2.空の下で-梅雨

2008年7月18日 (金)

空の下で ~梅雨~  目次

 

梅雨の部  全編

・・・顔つきが変わった。それは後から気付いたことだ。後から思えば、この「大会に出る」という話を聞いたところで、みんなの顔つきが変わったような気がしたんだ。

仲間たちはそれぞれの理由と想いを抱え、ついにデビュー戦を迎える。

 

↓個別

理由(その1)

理由(その2)

理由(その3)

理由(その4)

理由(その5)

理由(その6)

理由(その7)

理由(その8)

理由(その9)

理由(その10)

理由(その11)

理由(その12)

理由(その13)

 

デビュー(その1)

デビュー(その2)

デビュー(その3)

デビュー(その4)

デビュー(その5)

デビュー(その6)

デビュー(その7)

デビュー(その8)

 

期末試験中

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空の下で44.期末試験中

七月中旬。

小雨や曇りの日よりも、ムシ暑い日が多くなってきた。

それでも梅雨明け宣言はまだ沖縄と九州だけらしい。

梅雨明けの基準ってのは一体なんなんだ?

ぼくの住む東京郊外の八王子市は都市部ではないので、新宿とかに比べれば爽やかな暑さって話だけど、やっぱり暑いものは暑い。

 

 

今日からは期末テストだから、昨日は夜三時まで勉強した。

「アンタもガンバルようになったわねー」

なんて母親が喜んでプリンなんか買ってきてくれたが、なんてことはない。

暑くて寝れなかったから勉強してみただけだ。

でも超好きな「パステル」のプリンだったからテンション上がった。 

せっかく机に向かったけど、最初の一時間は机の整理整頓に時間を費やしてしまった。

次の一時間は整理してたら出てきたマンガを読んでしまった。

ラスト二時間はちゃんと勉強したんだけど・・・・・。

 

 

「あちい・・・」

教室に辿り着くと、思わずそうつぶやいた。

この学校は冷房完備なんだけど、窓側の席は日光がサンサンと降り注ぐから、日光のエリアに入ってしまっているぼくの席は、梅雨の湿度と相まって亜熱帯みたいになってる。

あ、亜熱帯って言葉は昨日、地理の勉強してる時に覚えた。

「よ!英太!今日は張り切ってテストをクリアしようぜ!」

同じクラスの日比谷が元気全開でそう言った。

「元気だねー日比谷は」

「ロンモチだよ!あ?ロンモチってモチロンのことな」

日比谷は何故か腕を組んで偉そうに言った。

「でもよ、英太は勉強してきた?今日は地理と歴史と英語だけど」

「朝三時までしてきたよ」

「マシで?すっげ、すっげ!マジすげーな英太」

そこへ牧野がやってきた。

話しかけようと思ったけど何やら英単語帳を見つめてブツブツ言ってるので話すのはやめておいた。

陸上部のみんなは勉強が苦手なヤツが多いらしい。

未華なんて昨日から青い顔して、おとなしくなってしまった。

体の調子が悪いのかと思って「どうした?具合悪い?」と話しかけたら「話しかけんな。シャラップ!」とか言って睨まれた。

テストだからってピリピリしすぎだ。

 

 

テスト1日目が終わり、すぐに家に帰ってまた勉強だ。

帰りは小雨が降っていた。

おかげで家はムシムシ度がパワーアップしていた。

またも寝れない湿度と暑さなので、しかたなく勉強をする。

明日は数学と化学という理系の日だ。

机の上をさらに整理すると、中学の時に使っていたトランペットの教本が出てきた。

「おー。懐かしいな」

トランペットは今でも好きだ。

吹奏楽の中でも、主旋律を奏でたりすることが多くて人気なパートだ。

トランペットを選んだ理由はよく覚えてないんだけど、これをやれば少しモテたりしないかなーなんて不純な動機も少しあった気がする。

でも全くモテなかった。

やっぱりモテるモテないってのは人間そのものの話だ。

モテるといえば・・・

若井くるみってモテるのかな・・・。

そう思ったとたん胸が苦しくなった。急に不安が襲ってきた。

その不安を取り払うために、勉強に集中した。

 

 

期末テストの期間が終わり、テスト返却日となった。

ぼくは連日寝ないで勉強したせいで一夜漬けの効果が出たのか、それほど悪い点数ではなかったので補習とかにはならないで済んだ。

一番点数が悪かったのは牧野で、2科目ほど夏の補習を受けることになってた。

ぼくは未華の点数が悪いんじゃないかと思ってたんだけど学年でトップクラスの点数だった。

あの青い顔はなんだったってんだ・・・。

そうしてぼくらの一学期は終わった。

色々あった。とにかく部活に明け暮れた一学期だった。

なんかあっという間だった。いつもより早く過ぎた気がするのはなんでだろ。

でも一息してる暇はない。

五日後には山梨県の山中湖での夏の合宿が迫っていた。

 

 

 

空の下で 梅雨の部「期末試験中」 END → NEXT 夏の部「合宿編」

 

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空の下で43.デビュー(その8)

ぼくらのデビュー戦となった多摩川ロードレース大会の次の日からまた梅雨空に戻ってしまった。

シトシトと雨が降ったり、雨は降らないんだけど雲に覆われていたりと、相変わらずな灰色に染まる世界だ。

 

 

デビュー戦の結果をふまえて、8月の下旬に行われる「多摩選手権」の出場メンバーと出場種目を決めると、雪沢先輩は言っていた。

多摩選手権とは、ちゃんと東京都の高校陸上連盟の公式戦で、多摩地区の高校の選手が出場する大会だ。

でも、これで勝ったからといって上の大会に進めるわけではない。

雪沢先輩いわく、力試しの記録会だ。

でも力試しはデビュー戦で充分だった気もする。

とりあえず牧野とたくみにもギリで勝ったし、一応ひと段落って気分だ。

ところが、そんな訳にもいかない事態になってきそうだ。

デビュー戦のあと、牧野とたくみがすごい練習熱心になっていたからだ。

 

 

今日はポツポツと雨が降ってはいたけど外でやることになった。

いつものように学校を出て小山内裏公園の中を40分走る練習だ。

最近、公園内を走るスピードが前より早いから、ついてくのが大変だってのに、牧野とたくみは必死でついていく。

時には穴川先輩を追い抜きそうになるくらいだ。

すると穴川先輩はものすごい形相で「ぶっつぶす」と言いながら二人を突き放す。という展開だ。

でも、二人と穴川先輩の差は確実に縮まってきている。

それに着いていかないといけない訳だから、ぼくも必死なわけだ。

正直な話、デビュー戦が終われば少しのんびり練習しようかと思ってた。

でもそんな消極的な考えは牧野とたくみにブチ壊された。

いや、ブチ壊してくれたって事なのかもしれないけど、毎日キツイ。

 

 

今日もフラフラで練習を終えた。

部室に戻ってみんなで着替えてると雪沢先輩がぼくに言った。

「おまえら3人、すごいライバル心だなあ」

「ライバルですか?」

ぼくは牧野とたくみを見た。二人は気がついてこっちを見ている。

「ぼくらってライバルですかね」

「いいライバルだと思うよ今は。今後はどうなるかわかんないけど。結局は誰かが勝つしかないわけだしね」

誰かが勝つ・・・か。

「まあ競い合ってミックスアップしなよ」

「はい?ミックスなんですか?アップル?」

ぼくはそう聞くと、雪沢先輩はすっぱそうな顔した。

「ミックスアップだよアホ!」

見ていた牧野は物凄く嬉しそうな顔してぼくの頭をはたいた。

「いて!いてーな牧野。じゃあなんだよミックスアップって」

牧野は視線をそらした。

「知らないんじゃないかよ」

牧野は口笛を吹いた。古いごまかし方だ。しかも口笛はうまく鳴ってない。

仕方ないので雪沢先輩に聞いた。

「で、なんですかミックスアッパーって」

「どんなアッパーだよ。それで相手のボクサー倒せるのかよ」

牧野はすぐツッコンでくる。もうミックスなんとかの正解の単語が何だかわかんなくなってきた。だいたい口笛はどうした。

「ミックスアップな。つまり、実力が拮抗した者同士が競うあうことで、お互い刺激しあって実力が伸びることだよ。今のお前らがそうだよ」

やっと雪沢先輩が解説してくれた。

実力が拮抗した者同士か。

「まあ、あのデビュー戦がいいキッカケになったってコトだな。来週は練習ないけど、今の気持ちを切らすなよな」

「はい!」 

牧野とたくみは二人で気合の入った返事をした。

でもぼくはよくわかんなかったので牧野に聞いてみた。

「え?え?牧野、来週は練習休みってナニ?」

すると牧野に代わってたくみが答えた。

「期末テストだけど」

「きま・・・」

忘れてた!

ぼくは口が空いてしまった。

すっかり忘れてた。やばい、勉強してない。中間テストもよくなかったのに・・・。

ぼくが口を空けたままにしてると雪沢先輩は言った。

「なんだ相原。テスト厳しいのか?ちゃんとやれよ勉強も。ちゃんとテスト終わらせたら、いよいよ夏のメインイベントだからな」

「はい?!ま、まだ何かあるんですか?」

かなりビビッてしまい、久し振りに声が裏返ってしまった。牧野がツッコむ。

「おー、英太、ハスキーボイスー」

それにはかまわずに雪沢先輩は答えた。

「合宿だよ。夏合宿」

「な、夏合宿?!」

その単語からは、楽しそうな厳しそうな、なんとも言えない空気が漂っていた。

 

 

空の下で 「デビュー編」END → NEXT 「期末試験中」

 

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2008年7月15日 (火)

空の下で42.デビュー(その7)

最後のスパートをかけると、時間の流れがいつもと違うように感じた。

このランナーたちだけが他とは別の時間で進んでいるかのような感覚だ。

自分の息の音しか聞こえなくなった。

見えているのは過ぎ去る直線の景色と、前にいるたくみの背中、横にいる牧野の片腕だけだ。

直線を走り切り競技場へと入る。

たくみはもう目の前だ。

と、思ったらすぐにたくみを抜くことができた。

ついに、たくみを抜いた。 

よし、と思った瞬間、牧野がぼくより前に出た。

一瞬の油断だった。たくみを抜いた一瞬の油断だ。

必死で牧野を追う。

だが数メートル前に出た牧野に追いつけない。

離されるわけでもないが、追いつけもしない。

今度は後ろから足音が聞こえてきた。

たくみが必死に追いかけてきたんだ。

たくみにはスピードがあるから、もしここでスピードに乗られると、もう二度と追い付くことはできないし、なんといってもあと200メートルしかないから追い抜かれたらおしまいだ。

やばい。

どうする?

もう気合いしかない。

き、気合いだ!

スポーツ選手の最後の武器は気合いだ!

うおー、と心の中で叫んで足と腕をがむしゃらに動かした。

最後の100メートルに入っても3人に位置関係は変わらなかった。

気合いだ!勝つんだ!

ここまで来て負けてられるかバカ野郎。

動け、足よ。動け、腕よ。

もう一度、うおー、と心の中で叫んで走る。

今度は少し声に出てしまった。

そしてそのままゴールラインを突っ切った。

 

 

空が見えた。

スタート時には曇っていたのに、いつのまにか晴れていた。

雲の流れが早い。

遠くにはまた別の大きな雲が見えるから、午後にはまた曇るんじゃないかな、と考える。

梅雨なのにこの時間、ここだけ何故か晴れてるという感じの空だ。

「大丈夫かよー」

未華の声がした。

気づくと未華とくるみがぼくを心配そうに見ていた。

どうやらぼくはゴールしてそのままフィールドに倒れ込んだようだ。

そういやそんな記憶がある。

くるみが心配そうな声で言った。

「大丈夫?英太くん、起き上がれる?」

言われてぼくはフラフラと立ち上がった。

フラフラしてるっていうのに未華はぼくの背中を叩いて言った。

「ホラ、ちゃんとクールダウンした方がいいぞ。全力で走ってすぐに倒れ込むのは体によくないからさ」

まるで体育教師みたいだ。

そんな体育教師・未華にぼくは聞いた。

「牧野とたくみはどこ行った?」

「あいつらはゴールした後、すぐにクールダウンでジョックしに行ったよ。英太くんに負けて悔しそうだったけどなー」

「え?負けた?」

ぼくがそう聞くと未華は意外そうに答えた。

「なんだよー、夢中でわかんなかったの?最後のスパートで英太くんが勝ったんだよ。その後が牧野くんで次がたくみくん」

続けてくるみが言った。

「すっごい接戦だったんだよ。見ててハラハラした」

そうか、接戦でなんとか勝ったんだ。

やった。

心から嬉しさが込み上げてきた。

 

 

すぐにクールダウンしている牧野とたくみに合流した。

すると牧野がぼくに言った。

「負けたよー英太。ほんの1秒くらいだけど。超ショックだよ」

あまりショックでもなさそうに牧野は言うが、たくみは悔しさ全開だ。

「最初にあんなに差をつけたのに最後で抜かれるなんてさ。どんな根性だよおまえら。教えろよ英太、答えろよ牧野」

こんな時でもたくみは質問攻めだ。

それには答えず、牧野は言った。

「まあでも最後は英太の勝ちってのは納得かもな。オレたちはゴールしても倒れこまなかったけど、英太はすぐに倒れこむほど全力を尽くしてたってことだもんな。ほんのちょっとだけ精神的な面で負けてたってことかな」

「うーむ、なるほど」

たくみは今の牧野の言葉で納得したようだ。

あれだけ激戦をコッテリと繰り広げたわりには結果にはアッサリだ。

これがうちの陸上部のいいところなのかもしれない。

でも牧野は最後にこう付け加えた。

「ま、次は負けないけどな」

 

 

こうしてぼくらのデビュー戦は幕を閉じた。

この結果をふまえて八月にある「多摩選手権」への練習メニューが

決められていくことになる。

ちなみに部内の成績は、

1位雪沢先輩、2位名高、3位穴川先輩、4位ぼく、5位牧野、6位たくみ、7位剛塚、8位大山。

女子は未華がダントツで、くるみが2位で、早川というヤツが途中棄権だそうだ。

 

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2008年7月11日 (金)

空の下で41.デビュー(その6)

折り返すとやはりペースが上がった。

やや下りなんだから当たり前なんだけど、それだけじゃくて半分終わったということで精神的に切り替えることができたから、少しペースを早める気にもなるんだ。

折り返して1分ほどすると剛塚とスレ違った。

疲れてはいたが、ガタイのいいその姿は威圧感があった。

まるで後半、後ろから高速ダンプカーのごとく他の選手を蹴散らして突っ込んんでくるかのような威圧感だ。

剛塚はなんで陸上部なんだろうか、と思う。

柔道部だとかにいた方が活躍できるんじゃないかと思うけど、本人は淡々と練習をこなしている。

そこからもう1分ほど走ると大山とスレ違った。

大山も辛そうだったけど、ぼくらを見てニコっと笑った。

笑った意味はよくわからなかったが、心がやさしそうな笑顔だ。

きっと大山って本当に心がやさしいんだと思う。

もう少し痩せれば意外とモテたりしないだろうか。

でも今は汗だくのぽっちゃりスマイルだったけど。

 

 

「いたぜ・・・」

ぼくの前を走る牧野からそう声が聞こえたのは大山とスレ違ってから1キロくらい走ったところだった。

何がいたのかはすぐに見当がついた。

たくみだ。

たくみは予想通り後半でペースダウンしていた。とはいっても、まだかなり前を走っている。

でも折り返し地点の時ほどの差は無いように思えた。

思ったと同時に牧野がペースを上げた。

早い。

ナニクソ!

と思ってついていこうとするが、これ以上早く走ったらゴールするまでちゃんと走れるかどうかわからない。

少しずつ牧野と差が開いていく。

まずい。

このままだと、たくみにも牧野にも負ける。

でもゴールまではまだ3キロもある。

今ペース上げたら絶対走ってゴールできない。

牧野とたくみの方が底力があったってことか?

考えている間にも牧野との差は開いていく。

早い。

楽天的すぎたのかもしれない。

練習では牧野とは勝ったり負けたりだった。

だからこのデビュー戦でも、勝っても負けてもいいとか思っていた。

でも実際には、試合で後ろに置いて行かれるのがこんな悔しいなんて思ってもみなかった。やっぱり試合は重さが違う。

負けてもいい、なんて甘ちゃんだった。

これは試合だ。それもデビュー戦だ。

負けたくはない。

というか、勝ちたい!

こうなったらゴールできるかどうかなんて考えてないでペースを上げて牧野を追おう。

ぼくは一瞬、目を閉じた。

暗闇の中で決心する。

全力で追う、と。

そして目を開いてペースを上げた。

 

 

残り1キロ地点まで来ていた。

あれから2キロ、牧野は数メートル先を走っている。

その50メートルほど先に、たくみが見えていた。

ぼくは息切れで喉が痛くなっていた。

自分でも顔が歪んでいるのがわかる。

やっぱり牧野を追ってペースを上げたのは辛かった。

呼吸も乱れてるし腕もよく振れないし、カッコ悪いことこの上ない。

できれば若井くるみには見られたくない姿だけど、そんなの今は関係ない。

 

 

ついに多摩川沿いの道が終わり、直角コーナーを左へ曲がる。

この直角コーナーで牧野に並んだ。

牧野は驚いた顔をしてぼくを見た。

あとは直線300メートルと競技場1週の400メートルだ。

たくみは前方30メートルくらいのところにいた。

そのたくみは一瞬、後ろを振り返った。

振り返ったたくみは鬼の形相だった。

まあ人のことは言えない。

ぼく、牧野、たくみの3人は同時にこん身のラストスパートをかけた。

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2008年7月 8日 (火)

空の下で40.デビュー(その5)

乾いた炸裂音が響いた。

多摩川ロードレース大会の幕開けだ。

しかし参加者は400人以上いるので、スタートの合図が聞こえてもすぐ全員が走りだせるわけではなかった。

先頭で準備してた人はすぐにスタートしたんだろうけど、ぼくと横にいる牧野が走りだせたのはスタートから10秒くらいしてからだ。

まずは競技場を1週だ。

混雑してるから無理に追い抜いたりはしない方がいいと雪沢先輩から言われていた。

どうせ10キロも走るんだから、前に出るのは競技場を出てからでも遅くはないという事だったんだけど、混雑の中を走るのもなかなか走りにくくて危ないったりゃありゃしない。

牧野と二人で併走して、競技場を走り抜けた。

 

 

競技場を出ると、道が広くなって多摩川へ向かう直線が300メートルほどある。

ここで混雑が少しやわらいだので、牧野と二人で前へ前へと進む。

参加者の中には単にランニングを楽しむ目的で出場してる人も多いのでそういう人たちをここで一気に抜き去るのだ。

そうして直線を走り切ると右へ直角へ曲がり、多摩川沿いを上流へと走るのだが、この直角コーナーは見晴らしがいいので、先頭の人たちが見えた。

そこには社会人参加者に混じって、天野たくみがいた。

「たくみのヤツ・・・飛ばしてるな」

思わず小声でそう言ってしまった。

なにしろ雪沢先輩や名高よりも前にいるのだから驚いて当然だった。

でも、もっと驚くことがあった。

直角コーナーを曲がって少し走ったところで、前に大塚未華を発見したのだ。

女子に負けてる・・・。

なにを!

と思って少しペースを上げたけど、未華の方がペースが早くてだんだんと未華の背中が遠のいていく。

牧野も未華に追いつきたい様子だけど、ぼくら二人より未華の方が明らかに早いペースだ。

もちろん、女子は5キロで男子は10キロだから、女子の方がペースを上げやすい状況なんだけど、それを抜きにしても未華にはまだ勝てない。

ここは熱くならずにペースを守って走ることにした。

まだまだ先は長い。ぼくのライバルは牧野とたくみだ。

熱くなる場面はまだ後半に絶対あるはずだ。

 

 

スタートして2キロも走ると、ぼくらより前の状況もわかってきた。

ちょっと前に未華とか穴川先輩が見える。

そしてだいぶ遠くに、雪沢先輩と名高らしき姿もなんとなく確認できる。

たくみは見えない。かなり前を走っているということか。

多分たくみは持久力が無いからってことで前半に一気に差をつけておく作戦なんだろうけど、いくらなんでも極端すぎないだろうか。

そんなこと考えていると女子が折り返してきた。

未華も折り返していった。まあ当たり前だけど。

スレ違い様、未華はぼくらを見てガッツポーズを見せた。

それはぼくらに「ガンバレ」と言ってるような感じだった。

未華は自分が走っていても他人の応援もするのか、と感心した。

そのガッツポーズを見たせいなのか、牧野が少しペースを上げた。

少しづつ、少しづつ牧野が前へ行くので、ぼくも慌てて牧野の背中を追った。

 

 

4キロを過ぎると、ぼくはだいぶ息が上がってきた。

なにか体がいつもより重い。

いや、足が重い。というか疲れやすい。

なんで足が?と思って、初めて思い出した。

そうだ、川の上流へと向かってるんだから、若干登りなんだった。

と、いうことは折り返したら下りなわけだからペースが上がるんだ。きっと。

これ以上ペースが上がる?

そう考えると少しげんなりした。

今でもけっこうキツイのに。油断すると牧野から遅れてしまいそうなのに。

でも牧野もきつそうだ。呼吸が荒くなってきたように見える。

とはいえまだ半分も走っていない。

試合と練習とではこんなにも疲れ方が違うのかと思う。

そりゃそうだ。

どんなスポーツだってきっとそうだし、吹奏楽部の時だって練習とかリハーサルとかより演奏会の本番の方がやたらと疲れ果てたもんだった。

そんなこと考えてると、先頭集団が折り返してきた。

10人ほどの先頭集団で、集団の中には雪沢先輩と名高がいた。

たくみは集団からやや遅れて数人で走っていたが、かなりつらそうな顔だ。

たくみとスレ違って前を見ると、折り返し地点が少し先に見えた。

そこまでスゴイ差はついていない。

時間にすればたくみとの差は多分2分くらいだ。

たくみは前半飛ばしたから後半はペースダウンするはず。

まだ追いつける。牧野とたくみとの勝負は後半だ。

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2008年7月 4日 (金)

空の下で39.デビュー(その4)

6月12日。曇り。

いよいよこの日がやってきた。

多摩境高校・陸上部に入部して二ヶ月、いろいろな練習をしてきた。

最初はなんとなく始めたわけだったけど、いつの間にやら本気で取り組んできた部活動。

いよいよ試合にデビューする日だ。

 

 

こないだ若井くるみと見たことはみんなには話してないし、くるみともその話題は出なかった。

というよりその話題には、なんとなく触れたくなかったというのが正しいか。

誰が練習メニューを作ってるかなんてこの際どうでもよかった。

その練習についていけるかどうかが問題なのだから。

でも次の「お茶」しに行く話題も出ないのは切ない・・・。

 

 

ところで試合といっても今回の多摩川ロードレース大会は勝っても上の大会に進める訳じゃない、地域の大会だ。

ぼくら男子が出るのは10キロの部だ。

この部はぼくら高校生の他にも大学生や社会人も参加できる。

高校生の参加者は80名ほどで、開催地の府中市付近の高校が何校か参加しているらしい。

でも地域の大会なので強豪高校は参加していない。

 

 

10キロの部のコース概要はこうだ。

大きな市営公園の中にある陸上競技場がスタート地点だ。

まずは競技場を1週して、外に出る。

残りは多摩川沿いの舗装されたサイクリングロードを上流に向かって折り返し地点まで進む。

折り返したら下流に向かうので下りだ。

最後に元いた競技場を1週してゴール。

女子の部は5キロなので折り返し地点が近い。

しかしスタートは男女一斉にするというから驚きだ。

今までの二ヶ月が試されるデビュー戦なだけに、昨日の夜は母親がかつ丼を作ろうとしていたが、胃がもたれるからやめてくれと言い、消化にいい物を作ってもらった。

「カツだけに勝つ」なんて古い考え方だ。

でもまあ母親も少しは今日の試合を意識していたってことでもある。

 

 

出場する選手になったといっても所詮一年生。

休憩するためのブルーシートとテントの設置はぼくらがやる。

ブルーシートはぼくと名高でひく。 

「あーあ、かったるいな。英太、一人でやってくれよ」

名高が言葉通りかったるそうにブルーシートひきながら言った。

「しょうがないだろ名高。ぼくら一年なんだから」

「ち、オレより遅い穴川先輩がやればいいのに」

名高の言葉はほんとに心臓が悪い。

確かに穴川先輩より名高の方が早いんだけど、実力で勝っただけで偉そうにするのはやめてほしいと思う。

名高のこの態度なせいか二人はずいぶん前から仲がよくない。

一番最初のタイムトライアルで名高が勝った時からだ。

「はい、ブルーシート終わり。次いこう名高」

「命令すんな」 

ブルーシートをひいた後、テント設営をしてる大山と剛塚を手伝う。

剛塚が大山に「これやれ」「あれやれ」と言いながら設営していた。

大山ばかり働かされていたのがムカついたけど、剛塚の指示は的確で、テントは立派に立った。

汗をタオルで拭きながら大山は言った。

「やっぱ剛塚くんて力仕事に詳しいよね」

すると剛塚は大山を睨んで低い言った。

「黙れデブ」

こんな事を真顔で言われて大山はなんで平気なんだろう、と思う。

カバン持ちもいまだにやってるのに、意外にも大山と剛塚はよく一緒にいる。

単にいつでも使いやすいように剛塚が大山を手元に置いてるだけなのかもしれないけど、大山は辛そうな仕草を見せていない。

どちらかというと練習が辛そうだ。

 

 

試合開始は午前10時だ。

9時には設営も終わり、ややあって全員でのウォーミングアップを開始した。

今日は練習じゃあない。それ自体が初めてなことなのでどう走って体をあっためたらいいのかよくわからない。

でも、そのへんは雪沢先輩の指示に従えばうまくいった。やっぱし先輩は経験が違う。

20分ちょっとジョックをし、体を温めると集合時間になった。

みんな、陸上競技場のスタート地点に集まる。

男女合計で400人以上いるらしいのでスタート地点はごったがえしだ。

あまりの人の多さに押して押されて、多摩境高校の面々もちりぢりになってしまった。

「英太、英太」

すぐ左に牧野が来た。

「お、牧野。はぐれたかと思った」

仲間と一緒になれて、なんだか少しホッとした。

「英太、今日は負けないからな」

牧野はぼくの鼻を指で弾いてそう言った。

ぼくはお返しに牧野にデコピンをしてから言った。

「ぼくだって負けないからな」

そして二人で噴き出した。

その時、どこからか、おそらく近くにあるスピーカーか何かから声が響いた。

「位置について・・・・」

一斉に全員が静かになり、合図を待つ。

「よーい・・・」

いよいよ始まる。ぼくの、ぼく達のデビュー戦が。

ピストルの音ともに初めての戦いの幕は切って落とされた。

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2008年7月 1日 (火)

空の下で38.デビュー(その3)

何の事だかさっぱりわからなかった。

スタバの裏の駐車場で「盗み見」をするという。

ぼくとくるみは駐車場のハジに止めてあった車の影に身を潜めた。

状況がさっぱり見えてこないものの、この状況自体は楽しく感じた。

盗み見なんて、なんだかスリルある展開だし、物影にくるみと二人きりでいるドキドキ感まであって妙に楽しい。

駐車してある車の影に隠れると、すぐにくるみが小さな声で言った。

「ごめんね、変なこと頼んじゃって」

「へ、変なことなんてしないって」

よくわからない返事をしてしまい、冷汗が出た。

でも、くるみは聞いてなかったかのように言った。

「他に頼める人もいなくってさ・・・」

「え、でも。大塚未華とか仲いいじゃん」

「未華だと、これから見るものを見たら大騒ぎして見つかっちゃいます」

何故か敬語が混じる。

「未華以外だとね。陸上部で話しやすいのって英太くんか牧野くんなんだけど」

話しやすいメンバーに入っているだけで嬉しくなる。

ああ、これはもうぼくは完全に若井くるみが・・・。い、いやいや!

「でも牧野くんは未華のこと気に入ってるみたいだから、私と一緒にいるところを誰かに見られたら迷惑かなって」

鋭い。

女の直感はあなどれない。

というより未華と話すときの牧野がテンション上がりすぎなんだ。しどろもどろになるし。

「だから英太くんに来てもらったんだけど・・・迷惑だったかな」

「うーん。ちょっとね。ハタ迷惑かなー」

ぼくは笑って言った。

するとくるみもちょっと噴き出した。

その時だ。

誰かが駐車場に歩いて入ってきた。

車のカゲからこっそり見ると、それは雪沢先輩だった。

「雪沢先輩?」

雪沢先輩は駐車場の真ん中あたりで腕時計を見て、そこに立ち止まった。

もしかして「盗み見」というのは雪沢先輩のデート密会現場?

「最初に見たのはね」

くるみは小さな小さな声で言った。

「五月の中旬くらいかな。わたし、家が近いから、この駐車場まで母親に車で迎えに来てもらうことがよくあるんだけどね。何回か見たんだ。密会現場を。これはどういう事なのかなって不思議でしかたなくって・・・。それで誰かに相談したくて・・・」

いつもゆっくり話すくるみが珍しく早口になってる。

そう思ってると軽自動車が一台入ってきて、一人の男が降りた。

「あの人だよ」

男?密会の相手って男なの?うそー。

男は雪沢先輩に近づいて、なにやら話し出した。

まだ若い感じだ。社会人には違いなさそうだけど30歳よりか若そうだ。

その男は雪沢先輩に何かメモ書きみたいなものを渡した。

その時の雪沢先輩と男の声がちょっと聞こえた。

「これで頑張れ」 

「助かります。試合も近いので」

男は雪沢先輩の肩をポンと叩き、車に乗って行ってしまった。

それを見送ると雪沢先輩も歩いて駅の方向に行ってしまった。

 

 

「誰なんだろうね」

くるみはつぶやいた。

「ごめん、ぼくにもわかんないや。でも、もしかしたら・・・」

雪沢先輩は「これで頑張れ」と言われていた。 

あのメモが例えば陸上部に関係するものだとしたら。

雪沢先輩はあの男に練習メニューか何かのアドバイスを頼んでいる?

だとしたら誰なんだろう。

誰・・・。

もしかして・・・。

「あの人が顧問の先生だったりするのかな」

長距離チームには顧問の先生がいない。短距離には志田先生という顧問の先生がいるんだけど。

でもあんな先生、学校で見たことがない。

「ごめん英太くん。やっぱ盗み見なんてしない方がよかったね」

「うん。やっぱり気分いいものじゃなかったかも・・・」

二人とも黙ってしまった。

テンションが下がる。そりゃそうだ、うちらのやったのは盗み見だ。

でもここは気分を変えなくちゃ二人っきりになった意味がない!

ムリヤリにだけれど元気に言ってみた。

「こ、今度は盗み見じゃなくて、単純にお茶しに行こうよ!」

この言葉を言いきるには勇気が必要だった。

「お茶」の「お」あたりで言うのやめようかと思ったくらいだ。

だいたい、これまでの展開とこのセリフには脈絡がない。

くるみはちょっと考えてから笑って答えた。

「うん、そうだね。じゃあ今度はおごってもらおうかなー」

「う・・・頑張ってみる」

二人は笑った。そのまま忘れるように明るい話題になり駅へと歩いた。

なんだか妙なものを見ることになってしまったけれど、それでも今日は思い出の一日となった。

 

 

この時見た男の正体がわかるのは、まだしばらく先の話だ。

そして、この時の「お茶」の約束を叶えるのも、さらにまだずっと先の話となる。

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2008年6月27日 (金)

空の下で37.デビュー(その2)

心臓の鼓動が早い。

呼吸もなんだか普通よりも深い。

そしてなによりテンションが上がりそうなので、上がらないように一生懸命押さえつける。

 

「この後ヒマある?ちょっと行きたいとこあるんだけど」

 

若井くるみの声を何度も何度も頭の中で繰り返してみては何の用なんだろう、とか、どこ行きたいんだろう、とか考える。

部室でジャーシから制服に着替えて「お先に失礼します」と言い、帰ろうとしたら牧野が呼びとめた。

「あれ英太、今日は一緒に帰らないのか」

心臓がドキリとした。 

いつもぼくは牧野と一緒に駅まで歩いて帰ってるんだった。

「ああ、うん、今日はちょっと用事があってさ。先に一人で帰るや」

「へえ、珍しい」

牧野は気にもとめなかったようで、すぐに天野たくみに話しかけてた。

ぼくはそのまま部室を出て、校門に向かった。

 

 

若井くるみとは校門で待ち合わせることになっていた。

もしかして、来なかったりして・・・。

そう不安になりながら全力で走って校門に向かう。

でも慌てて到着したらカッコ悪いと思い、歩いて向かった。

 

 

練習後なので、もう午後七時前だ。辺りはけっこう薄暗くなっていた。 

若井くるみは校門の塀に寄り掛かって待っていた。

「あ、若井、お待たせ!」

元気よく言ってみた。

「遅いよ英太くん。女子より男子の方が早く着替えられるでしょ」

「あ、ごめん。ミーティングがあってさ」

そう言うと、くるみは噴き出して「行こ」と言って歩き出した。

どうやら怒ったようなふりをしてるけど、怒ってるわけじゃなさそうだ。

ぼくは、くるみの右に並んで歩いた。

校門を出ると駅ではない方向に曲がった。

「あれ?こっちって駅じゃないけど?」

ぼくが聞くとくるみは笑った。

「駅じゃないとだめ?」

「そういう訳じゃないけど」

「今日ね、お母さんがね」

「お、お母さん!?」

まさか母親に紹介されるのか?

・・・なんてしょうもない想像を一瞬しつつも話の続きを聞く。

「うん、お母さんが機嫌よくっておこずかいくれたの。それで、わたしがおごるからさ。そこのスタバ行こう」

「スタバ・・・」

多摩境高校から、駅とは反対方向に5分歩くとスタバがある。

近所のマンションの住人とか、近くの大学生のカップルとかが使うお店で、うちの高校のカップルとかもわりと使ってるらしい。

と、牧野が何故か自慢気に言ってた。

 

 

ぼくとくるみは二人でお店に入り、お互いコーヒーとクッキーを買って大きな窓際にあるテーブル席についた。

・・・こ、これはやっぱりデートかなあ?

正直、さっきから緊張の汗かきまくりで冷静になれそうもない。

もしこれがデートなら人生初デートだ。

「ごめんね英太くん、急に呼び出しちゃったりして。予定とかなかった?」

「全然平気。見たかったドラマあったけど録画してきたし」

「へー、ドラマとか見るんだ。なに見てるの?」

しばらくはテレビの話で盛り上がった。

見てる連続ドラマが同じだったし、部活が同じわけだから話題探しには困らなくて助かった。

自然に話せる。 

そう思うとなんだか嬉しくなってしまって結局テンション上がってしまった。

30分くらい話したころ、くるみは時計を見て「時間だ」とつぶやいた。

「ねえ英太くん、ちょっと一緒に見てほしいものがあるんだけど、いい?」

「え?ああ、うん」

ぼくらは店を出た。女子におごってもらうのはカッコ悪かったけど。

「若井、どこ行くの?」

「お店の裏側」

「裏?裏って駐車場だけじゃなかったっけ」

「そうだよ。よく知ってるね」

「なにしに行くんだ?」

ぼくがそう質問すると、くるみはちょっと困ったような顔をして妙な事を言った。

「盗み見・・・かな」

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2008年6月24日 (火)

空の下で36.デビュー(その1)

6月に入った。 

ぼく、相原英太の住む八王子市堀之内も本格的に梅雨に入った。

ぼくの家は2階建てだ。

二階に上がってすぐのところにぼくの部屋がある。

淡いピンクみたいな色の絨毯の部屋なんだけど、もう築15年なので、絨毯は擦り減っていてピンクには見えない。

その部屋の窓から外を見ると、京王線の高架とか緑に囲まれた丘陵のマンションとかが見える。

でもその景色も今日は小雨が降っているせいで緑色じゃなくって灰色に見える。

もう三日も連続で雨だから灰色の景色ばっか見ていた。

こうなると気分までジメジメしてきそうで怖い。

 

一階に降りて和室でテレビ見ながら朝ゴハンを母親と食べる。

ぼくには中学二年の弟がいるんだけど、もう学校に出かけたらしい。

高校一年で母親と二人っきりでゴハンというのは恥ずかしい。

「英太、どう陸上は」

「またそれ?」

「だって心配じゃない。吹奏楽と違ってケガとかも多いんでしょ?」

「吹奏楽でもケガはするよ。中学んとき日比谷なんか舞台から落ちて打撲してたもん。先生にすっごい怒られてたし」

それでも日比谷は打撲したことを「スッゲ、スッゲ」とか騒いでたけど。

「でも今日みたいな雨の日とかは練習どうするの?」

「やるよ。屋内で」

「ふーん。ま、怪我だけはしないようにね」

母親としてはぼくが早くなるとか体力がつくとかはどうでもいいらしい。

とにかくいつも怪我のことだけを気にしてる感じだ。

今度試合に出るって言った時も「そうなんだ。じゃあ怪我しないように気をつけてね」と言っただけだ。

ほんとはちょっと応援してほしいんだけど。

まあ試合会場に来られても恥ずかしいけどさ。

 

 

6月に入ってからは雨が多いせいで屋内での練習が多くなった。

ぼくはやっぱり晴れた空の下で走るのが気持ちいいんだけど、梅雨なんだから文句言ってもしょうがない。

それにしても屋内の練習というのは単調だ。

校舎の長い廊下を行ったり来たり60分も走るのだ。

60分となると、廊下が長いといっても100メートルもないので何十往復もすることになる。

景色変わらないし、屋内だからジメジメするしで何も楽しくない。

ただ、遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏が聴こえるのが唯一の楽しみというか、救いだ。

演奏を聴くとまたトランペットをやりたい衝動にかられることがある。

あんな適当にやっていたわりには吹奏楽の音楽が今でも好きなんだな、とか考えながら60分間を走る。

 

 

走り込んだ後は筋トレだ。

ぼくは筋力はあまりついてないから筋トレは辛い。

ここで一番力を発揮するのはコワモテ剛塚だ。

「ふっ!」

と、息を吐き出しながら腕立て、腹筋、背筋などをこなしていく。

よく見ると腕も脚も太い筋肉でできている。

あれで蹴られたりしたら骨折ものだ。

ぼくは思わず、ぽっちゃり大山をチラっと見てしまった。

大山は筋トレでもビリだ。

ぽっちゃりしてるんだから当たり前だけど、4月の時より少し痩せた。

タイムも早くなったみたいだし、意外と頑張り屋さんだ。

 

 

梅雨といっても晴れる日もある。

外での練習もあった。

水曜と日曜以外は練習に明け暮れた。

こんなに長い間ひとつのことに打ち込んだのは初めてかもしれない。

いや、中学3年に片思いして1年間も打ち込んでた気もするけど。

そうして日々は過ぎ、多摩センターで牧野と買ったブルーラインのシューズが薄汚れてきた6月中旬。

練習後の夕方、帰ろうとしたら若井くるみに呼び止められてこんなことを言われた。

「英太くん、今日さ、この後ヒマある?ちょっと行きたいとこあるんだけど」

 

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