8.空の下で-向日葵

2009年9月30日 (水)

向日葵の部/目次

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・

波乱の夏合宿が始まる!!

 

向日葵の部 全編

 

1.夏の始まり

2.夏の行方(その1)

3.夏の行方(その2)

4.夏の行方(その3)

5.夏の行方(その4)

6.夏の行方(その5)

7.夏の行方(その6)

8.夏の行方(その7)

9.夏の行方(その8)

10.夏の行方(その9)

11.夏の行方(その10)

12.夏の行方(その11)

13.夏の行方(その12)

14.夏の行方(その13)

15.迷走(その1)

16.迷走(その2)

17.迷走(その3)

18.英太のいない陸上部

19.山間の町(その1)

20.山間の町(その2)

21.山間の町(その3)

22.山間の町(その4)

23.山間の町(その5)

24.山間の町(その6) 夏の終わりに

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2009年9月24日 (木)

空の下で-向日葵(24) 山間の町(その6) 夏の終わりに

ぶどう畑をバックにして、若井くるみが制服姿で立っていた。

最後に見た時よりもやや日焼けした健康そうな肌になったくるみの瞳は、真っ直ぐに僕を見つめている。

僕は思わず目を逸らしそうになった。

この夏の、冷たくされた記憶が頭を駆け巡る。

ぐっと歯を食いしばり、心でこう考えた。

冷たくされたから何だ・・・と。

人が生活していく上で、全ての人間に好かれて生きて行こうなんて、無理な話なのだ。

どんなに誠実な人だって、どこかで誰かには嫌われているはずなんだ。

人は、人それぞれ。

だから、嫌われたって仕方ない。

くるみに嫌われたからって何だ。

僕は走りたいのだ。

僕が走りたいのは、多摩境高校陸上部だ。

くるみ一人に嫌われていようと・・・嫌われたくないけど、嫌われたくないんだけれど・・・でも!

「く、くるみ・・・」

何故だか呼吸が苦しくなりつつも、くるみの名を呼んだ。

いっその事、嫌われているんなら、ここで自分の気持ちを言ってしまったっていいんじゃないか?

どうせフラれる身だ。キチンと決着だけは着けていてもいいんじゃないか?

・・・そう思った時だ。くるみが声を出したのは。

小さな声だったけど、ハッキリと言った。

「帰ろう、英太くん」

帰る・・・。

そう、ここはいつも僕らがいる多摩境高校から100キロも離れた山間の町。

くるみは・・・、いや、くるみと未華と剛塚は、僕を連れて帰るために、ここまで来たのか?

「英太くんがいなくなってさ・・・。みんな何だか元気無くって。だから、帰ろうよ。多摩境に。ううん、陸上部に」

くるみは僕を見つめたままそう言って下を向いた。

すると、今度は剛塚が僕の横に歩いてきて、肩に手をかけて言った。

「行くぞ相原。こんな所まで来させて面倒かけさせてんじゃねーよ」

剛塚の声は優しくは無い。でも怒りを感じる訳でもない。

「剛塚・・・。何で剛塚と未華までここに?」

「あ?同じクラスだからだよ。それだけだ。俺は本当は来たくなかったよ。遠いからよ。ま、安西と直接の顔見知りなのは俺だって理由もあったけどな」

「アタシはねー」

聞いてもいないのに未華が機嫌悪そうな声を出した。

見ると、未華は自分のショートの髪をいじりながらこっちを見ないで話していた。

「英太くんが何だか勘違いしたままなもんだから、それを学校で伝えそこなったから来たんだよねー。勘違いしたままじゃ、陸上部に戻りにくいだろうと思ってさー。それに、同じクラスだし」

「勘違い?」

「そうだよ。じゃあアタシは話題を振ったから、後はくるみに任せるよ。剛塚、いこ」

「おう」

未華と剛塚は「ちょっと安西のいる農園に行ってくるや」と言って、その場を離れた。

マンション前の道には僕とくるみだけが取り残された。

 

 

僕とくるみが無言で向き合って数十秒、僕は「迷惑かけてゴメン」と当り前の事を言った。

「こんな遠くまで来させちゃって・・・。心配かけちゃってごめん」

すると、くるみは頭を下げて大声を出した。

「ごめん!英太くん!!」

くるみが大きな声を出すというのは、あまり無いので僕は驚いて心臓がドキンとした。

「私・・・、何だか冷たく当たっちゃって・・・。その・・・」

何故、くるみが謝るのか?全くわからなかった。

「ちょ・・・くるみ、顔を上げてよ!」

言われてくるみはゆっくりと顔を上げた。

「くるみ・・・、何で謝るの?」

くるみが拳に力を入れているのがわかった。

「私さ・・・。合宿中に・・・英太くんの携帯電話を見ちゃったんだ。その・・・、メール画面を」

やっぱり・・・。

全ての原因は、やはりあのメールから始まっていたのか?

「それで・・・その・・・。英太くんが長谷川麻友っていう人と二人で映画に行くって知って・・・。それでその・・・」

急にごもごもとする。ややあってから、話を続ける。

「ま、前に・・・英太くん、私と二人でカフェにお茶しに行ったじゃない。その時、私にも映画を誘ってくれたりして・・・」

確かに多摩センター駅近くでお茶して、勇気を振り絞って映画にも誘った。

あの頃の僕はくるみと上手く行く気がしていて、そんな事まで誘っていたんだった。

思い出して顔が熱くなるが、くるみは全く気付かずに話を続けた。

「それで・・・それでね、メール見て・・・、英太くんってどの女子にでも映画とか誘うんだって思って・・・、何か、悔しくて頭来ちゃって・・・。それで冷たい態度とっちゃって・・・ごめん」

ああ、そういう事なのか・・・。

「ど、どんな女子にでもって訳じゃないよ」

「え?」

何でイキナリそんな事を言ったのか、自分でも信じられなかったけど、とにかくそう言ったんだ。

「くるみと映画行きたくって誘ったんだ。でも長谷川さんと行ったのも本当なんだけど・・・」

「長谷川さんって・・・英太くんの彼女?」

くるみは僕の目を直視して聞いてきたけど、僕は即答した。

「違うよ。昔、仲良かったから・・・映画に付き合ってもらっただけ。彼女とかじゃないし・・・それに・・・」

僕はゴクリと唾を呑んだ。

次の言葉を言えば、もう長谷川さんと先に進む事は無くなる。

でもそれでいいんだ。僕は、やっぱりくるみが好きだから。

「長谷川さんとは彼女とかそういう関係になる様な間じゃないから・・・やっぱり二人で出掛けるのはやめようと思ってるんだ」

するとくるみは「・・・そっか」と言って目を逸らした。

そして「ごめん、変な事を聞いちゃって」と呟いた。

「いや、僕が悪いんだよ・・・。何だか変な行動とかしちゃったから・・・」

そうして沈黙が流れた。

するとそこへ銀色のワゴン車がやってきて僕らの横で停車した。

「終わったか、話は」

運転席の窓がうぃーんと開き、そこからそんな声がした。

声の主は五月先生だった。先生は扉を開けて車から降りてきた。

「先生・・・」

「相原」

五月先生はやや怒っている様な表情をしていた。

「オレは普段よー」

唐突に、遠い目をして先生は呟いた。

「オレは普段、自分から動く様な事はしねー。でもよー、自分の生徒達に必死に頼まれた時は話が別だぜー」

そして後部座席の方を見るように親指で促した。

後部座席には、安西の農園に行ったと思っていた未華と剛塚が乗っていた。

「未華とくるみに頼まれたんだ。部の活気を取り戻すため、相原を迎えに山梨まで連れて行って下さいってな。相原、お前、必要とされてんなー」

ニヤリと笑い、僕の頬に軽くビンタを浴びせた。

「いて!!な?な?」

「必要とされる様なヤツが簡単に逃げ出すんじゃない。帰るぞ、いいな相原」

たたみかける様にくるみが続く。

「帰ろう」

後部座席では未華が笑い、剛塚が「乗れよ」と手で合図をしていた。

僕は・・・

僕は一体何をしていたんだろうか。

こんな仲間思いな人達に恵まれていたのに、ちょっとした失恋気分で逃げていたなんて。

もう、逃げるのはヤメだ。

僕はすうーっと思いきり息を吸い込んだ。

「な、何してんだ相原」

キョトンとする五月先生と、くるみ、未華、剛塚に、そしてここにはいない陸上部の仲間達に向けて出せる限りの大声を出した。

後悔と反省と感謝と・・・色んな想いを込めて。

「どうもすいませんでした!!!」

あまりの大声に、近くにいた鳥たちがバタバタと飛び立った。

その鳥達の方を見て、僕はある事に気付いた。

昨日、水をやった例の向日葵が元気を取り戻していたのだ。

向日葵が水を得て元気になったのなら、僕も元気を取り戻そう。

水ではなく、仲間という理由で。

 

 

そうして僕は東京へ戻る。

季節は夏から秋へと変わろうとしていた。

それは三年生の引退試合のある季節。

つまり、雪沢先輩と穴川先輩の最後の戦いとなる季節の始まりだった。

 

 

空の下で 向日葵の部 END

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2009年9月21日 (月)

空の下で-向日葵(23) 山間の町(その5)

中尾一輝先輩・・・。

多摩境高校陸上部の初代部長だ。

ぼくが入部した時にはすでに三年生で、部長として、短距離エースとして、活躍していた。

くるくるな天然パーマと、雨の日は記録が良くなるという変わった特性を持つ人で、部内では「雨のスプリンター」と呼ばれていた。

今年の春で高校を卒業し、山梨の大学で短距離を続けると言っていた。

その時、中尾部長は「山梨は雪がかなり降るらしいからな。今度は雪のスプリンターとでも言われるかもな」なんて冗談を言っていたのを覚えている。

中尾一輝先輩から部長を受け継いだのが今の雪沢先輩なのだ。

しかし、その中尾一輝先輩をこの勝沼の記録会で目撃する事になろうとは・・・。

お父さんのマンションがあるからという理由で来たこの勝沼。

ここで安西に再会し、中尾先輩の試合を見るなんて・・・。

運命がこの町で交錯しているんじゃないかと思えてしまう。

『位置に着いて・・・』

大学生の部、男子100m 第一組のメンバーが土のトラックに手を着き、クラウチングスタートの構えをする。

中尾先輩は第3レーン。集中しているオーラがゴール付近にいるぼくにまで届いてくる。

『よーい・・・』

短距離のスタートは、ぼくら長距離のそれとは別の意味を持つ。

コンマ何秒で勝敗が分かれる種目だ。スタートダッシュの重要性は短距離の方がはるかに重い。

パン!!という音と共に一斉に八人がスタートを切った。

土のトラックなので選手達が土のカケラを後ろに蹴りあげながら進む。

「速い!!」 

早いのではない。速い。

ずっと長い間練習してきたものを、100mの選手は10秒ちょっとで発揮しなくてはならない。

その集中力は凄まじく、選手達の表情は気合に満ちている。

しかし試合は30mで勝負が決まった。

第5レーンの選手が30mまでで一気に前に出た。

中尾先輩は二位で続き、そのままの順位で100mを走りきった。

あっという間にぼくのいるゴール横の席を走り去っていく。

「風だ・・・」

ゴクリと息を呑んだ。

まるで一陣の風の様だった。

その風は物理的な風でもあったのだけど、ぼくの心の中にまで吹いた。

「すごい・・・」

中尾先輩は高校時代よりも速くなっていた。

それでも二位だったのだけど、ゴール後の中尾先輩は笑顔だった。

満足のいく結果が出たんだと思う。

それは全力で取り組んだ人だけが辿りつける爽快感と笑顔だった。

それを見てぼくは全身が熱くなった。

走りたい。

ただ、走りたい。

そう頭で考えた時にはぼくは競技場からマンションへ向かって走っていた。

ペースなんか考えてもない。ただ、がむしゃらに。

競技場の芝生席を駆け抜け、暑い日差しの中、ぶどう畑に囲まれたあぜ道をひた走る。

ジーパンにTシャツ、それと安いスニーカーという、いつもの練習とは違って走る様な格好ではないのだけど、ぼくはひた走った。

速くではない。

遠くへ、遠くへ。

もっと遠くへ、もっと遠くへ。

何も考えなくていい。ただひたすらに走りたい。

くるみの事、柏木の事、長谷川さんの事、そんなの事は考えずにただ走った。

日差しの中、山間の町を、マンションを目がけて。

 

 

マンションの前まで走ると、息が上がり地面に座り込んでしまった。

「はあ・・・はあ・・・」

わずか20分しか走っていない。

なのに息切れはひどく、立ち上がる気力も体力も無くなっていた。

「はあ・・・はあ・・・」

座りながら横を見ると、マンション入口の向日葵が元気ないまま何とか咲いていた。

雨が降らないから水でもやろうかと思っていたのに、すっかり忘れていたんだった。

「はあ・・・はあ・・・、待ってろ・・・今、水を撒いてやる」

ぼくはしばらくしてから立ち上がり、マンションの部屋のキッチンでボールに水を入れ、向日葵の根本に水をやった。

「これで・・・、元気になる・・・かな?」

向日葵が何で元気を取り戻すのか、ぼくは全く知識は無い。

でも、頑張って咲いているのに・・・頑張っているのに駄目になるのは我慢出来ないから、せめて水をやったのだ。

「元気になれよな・・・。ぼくも元気になるから」

そうしてこの日は、お父さんが帰って来る前の早い時間に寝た。

少し走っただけなのに体はグッダリと疲れていた。

 

 

翌日起きると、すぐにお父さんに宣言した。

「お父さん。ぼく、明日東京へ帰るよ」

お父さんはキッチンでお決まりの卵焼きを作っていた手を止めた。

やや間があってから、「そうか」と笑った。

「じゃあ、お父さんは明日から一人だな。でもそれでいい。英太のいる場所はここじゃないからな。でも、世話になった人には挨拶して行けよ」

「そうか・・・。それもそうだね」

今日は日曜日なので、お父さんはマンションに残り、ぼくは田中商店に向かった。

田中商店のオバサンに「東京に帰ります。お菓子とかありがとうございました」と言うと、「あらあら、上京?」とよくわからない事を言われた。

そして白川農園に行くと、白川さんは「コレを持って行け。必ず役に立つ」と言って農園で作ったという赤ワインのボトルをくれたが、ぼくはまだ飲めない。

 

 

白川農園を出たところで後ろから安西に声をかけられた。

「行くんだって?東京によ」

ぼくは振り返り、安西にお辞儀をした。

「やめろよ相原。礼とかいらねーし」

とか言いつつもまんざらでもなさそうだ。

「で?今日帰って、部活には行くのか?明日か?」

「それは・・・わかんない。とにかく、東京にだけは戻ろうと思う。決心が着けば部活にも行くけど・・・」

ぼくはそこで言葉に詰まった。

「けど、何だ?」

「勝手に二週間も休んだぼくが、またイキナリ部活に行ってもいいのかわからないんだ。部のみんなには迷惑かけただろうし・・・どう謝ったらいいのか、どう声をかけたらいいのか・・・それがわからなくて。それがわかったら学校だけじゃなくて部活にも行こうと思ってる」

それに・・・安西には言えないけど、くるみとどう接したらいいのか・・・それもよくわからない。

そんな迷いの表情をしていると、安西は嫌な笑いを始めた。

「ヒッヒ・・・」

「な、なんだよ」

「イヤ、なんでもねーよ。どうやらオレ、余計な事を電話しちまったみてーだからよ。思わず笑っちまったんだ。いや、気にしねーでくれよ。大した事じゃねーし。またな」

勝手にそう言い切って安西は農園に戻って行く。

「安西くん!!」

ぼくはそう叫んで呼びとめた。

「あ?」

「いや、その・・・。ありがとう」

安西は笑い、そして農園に入っていった。

ぼくは・・・、僕は安西に一礼してマンションへと戻る。

 

 

青い空を薄くて白い雲が流れていた。

真夏の入道雲とは違い、ずいぶんと高いところに浮かんでいるように見える。

もう残暑すらも過ぎようとしているらしい。

いくぶん涼しくなった日差しの中、畑沿いのあぜ道を歩く。

マンションまではもうすぐだ。

すぐに巨大な山脈をバックにして、近代的な三階建てマンションが姿を現した。

ここにはもう二週間近くも滞在していた事になる。 

「なにしてんだろ・・・」

マンションを見上げて僕は呟いた。呟いた後、少し前までの事を振り返る。

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・ 

 

ふと気付くと、マンションの入口に同年代くらいの男女が立っているのが見えた。

そのうちの女の方が僕を見て声を出した。

「・・・探したよ」

声を聞いて僕は体をビクリと動かしてしまった。知っている声だったからだ。

「み・・・、未華・・・」 

続いて男の方が僕を睨みながら低い声で言った。

「こんな遠くまで来させやがって」

僕は思った事を口にした。

「ご、剛塚??ど、どうしてここに・・・?」

すると剛塚が頭をガリガリと掻きながら答えた。

「いや、俺だってこんな遠くまで来るのは嫌だって言ったんだけどよ。大体、逃げたヤツを追っかけたって仕方ねーしよ。でもま、安西からのメールと電話もあったしな」

安西・・・?安西の言っていた電話って・・・剛塚への電話だったのか。 

それにしても・・・、逃げたヤツを追う・・・。この言葉に僕はドキリとした。

「それによ、そいつがどうしてもって言うもんだからよ」

男は僕の後ろを指差した。

「え・・・」

恐る恐る振り返ると、そこには制服姿の女子がいた。

そのコは僕の顔を見ると一言、こう言った。

「帰ろう、英太くん」

全身に電撃が走った。

まだ、僕は整えていなかったからだ。この人にどう接するのかを。

「く、くるみ・・・」

 

 

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2009年9月17日 (木)

空の下で-向日葵(22) 山間の町(その4)

「今さら、何しに戻ってきたの?」

制服姿のくるみが部室前の廊下でぼくに向かってそう言った。

その顔は怒りに満ちている。

「今頃戻って来たって迷惑なだけなんだよね。さっさとここから消えてよ」

くるみはそう言ってぼくの肩をドンと押した。

「うわ!!」

押されたぼくを後ろから五月先生に羽交い締めにされた。

「さ、五月先生」

「相原、もう来るな。お前がいてもウザイだけだ。帰れ」

「か、帰れって・・・!!」

渾身の力を振り絞り、五月先生の腕を振りほどくと、布団がバサリと音をたてて吹き飛んで行くのが見えた。

「ふ、布団?」

よく周りを見ると、ぼくは部屋の中に敷いてある布団の上にいて、腕だけを上に突き上げて寝転がっている状態だった。

冷めた声が話しかけてくる。

「何してんだ英太。うおおとか叫んで布団を吹き飛ばすとは・・・。布団が吹っ飛んだっていうギャグを体現してみせたのか?」

声の主はお父さんだった。

ぼくがいるのは相変わらず勝沼のお父さんのマンションだ。

どうやら嫌な夢を見ていたらしい。

 

 

8月27日。勝沼に来てから、すでに一週間が過ぎていた。

ぼくは毎日、同じような日々を過ごしていた。

朝、お父さんと一緒に起きて朝食を食べ、散歩に出かける。

ぶどう畑を見ながらのんびりと歩き、田中商店でパンを買って外で昼食を摂り、午後はマンションに戻りテレビを見たり本を読んだりする。

そうして夜になり、お父さんの作るあまり美味しくないゴハンを食べて一日が終わる。

白川ぶどう園にいる安西とは連絡は取らなかった。

元々、気が合う仲間ではないし、とにかく一人でいたかったからだ。

練習、というか走るという行為そのものもしていない。

一度、かなり離れた場所にある運動公園に行ってみたが、そこにある土の競技場で練習している大学生を見ていたら、何か焦りの様なものを感じてすぐに立ち去ってしまった。

ぼくはどうしてしまったんだろう?

ほんの少し前まで、走るって事があんなに楽しく感じていたのに・・・。

 

 

この日も何の目的もなく散歩をしに出かける。

マンション前の向日葵は、ここに来た時より花が萎れていた。

そういえば勝沼に来てから全く雨が降っていない。後で水でもやろうかと思う。

とりあえずフラフラと散歩をしていると、自転車に乗った安西が前方からやってきた。

「お、相原か!」

安西はぼくの行く手を阻むかの様に自転車を止めた。

「まだいたのかよ、相原」

何故だか嫌そうな顔をする安西。

「お前、いつまで勝沼にいるんだよ。もうすぐ二学期だろうが」

「そう・・・だね」

二学期か。もうそんな時期か。いくらなんでも授業が始まったら勝沼にいる訳にはいかないな。

「二学期になったら帰るよ」

そう言うと安西は「何ナメた事を言ってんだよ」と低い声で言い自転車を降りた。

ガシャンという音をたてて自転車が道路に倒れる。

「相原、テメエ、さっさと東京に帰れよ。二学期なんて待ってんじゃねえよ。二学期になってから帰ったんじゃ『仕方なく帰ってきました』って感じだろうがよ。授業じゃなくて、最初に部活に顔を出せよ」

ものすごく真剣な目だ。思わず一歩だけ後に下がる。

「仕方なくじゃダメなんだ。やりたいって気持ちを持って行かないと、絶対に続かない。オレのぶどう栽培の仕事もそうだった」

「やりたいって気持ち・・・」

「そうだよ。お前、走りたいんだろ?本当は」

「走る・・・」

そうなんだ。ぼくは散歩をしていながらも常に走りたかった。

でも逃げる様に・・・いや、部活から逃げてきたぼくが、違う場所で走ってどうなるんだっていう気持ちがあって走りだす事が出来ないんだ。

「二日後の29日。お前ヒマか」

安西は突然話題を変えてきた。

「え?うん、ヒマだよ」

ぶどう園の手伝いでもさせる気かと思ったら、安西は意外な事を口にした。

「その日、近くの運動公園で陸上の記録会があるらしいからよ。見に行ってみろよ」

「記録会?」

「そうらしい。オレは詳しい事は知らねえけどよ。高校生も出るらしいぜ」

 

 

マンションに戻り、お父さんのパソコンを借りてインターネットに繋ぐ。

近くの運動公園での記録会はすぐにネットで見つかった。

この記録会は高校生・大学生・社会人のオープン参加で開かれる大会らしく、勝沼や近隣の町の高校名や大学名、一般参加の人の名前が参加者として並んでいた。

全く知らない土地の記録会・・・。

興味の湧いたぼくは行ってみる事にした。

もちろん、見るだけなのだけど・・・。

 

 

8月29日。

二学期開始までは、わずか三日というこの日、田舎町である勝沼にも選挙カーの遊説が行われていた。

明日は注目の選挙の日なのだとお父さんが言っていた。

その最後の演説のために各候補者が、こんな田舎町で声を張り上げている。

「もしかしたら日本の行く末が変わるかもしれない選挙だからな」

お父さんがそう言う大切な日にでも、記録会に出る選手は淡々とウォーミングアップをしていた。

運動公園にはかなりの人数の参加者が集まっており、みんなそれぞれ念入りに準備をしているのだ。

 

 

ぼくは参加する訳ではないので、昼頃に運動公園に入り、競技場の中へと進んだ。

競技場ではやり投げが行われていた。

「うおりゃ!」という図太い声と共に槍がヒューンと飛び、サクッという軽い音をたて地面に突き刺さる。

そんな様を横眼に、ぼくは競技場のゴール付近の席に陣取った。

ゴール付近の席というのは人気のある席なんだけど、田舎の大会ともあって、楽に座る事が出来た。

屋根も無く、日差しをまともに受けながら競技場を眺める。

やり投げ終了後は110mハードルが行われた。

高校生や大学生、一般参加の社会人が次々と登場しては走る。

「いいな・・・」

まるで風の様に走る選手たちを見ていたら思わずつぶやいていた。

そうしてしばらく見ていると、5000mの試合が始まった。

高校生、大学生、社会人の順でレースは行われ、発走するたびに拳に力が入った。

ぼくがあの中にいたら、こうするのに!

あの選手、ラストスパート速い!

うわ、遅いけど気迫が凄い!

色んな想いが体を駆け巡る。

ぼくはなんでここで座っているんだ??何で走っていないんだ??何でこんな町に逃げてきたんだ??ここにいて何になるんだ?そもそも何で走っていたんだ??

「君、足速そうだよね。ちょっとウチの部、見学してみない?」

多摩境高校に入学した時、校門で部活勧誘していた雪沢先輩の声が聞こえた気がした。

あの時から、ぼくは走りだした。

走って走って、一年後には高尾山とか山をいくつも走り抜ける様な事までした。

遠くまで来たって感じていた。でも、まだまだ先を目指すって決めていた。

決めていたのに、失恋くらいで逃げだした。

「何してんだろ・・・」

眩暈がした気がした。やっぱり考え過ぎるのは止めようと思う。気楽にしなくちゃ。帰ろう。

しかし次の瞬間、再びぼくは陸上の世界に引きとめられた。

次の試合のアナウンスが聞こえたのだ。

『続いて、大学生の部、男子100m 第1組』

最初はどうでもいいアナウンスだと思った。

第1レーンから順に選手が紹介されていく。そして第3レーンの紹介が始まった。

『第3レーン 甲府盆地大学 一年 中尾一輝くん』

どこかで聞いた事のある名前だと思い、第3レーンを眺めると、ぼくが陸上部に入部した時の部長、『雨のスプリンター』こと天然パーマの中尾部長の姿があった。

 

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2009年9月14日 (月)

空の下で-向日葵(21) 山間の町(その3)

白川ぶどう園の白川さんの家の縁側に、ぼくと安西は腰をかけた。

縁側のすぐ目の前からは大きなぶどう畑が広がっていて、たくさんのぶどうがぶら下がっている。

「うちのぶどうはピオーネって種類がほとんどだ」

聞いてもないのに安西はそう言った。

「オレもここで働き出したのは今年の春からだからな。ぶどうは秋に収穫する果物だからよ。まだ一度も収穫の時期を迎えてねえ。半年かけてここまで来て、ついに・・・って感じだ」

「半年前かあ・・・」

「そういやお前もいたな、半年前のあの時」

よく覚えている。今年の春の事だ。

 

 

風の強い日だった。強風の中、安西は多摩境高校の校門で待っていたのだ。

ぼくと剛塚と雪沢先輩は安西の話を聞く事になったのだ。

そこで安西はこう言った。

「やりたい事を見つけたんだよ」

そして、続けて確かにこう言ったのを思い出した。

「田舎のジジイがよ、ぶどう園やっててよ。そこで手伝おうと思ってる」

 

 

・・・ああ、確かに言ってたな。ぶどう園を手伝うって・・・。

でもまさか、こんな形で再会する事になろうだなんて。

考え事をしている間にも安西はぶどうの話をしていた。

「でよ、今月末からはぶどう狩りも始まる予定だっつーわけだ。ホントはその時に剛塚とか落川学園高校のダチも呼ぼうと思ってたんだけどよ」

「お、落川学園って・・・あの不良で有名な?」

「オレが行ってた高校だもんよ」

「あ、そ、そっか」

すっかり忘れてたよ、そんなの。

「陸上の試合で出くわさなかったか?落川学園と。試合中に妨害行為するって忠告しといたよな」

そう、落川学園が妨害行為するってのは安西に教えてもらったんだった。

幸い、ぼくら多摩境高校は落川学園と試合で一緒になっても何もされなかったけれど、合同合宿で一緒に頑張った百草高校の町田康一さんが妨害行為されてたという。

「うん・・・本当に妨害するみたいだね。気をつけるよ」

「で、お前、こんなとこで何してんだ?」

安西はこちらを見て低い声でそう言う。

一度、襲撃されたぼくとしては、安西という男に威圧感を感じる。

「何って・・・」

「だってよ、今はもうお盆休みでもねーだろが。陸部は活動中なんじゃねーのか?それともサボリか」

「サボリなんかじゃ・・・!」

ぼくは声を荒げてそう言いかけたが、言葉が途中で詰まってしまった。

「なんだ、図星かよ。ウケる」

安西はウケるとか言いつつも全く笑ってなかった。

ぼくは話題を変える事にした。

「安西・・・くんは何してんの」

「見てわかんねーのかよ。ぶどう栽培だよ。夏前にはさくらんぼ栽培も手伝ったぜ」

安西は誇らしげに答える。その表情は生き生きとしていて、ぼくは何故だか胸が苦しく感じた。

去年の秋にぼくらを襲った男の顔とはまるで違った表情だ。

これが本当に陳腐な怒りと恨みで動いていた男の顔だろうか・・・信じられない。

「なんで、ぶどう栽培を?」

「あ?なんでか?うーん・・・」

安西は腕を組んで考え込むそぶりを見せたが、すぐにぼくから顔をそむけた。

「お前らの・・・せいじゃねえ?」

「ぼくらの?」

「そだよ。お前ら多摩境高校陸上部のせいだ。特に五月と剛塚のせいだ」

「な、なんで?」

安西はぼくとは違う方向を見ながら話す。

「剛塚が暴力沙汰をやめて陸上部に入った理由・・・知ってるだろ?オレと一緒に陸上部を襲撃した時に五月隆平に言われた言葉を」

「・・・そのエネルギー、もっと別の事に使えよ・・・ってやつ?」

安西はぼくの顔を指差して言った。

「それだ。それ。で、オレがお前らを上柚木競技場の近くで襲った時、剛塚はオレにこう言ったのを覚えてるか? お前もそのエネルギー、もっと別の事に使えば凄いのによって」

ああ、確かに剛塚はそんな事を言っていた記憶がある。

「それでオレ、ムカついてよ。剛塚に言い返したんだよな。じゃあ、お前はそれで凄くなったのかよって。そしたら・・・」

安西は再び顔をそむける。

「そしたら?」

「お前が言ったんだ。凄くなりつつあるよって」

「ぼくが?」

そんな事を言っただろうか。ぼくには記憶がない。

「だからオレは確かめに行った。お前らが出た東京高校駅伝を見に行ったんだ。そしたら剛塚はスゲエ気迫で走ってやがった。沿道で見てたオレにまでビシビシ伝わる様なとんでもないオーラでよ。それ見て・・・ぶっちゃけ鳥肌が立ったぜ。スゲエじゃねーかよって」

安西は縁側から立ち上がり、ぶどう畑の方を見た。

「だからオレも凄くなるためによ、やる事を見つけたんだ。ケンカに使ってたエネルギーをこの農園で働くエネルギーに変えてよ。それで半年やって、ついにぶどう出荷の季節になるとこだ。これがどういう事かわかるか?」

ぼくは迷わずに答えた。

「凄くなりつつある・・・ね」

「だろ?」

そう言って笑う安西には、ぼくの知らない爽やかさがあった。

この男に爽やかさを感じるだなんて信じられない気分だ。まさかそんな日がやって来るとは。

「お前もよ。こんな町でサボってんじゃねーよ。せめて走れよ、この町で。今のお前、全く凄いと思えないぜ?」

「走る・・・?」

「そうだよ。好きで走ってるんじゃねーのかよ。なら走れよ。どんな理由でこんな山間の町に来てるんだか知らねえけどな」

 

 

安西と連絡先を交換しあい、白川さんに挨拶をしてぼくは農園を出た。

すでにお父さんは車で次の仕事場に向かったらしい。

白川さんにぶどうジャムをいただいて、ぼくはお昼ゴハンを調達しに田中商店というお店に歩いて向かった。

田中商店には気さくなオバサンがいて、「きみ、かわいいからサービスするよ」とか言って頼んでもないのに食パンをサービスしてくれた。

ただ、賞味期限はギリギリだったけど。

 

 

アパートへの帰り際、買い物袋を下げたまま、ぼくは走ってみた。

風が気持ちいい。

でもすぐに止まってしまった。

今は陸上部の事は思い出したくなかった。

走るという行為は、すぐに名高や牧野とかのやりとりを思い出させ、部室でのくるみの冷たい態度を思い出させる。

くだらない・・・。もしかしてぼくはくるみに冷たくされたからって逃げて来たのか・・・。

くだらない。

くだらない。

こんな、くだらない理由で逃げたぼくが、おめおめと陸上部に戻ってもいいのだろうか。

アパート前に生えている向日葵は元気に空に向かっていて、その元気さがぼくを憂鬱にさせた。

 

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2009年9月10日 (木)

空の下で-向日葵(20) 山間の町(その2)

山梨県勝沼町に来て、初めての朝を迎えた。

昨日の夜は久し振りにお父さんと二人きりで同じ部屋で寝る事になり、なんだか恥ずかしかったけど、それでもよく眠れた。

朝、暑くて目を覚ますと、お父さんがキッチンで何か料理をしていた。

横から覗きこむと、フライパンで目玉焼きを作っているところだった。

「あれ?お父さん、料理なんて出来るの?」

「まあな、単身赴任してる期間が長いからな。少しは出来るぞ」

と言った瞬間、目玉焼きの気味が割れてフライパンの中はぐちゃぐちゃになった。

「ス、スクランブルエッグだ」

形はともかく、初めて食べるお父さんの料理はわりと美味しかった。

 

 

お父さんはスーツを着て例の白い車で仕事へ出かけて行った。

人がいなくなると1DKとはいえ、ガランとした感じになる。

部屋のハジにはテレビが置かれているので、寝転がってテレビを見ると、いつもと違う番組が流れているのに驚く。

東京からそんなに離れた訳でもないのに、テレビのチャンネルも内容も少し違ったものになるんだと妙に感心する。

午前中はそんな感じでテレビを見たり、持ってきた本とかを見ていたんだけれど、お昼頃にはさすがに飽きて、アパートの外に出てみた。

アパート前の砂利道を抜けると、まだ向日葵が背筋を伸ばして咲いていた。

太陽の方を向いて咲いている・・・という事もなく、昨日と同じ方向を見ている。

ぼくは何かするアテがある訳じゃないので、その向日葵が向いている方向の道を歩いていく事にした。

ぶどう畑と民家があるだけの道。

歩いても歩いてもぶどう畑だ。時折、軽トラックが道を走って行くのだけど、他には特に交通もあまり無い。

本当に田舎に来たんだなと感じた。

こないだの合同合宿で行った伊香保温泉街とは違って、本当の田舎町。

合同合宿を思い出して、くるみが冷たくなった日の事を思う。

あれは・・・朝の事だった。

寝坊してる人達を起こすためにくるみと未華が各部屋を周っていた時だ。ぼくの携帯電話が開いていて、長谷川さんへのメールを見られてしまったんだった。

なんで携帯をメール作成中の画面で開きっぱなしにしておいたんだろ・・・。

てゆーか、何でそれでくるみが冷たくなったんだろ・・・。

ぐうう・・・

急にぼくのお腹が妙な音をたてた。

「そーいや・・・、お昼ゴハンってどうすればいいんだ?」

見渡す限りのぶどう畑。そして、まばらな民家。まさか民家にお邪魔して「突撃となりのおひるごはーん」なんて言う訳にもいかない。

コンビニどころか商店もどこにあるかわからないので、仕方なくお父さんの携帯に電話してみる事にする。

しかし、仕事中なのかお父さんは電話に出なかった。

「あー・・・どうしよ・・・」

空を見上げると、甲府盆地全てを薄くて白い雲が覆っていた。

とはいえ、この町は暑い。気がつけば来ているTシャツも背中が汗で濡れている様だ。

そこへ、ブオオーっという音をたてて一台のワンボックスカーが通り過ぎて行った。

薄汚れた白いその車には五、六人の若い男が乗っていた。

その中の一人、天然パーマ風の男と一瞬目が合った。

「あれ?」

車はそのまま通り過ぎて行く。

「今の人・・・」

一瞬だったけど、見たことのある顔だった気がした。

誰だか思い出そうとしたら携帯電話が鳴りだしたので電話に出る。

「もしもし」

『英太か。お父さんだけど。さっき何か電話したか』

「ああ、この辺ってお昼ゴハンってどっかで買えたり食べれたりする所無いかなと思って」

『そうだなあ・・・歩いて30分くらいのところに田中商店ってのあるから、何か買うならそこだな』

「30分かあ。じゃあ走って行こうかな」

『さすが陸上部だな。それよりも今、近くのぶどう園に来てるんだ。車で送るから来ないか』

「ほんと?助かる!」

『このぶどう園、英太と同い年の男の子が働いてるんだ。ちょっと紹介したくてな』

 

 

お父さんに言われた通りに道を歩くと、わずか五分くらいのところにあるぶどう園に、お父さんが昨日使っていた車が駐車されているのが見えた。

「おおー、来たか来たか」

ぶどう園の民家の入口でお父さんが手を振っている。

ぼくは駆け足で近づいた。

すると民家からお爺さんが一人出てきた。

「おお、君が相原君の息子さんかね」

突然の見知らぬお爺さんの登場にぼくが驚いているとお父さんが「この農園の白川さんだ」と紹介された。

白川さんは白髪と白いヒゲを少し生やしているが、体格がシッカリしているし背も高く、体は黒いしで、なかなか強そうなお爺さんという感じだ。

「白川ぶどう園の白川だ。君のお父さんには世話になっとる。よろしくな」

そう言って白川さんは豪快に大笑いをした。

「世話だなんてそんな・・・世話になってるのはこっちですよ」

お父さんは笑いながら照れている。

「息子さんは何て言うのかね?前に聞いた様な・・・英太郎くんだったかな?」

ぼくも笑って答える。

「惜しいです。英太です」

「おお、郎はいらなかったか。がっはっは!」

何だかのんびりした世界だな。・・・そう思った。

そうやってしばらく雑談していると、民家の奥にあるぶどう畑から、一人のゴッツイ若い男が出てきた。

「じいちゃん、午前中分の仕事は終わったぜー」

若い、というかぼくと同じ年くらいの男だ。この人がお父さんが紹介したがってた人かな?

作業用のズボン、作業で汚れた白いTシャツ、頭には手ぬぐいを巻いている。

この男も体付きがガッシリしている。それに日焼けした体がかなり黒いし、何より堀の深い顔が怖いのでかなり強そうなオーラが漂っている。

その男がぼくを見て目を見開いた。

「お、おまえ・・・?」

男は明らかに驚いた様子でぼくを見ている。どこかで会った事があるか?確かに、この声は聞いた事がある気もするけど・・・

「なんだ英太。知り合いか?真志君と」

シンジ君・・・?いや、やっぱり知らない名前だ。

考えていると白川さんが言った。

「そういえば、真志も東京の八王子に住んでたんだったな。何だ?同じ中学だったとかか?」

「いや、ちげーけど・・・」

「真志。お前、頭に手ぬぐい巻いてるから、顔がよくわからんのだよ。手ぬぐいを取って、ちゃんと挨拶しなさい」

真志という男は「ああ、そうか」と言って手ぬぐいを頭から取った。

手ぬぐいの下からは見事に赤く染まった短髪が現れた。

それでぼくも気付いた。

「あ!」

「どうも、安西真志っす」

「あ、安西・・・」

長距離チームに襲撃をかけた男、安西の姿がそこにはあった。

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2009年9月 7日 (月)

空の下で-向日葵(19) 山間の町(その1)

多摩境高校の校庭で、五月先生が陸上部のみんなに「相原英太はしばらく休部する」と言い、部員達がざわめいている頃、当の本人であるぼくは、お父さんと二人で特急に乗っていた。

東京都の八王子から中央本線の特急に乗り込み、向かうは山梨県の甲府という駅だ。

座席は二人掛けで、窓側にぼくが座りお父さんが通路側に座っている。

「本当に良かったのか、部活休んでも」

お父さんは駅弁を食べながら新聞を読みつつ、さらにぼくに質問までしてきた。

「オレは運動部の事はよくわからんのだけど、休部なんてしてメンバーに迷惑かからないのか。お前の実力が下がってしまうとかさ」

視線は新聞に向いているけれど意識はぼくに向いているらしい。心配してくれてるのが少しだけ嬉しい。

「大丈夫。ぼく一人休んだって部活に影響なんか出ないって。それに山梨に行ったって練習はするから実力は下がらないって」

「うーん。そんなもんか?」

お父さんは疑問の言葉を残しつつも新聞に集中しだした。

きっとお父さんの中には「ホントに英太を山梨に連れて行ってもいいのか?」という思いが少しあるに違いない。

「ホントに大丈夫だよ、お父さん。ちょっと休んでリフレッシュするだけだからさ」

そう、くるみへの想いを消して、新たにスタートを切るための心の夏休みなんだ。

 

 

景色はあっという間に変わり、深い山ばかりになった。

トンネルや橋を何度も何度も越え、やがて、とてつもない広大な平地が姿を現した。

全方位を大きな山に囲まれているけれど、はるか先まで平地が続いている様な不思議な場所。

「ここが甲府盆地だ。たくさんの市町村がこの甲府盆地の中にあるんだ。まあ、山梨県の中心地区だな。オレのアパートは甲府盆地の東のハズレにある勝沼町ってトコにあるんだけどな、最初は甲府駅で降りて会社に寄って行く」

「か、会社?」

「うん。明日からぶどう農園を周って色々とやる事があるからな。ちょっと資料を取りに行かなくてはいけないんだ」

「へえ、お父さんが働いてる会社かあ。ちょっと楽しみだね」

 

 

特急を甲府駅で降りると、凄まじい暑さだった。

東京よりだいぶ標高が高いはずなのに、ヘタしたら東京よりも暑いんじゃないか。

「なんだか今日、暑いね」

一気に汗が噴き出してきた。お父さんは手慣れた感じでカバンからハンカチを取り出し、顔の汗をしきりに拭いている。

「甲府盆地は日本でも1、2位を争う高気温の名所でもあるんだ」

「ええ?涼しいんじゃないの?!よ、予想外だよ・・・」

「そうか、予想外か。あっはっは!」

何が面白いのかお父さんは駅前だってのに大笑いをした。

 

 

甲府駅から歩いて少しのところにお父さんの勤める果実酒メーカーのオフィスはあった。

五階建てのビルの一階から三階までがお父さんの会社らしくて、ぼくは二階にある休憩室でソファに座って待っていた。

お父さんはものの十分ほどで資料が入っているカバンを持って「行くぞ」と行った。

オフィスがあるビルの裏手には小さな駐車場があり、そこにある白い軽自用車に乗り込む。

助手席の扉には会社のロゴマークと会社名が描かれていた。

「この車って会社の?」

「そうだよ。これで農家を周るのがオレの主な仕事だ」

「へえ・・・」

車は甲府の市街地らしき場所を走る。

思ってたより栄えてる街だ。東京にもあるようなチェーン店のファミレスやコンビニ、携帯ショップなどが並んでいる。

「何か買いたい物があるなら今のうちだぞ」

「ん?どういう事?」

「甲府はこんなに栄えてるけど、アパートのある勝沼にはホントに何も無いからな」

「そうなの?じゃあ・・・」

ぼくはコンビニに寄ってもらい、お菓子とテレビ欄付きの雑誌を買った。

「あそこに陸上で強豪の大学があるけど、見ていくか?」

コンビニの駐車場でお父さんは遠くに見える大きな建物を指差したけど、ぼくは「え?いや、別にいいよ」と言って断った。

 

 

車は市街地を抜けて、次第に畑が広がるエリアへと入っていく。

畑と言っても東京で見るものとは少し違うものが多い。

地面で何かを育てている感じじゃなくて、頭の上の高さほどの場所に木々を這わせていて、そこに何か果物らしきものがぶら下がっている。

「あれって・・・ぶどう?」

車の窓から外を眺めながらぼくが聞くと、お父さんは「そうだ」と言って話を続ける。

「この勝沼って所はぶどうが名産品なんだ。山梨はフルーツ王国って言われているんだけどな、勝沼のぶどうはかなり有名なんだぞ」

「ぶどうかあ・・・」

「お父さんのこの時期の仕事は、色んなぶどう園を歩き周って、うちの果実酒メーカーとの橋渡し的な役をするんだよ。さっきの資料は今年から新たに契約する農園があるからな、その農園の資料だ」

「へえ、お父さんってちゃんと働いてるんだね」

「当たり前だ。だから少し尊敬しろ」

「えー、なんかそれ強引だね」

二人で笑いながら車は進む。

その間にもぶどう園は次々と姿を現す。ここは本当にぶどうの町なんだな、と思う。

その時、ふいに何かを思い出しそうになった。

ぶどう園・・・?

前に、誰かとぶどう園の事を話さなかっただろうか・・・?

 

 

車は畑沿いの砂利の駐車場に止まった。

車を降りると、道端には向日葵が何本か咲いていた。力強く空に向かって背筋を伸ばして咲いている。何かに向かって「どうだ!」と言っているみたいだ。

向日葵の横には細い砂利道があり、その先には三階建ての近代的な建物が見えている。

「あそこがアパートだ」

畑とぶどう園ばかりのこの山間の町には全く似合わないお洒落なレンガ調の外壁だった。

正面入り口が自動扉らしく、それがまた一層似合わない。

自動扉の前に立ってわかったのだけど、どうやらオートロック式の扉らしい。

お父さんが四ケタの数字を扉横にあるテンキーに打ち込むと扉が開いた。

「なんかここだけ近代的だね」

「そうなんだよ。恥ずかしい感じだよな。こんな何も無い町でここまで近代的なシステムだとな」

お父さんの部屋は三階の一番ハジの部屋だった。

かなり広い1DKの部屋だ。1DKと言ってもキッチンは広いし部屋自体も大きいのでお父さんと二人で寝転がっても全然狭く感じない。

窓を開けると大きめのベランダがあり、そこには小さな丸テーブルが置かれていて、果実酒の空のカンが置いてあった。

「たまにそこで飲むんだ。夕方にな。夜は虫が多いから部屋の中で飲むけど」

この建物は少し高台にあるらしく、けっこう遠くまで見渡せた。

どこを見てもぶどう畑。そのぶどう畑の中にポツンポツンと民家があったり工場みたいなものが見える。

かなり遠くだが、運動公園みたいなものも見える。もし走るなら、あそこまで行ってみてもいいかもしれない。

「何も無いだろ?夜は真っ暗だからな。出かけるなら昼間にしとけよ。お父さんはちょっと資料の整理してるから、適当にしててくれ」

「うん」

お父さんはこんな町で暮らしているんだ・・・。ぼくは初めてお父さんの生活を感じた。

親子だというのにぼくらはお互いを知らなさすぎた。

お父さんもぼくの休部の重さを知ってはいない。だからぼくをこんな遠い町へ連れて来てしまった。

ただ単に逃げたかっただけのぼくを。

 

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2009年9月 3日 (木)

空の下で-向日葵(18) 英太のいない陸上部

炎天下の校庭で、五月先生が「話がある」と切り出し、「相原英太がしばらく休部する」とみんなに伝えられてからすでに五日が過ぎていた。

最初、休部と言われて部員たちは「体調悪いのかな」と思ったらしい。

でも合宿以降のぼくの調子を考えると「ただの体調不良じゃないんじゃないかな」と考えるメンバーがほとんどだったという。

そうして休部から五日も経ってみると、メンバーの中には「何かあったのかな」的な雰囲気が漂い出していた。

おかげで、ぼくと一番仲のいい牧野は練習のたびにみんなに質問されたという。

 

 

「相原ってなんで休んでるんだ?」

一番最初に牧野に聞いてきたのは、やはり中距離のたくみだ。

「あいつがイキナリ休部ってのは何だか腑に落ちないんだよね。牧野、何か知ってんじゃね?」

何故かペンとノートを片手に聞くたくみに牧野は「わかんねえや」とシラッと答えた。

「でもよ。休部はいいけど、あと3日で二学期だぜ?英太のヤツ、ちゃんと学校には来るのかよ?」

「うーん。確かに・・・それはわかんねえな」

 

 

その日、牧野が練習を終えて部室を出たところで早川とくるみが待っていた。

「ちょっといいかな、牧野」

早川が少し声をひそめて話しかけてきたので、牧野は「ああ、英太の事?」と聞き返した。

早川とくるみが頷いたので、牧野は二人を連れて校内の人があんまり通らない廊下へ移動した。

「あいつ、何で休部してる訳?あんなに一生懸命だったのにさ」

早川はイライラしてる感じで早口でそう聞く。

「何でだか・・・わかんねえってオレも」

牧野はぼくが休んでる理由を全部知っている。全部、電話で話した。だからこの時期の牧野はウソばかりついている事になる。

「もしかしてさ・・・」

くるみは消え入りそうな声で口にする。

「何か・・・あったのかな。その・・・この陸上部の中で・・・」

「くるみに失恋したからじゃない?」と、言いたいのを牧野は堪えた。

言ってもいいけど・・・と思い、牧野は考えたという。

・・・英太のヤツ、失恋くらいで休部かよ、くっだらね・・・と。

「英太くんから連絡あったら教えてね。 わたし・・・英太くんと話したい事があるんだ」

くるみは俯いたままそう言う。

「話したいなら電話してみれば?」

「ううん・・・直接言いたい事があるから・・・いい」

もしかして・・・と牧野は思う。もしかして、くるみは・・・。

この時、牧野が何を思ったのかは、後になってもぼくには教えてはくれなかったけど・・・。

 

 

「相原先輩がいないと、なんかやる気が起きないっすね」

休部七日目、タイムトライアルで久し振りにリタイアした後、全員でストレッチ中にヒロが穴川先輩にそう言った。

穴川先輩はガリガリと坊主頭を掻きながら「お前、人のせいにすんなよ」と言うとヒロは反論した。

「いや、ボクだけじゃないっすって!なんとなく、みんな活気が無いっすよ。雪沢先輩も穴川先輩もみんな!」

「そうかあ?」

そのやりとりを見て雪沢先輩もストレッチをやめて呟く様に言った。

「確かに・・・相原のひたむきさって、みんなにも影響する雰囲気あったからな・・・」

その言葉で名高と染井以外のメンバーがストレッチを止めてしまった。

剛塚が牧野に問いかける。

「牧野、英太って部活辞めたいのかよ」

剛塚の声はイラついているのが見え見えだ。

「知らないって毎日言ってるでしょうが」

「・・・ち」

ストレッチを再開した剛塚の横から大山が雪沢先輩に質問した。

「五月先生は何て言ってるんですか、雪沢先輩」

「うん?そのうち復帰するか退部するかのどっちかだろって。本人の意思次第だってさ」

「うわ、つめた・・・」

ヒロはそう反応するが雪沢先輩は「五月先生はムリヤリ練習に出させるタイプじゃないから」と諭す。

 

 

休部八日目、8月30日だ。

あと二日で二学期が始まってしまう。

牧野にも「英太のヤツ、何してんだ」という考えが出てきていた。

それでも牧野は練習に集中した。

九月には秋の新人戦があり、牧野はどうしてもそこでの公式記録で未華を追い抜きたかった。

「英太は戻ってくる」

そう信じて牧野は練習に集中する。

しかし部内全員がそういう訳にはいかなかった。

みんな少なからず気にしていた。

その証拠についに染井までが牧野に「相原先輩、二学期は来ますよね。相原先輩いると・・・なんつーか、その・・・元気がもらえるんで・・・」とか言いだした。

部内が揺れている・・・。

牧野がそう思っている通りの事が起きた。

30日の練習はきついインターバル走だったのだけど、みんなが軒並みペースが良くなかったのだ。

そんな雰囲気の中でも名高と牧野と未華だけは必死に走り、満足できるタイムで走っていたのだけど、ゴール後に五月先生が怒鳴った。

「なんだこの結果は!! ちゃんと集中してやらないと記録どころか怪我するぞ!!」

そしてスーッと息を吸い込み、今度は穏やかな声で五月先生は言うのだ。

「自分に集中しろ。大丈夫だ。仲間を信じろ。ずっと一緒に走ってきた仲間を」

 

 

その日の練習後、部室で男子陣が着替えていると、剛塚が携帯を見て「お、安西からだ」と呟いたので室内が一瞬静かになった。

なんと言っても安西は陸上部を二回も襲撃した男だ。

この名前を聞いて嫌な空気にならない訳はない。

「誰ッスか安西って?」

何も知らない後輩であるヒロが空気も読まずに質問する。

「ヤベエ男だよ」

剛塚はニヤリと笑った後、安西からのメールを読んで顔色を変えた。

「どうした?」

牧野が聞くと、剛塚は「ちょっと牧野、こっち来てくれ」と言って部室から出て廊下に出た。

廊下にはくるみと未華がいたのだけど剛塚は「お、丁度いいところに」とか言って、牧野とくるみと未華に、安西からのメールを見せた。

「これ、どういう事なんだ?」

 

 

そんな事が起きていたなんてのは、もちろんぼくは知らなかった。

全部、後から聞いた話だ。

だってこの時のぼくはお父さんに同行して山梨県にいたからだ。

みんながいる多摩境高校からは100キロも離れた田舎町、山梨県勝沼町に。

 

 

空の下で 向日葵の部「英太のいない陸上部」END

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2009年9月 1日 (火)

空の下で-向日葵(17) 迷走(その3)

八月の下旬になり、世の中は選挙の話題で持ちきりとなっていた。

ぼくの住む堀之内の街でも選挙カーが走り、暑い日差しの中を手を振りながら通り過ぎて行く。

普段あまりテレビを多く見ていないぼくでも日本が不景気なのは知っていた。

「今度の選挙で、何か景気が良くなるといいんだがな」

今日、久しぶりに単身赴任先の山梨県から帰ってきたお父さんが選挙カーを見ながら呟いた。

駅までぼくが迎えに行くと、この暑いのにお父さんはスーツ姿だった。

ぼくは額の汗を拭きながらお父さんに問う。

「不景気って、うちの家にも関係あるの?」

するとお父さんは眉間にしわを寄せたかと思うと、ぼくを見て笑った。

「給料が下がったらお年玉も下がるぞ。それが経済だ」

「えー?来年まではちゃんと欲しいなあ・・・部活引退した後ならバイトして稼ぐからさあ」

「甘いな英太。今はボーナスがカットされる人もいる様な時代だぞ。お年玉のカットくらい視野に入れておけ」

部活でもテンション下がっているってのに、家でもテンション下がりそうだ。

 

 

その日はお母さんが張り切って夕食を作ってくれた。

弟も加わり、久しぶりに家族四人全員で食卓を囲む。

弟は中学でサッカー部に所属しているので、お父さんに向かって試合での話を話しまくっていた。

なんでも地区大会での決勝点のアシストをしたらしく、まるで今試合中かの様に喜々として語った。

しかしぼくは、サッカーと聞いて柏木直人を思い出していた。

すぐに柏木の事を頭から振り払う。ついでに思い出してしまったくるみの事も。

 

 

多摩地区での惨敗の後、ぼくは牧野に「少しは休めば?」と言われたものの部活に出ていた。

でも、どうにもテンションが上がらず、相変わらずフヌケた練習内容になってしまっていた。

そんな時、練習終了後、未華に校庭に呼び出された。

夕方、言われた時間に校庭に行ってみると未華が腕を組んでこちらを睨みながら待っていた。

「遅い」

「そう?時間通りだけど」

未華は校舎の壁についている時計を見て「ん、確かに」と言った。

「でさ、英太くんさ。最近どうしたってのよ。・・・なんて聞くだけムダか。集中出来てない理由は一つだよね」

未華はため息混じりにそう言う。

「いや、ぼくとしては・・・くるみの事なんてもういいから部活に集中したいんだけどさ」

かなり強がって言ってみた。ホントはそんな事は思っていない。もういい、なんて。

それを見抜いてなのか、未華は険しい表情で言うのだ。

「くるみの事なんだけどさ。本当はアタシが英太くんに言うべきじゃないんだけどさ・・・」

そこで未華は言葉を切ってぼくから目を逸らした。

思わずドキリとする。きっと未華はくるみがぼくに冷たくしている理由を知っている。それをぼくに言う気なんだ。

「くるみはさ・・・弱っちいんだよね」

「はあ?」

未華の言葉にぼくは素っ頓狂な声を上げた。

「ど、どういう事?」

「くるみはね。すぐに弱気になっちゃうんだよ。だからさあ・・・アタシが言うのはホントはいけないんだけど・・・英太くんとかくるみとか柏木くんとか見ていて、もう我慢できないから言うんだけどさあ・・・口軽いかもしれないけど」

その時だった。

校庭にいるぼくと未華の近くを走って通り過ぎて行く生徒がいた。

最初、走っているのだから陸上部のヤツかと思った。

制服なのにタッタと軽快に走って行く横顔は柏木直人だった。サッカー部指定の大きな黒いショルダーバッグを左右に揺らして走っていた。

「柏木・・・」

柏木は校門に向かって走っている様だった。走って帰るのか?と思っていると、校門で一人の女生徒が待っているのが見えた。

それは、くるみだった。

柏木はくるみのいる所まで行くと、二人で校門から姿を消した。

ぼくと未華は黙ってそれを見ていた。

まるで、ぼくとは全く関係の無い映画かなんかのワンシーンを見ている気分だった。

とにかく、落ち着いて状況を整理したいので、自分の世界に入り込みたくなった。

カバンに入れてあったウォークマンを取り出し、耳につける。

「ちょ・・・英太くん!今のはさ・・・と、とにかくアタシの話聞いてってば」

「今日はいいや。また今度ね」

ぼくはウォークマンの音を大きめにして再生した。

再生する直前、未華が「くるみと柏木は!」と大きめな声を出したのだけど、ウォークマンの音にかき消された。

ぼくはそのまま一人で学校を出た。

しかし、残念ながら再生した曲は偶然にも失恋ソングだった。

 

 

フラフラと家に帰り、「おう、お帰り」とお父さんに言われても「ただいまあ」と元気の無い返事をして自分の部屋に入った。

ベッドに寝転ぶと、何故か涙が出そうになったので、気を紛らわすために牧野に電話した。

コール音が鳴る前に牧野は電話に出た。

「もしもし、英太だけど」

『なんだよ英太かよ。さっき部活で会ったばっかじゃんかよ。何の用だよ』

「あのさ・・・やっぱり、牧野の言った通り、ちょっと部活休もうかと思って」

すると電話の向こうの牧野は少し黙ってしまった。

『オレ、そんな事言ったっけ?』

「ええ?」

思わず笑ってしまう。こんなヤツだよなあ、牧野って。そこが好きなんだけどさ。

『でも何で休むんだ?心、折れたか?』

「ん・・・折れかけてる・・・かも」

『じゃあ話は簡単だ』

「簡単?」

明るい声を出す牧野に少し腹が立った。

『折れたなら治せばいい。骨折したってギブスしてりゃ治る。英太もギブスして少し休んでればいいんだ。な?簡単だろ?』

何だかよくわからん。なのにまた少し笑ってしまった。こういうヤツなんだよ、牧野は。

『んじゃキチンと治して出てこいよ。オレ、心配してないから。みんなにはテキトーにゴマかしておくよ』

「うん。悪い。五月先生には明日電話しとくから」

 

 

ギブスね・・・。

心のギブスって事かな。

くるみに・・・いや、柏木に折られたこの傷のギブスは何だろう。

失恋なんて誰でもする。でも、その時の傷はどうやって癒すんだろう。

時が悲しみを流してくれる?いや、ぼくの場合は時が経ってもダメだと思う。

だって同じ部活でくるみと毎日顔を合わせるんだから。

40人もいる大所帯のクラス内での失恋ならまだいい。

でもぼくらは同じ長距離チームで、10人ほどしかいない。

だから、部活をやっている限り、時間が経っても治らない。それだと引退までずっと集中しない練習しか出来ない。

だからギブスが必要なのかもしれない。

ふと長谷川さんの顔が浮かぶ。

次の恋愛で失恋を忘れるのは不純だろうか。それって長谷川さんに失礼じゃないだろうか。

そんな事を考えていると、部屋の扉がトントンとノックされた。

「入るぞー」と言ってお父さんが部屋にやってきた。

お父さんはうちにいるのは三日間だけで、すぐに単身赴任先の山梨へ帰ってしまう。

だから、なるべく息子と話したいのかもしれない。

ぼくは急に思い立ち、お父さんが何か言う前にこっちから頼み事をした。

「あのさあ、お父さんさあ・・・」

「ん?なんだ?疲れた顔して・・・」

「しばらく、一緒に山梨に行ってもいいかな」

 

 

空の下で 向日葵の部「迷走」END

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2009年8月27日 (木)

空の下で-向日葵(16) 迷走(その2)

八月六日。

今日から陸上部の練習が再開される。

実は昨日は眠れなかった。

八月五日は、くるみと柏木直人が調布駅で落ち合っているハズの日だったからだ。

何度も何度も調布駅に行きたくなったけど、そんな事をしたって何の意味も無いので家で弟とテレビゲームなんかしてた。

テレビゲームをしていてもくるみと柏木がどんなデートをしているのかが気になって落ち着いていられなかった。

夜なんかドラマ見ていたら、主人公に彼女が出来て、腕を組んで歩いてる場面があって、それをくるみと柏木に重ね合わせてしまって叫びたくなった。

 

・・・そばにいてほしい。

 

こんなに強く思った事は無い。

今までももちろん好きだったけど、ついにくるみが他の男の人とくっつくかもしれない状態になり、焦りと共に想いはますます強くなった。

こんな気持ちになるのには他にも理由があって、長谷川さんと出かけた事も影響しているんだと思う。

長谷川さんと一緒に半日を過ごして、やっぱり長谷川さんはかわいくて良い人だったんだけれど、ぼくはくるみが好きなんだと再認識する事になったんだ。

長谷川さんには物凄く悪い表現になるんだけど・・・、ぼくは長谷川さんではなく、くるみと映画に行きたかったんだとよくわかった。

でも、それはもう叶う事の無い出来事へとなっていっているのもわかっていた。

そうして再開された練習初日。

九月にある新人戦へと向けてそれぞれが気合いを入れなおして練習に臨む。

 

 

学校に行き部室に入ると、間の悪いことにくるみしかいなかった。

「あ、おはようくるみ」

くるみはぼくを見るなり、無言で部室から出て行こうとした。

「ちょ・・・!ちょっと待ってよ!な、何で逃げるの?」

「う、うん。おはよう」

ぼくの顔を見る事もなく、くるみは小さくそう言って部室から出て行く。

「くるみってば!」

追いかけようとしたら、早川舞がやってきた。

「おはよ。英太、くるみ」

するとくるみは早川に変な事を言い出した。

「あ、マイちゃん。ちょっと話いいかなあ?マイちゃんに言いたい事があるんだ・・・」

「話?いいよ。あっちで話す?」

「うん。二人きりで話したいんだ」

そう言ってくるみと早川は部室から離れた所に歩いていった。

 

 

練習中、ぼくの頭の中はパニックだった。

どう考えてもくるみはぼくを避けてる。

何故なのかサッパリわからない。

やっぱり長谷川さんへのメールを見られたのが原因なのか?

でも、長谷川麻友という人物と会うってわかっただけで避けられてしまう事ってあるのか?

それとも柏木直人が絡んでいるのか?

そういえば、昨日くるみと柏木直人と調布駅で会って、どうなったんだ。

・・・ぼくは走っている途中だというのに冷や汗が出てきた。

まさか・・・、付き合ったとか・・・?

もしかして、だから柏木の前の彼女である早川舞に改まって話をしに行った・・・とか?

 

 

毎日毎日、くるみの事に気を取られ、集中力に欠いた練習を続けていた。

八月の中旬には多摩地区の記録会に出たのだけど、結果は散々なものだった。

この記録会では、ぼくは久し振りに穴川先輩に敗れた。

勝った穴川先輩は嬉しそうにする事もなくこう言った。

「フヌケた状態の相原に勝ってもつまんねーな」

逆に牧野は記録を大きく伸ばしていた。

未華よりも早い選手になるべく、今月に入ってからの牧野の集中力はハンパじゃなかった。

通常の練習の後、五月先生に頼んで個人メニューを追加していた。

それを見た未華も「簡単に負ける訳にはいかない」とか宣言し、打倒古淵さんとも相まって自己新記録を乱発していた。

この二人に触発されたのか、それとも秋津伸吾に勝ちたい一心からなのか名高も必死に練習していた。

そういう相乗効果が続いていき、剛塚、大山、染井、ヒロ、くるみ、そして雪沢先輩も集中力を増して練習をしていった。

変わらないのはぼくと早川だけだった。

 

 

多摩の記録会の翌週の練習帰り、たまたま早川と帰りが一緒になった。

「お、相原じゃん。駅まで一緒に帰ろうよ」

珍しく早川と二人で駅までの道を歩く。

今日も晴れていてアスファルトの照り返しが強い。

「相原ってさ、今やってる世界陸上とかって見てるの?」

先週から、ベルリンでやっているという世界陸上はテレビで連日報道されている。

「うーん、あんまり見てないや。深夜に放送でしょ?眠くてさ」

そう言うと早川は長い髪をかきあげながら言った。

「じゃあちゃんと寝てるんだ。それじゃ、何で最近疲れた様な顔してんの?それに走りもダサイでしょ、最近」

ダサイ・・・か。早川らしい表現だ。

「もしかしてさ、くるみとうまくいってないとか?」

嫌な事を聞いてくる。全くもってその通りだ。ぼくは思わず顔をしかめた。

「図星かよ・・・。じゃあいっその事、諦めればいいのに」

「あ、諦める?くるみを・・・?」

「そうだよ。違うコ探せば?」

頭には長谷川さんが思いつくがすぐに消し飛ばした。

「よ、余計なお世話だよ」

「そう。じゃあ余計ついでに一つ情報をあげるよ。こないだ、アタシさ、くるみに呼び出されたじゃない」

こないだの部室での話だ。それの内容は聞きたかった。

「なんかね。くるみ、柏木と出かけたりしてるらしいよ。それで、アタシが元彼女だから気を使ってくれたみたいなんだけど・・・」

「柏木と・・・ね」

「くるみと柏木って付き合ってるのかな?」

「・・・かもしれない」

そうとしか言いようが無かった。

いや、もうその確率は高い。でも本人に聞く勇気は無い。本人の口から「付き合ってる」とか言われた時のショックに耐えられないし・・・。

それにしても、柏木の元彼女である早川に「かもしれない」なんて答えるのは良くない事なのかもしれないけれど、今のぼくには余裕は無い。

 

 

それから何日たってもくるみと会話する事は出来なかった。

初めのうちはくるみに話しかけたりしてたんだけど、無視とかはされなくても会話は二言三言で終わり、気マズイ空気が流れるだけになってしまった。

それでも同じ部活なのでぼくらは毎日顔を合わせる。

好きな人と毎日、顔を合わせるのに会話が出来ないという苦しい日々が続いて行き、そのうちぼくは部室に入るのが億劫になってきてしまっていた。

くるみと顔を合わせて胸が苦しくなる部活自体が面倒になってきていたからだ。

そんな気持ちで練習に取り組むもんだから、練習では遅れるし、五月先生には怒られるしで、ついにある日、ぼくは牧野に相談した。

「なんか最近やる気出ないんだよね・・・」

すると牧野は驚いた顔をしつつも、大胆な事を言ったのだった。

「だったら、ちょっと休めば?リフレッシュってヤツだよ」

「や、休む?」

「ああ、英太、どうせくるみと会話出来なくなってツライんだろ?何日か休めば気も休まったりすんじゃね?」

「そうかなあ・・・」

そんな時だった。お父さんが単身赴任先の山梨県から、夏休みという理由で帰ってきたのは。

 

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