空の下で-紫陽花(1) 小雨の遭遇「前編」
空の下で 2ndseason-3
紫陽花の部
昼休みの教室の窓際。机を二つくっつけて、ぼくと剛塚はお弁当を食べていた。
いや、剛塚のはお弁当ではない。ものすごく大きなおむすび三つだ。
豪快にガブリと食いつく剛塚は、おむすびの食べ方ひとつとっても男らしい。
「おいしそうだね」
僕が母親が作ってくれたお弁当を食べながら聞くと剛塚は「メシは米に限るな」と、少しズレた答えをよこした。
「かもね」などと適当な返事をして窓から外を見ると、いつの間にか小雨が降っていて、校庭の土が濃い茶色に変化していた。
「あー、今日は部活休みでよかったね。練習だったらまた廊下走りかトレーニングルームで筋トレだったよ」
「いいじゃねーか筋トレ。オレは好きだぜ」
言いながら剛塚は力こぶを作ってみせた。これで殴られたら失神は間違いない。
「それに英太、もっと筋トレした方がいいぜ。アップダウンのコースで明らかに遅くなるじゃねーかよ。高尾山とかはノロマだったしよ」
「う、うん。そうなんだよね」
剛塚の言葉は乱暴だが指摘は正しい。
ぼくはアップダウンのコースでは極端に遅い。言われた通り、筋肉が足りないんだ。
今は競技場で行うレースの時期だからいいけど、秋・冬は駅伝やロードレース大会などのアップダウンのある大会が多いので、それまでには筋肉をもっとつけた方がいいと、五月先生にも言われていた。
「そういやよ。安西からメールが来たぜ」
唐突に剛塚がそう言った。
「安西の野郎。中学の時の友達の誰かにオレのアドレス聞いたらしくてよ。いきなりメールしてきやがった」
迷惑がってる言葉のわりには少し嬉しそうな顔してる。
「なんて書いてあったの?」
「あいつ、本当に田舎に引っ越してぶどう園を手伝ってるらしくてよ。なんか、やりがいがあるって書いてあった。あんな暴力男にもやりがいなんて言葉あるんだな」
暴力男って・・・その安西と一緒に過去に陸上部を襲撃した剛塚のセリフとは思えない。
総体都大会の後、しばらくは基本的な練習が続いていたが、五月の下旬からはインターバル走(全力走を1キロ走り、ジョックで400m走り、また1キロ全力走・・・など)のスピード強化練習が始まった。
ぼくらは長い5000mや3000mでは都大会行きを決めたりしたが、短めの1500mは惨敗したため、もう少しスピードが必要だろうという五月先生の方針で、梅雨が終わるまではスピード練習をメインにするという事だった。
この練習でも名高と雪沢先輩が早かったが、牧野がなかなかの好走をみせていて、ぼくは勝てなかった。
もちろん他にも色んな練習をするんだけど、何をしてもヒロは遅かった。
「今日こそは行きますぜー!」
とか毎回豪語して前半は飛ばすんだけど、「え?もう遅れるの?」という早いタイミングでペースが落ちていく。
「もっと根性見せろ!」と五月先生に言われると、ヒロは何故かメガネをはずして
「オレを殴って下さい!気合を注入して下さい!」
とか叫んだりして、実際に五月先生が頬に平手打ちをすると「うぎゃー!」とか言って倒れたあげく、コールドスプレーを頬に吹きつけ、低温ヤケドするという大騒ぎになった。
困った男はもう一人いる。
染井は実力こそ大山と剛塚を抜き、穴川先輩に匹敵するものを持っていたが、とにかくやる気が見えない。
タイムトライアルは早い。確かに早くて、少し油断するとぼくや牧野にも迫る勢いだ。
でもジョックやフォーム練習や筋トレなどではやる気を見せなくて、疲れてもないのにみんなから遅れていったりする。
やる気の無いヤツが一人でもいると他のみんなに伝染する事がある。
そう言って雪沢先輩がよく説教をしているがイマイチ改善されていない。
「相原。オレが説教してもあんまり効果が無い。ここは一つ、染井に慕われてそうな相原が面倒を見てやってくれ」
などと雪沢先輩に言われたものの慕われてるのかどうかもよくわからん。
まあ確かに総体支部予選の時、染井にすごい絶賛されたけど。
あの時の染井は「練習もちゃんとやる」と言っていたんだけど・・・。
どうやら競争形式の練習だけ「ちゃんとやる」様だ。
6月の頭には多摩地区の小さな大会に出た。
高校生だけじゃなくて、一般市民も参加できる大会で、1500mと5000mに全員が参加した。
名高と雪沢先輩は相変わらず早くて相手にならなかった。
1500mでは牧野が。5000mではぼくが部内3位になった。
5000mに関して言えば穴川先輩と染井が同着だった。染井はやはり早い。
この大会ではまたも内村一志と同レースになり、今度は1500mでも5000mでも内村が勝った。
これで総体支部予選から続けての3連敗。内村の甲高い笑い声がゴールに響いた。
あいつ・・・なんで急に早くなったんだ・・・。
そんなスッキリしない気分が続いていた6月10日。
天気の方もスッキリしてなくて、小雨が降る中ぼくは透明なビニール傘をさして、帰るために校庭の脇を校門の方へ歩いていた。
すると小雨の中を練習着を濡らしながら柏木直人が走ってきた。
「よ!英太!」
「あ、柏木。どうしたの?」
「雨なのに練習なんだよー。サッカーは辛い!」
辛いってセリフなのに楽しそうな柏木。
「でさでさ。早川舞・・・新しい彼氏出来たっぽい?」
ああ、そんな事を調べてなんてずいぶん前に言われてたな。スッカリ忘れてたよ。
「んー。わかんないなあ・・・いない気がするけど」
「そ、そうか」
急に真顔になる柏木。一体何を考えているのか・・・。お前はくるみが気になるんだろうが。
「まあいいや。また調べてくれよ」
「えー、面倒だなあ・・・」
「頼むって!今度どら焼き奢るから」
「いや、別にどら焼き好物じゃないし・・・」
「マジで?信じられねぇ・・・」
ナニコノ会話・・・
「そういや、昨日、若井さんとメアド交換しちゃった!赤外線で」
「なに?」
なんで柏木がくるみのメアドを・・・。完全に狙ってるじゃんか!
「これで次のステップに進めそうだよー。ドキドキしてきた!」
「つ、次のステップって・・・」
「まあいいや、またな!」
爽やかにそう言い残して柏木は走り去った。小雨の中、楽しそうに。
なんだよあいつは!!
頭に来ながら一人で駅まで歩く。
電車に乗ってもムカツイたままだったので、ちょっとウサ晴らしに多摩センター駅まで行って、雑貨屋とか本屋とかをうろついた。
なんで、よりによってくるみと仲良くなろうとするんだ!他のコにしてくれよ!
不安とイライラが収まらず、仕方なく帰ろうとして本屋を出た時だった。
ビニール傘を差して前を見ると、淡いピンクの傘を差している女子高生と目があった。
少しだけ茶色のショートボブ。童顔なんだけど強い意志が感じられる大きな眼。まるで淡雪のような白い透明な肌。
見た瞬間、全身に電撃が走ったかのように衝撃を受けた。
心臓の鼓動が早くなり、呼吸は一瞬止まった。
そのコはぼくを見て言った。
「あれ?相原君?」
一度止まった呼吸をなんとか直して、ぼくはそのコの名を呼んだ。
「は・・・長谷川さん?」
ぼくが中学の時に好きだった人の名を。
物語は動き出す。
ゆっくりと・・・しかし確実に。
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