1-2.空の下で-梅雨

2008年5月 6日 (火)

空の下で23.理由(その1)

空の下で ~梅雨の部~

 

五月下旬・・・今日も五月晴れ。

今年は五月に入ってから晴れの日が多い。

ぼく、相原英太の住む八王子市堀之内も五月にしちゃ、やたらと暑い日が続いたので、家の冷蔵庫にあるジュースがすぐに減る日々が続いていた。

といっても都心部ほどにジメジメした暑さじゃあない。

堀之内は東京都といっても丘や森がいたるところに点在するから、ちょっとくらいの暑い日ならすがすがしく感じる。

ぼくの家なんか川のほとりにあるから、川のせせらぎを聞いてるだけでもなんだか涼しく感じるもんだ。

「英太ー、もう時間じゃないのー?」

でも今みたいに朝から母親が暑苦しく呼ぶことで気温が上がる。

「わかってるよ、子供じゃないんだから」

「アンタなんかまだ子供よ」

うちのお母さんは毎日、学校に持っていく弁当を作ってくれる。

その弁当を受け取って、出かけるために玄関でクツを履こうとしているとお母さんが話しかけてきた。

「ねえ英太」

「ん?」

ぼくはそっけなく返事をする。

「陸上はどう?」

「どうって?」

ぼくはクツの紐を結びながら答えた。

「やってて楽しい?陸上」

「うん。そうだね」

朝からお母さんと会話をするのは、なんだか恥ずかしい。

とっとと会話を終わらせて出かけたい。

「そう、楽しいんだ。意外だね」

驚いたような声を上げたので、ぼくは振り向いて聞いた。

「意外?なんで?」

「だってあんた中学じゃ吹奏楽部だったじゃない。それがいきなりマラソンだなんて。楽しめるのかなって思ってね」

「マラソンじゃないけどね。でも、なんでか楽しい気がする」

自分でもなんで楽しいかなんてわからない。

「そうなんだ。じゃあいいか。辛いんだったら無理しなくてもいいかなって思ったから聞いてみただけ」

お母さんはそう言って台所へ向かった。

「じゃ、行ってきまーす」

ぼくは台所の方向にそう言って玄関を出た。

今日も少し暑い。

楽しむ、か。

なんでだろ、ただ単に練習で走るだけなのに。

なんで楽しいのか。

楽しさに理由なんて求めることないかもしんないけど、陸上が楽しめてる理由をちょっと考えながら学校へと向かった。

だいたい、陸上部に入った理由すらよくわからないんだから深く考えてもしょうがない気もするけど。

 

 

でもこの後、ぼくは知ることになる。

みんなには、みんなの理由がちゃんとあって陸上部を選んだことを。

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2008年5月 9日 (金)

空の下で24.理由(その2)

今日の練習は参加者が少ない。

昨日まで地区予選大会だったから、二年生の雪沢センパイと穴川センパイは今日は疲れを取るという事で休みなのだ。

センパイ達がいないってことで一年生も「まあいいか」という感じで休んでいるヤツが多い。

いつもの練習時間に校庭に現われたのは、ぼくと牧野と天野、それと大塚未華と若井くるみの5人だ。

さっそく未華が大声を出す。

「なんだよー、これしかいないのかよー。やる気ないなー」

くるみはその大声にビックリしながらも未華に言った。

「き、きっとなんか用事あるんだよ。みんな」

するとホクロくんこと天野が腕を組んで答える。

「じゃあ俺たちは用事も無い人ってことかよ」

「ご、ごめん、そういう意味じゃ・・・」

謝るくるみの声は最後の方はちっちゃくて聞こえなかった。

ぶっ殺すぞ!天野!!

とか言いたくなったが、まあ仕方ない。

未華が仕切りなおす。

「とにかくさー。雪沢センパイに練習メニューもらってあるからやろうよ」

「おー、さすが大塚。さっすが」

何故か牧野が未華を褒めまくる。

練習メニューは男女別で組まれてるので別行動をとる。

つまり今日のぼくの練習は牧野と天野と3人でやるんだ。

「なんか二人とも野がつくから呼びにくいね」

ぼくは素朴にそう言った。

すると牧野が手を挙げて言った。

「んじゃ、あだ名つけるか!オレは牧野清一だからマキセイ!」

「いや、意味わかんないし、どことなく化粧品メーカーっぽいし」

「じゃあなんだ、麒麟がいいか」

「確かに短い。ってゆーか、やっぱ意味わかんないし」

「じゃあ牧野だからマッキーにする?あ、歌手の感じじゃなくてマジックペンな感じでマッキー。どうどう英太?」

「牧野でいいよ」

「あ、つめたー!」

ぼくと牧野が盛り上がってると天野が口を出してきた。

「俺は?」

すぐに牧野は言った。

「おまえホクロくん。決定」

「えっ」

天野は絶句したまま止まってしまった。

さすがに牧野もあわてて訂正した。

「あ、あーーと、確か天野って下の名前は匠だよな。じゃあいいじゃん、たくみで。あんま他にいないし、たくみ」

天野は怒るかと思ったけどうなずいた。

「たくみね。いいね。面白いよ牧野」

「え、何が・・・」

なにが面白いのかは知らないけど、とにかくぼくは練習メニューを見た。

「えーと、60分ジョックと400mダッシュを5本だってさ」

「ほう」

天野・・・・・いや、たくみは腕を組んで偉そうにうなずいた。

「じゃあやるか」

たくみはどうやら仕切りたいらしい。

たくみを先頭にして3人のジョックは始まった。

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2008年5月13日 (火)

空の下で25.理由(その3)

天野たくみ。今つけた呼び名は「たくみ」

こいつと最初に会ったのはいつだったっけ。

初めて陸上部の見学に来た時にはいたんだっけ。よく覚えてない。

実のところ高校入学してから一か月経つのに、たくみとの会話ってあんまり覚えてないし、たくみが誰と何を会話してるのか、あんまりわからない。

ただ、仮入部の時から周りの発言にゴチャゴチャとイチャモンつけてるのはよく覚えている。

雪沢センパイが「こうやる」と言っても「なんで?」とか「どういう意図で?」とか質問ばっかだ。

そして鼻の横についているホクロばかり気にしてる。・・のはぼくだ。

たくみの鼻の横には少し大きなホクロがあって、それがいつも気になる。

「おい、聞いてるのか英太」

「ん?」

たくみに言われて、今ジョックし終わったところだと思いだした。

「なんかボーっとしてたぞ。ふふん」

たくみは自慢気な顔をした。

「ボーっとするのはたるんでる証拠だな」

なんでこんな偉そうなんだ?

まあ、たくみはいつもぼくより少し早いから文句は言いにくいけど。

「さて、英太、牧野。雪沢センパイの書いたメニュー通り400mを5本やるか」

たくみに言われて牧野が文句をつける。

「なんでおまえが仕切るんだよ」

「いいじゃん。オレ今日まで一日も部活休んでないし」

何故か腕を組んで微笑むたくみ。

「いいけどさ、休んでないのはオレも英太も同じだぞ」

牧野がそう言うとたくみは困惑した顔になった。

「な、なかなかやるな。さすが牧野」

「は?意味不明。ま、いいや、早くやろうか」

牧野とたくみは校庭にあるトラックに向かって歩き出した。

そこでぼくは二人に呼びかける。

「ちょ、ちょっと待って。400mを5本って何?」

するとたくみが答えてくれた。

「そのままだ。400mを5回走るんだ。全力で」

たくみが当たり前だろって顔でぼくを見てた。ホクロが気になる。

「まぁホントは80%くらいの力で5回走るんだけどな。今日はセンパイもいないし全力でやってもいいだろ。わかりやすいから。ジョックとかばっかだと体力はつくけどスピードつかんからな」

「スピード?」

ぼくは今度は牧野の方を見た。

しかし牧野ではなくたくみが答える。

「長距離だってスピードは必要だよ。知らないの?」

知るか。

「まぁ、そのうちわかるよ」

同じ一年なのに偉そうな感じだ。

とにかくスピードを鍛える練習な訳だ。

でもいつも走ってるのは10キロとかだ。

400mくらいなら5回走ってもそんなに辛くはないだろ。

一回くらいは牧野とたくみに勝っておく気でやろう。

気合を入れてぼくは言った。

「よし、早くやろう」

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2008年5月16日 (金)

空の下で26.理由(その4)

多摩境高校の校庭にあるトラックは200mだ。

つまり400m走るには2週するってことになる。

スタートの合図は大塚未華がやってくれることになった。

若井くるみは横で体育座りしてタイムを計ってくれるらしい。

またその体育座りがかわいい。

座ってるから、見上げる視線になるんだけど、その見上げてる表情に見とれそうになる。

まさかぼくを見てるんじゃ・・・ないよなあ。

明らかに大塚未華の合図を待って未華を見てる。

その未華の事を牧野がチラチラ見てるのは知ってる。

牧野のやつ、部活内恋愛かよ。

ぼくは若井くるみはかわいいって思うだけだ。好きなわけじゃない。絶対。

そんなこと考えてるうちに未華が言った。

「よーい、スタートー!」

ぼく、牧野、たくみが一斉に飛び出す。

短期集中!400mだ。

「え?!」

思わず声が出た。

たくみが早い。

いや、ぼくより早いのは前から知ってる。

いつもセンパイ二人と名高の次にジョックでゴールに着くから。

でも今、400mを走るたくみの早さはそれとは違う。

牧野も必死に追うが結局、たくみがダントツ一位で牧野が次にゴールし、ぼくはビリケツだった。

「どうだ」

たくみは息を切らせながらも自慢気な顔してる。

「これが一日も休んで無い力だ」

また牧野がツッコム。

「3人とも休んでないっつーの」

 

 

2分休憩して2本目だ。

再び未華が合図を出す。

飛び出す、たくみ。牧野が追う。ぼくは遅れる。

400mのたくみは早い。いや、速い。

2本目、3本目もたくみが一位だった。

「はあ、はあ・・・どうだ。これが」

「休んでない力だろ」

たくみが言い終わる前に牧野がつっこんだ。

再び未華が合図の準備をする。

その時、未華がくるみの計ってたタイムを見て言った。

「へぇ、面白くなってきたじゃん!次の4本目は見ものだよ」

はあ?

なんのことだ?

よくわからなかったが牧野の目つきが変わった。

 

 

「よーい、スタートー!」

飛び出すたくみ。追う牧野。遅れるぼく。

一位はまたも、たくみ。

しかしすぐ牧野がゴール。ぼくだけ遅れた。

息切れしながらも目が死んでない牧野。

逆に、勝ったたくみが驚いていた。

 

 

そしてラスト5本目。

ついに牧野がたくみを抜いた。

すげえ。牧野!

と思ったら、ぼくもたくみに追いつきそうだった。

でもギリギリで追いつけないままでゴールした。

「くっそーーーー」

叫んだのはたくみだった。

「やっぱりか!!」

たくみはそう叫んだ。

やっぱり?

どういうこと?

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2008年5月20日 (火)

空の下で27.理由(その5)

悔しそうにするたくみ。

まあ五戦全勝するつもりだったろうから悔しいのはわかる。

でも「やっぱり」ってのはなんだろう。

そういや途中で未華も「面白くなってきた」なんて言ってたっけ。

その未華は、くるみと二人でストレッチするからと言って体育館へと消えていった。

こうなるとたくみに聞くしかない。

「えーと、たくみさぁ」

話しかけると、たくみは睨んできた。

「なに?英太」

ケンカ腰だ。ホクロがひくひくしてる。わけない。

「やっぱりってのは、なんなの?」

「持久力だよ」

「持久力?」

ぼくは牧野を見た。

牧野も何の話だかわからなそうな顔をしてる。

「持久力がどうかしたの?」

「差が出た」

「え?」

たくみは急にぶっきらぼうな口調になった。

いじけてるとしか思えない。

さっきまで雄弁に語ってたくせに、面倒なヤツだ。

牧野もイライラしてきたらしく、たくみに強い口調で聞く。

「で?なんなんだよ差って。メンドイからわかりやすく話せよ」

牧野の強い口調に、ぼくはどきっとした。ケンカになるんじゃないか・・。

でもたくみは素直に答えた。

「オレはスピードには少し自信があるんだ。でも持久力に自信がない」

「じゃあ短距離やればいいだろ」

牧野はまだ強い口調だ。

「長距離が好きなんだよ。長い時間レースを楽しめるだろ」

長い時間走るのが楽しいのか辛いのかは人による。

「だから1500mとかまでは自信があるんだよ。けどそれ以上の距離になるとタイムが悪くなる。でも5000mとかの長いレースに出たいんだよ、オレは」

なるほど。

だから今やった400m5本も、だんだんとタイムが悪くなり、最後には牧野に抜かれたってことか。

「オレと違って牧野は5本目までタイムがあんまり悪くならなかった。そんでちょっと悔しくってさ」

たくみはやっといつもの表情に戻った。

自分の悩みを打ち明けて気が楽になったのか。

そしてたくみは牧野に言った。

「オレはもっと持久力つけて強くなるからな。だから休まず練習に出てきてるんだ」

ああ、そういう理由で皆勤賞なわけ。

すると牧野は答える。

「じゃあ俺はスピードつけるかな」

みんな持ってる能力が違うんだな。

ただ走るってだけの競技なのに。うーん、深い。

「それにしても、英太って」

「ああ英太か」

牧野とたくみが揃ってこっちを見た。

「1本目より5本目の方が早いってどういうことだよ。一体」

「え?」

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2008年5月23日 (金)

空の下で28.理由(その6)

「5回目の方が早かっただぁ?」

翌日の登校中に日比谷にそう驚かれた。

たまたま多摩境駅を降りたら日比谷がいたので一緒に高校まで歩くことになったんだけど、昨日の400mの話をしたら、陸上部でもない日比谷が「スッゲ」とか言って食いついてきた。

「英太、それってスッゲーよ。マジで。スッゲ」

日比谷の興奮の方がスッゲーよ。

「そうかなあ、たまたまな気がするけど」

「いや英太。よく考えてもみろって。4回走って疲れてるのに5回目でさらに早くなるなんて異常だぜ絶対」

「い、異常ですか・・・」

「そうだよ異常だよ。だっておまえ、吹奏楽部の時だって4回同じ曲を演奏したら5回目の演奏じゃ、疲れてフォルテッシモ出ねーよ」

「ああ、そういやそうだったなあ」

日比谷と一緒だった中学時代の吹奏楽部を思い出す。

「だろう?後半に伸びるってのは英太の特殊能力だよ。スッゲーよ」

そんなに褒められると調子に乗っちゃいそうだ。

「そういや日比谷は吹奏楽部どうなの?」

日比谷はにたーっと笑い、答えた。

「実は夏にブラス・サマーフェスティバル2008ってのが橋本であってよ」

橋本ってのは多摩境の隣の駅だ。

「それに出るんだよ。吹奏楽部。もちろんオレも出るぜ。今、猛特訓中なわけよ」

「へーすごいじゃん!見にいくよ絶対」

「オレの晴れ舞台、しかと見届けろよ」

いつのまにか日比谷は目標まで定めて練習してたのか、と感心する。 

「あれ?英太、あいつ陸上部のヤツじゃない?」

突然、日比谷が指さしてそう言った。

その先には確かに、ぽっちゃり大山がいた。

ホームセンターの駐車場に一人で座ってる。

ぼくと日比谷は大山の座ってるとこまで行った。

大山はうつむいたまま動かないので、ぼくから話しかけた。

「大山、どうしたの?」

すると大山は疲れた表情でこっちを見た。

「ああ、英太くんか」

大山はどっこいしょって感じで立ち上がる。

何故かリュックを二つも持ってる。重そうだ。

「ちょっと疲れちゃってさ。休憩してたんだ」

「ふーん。なんでカバン二つも?」

大山はリュックを見て答えた。

「ああ、ぼく陸上部でも一番遅いじゃん?太ってるし。さっさと痩せて早くなるためにさ、重い物持って鍛えてるんだ。痩せるために陸上部入ったからね」

大山の言葉を聞いて日比谷が感心した声を出す。

「スッゲ。ドラゴンボールみてえだな」

「Z?」

「いや、初期の」

その後は3人で学校へ歩いた。

この時、ぼくはすでに大山がカバンを二つ持つ理由を勘違いしていた。

その勘違いに、ぼくはもっと早く気づくべきだった。

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2008年5月27日 (火)

空の下で29.理由(その7)

毎日ジョックばかり繰り返していた5月中旬の月曜日。

アップした後に雪沢センパイが言いだした。

「今週はスピードトレーニングをする」

そのセリフに思わずたくみを見た。

たくみは腕を組んだまま頷いていた。

偉そうな態度だ。でも少し笑っているようにも見える。

やっぱりスピードには自信があるからか。

そして名高も不敵な笑みを見せて言った。

「やっとですか。待ちくたびれましたよ」

たくみにしろ、名高にしろセンパイへの言動には気をつけてもらいたい。

でも雪沢センパイは気にしない感じで話を続けた。

「今週末はオレの都大会もあるからな。スピードも鍛えたいんだ。それで今日は1500m×5本のインターバル走をやる」

「え、1500を5本?!」

声を上げたのは牧野だ。雪沢センパイはニヤリと笑って言う。

「どうした牧野」

「あ、いや、キツイなーって」

牧野は苦笑いで答える。

その表情だけで今日のメニューがキツイと想像がつく。

「まあガンバレ牧野」

「は、はい」

苦笑いの牧野に代わって、たくみが質問した。

「インターバル走ってーと、1500mと1500mの間はどうするんですか」

そういえばインターバル走ってなんだ?

  

この後の、たくみと雪沢センパイの会話でわかったのはこうだ。

1500mを全力の8割ぐらいの力で走る。

ゴールしたら休憩せずに1000mを、ゆーっくりジョックするそうだ。

1000mジョックしたら再び1500mを8割の力で走る。

それを繰り返して1500mを5回走り切ったらゴールだ。

 

うーむ、キツイようなそうでもないような。

悩んでいると穴川センパイが言った。

「ま、一年にゃキツイかもな。必死でついてきな」

それを聞いて名高がため息をした。

 

 

最初の1500mは楽しかった。

案の定センパイ二人と名高、たくみだけ前にいる展開だったが、久しぶりにやったレース感覚が快感だった。

やっぱり競争はいい。

ジョックした後の1500m二本目。

ゴールしたところで倒れこみそうになった。

そして3本目。4本目。

ほとんどジョックと変わらないスピードだったような気がする。

でも4本目にはたくみを抜いた。

ラスト5本目はほとんど記憶がない。

ただ、つらい。それだけだ。

練習終了時に雪沢センパイが言った。

「今週は木曜日まではインターバル走だから覚悟しといてね」

誰か死ぬんじゃねーの?

「こんなんだと・・・」

ぽっちゃり大山がつぶやいた。

「痩せるどころじゃないね」

そう言って大山はフラフラと帰宅した。

痩せる?

やっぱり痩せるために走ってるのかな。

ぽっちゃりだからなぁ。

みんな色んな理由があるんだな。

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2008年5月30日 (金)

空の下で30.理由(その8)

次の日は800m×8本だった。

正直、楽しいのは2本目までだった。

昨日もそうだったけど最後までトップを争っていたのは雪沢センパイと名高だった。

6勝2敗で雪沢センパイが勝ったそうだ。

ということは2回、名高が勝ったことになる。

穴川センパイは、たくみと3位を争っていたみたいだ。

練習後に穴川センパイが凄い形相で名高をにらんでいるのを見た。

「うぜえ」

睨まれてる名高はそうつぶやいた。

 

 

練習も終わり、学校から駅までの道をたくみと歩いているとホームセンターの駐車場に大山が座っていた。

こないだと同じ場所だ。

「あ、英太くん、たくみくん」

大山はこっちに気付いて立ち上がった。

「二人は仲いいんだね」

は?たくみと仲がいい?最近話すようになっただけなのに。

ぼくはそう思ったのに、たくみは不敵な笑みを浮かべながら「まあ、陸上もチームワークだからな」とか意味わからんことを口にし、さらに続けた。

「それにオレと英太は今んとこ実力的にライバルになりつつあるし、英太の弱点でも探ろうかと思って一緒に歩いてたんだ」

これにはぼくも驚いた。

「え?そうなの?ぼくの弱点を?」

「そうだよ。気付かなかった?英太、日に日に早くなってるからさ、負けないように努力すんのは当然だろ」

なんだか努力の方法が違う気もするけど「ぼくが早くなってきてる」という話の方が気になった。

「ぼくって少しは早くなってきてるのかな」

質問するとたくみは下唇を出して言った。

「オレ、質問するのは好きだけど質問されるのは嫌なんだよね」

ムカツクヤツだ!

すると横で見てた大山が言った。

「ボクいっつも後ろから見てるけど・・・まあ後ろから見た感想だけど英太くんって後半すごい伸びるよね。すごいなって思う」

「そ、そう?」

なんだか褒められた気がして恥ずかしくなってしまった。

「逆にたくみくんって前半で一気に前に出て差をつけるよね。すごい度胸だなあって思う」

「だろ!よく見てるな大山」

たくみも褒められた気になったらしくニヤニヤしている。

ところがたくみは急に怪訝そうな顔をした。

「ん、どうした、たくみ」

たくみは大山のカバンを指さして言った。

「大山、なんでカバン二個持ってるんだ?」

質問されて大山は言いにくそうにしてるので、かわりにぼくが答えた。

「大山はさ、体力作りのために重いカバンを二個持って歩いてるんだよ」

するとたくみは「バーカ」と言って、二個のうちの片方のカバンを軽々と持ち上げた。

「これのどこが重いんだよ、英太」

「あ、あれ?どういうことコレ?重いんじゃなかったの?」

大山を見ると、彼はうつむいていた。

それを見てたくみは言った。

「これって小学生並みのイジメだろ?」

「い、イジメ?」

「そうだよ超古典的なイジメ、カバン持ちだよ」

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2008年6月 3日 (火)

空の下で31.理由(その9)

そういえば小学生の頃にあった。

みんなのカバンを一人で持ち歩かせるイジメが。

あの頃はカバンというかランドセルだったけど。

でも高校生にもなってカバン持ちなんてやらされてるヤツなんてホントにいるのか。

 

 

たくみは得意の質問を大山にぶつける。

「誰だよ、いまどきカバン持ちなんてやらせるのは」

大山は下を向いたまま答えない。

それでもたくみは質問を続ける。

「誰だって聞いてるんだよ。陸上部のヤツか?どこまで運ぶんだ?」

大山は下を向いたままだ。

なんだか教師と生徒のやりとりみたいだ。

きりがないのでぼくは大山に言った。

「ねえ大山、誰のカバンだか知らないけどさ、ちゃんと断った方がいいよ。こういうのは断らないとさ、ずっと続くからさ」

「剛塚くんのだよ」

「え?」

「剛塚くんに持たされてるんだよ。それだけだよ」

ぼくとたくみはその場に立ち尽くしてしまった。

「剛塚か」

たくみはふうっと息を吐き出して言った。

「英太、剛塚のイジメだとよ。どうするよ」

剛塚ってあのコワモテの剛塚だよな。

いつも大山と後ろの方を走ってるヤツだ。

顔の堀が深くて目つきのするどいヤツだ。

正直言って、ちょっと怖そうだから今まで避けてきた。

中学の時は不良グループにいてケンカが多かったって噂だし。

なんだか面倒なことになりそうだ。

平和に見えた陸上部だったけど、影ではいろいろあるのかも知れない。

長距離の顧問の話だってそうだ。

短距離には先生がいるのに長距離には先生がいない。

この前、その事をたくみが雪沢先輩に質問したとき、先輩達は質問をはぐらかした。

なんか変な空気がした。

今日はあの時と同じ空気だ。

ぼくの知らない所で何かトラブルが起きているんだ。

なんだか嫌な気分だ。

「みんなには言わないでね」

沈黙を破り、大山はそう言ってカバンを二つとも肩にかけた。

それを見てぼくは何か言いたかったのだけど何も思いつかなかった。

どうしたらいいのか、よくわからないから。

でも、天野は構わずにまた質問だ。

「剛塚のカバン、アイツの家まで持っていくのか?」

「うん」

「面倒だろ?自分で持ってかせないのか?」

「うん。面倒だけど、しかたないよ。中学2年の時からだから」

そうか。

大山と剛塚は同じ中学なのか。

だから高校になっても中2の頃からのカバン持ちが続いてるんだ。

ということは2年間以上も持たされてることになる。

長い。これは長い長いイジメだ。

なのに大山はこんなことを言って帰って行った。

「まあ、剛塚クンにも色々あるからね」

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2008年6月 6日 (金)

空の下で32.理由(その10)

「大山が剛塚に?」

翌朝、いつもの多摩境駅から学校への道で牧野に事情を話した。

牧野の驚いた声が大きかったので誰かに聞かれたんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、誰も気づかなかったみたいだ。

そのまま学校へと歩きながら話す。

「なんでだよ」

「理由は知らないけど、どうも中学の時からイジメにあってたみたいだよ。ほら、剛塚って中学の時は悪い連中とつるんでたって話じゃん」

これは高校入学当初から出てた話だ。

剛塚と同じ中学のヤツが言ってた話だから間違いない。

「それで、高校では部活も同じ大山に目をつけたってことか?」

牧野は眉間に皺をよせながら歩く。

「多分そうなんじゃないかなー」

「でも英太さあ、高校にまでなってカバン持ちだなんて・・・」

牧野はまだ眉間に皺を寄せてる。

「まあ大山のヤツ、トロイからな。確かにイジメに遭いそうだけど。辛そうにしてるとこ見たことないぞ。練習は辛そうだけど」

確かに牧野の言う通りだ。

剛塚に何か言われてるところも見たことないし、イジメがあって学校が辛いって感じもしない。

それどころか昨日の大山の発言は剛塚をかばってる感じすらあった。

だいたい、カバン持ちなんて子供っぽすぎる。

「それよりさ」

牧野は眉間の皺を解いて言った。

「昨日の爆笑TV見た?すげえ面白かったぜ」

そう言って牧野は思い出し笑いを始めた。

部内の問題より、昨日のお笑い番組の方が大事らしい。

「牧野、もっと真剣に大山のこと考えてよ」

「なに言ってんだ英太。最後まで聞けよ。オレが言いたいのは、こういう明るい話題が似合う陸上部であってほしいって話だよ。わかんないのかよ」

「TVの話したいだけでしょ」

「あー英太、今オレのことバカにしただろ。それこそイジメだよ」

なんとなく話題が逸れていき、結局J-POPの話題をしていると後ろから雪沢先輩に声をかけられた。

「おはよう相原、牧野」

「あ、おはようございます」

雪沢先輩の顔を見て、大山の話題をしようかと思ったけど、その前に牧野が言った。

「雪沢先輩、土曜の試合、ガンバッてください!」

「お、ありがと牧野。全力で頑張るよ」

そうか。もう都大会か。

うちの長距離で唯一、都大会に出る雪沢先輩の応援をしなくちゃ。

「ぼくも全力で応援します!」

なんだか力いっぱい言ってしまった。ちょっと恥ずかしい。

すると雪沢先輩は言った。

「応援よろしくな。でももうお前らも応援だけじゃなくなるぞ」

「はい?それって?」

「言ってなかったっけ。来月に行われる多摩川ロードレース大会の10キロの部にみんなで出るんだよ。出場資格とか特に無い大会だから」

「え?みんなって一年もですか?」

「そうそう。長距離チーム全員だよ。おまえらのデビュー戦だよ」

「で、デブー戦?!」

「牧野、発音が・・・」

デビュー戦か・・・・・・。

心臓がドクンドクンと強く鼓動を打った気がした。

いよいよぼくらも大会で出場できるんだ。

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