5000mでトライアルを行い、その適性でメンバーを考えるという。

三年生からは僕、牧野、名高、剛塚、大山。

二年生からは染井、ヒロ。

一年生からは一色とあと三人。

合計十人で争われる事になる。

ウォーミングアップを終わらせると、松梨の顧問の先生も立ちあがった。

「英太、面白い話にしてくれたよな」

こう喜ぶのは名高だ。未華と同じ様な反応に苦笑いしたくなる。

まあ名高は当確だろう。

僕と牧野も当確だろうけど、どこの区間を走る事になるか。できれば長い距離を走りたいのでお互い二位を狙っている。

剛塚と大山はスピードがあまり無いので5000mは短かくて不利かもしれない。

逆に染井や一色は長い距離よりも5000mくらいの方が得意だ。

ヒロはとにかく一年生に負けない様に頑張ってもらいたい。一色には勝てないかもしれないけど。

そして他の一年生には、頑張ってもらいたいし、先輩たちの全力の走りを身をもって知ってもらいたい。

「よし、やるかー」

五月先生がスタートラインへと召集をかけた。

「じゃ、駅伝大会への最終選考だからな。全力で走る様に」

ぐぐぐっと緊張感が体を支配した。

心地よい感覚だ。楽しくなってきた。

「位置に着いて、よーい・・・ドン!!」

 

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2010年11月 8日 (月)

空の下で-虹(6) 最終選考(その4)

スタートラインから飛び出すと、全身がブルッと震えた。

「・・・?」

思わず自分の体を見回す。特に異常は無い。

これはアレだ。

久しぶりに感じた。これは高揚感だ。

思えば春のインターハイ東京都大会以来なんだ。何かを懸けて全力で走る事なんて。

もちろん練習で全力で走る事はしょっちゅうある。

でも今日は部内とはいえ負けたら終わりの一発勝負なんだ。

こういう緊張感は本当に久しぶりだった。

そんな事を考えている間に最初の100mの直線を走り切った。

余計な事を考えていたのでポジションがあまりよくない。

名高と染井が先頭で二人並び、その後ろに牧野と一色、次に一年生と剛塚、そしてその後ろに僕と大山になってしまった。まだ後ろには一年生とヒロもいるが。

まあ別にこんなのは一秒か二秒の差であって、大した事じゃあないんだけど、もしかしたら部内で全力で争うのはこれが最後かもしれないから、一度くらいは名高に先行してみたかった。

だから今日は前半は名高に食らいついて行こうと思っていたので、ちょっとやりづらい展開だ。

一周走っても集団はバラける事はなかったんだけど、二周半もすると一年生が二人遅れだした。

なにしろこのレースは名高と染井が引っ張っているんだからペースが早い。

一キロの通過タイムを確認して大山が自ら集団より後ろに下がり、それに合わせる様に剛塚とヒロも下がった。

僕はもう少し食らいついて行く事を選んだ。自己ベストよりわりと早いペースだけど、今日はけっこう行ける気がしたからだ。

二キロを通過すると名高のペースについていけなくなり、全員が名高から遅れだした。

「く・・・」

名高の背中が少しずつ小さくなって行く。

あのペースは無理だ。あのペースで最後まで走り切る事なんて僕には無理だ。

名高はチラリと僕らを振り返った。

ちょっと残念そうな表情。

「む・・・」

何故だかわからない。でも今日は追う事にした。

一度くらいはいいかもしれない。

名高のペースに合わせたら最後までもたなくて悪い結果になっちゃうかもしれない。

でも、一度くらいはいいかもしれない。

名高にどこまで迫れるか。そんな事を試してもいいかもしれない。

「うお・・・」

少し声が漏れた。気合いの声が。

僕は牧野や染井をかわして名高を追った。

「はあ・・・はあ・・・!!」

口を大きく開けて呼吸をした。意識してやったわけじゃなくて、苦しくて口が大きく開いてしまったのだ。

そうしてトラック一周かけて名高に追いついた。

僕が名高の背後にピタリとつくと、名高は気配を察知して振り返った。

「英太!」

驚いた表情と声だった。しかし次の瞬間、名高は笑みを浮かべた。

「やっと来たか」

そう言って名高は前を向いた。

言葉の意味はわからなかった。

僕はただただ食らいつくのに必死で、息はあがるし顔は歪むし、とうとう息切れが声になりだした。

「はあ!!はあ!!」

それでも名高の背中を追った。

3キロを過ぎても、4キロを過ぎても名高の背中はすぐそこにあった。

今まで一度もとらえる事の出来なかった名高がすぐそこにあるというのが不思議だった。

そういえば一年生の頃に一度だけ名高の背中をとらえそうになった事がある。

山中湖での合宿の時だ。

その時はすぐに引き離された。でも今日は違う。全力で走る名高に食らいついて行っている。

残りは二周。つまり800mといったところだ。

こうなれば・・・

大それた思考が僕の中に生まれた。

抜かしてしまえ!

いつからか・・・、いや、最初からかもしれないけど、僕は「名高には勝てない」と思いながら練習をしてきた。

牧野や染井よりも先行して二位を走っている時だって、一位は名高だから仕方ないやと思いながら走って来た。

絶対的存在の名高に勝てるはずもない。

信頼のおけるエースという意味ではいいのかもしれないけど、心のどこかで名高に頼り過ぎていたのかもしれない。

自分自身が名高と同じくらいになろうという考えが、いつからか消えていた。

きっと昔は持っていたのに。そういう考えを。

いつもいつも圧倒的実力を見ていて、あきらめていた。

まだだ!

まだ行ける!!

僕は直線で名高の横に並んだ。

バッと僕を見る名高。

決して涼しい顔なんかしていなかった。名高も息を切らして歯を食いしばっている。

「英太・・・!!」

擦れた声で僕の名を呼び、名高は前を向いた。

僕は一歩も遅れない様に並走する。

しかし直線では抜かしきれずにコーナーに突入したので、また背中にピタリとつけた。

それを繰り返し、残り300mのところでズシリと体が重くなった。

ぐんぐんと名高の背中が遠くなる。

「く・・・・そ・・・!!」

腕を振ろうにも、まるで筋トレの後みたいに腕に力が入らなかった。

バカみたいにペースダウンする。

「くそ、くそ!!」

視界がボヤけた。

涙が出てきたらしい。何してんだっての!!

くるみだって見てるんだ。泣きながら走るなんてマヌケな事出来るか!!

涙を拭い去って、最後の直線に入る。

でも全くスピードが上がらずに、牧野に抜かされ、染井にも抜かされてゴールした。

 

 

「くそったれ!!」

ゴールしてヨロヨロとフィールドに倒れこんだ。

「おい!大丈夫か!!」

五月先生の声が聞こえたけど、何故か声は違う方向へ向けられていた。

そっちを見てみると一色が足を引きずって歩いているのが見えた。

「一色?」

ガクガクと揺れる膝を何とかこらえて立ちあがり、一色の元へと歩いた。

「どうした一色!!」

一色は震える声で「すいません」と呟く。

引きずっていた足を見て五月先生が「おい、大塚!コールドスプレー持って来い!」と叫んだ。

「先生、一色の足は・・・」

「捻挫だな」

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2010年11月11日 (木)

空の下で-虹(7) 最終選考(その5)

立川の競技場から、志田先生の車で一色は近くの病院へと運ばれて行った。

他のメンバーは五月先生の車にぎゅうぎゅうで乗り込み、多摩境高校へと戻った。

車内は行きとは違う静寂さだった。

高校に戻って制服に着替え、部室に集まると、五月先生が「すまん」と頭を下げた。

「な、なんで先生が謝るんですか」

牧野が明らかに動揺してる声でそう言った。

「一色が捻挫したのは俺の・・・、先生のミスだ。一色はウォーミングアップが甘かったと本人が言っているらしい。それに気付かなかった先生のミスだ」

五月先生は立ったまま俯いてそう言う。

こんな先生を見るのは初めてだった。思わず僕らも俯いてしまう。

「一色はまだ一年生だ。いくら早いとはいえキチンと面倒を見てやらなくてはいけなかった。最終選考だなんて言葉で煽ってしまった先生のミスとしか思えない」

部室内が静まり返る。

その静寂を破ったのは、場違いな明るい声を出す未華だった。

「一色くんの怪我はひどいんですか!?」

わざと元気そうにふるまっているのがわかった。こんな時だって未華はそうする。ちょっと見習いたいって思う。

「一週間くらいは安静だ」

駅伝までは三週間だ。一週間安静だとすると、残り二週間でジョックから始めて元の実力にってのは少し無理な日程だ。

「一色が無理だとすると・・・、さっきのトライアルの順位でいくと、メンバーは・・・」

さっきの順位は、一位から名高、牧野、染井、僕、一色、剛塚、大山、そして・・・

「ヒロか」

みんなの視線が一斉にヒロに集まる。

ヒロはビクリと体を動かし、その振動でメガネが揺れた。

「ぼ、ボクですか!」

ヒロは嬉しそうな嫌そうな微妙な表情をした。

ここで染井が冷たい声を出した。

「ヒロでいいんスか?一色が治るのを期待した方がいいんじゃないスか?」

冷淡な言葉だとも思うけど、この場にいる誰もが考えた事だとも思う。

視線は再び五月先生に集中した。

難しい表情をしている。さすがの五月先生も即断出来ないでいる様だ。

「ふー。やっと着いた」

志田先生がマヌケな声を出しながら、一色を連れて来た。

一色は松葉杖をついている。

志田先生が一色の足を指差して「足ですからね。大げさに見えますけど松葉杖を借りてきました」と言った。

そして部室内のボロい椅子に腰を降ろして呟いた。

「まったく・・・、毎年毎年、駅伝大会の前って怪我人が出ますな。これだから長距離チームは・・・」

確かに。僕が一年生の時は雪沢先輩が、二年生の時には名高が怪我をしていた。

五月先生は一色に座る様に促し、問いかけた。

「一色、どうだ。駅伝は」

一色は涙声で「ちょっと、厳しいです」と消え入りそうな声で答えた。

それを聞き、五月先生は目を瞑った。

「オレは普段よー」

五月先生は目を閉じたまま低い声を出した。

「オレは普段、迷ったりはしねー」

久しぶりに聞く五月先生の不良っぽい言葉使いだ。志田先生が目を丸くしている。

「だけど今回は迷うなー。一色の気持ちもわかるし、ヒロの気持ちもまあわかる」

「まあ・・・ね」

染井が苦笑いをしてる。

ここで五月先生はカッと目を見開いてヒロを睨んだ。

「ヒロ、頼めるか?」

ヒロはまたもビクリと体を動かしメガネが揺れた。

「ボク、ですか」

「そうだ。正直な話、メンバーは一色で考えていたんだが、この足で無茶するとこの先の陸上選手としての活動に支障をきたすかもしれない。先生は一色にそんな無茶はさせられない」

一色が「すいません・・・」と言ってさらに俯いた。

「だからヒロ、お前に頼みたい。覚悟は出来るか」

ヒロは先生を見つめた。そして次に一色を見る。

「一色・・・」

「はい」

ヒロは普段見せない様な落ち着いた声を出した。

「ボクは一色より遅い。格段に遅い。そんなボクが走ってもいいかな」

一色はすぐに頷いた。

「お願いします」

ここでヒロは僕の方を見た。

「相原先輩」

「ん?」

「いつか相原先輩が言ってましたよね。ヒロにもやる事があるんだって」

そ、そんな事いつ言ったっけ。言った様な、言ってない様な・・・

「ボク、今回、一色のために、いや、チームのために、必死になります」

「ヒロ・・・」

どこからか拍手が沸いた。

ヒロがこんな熱意ある言葉を言うなんてのは初めてだったから。

何故か大山は号泣してたけど。

「よし、じゃあメンバーを伝える」

五月先生は元の言葉使いと声に戻り、僕らを見まわした。

「まずは女子だ。

一区、6000m、大塚未華!

二区、4000m、早川舞!

三区、3000m、草野涼子!

四区、3000m、二ノ宮花!

五区、5000m、若井くるみ!!」

草野涼子と二ノ宮花ってのは一年生だ。女子の次世代はきっとあのコ達が中心となるんだろう。

「そして男子だ!一色は補欠メンバーに入ってもらう。

一区、10000m、名高涼!!

二区、3000m、染井翔!!

三区、8000m、大山陸!!

四区、8000m、剛塚剛!!

五区、3000m、好野博一!!

六区、5000m、牧野清一!!

七区、5000m、相原英太!!

以上だ!それぞれが得意な距離で登録にした。みんな頼むぞ!!」

うおーっという歓声が上がり、この場は解散となった。

 

 

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2010年11月15日 (月)

空の下で-虹(8) 道のり

駅伝のメンバーが正式に決まり、選ばれた者は猛然と練習をしていた。

10000mというエース区間を走る名高と、8000mという長い距離を走る剛塚と大山は、ひたすらに長時間走る特訓が続いていた。

アップダウンのある小山内裏公園をグルグルと何周も何周も走っていて、とにかく持久力のアップに勤しんでいた。

五月先生が言うには「名高は3000mだろうと10000mだろうと、うちの部では圧倒的な存在だ。だからエース区間にしたんだが、剛塚と大山はスピード勝負には弱い。だからあえて長い距離を与えて安定的な走りを求めた」んだそうだ。

事実、剛塚と大山は練習でも長い距離になるほど強かった。

剛塚はアップダウンがあればもっと強いし、なにより心が強い。

大山は淡々としながらもペースを乱す事なく長く遠くへ走れる存在だ。

対して短めの3000mに出るのは染井とヒロの二年生コンビだ。

これにも五月先生の解説があった。

「染井は5000mとか8000mにしてもいいんだが、とにかくスピードがあって中距離に強い。他校では下位選手を登録するところだが、あえて染井を配置して順位アップを狙う。ヒロは短い方がいい。あいつはまだ発展途上の一歩前だから」

染井は背が低いせいかチョコチョコと足を高回転させてスピードがある。

ヒロは正直な話、早くも強くもないが、最近やっと実力が向上しつつある。ここまで長かった。

そして僕と牧野は5000mだ。これにも五月先生の解説がある。

「相原は先日の5000mのタイムトライアルで、4800mまでは名高と競るという実力を見せた。だから相原は5000m登録がベストなんだと判断した。牧野は消去法で5000mだ。あいつは名高と同じでどの距離でもいい記録が出せる」

消去法と言われ牧野はしょぼーんとしていたが、とにかくそれぞれの距離に応じた練習メニューが課せられて、全員が奮闘している日々が続いた。

 

 

二週間後の日曜日。僕は久しぶりにくるみとお茶をするために多摩センターの駅前へとやってきていた。

午後二時という中途半端な時間だ。くるみが前から気になっていたカフェに入りたいという事で、ランチではなく、あえてこの時間を選んだ。

もう気付いている人もいるだろうけど、僕がカフェの道へと進む事にしたのは、元々はくるみと一緒に何度かカフェでお茶をしたという事にある。

高校生活で何度かしかカフェでお茶はしてこなかったけど、その数回で僕はカフェという空間を気に入ってしまったのだ。

本屋でカフェ本を買ったり、飲食の専門学校の資料を取り寄せたりもした。

「おまたせー」

僕より少し遅れてやってきたくるみは、日曜とあって私服だった。

秋色でちょっとカジュアルな服をまとったくるみは少し大人びて見えた。

「待った?」

「ううん、全然」

こうして自然に会話して、自然に二人で歩ける様になったのはごく最近だ。

ちょっと前まではお互い緊張している感じがあって、会話がどことなくぎこちなかった。

でも未だに手を繋ぐ以上の事に発展したことはない。

まあ、いい。僕とくるみらしく、のんびりと恋愛しようって思う。

 

 

カフェではチーズケーキとホットコーヒーのセットを頼んだ。

二人で「濃厚ー」だとか「甘さひかえめで美味しい」だとか言いながらすぐに食べて、後はコーヒーを飲みながらクラスの話題とか、全校朝礼で校長先生が史上最長の「ありがたい話」をした事などを話した。

「ねえ英太くん。一色くんって、足は治ったのかな」

「一色?うん、少し前から軽いジョックを始めたよ。でもやっぱり駅伝には間に合わないかな」

「そっか・・・。じゃ、ヒロくんに頑張ってもらわないとね」

うんうんと頷きながら違うケーキセットの写真を眺める。

「あと、一週間かあ」

僕は天井を見上げながら呟いた。

「そうやって上を見ながら回想するのって、ベタだよ」

しょうもない事を突っ込んでくる。

「ベタでもいいじゃん」

「いいですよ?」

くるみはケーキセットに目を向けた。

「だって何かさ、次の駅伝が最後な訳じゃん?ここまで色々あったなあって思って」

「天井見なくてもいいよ」

くるみは笑い、一緒に天井を見た。

「でも、確かに色々あったね。ここまでの道のりって」

「うん」

僕らが入部したのなんて、もう二年と半年も前の話だ。

確か最初は、のんびりとお気楽な高校生活を送ろうと決めて登校していた気がする。

なのに雪沢先輩の部活勧誘に乗って、陸上部に仮入部しちゃったんだ。

牧野の誘導でいつの間にか長距離担当になって、名高や剛塚や大山やたくみと出会って・・・

そしてくるみと出会った。あ、未華と早川とも。・・・付け足し。

穴川先輩とケンカしたり、合宿で剛塚が暴れたり、大山がカバン持ちさせられてたり。

安西に襲撃を受けたり、みんなで遊園地行ったり、柏木とくるみが付き合ってるなんて勘違いをしたり・・・そして山梨まで逃げたり・・・。

牧野と元旦に初日の出を見に行ったり、インターハイで東京都大会まで進んだり、稲城林業の柿沼監督にからまれたり・・・

なによりもくるみと付き合えたり・・・

「なんか遠い目してるよ」

「あ、ちょっと物思いにふけってた」

「年よりみたい」

再び笑われた。でもそれも楽しい。

「まあ確かに長い道のりだったけど、最後の最後でとんでもない目標があるからなあ」

香澄のせいで話が大げさになっている、あの目標だ。

「打倒、松梨ってやつ?」

「そう」

「でも名高くんもいるし、牧野くんも染井くんもいるし、なんてったって英太くんもいるんだから、意外と勝っちゃったりしてね!」

僕は吹き出してから言った。

「勝てないよ。でも松梨の人達を驚かせる事くらいはしようかなって思ってる」

「驚かす?」

「そう。松梨の選手たちが『あ、やばい、多摩境に追いつかれるかも』って感じるくらいの順位では走りたいな。少なくとも安心はさせない」

「わあ、カッコいいかもね」

「かも・・・かあ」

僕らは笑いながら一時間くらい話して、公園を散歩して解散した。

 

 

家に帰り、去年の駅伝の記録一覧をパラパラとめくる。

やはり、関東大会進出やら松梨に勝つというのは記録上では難しい。

もしも松梨と互角でアンカーの僕にタスキが回ってきたら・・・と想像すると冷や汗と興奮が同時に登場して胃が痛む。

「あれ・・・そういえば・・・」

数週間前、夜の川沿いで香澄圭に会った時の事を思い出した。

確か・・・、松梨のアンカーは香澄圭だと言っていた。

「香澄と争うのか・・・」

今年は一年中ずっと香澄の姿を追う場面が多かった。

出来る事なら駅伝ではそういう場面に出くわしたくない。

 

 

そうして時間は日々刻々と過ぎて行った。

僕らの最後の試合となる、東京高校駅伝大会の開かれる、十一月七日へと。

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2010年11月18日 (木)

空の下で-虹(9) いつまでも忘れない時間

遠くへ旅行へ行きたくなる様な、気持ち良く晴れ渡った空だった。

一年ぶりにやってきた板橋区の運動公園は、去年と何一つかわっていなかった。

唯一変わったところがあるとすれば、はるか遠くに巨大なタワーが見える様になった事だ。

牧野と二人で最寄駅から運動公園に向かう途中にそれが見えて、僕は尋ねた。

「牧野、あの物凄い高いの、何だろう」

「すげえなアレ。なんだろ。なんかSF映画みたいな建物だな。あ、スカイツリーじゃね?」

「ああ、あれがスカイツリー」

話題の東京スカイツリーが見えたので、都会に来たんだなあって田舎者っぽく考えた。

何度も何度も言うけれど、僕らの通う多摩境高校というのは東京都の西のハズレの方にあるため、新宿だとか渋谷だとか、そういう都心のイメージとは全く違うエリアなんだ。

だから、たまにこうして東京23区内にやってくると、高いビルとかオシャレなお店とかが目について田舎者っぽくなるのだ。

「東京は狭いなんて誰が言ったんだろうね」

「広いよ。十分広い。だって、今まで色んなヤツらがいたもん。今日もいるんだろうけど」

二人して辺りを見回しながら歩く。

駅から運動公園への道は、陸上選手や引率の先生などで溢れかえっていた。

涼しい気温なので、ほとんどの選手がウィンドブレーカーなどを着ている。

蛍光色の学校、地味な色の学校、シンプルな白の学校。様々な色が道を埋め尽くしていて面白い。

やがて運動公園内にある競技場が見えて来た。

「あそこだね」

 

 

十一月六日。東京高校駅伝、初日は女子の部が行われる。

一区6000m、二区、4000m、三区、3000m、四区、3000m、五区5000mという五人で編成されるチームを作り、補欠も三人登録しなければ出場できない。

これまでうちの高校は未華とくるみと早川の三人しか女子部員がいなかったため、駅伝の参加記録はない。

しかし今年は六人の部員がいるので出場者五人は確保できた。補欠で足りない二人は短距離二年の部員に名前だけ貸してもらっている。

午前十時前の駅伝スタート地点には、一区を走る未華が体を冷やさない様に準備をしているのを見る僕と牧野がいた。

「なんで英太くんも一区にいるの?五区のくるみのトコに行かないの?」

未華が嫌な笑みを浮かべながらピョンピョンと跳ねている。

「未華がスタートしたら行くよ。気にしないでよ」

僕がムキになって言うと牧野が「ゲハハ!」と汚い笑い声を響かせた。

『まもなく発走時間になります。一区の選手はスタートラインに集合してください』

トラメガを持ったオジサン係員がキインとハウリングさせながら集合をかけている。

「時間だ!行ってくる!」

未華は羽織っていたジャージを脱ぎ、牧野に渡した。

そこで牧野は未華の腕を掴んだ。

「な、なに?」

珍しく動揺した声を出す未華に、牧野は真顔で呟く様に言った。

「悔いの無い様にな」

すると未華は吹き出してから笑顔で答える。

「当たり前じゃん!」

 

 

十時ピッタリに一区がスタートした。

東京中から集まった76のチームのエース達が一斉に走り出す。

女子の一区は6000mで、全五区間で最も距離が長い。

だからどの高校もエースをこの一区に配置してくるのだ。

未華達はあっという間に僕らの前から姿を消して行った。

「じゃあ僕は五区のくるみのところに行くよ。牧野は?」

「急いで二区の中継地点へ移動する。んで、未華にお疲れって言った後でゴールで待つよ」

「わかった。僕もくるみがスタートしたらゴールに行くや」

僕は牧野と別れてくるみのスタンバイする中継地点へと向かった。

 

 

未華は当り前の様に先頭集団につけて走っていた。

春のインターハイ、東京都大会で六位に入った未華だ。エース区間である一区だろうと一ケタで次に繋ぐ事を目標にして走っているんだ。

未華がふと左隣の選手を見ると、ライバルである百草高校の古淵由香里さんが見えた。

逆サイドにはインターハイ東京都大会で優勝した選手が走るのも見えた。

凄まじい高揚感が未華の心を襲う。

なんて幸せな日だろう。

こんな素晴らしい選手達と一緒に高校最後の試合を走れるだなんて。

柄にもなく鼻が熱くなるのを感じた。

ズズっと音をたてて鼻をすすり、キッと目を前に向けた。

悔いの無い様に・・・か。牧野の言葉を思い出す。

悔いなんか何にも残さない。ただひたすらに全力で走ればいい。

その結果、出来れば古淵さんにも勝ち、その他の強豪選手に一人でも多く勝てればいいんだ。

タイムの方は気にしていない。これは個人戦ではなく、多摩境高校というチームの戦いなのだから。

「はあ・・・!はあ・・・!」

次々に選手が脱落していく中、未華は4000mを過ぎても生き残り、五人にまで減った先頭集団を走り続けた。

しかし残り600mほどで三人の選手が飛び出し、これにはついていけなかった。

「なんてヤツらだ!!」

そう考えてから左を見ると、古淵由香里さんも苦しそうな顔でこちらを見たところだった。

またか。またお前か。そんな感じだった。

一体いつまでライバル関係なんだ。

未華と古淵さんはすぐに前を向いたが、ここですぐに古淵さんは未華から遅れて行った。

単独になった未華は遠くに見える中継所に早川がスタンバイしているのが見えた。

まさか早川が三年間ずっと部活を続けるなんてね。

ちょっと笑いそうになるのをこらえて、最後まで走り切った。

「頼んだ!!」

「うん!!」

多摩境高校女子長距離チーム、初めてのタスキが未華から早川へと繋がった。

その順位は76チーム中、4位という快挙だった。

あまりの好順位のせいで、未華の到着に牧野は間に合わなかった。 

 

 

二区は約4000mだ。走る早川はすぐに百草高校に抜かれた。

「ムカつく」

腹が立ったけど、無理に追う事はしなかった。

自分にはこの順位でやってくる選手達と争う実力は無い。冷静に判断していた。

次から次へと強豪高校に抜かれて行くが、どのチームにも「勝手にすれば」と思ってそのままのペースで走って行く。

未華が凄い順位で繋いだのはわかる。その大切さもわかる。

だからこそ無茶な事をしてブレーキになるのは嫌だ。アタシのプライドが許さない。

そんな事を考えて淡々と走る。

もちろん自分の限界ペースは出している。

だから半分の2000mですでに息はあがってしまった。

「はあ、はあ・・・」

・・・なんでこんな苦しい思いを三年間もしてきたんだろ?

健康作りのためにランニングしようとして入部しただけなのに。

「もっと一生懸命になれよ!」

・・・ああ、なるほど。そんなバカげた理由でこんな事してるんだ。

直人にあんな事を言われて感化されちゃったんだよ。

それに未華もくるみも真面目すぎるって。

あんなコ達と一緒にいたら・・・

「一生懸命にやるしかないじゃない」

試合中にそんな言葉を口にして早川も最後まで全力で走り切った。

順位は21位まで落ちていたけど、早川にも悔いは無かった。

 

 

三区は3000m、一年生のエースである草野涼子というコが凄い早さで駆け抜けた。

四区も3000m、こちらも一年生の二ノ宮花というコが走ったが途中でバテた。

結果、二ノ宮花は残り200mの時点で順位は33位まで落ちていた。

僕は中継地点で、くるみが緊張した面持ちで体を揺らしているのを見ていた。

明らかに体に固い感じが漂っている。

『多摩境高校来ました。準備してください』

二ノ宮の姿を確認した係員が放送を入れ、くるみは僕に「頑張ってくる!」と震えた声を出した。

「大丈夫!!頑張って!!」

物凄く月なみな言葉をかけてしまった。だからすぐに次に言葉を叫ぶ。

「ゴールで待ってるから!!」

くるみはピクリと反応して、こっちを見て笑った。「なんか恥ずかしいって」

言われて僕も恥ずかしくなった。

そうこうしてる間に二ノ宮が走って来て、くるみにタスキが渡った。

 

 

「え?」

タスキを肩からかけると、くるみは思わず声を漏らした。

タスキってこんなにズッシリと重かったっけ?

確かにこれまでの四人の汗が染み込んでいて、ちょっとは重くなるのはわかる。

でもやたらと重く感じた。なんか教科書たくさん入れたショルダーバックをかけたみたいだ。

走りながらタスキを目で確認するけど、何の異常も無かった。

「ああ、そうか」

ブツブツと呟きながら、ある事に思い至った。

未華、舞ちゃん、涼子ちゃん、花ちゃん。四人の思いがタスキに込められてるんだ。きっとそうだ。

「それなら」

左手でギュッとタスキを握りしめてみる。

「わたしの手でこれをゴールまでちゃんと運ぶよ」

いつもの練習を思い出す。

腕の振り方。足の運び方。呼吸の方法。視線の位置。

五月先生に毎日毎日言われた事をひとつひとつ再現しながら走る。

任された5000mのうち、3000mまではフォームを乱さずに走れた。

だんだんと息が上がり、走り方も乱れて行く。

「はあ!!はあ!!」

辛い時は、走る事自体を楽しむ様に心がけてきた。

でも今はそんな心の余裕が無いほどに全力全開だ。

他の選手を抜いたり抜かれたりを繰り返しながらとにかくタスキを運ぶ。

残り500mを過ぎたあたりから、沿道の声援が増えて来た。

わああっという歓声に驚く。

最後には知っている人達が見えた。

短距離のみんながいる。投てきのみんながいる。五月先生、牧野くん、大山くん、剛塚くん、あ、クラスの友達もいる!田中ちゃんまで!

そして英太くんも。

こんなにみんなの声援を受けながら走れるなんて。

きっとこの瞬間は、自分が大人になってからも、いつまでも忘れない時間になる気がする。

そう思いながら、くるみはついに走り切った。

 

 

「くるみー!!」

未華に支えられて沿道まで運ばれたくるみは苦しそうに息切れをしていた。

「はあ!!はあ!!」

僕は他の選手達をかきわけて、アスファルト上に寝かされたくるみの元に辿り着いた。

「くるみ!大丈夫!!?」

「はあ!!はあ!! え、英太くん」

くるみは僕を見て少しだけ微笑んで、何故だかピースサインをした。

綺麗だなって思った。

苦しそうだし、メイクなんかしてないし、息切れで表情は歪んでいるけれど、綺麗だなって思った。

アスリートの顔だ。

くるみはちゃんとアスリートとして走り切ったんだ。

「ホラ、どいてどいて」

未華が僕を横に押しのけて、くるみを覗き込む。

続いて早川と他の一年生女子もやってきた。

くるみは何とか立ち上がり「頑張ったよ」と言うと、みんなで一斉に泣きだした。

未華も、早川でさえ涙を流していた。

「楽しかったね!」

未華が言うと、早川が頷き、くるみが泣き声で叫んだ。

「うん、楽しかった!!」

 

 

多摩境高校女子チームの成績は76チーム中、28位。

でも、そんな数字では表せない何かを、みんなは掴み取った。

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2010年11月22日 (月)

空の下で-虹(10) 夜明けの空

眠れない夜というのは誰にでもあるんじゃないかなと思う。

昼寝をしすぎて眠れない夜。 

考え事があって眠れない夜。

不安に押しつぶされそうで眠れない夜。

明日が楽しみで眠れない夜。

色々なパターンがあるんだと思うけど、今夜の僕は、今言った全部の要素を含んで眠れないでいた。

まず、練習が早めに終わったので早く帰って来てひと眠りしてしまったのがいけなかった。

そして、明日の事ばかりを考えて頭が冴えてしまっていた。

明日の事とは、東京高校駅伝の事だ。

僕が走る区間は最終の七区。わかりやすく表現するとアンカーだ。

六区までどんなにいい順位で繋いで来ようとも、最後の僕が調子悪ければ全ては台無しという責任から来る不安。

それでいて、多少悪い順位で来ても盛り返してやるという、ちょっとした野心から出てくる楽しさと高揚感。

そんな色んな要素が絡み合い、結局のところ、午前一時を過ぎても僕は寝れないでいた。

もちろん布団に入り、目は閉じている。

目を閉じているのだから、何も見えないはずなのに、明日の駅伝を走っている景色が見えるんだ。

その景色は物凄くリアルだ。

過ぎ去る左右の沿道。足の下を高速で後ろへ進んで行くアスファルト。何故だか声援まで聞こえてくる。

「まだ、今は試合じゃない」

思わず声に出し目を開ける。

そこには確実に、見慣れた僕の部屋の天井が見えていた。

「寝なくちゃ」

自分に言い聞かせる様に呟いて目を閉じる。

それの繰り返しだ。

今までも試合前に眠れないという事は何度かあった。

でも今夜は特別だ。ここまで眠れない事は無かった。

明日の体力に影響するのが怖いから早く寝てしまいたい。逸る気持ちがまた目を冴えさせる。

そういえば、どこかの本で読んだ事がある。

一流の選手でも眠れない夜があるのだという。

そういう時は、せめて体をリラックスさせれる状態で目を閉じて布団に入っている方がいいというのだ。

睡眠に入れなくても目を閉じて横たわっているだけでも体力も精神力も蓄えられるというのだ。

本当だろうか。それにそれは一流の選手だけの話ではないだろうか。

「そんな事はないよ」

そういう声が聞こえた気がした。

声はテレビでよく見る元オリンピック金メダリストの女子マラソンランナーのものだった。

とにかく長距離選手に元気を与える様な人だった。

明るくて元気で、マラソン選手という地味な上に苦しくて仕方の無い人達のイメージを一新させた人だ。

「そんな事、ないんですか?じゃあ目を閉じて寝転がっていた方がいいですかね。いっその事、起きてたらどうかなって思うんですけど」

いつの間にか、僕はどこかの部屋で椅子に座りマイクを持って、その選手にインタビューをしていた。

目の前でイスに座っている元オリンピック選手はスーツ姿で、現役の時とは少し違った印象だったけど、金メダルを獲った時と似たような笑顔を見せた。

「キミは不安なだけなんだよ」

「不安・・・ですか」

「駅伝はチームプレーだからね。自分だけの結果じゃあ済まないでしょ?学校の名前とかもあるけど、みんなに迷惑かけたくないとか、そういう事を考えて不安なんだよ」

「そう・・・かもしれないです」

「でもね、不安っていうのはパワーに変わるんだよ」

「パワーに?」

「そう。不安はその日の朝になるとパワーに変わるんだ。いや、変える事が出来るって言うのかな」

「ど、どうやったら変わるんですか?」

「やってやる!っていう気持ちになればいいんだよ。精神論なんて嫌いかもしれないけど、人の力っていうのは心で決まるんだよ」

「やってやる・・・」

「そう。どんな展開で来ようとも、キミが周りも驚く様な活躍をしちゃえばいいんだよ。やっちゃいなよ」

「やっちゃいますか?」

「やっちゃいなって」

「やっちゃいますか。こうなったら」

 

 

ピンコロピンコロピロリラリ。ピンコロピンコロピロリラリ。

いつもの目覚まし音が鳴り、僕は目を覚ました。

覚ました?

という事はちゃんと眠れていたらしい。変な夢を見ていた気がする。

時計は朝の五時を差していた。

シャワーを浴びて、台所へ行くとお母さんが朝食を作っていた。

「あれ?なんでこんな時間に起きてるの?」

お母さんは「当たり前じゃない」と冷めた口調で言う。

テーブルの上には消化されやすく、それでいてエネルギーになる様な食べ物が適量に置かれていた。

「今日は大事な大事な試合でしょ」

その朝食は明らかにスポーツの本を読んで知識を得たメニューだった。

一体いつの間にそんな事をしていたのか。

今まで僕の陸上部としての活動には、そんなに感心を持っていなかったのに・・・。

「な、なんで?」

「何がよ」

さも当たり前かの様に朝食をテーブルに置ききると、お母さんはテレビをつけてニュースを見だした。

そうか・・・。いつからなのかは知らないけど、ちゃんと僕の部活の事を考えていてくれたんだ。

一番最初、陸上部に入ると言いだした時、お母さんは反対気味だった。

中学では吹奏楽部に明け暮れていたし、元々お母さんも楽器をやっていた人だったから、きっと残念だったんだろうと思う。

でも、僕がちゃんと陸上部に打ち込んでいるのを見て、理解してくれていたんだ。

「ありがとう」

恥ずかしいから聞こえない様に言っておいた。

 

 

玄関に準備しておいたリュックを背負い、靴を履く。

「よっと」

立ちあがると体は軽かった。

昨日の夜、眠るのが遅くなったというのに、調子は悪くなさそうだ。

「あーそうそう」

お母さんが玄関にやってきて僕を呼びとめる。

「昨日、お父さんから電話があってね。英太に伝言」

「なんて?」

「やってやるって気持ちで行って来いって」

「やってやる?」

なんかつい数時間前、そんな言葉をどこかで聞いた様な気がした。

どこでだろう?思い出せない。

でもその「やってやるって気持ちで試合にのぞもう」というのは、先月買った、元オリンピック金メダリスト選手の手記に書いてあった言葉だ。もしかしたらお父さんも同じ本を読んだのかもしれない。

「うん、やってくる!」

「そう。頑張ってきなさい」

玄関を開けると、まだひんやりとした空気が流れ込んできた。

気持ちが負けない様に外へと歩き出す。

まだ夜明けの空は薄暗かったけど、徐々に明るくなる雰囲気が漂っていた。

僕の気持ちも夜明けの空と一緒で、少しずつ気持ちが盛り上がっていった。

駅前まで行くと、牧野が手を振って待っていた。

「おはよう」

僕が声をかけると牧野は一言だけ言って改札へと歩き出した。

「行くか」

僕も一言で答える。

「行こう」

 

 

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