空の下で.エース(その1)
空の下で ~秋の部~
雲が厚い。
ぼく、相原英太の住む東京都八王子市には再び灰色の世界がやってきた。
灰色の分厚い雲が、ぼくらを覆うことが多くなってきたからだ。
梅雨前線の時と同じで、秋雨前線の影響で曇りの日や雨の日が多くなってきている。
ぼくは雨が好きじゃあない。
中学の時、吹奏楽部にいたけど、雨の日は湿度が高くて楽器の音が通らなかった。(音が響かなかったということね。)
今は陸上部だけど、雨の日の練習は嫌いだ。
学校の長い廊下を行ったり来たり走るという、なんともつまらない練習になるからだ。
たくみが中距離に転向してから二週間が過ぎていた。
元々、ぼくら多摩境高校の陸上部には短距離と長距離の二つしかない。
800メートルと1500メートルを専門とする中距離チームを作るという、五月先生の提案は、最初は志田先生に反対された。
職員室で五月先生と志田先生は半日話し合いを続けたという。
「中距離を作るのはいいですけど、誰が練習を見るっていうんですか?」
志田先生の意見はもっともだった。
現在、短距離は志田先生。長距離は五月先生が見ている。
三人目の先生が必要になるんじゃないかという事になるからだ。
「それに五月先生。中距離が天野たくみ一人だったらどうすんですか。たった一人ぽっちで毎日練習するっていうんですか?」
この二つの問題点を解決するための話し合いは夜中まで続いたという。
「でも志田先生。天野は中距離をやりたいって言ってるんです。悩んだ末に出した答えっぽいんです。オレは天野に自分のやりたい事をやらせてやりたいんです。なんとかなりませんか」
話し合いの最後に志田先生はこう言ったという。
「では中距離は私が面倒を見ましょう」
「え?!志田先生が?中距離も?」
「そうですよ。どうせ大人数じゃないだろうし。それに800とか1500とかを専門とするなら、短距離チームと一緒に活動した方がいいでしょうから」
「あ、ありがとうございます」
五月先生は深く深く頭を下げた。と、後で五月先生本人から聞いた。
結局、中距離チームには3人が所属した。
たくみの他に、短距離からも一年生が二人転向してきたので、たくみが一人ぽっちで練習ってことはなくなった。
それにしても志田先生。もう40歳くらいなのに「一人ぽっち」なんて、かわいい言葉を使うなあ。
たくみが抜けて、ぼくら長距離チームは七人になった。
雪沢先輩、穴川先輩、名高、牧野、剛塚、大山、そしてぼくだ。
「七人の侍だな」
牧野がニヤリとして言ってたが、「なにそれ」とぼくが聞くと
「なんかの映画だよ」と曖昧なことを言うだけだった。
七人になって練習が変わるわけじゃない。
五月先生のもと、前よりもタイム設定に細かくなった練習が続くだけだ。
新人戦という公式戦が近いせいか、長い距離を走る練習よりも、3000メートルだとか5000メートルだとかを早く走る練習が多くなった。
五月先生指導になってから多くなったのがビルドアップ走という練習だ。
これは、例えば3000メートルを走るとする。
最初の1000メートルはゆっくりめのタイム設定がされるんだけど、次の1000メートルでは、そのタイム設定が早くなり、最後の1000メートルではさらにタイム設定が早くなる。
つまり、だんだん早く走るという練習だ。
最初より最後の方が疲れてるのにペースアップをしなくちゃいけないもんだから、キツイのなんの。
ゴールすると息切れしながら倒れこむ。
「はあ、はあ・・・キツイ・・・ボトルアップ走・・・」
「はあ・・はあ・・・い、いや・・・・英太、ビルドアップ走だろ・・・」
「は?ま、牧野・・・なんだって?ボルトアップ?」
「はあ・・はあ・・・アホか英太・・・、それは金具だろ」
「犬の映画じゃない?」
疲れ果てながらもぼくと牧野はそんな会話をしながら練習してた。
そして迎えた新人戦・地区予選大会。
前日、練習後のミーティングで五月先生はこう言った。
「明日は新人戦だ。みんな今までの成果を見せろよな。でもケガとかには気をつけるように!ちゃんとウォーミングアップしないと試合のペースは早いから、すぐにケガすんからな」
うん、そうだよね。ケガはマズイよ。
「ケガしたら、この後の駅伝にも影響すんからなー。んじゃ、明日楽しく全力で頑張う!!」
「はい!!」
みんなで返事しながら思った。
・・・駅伝?
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