2-4.空の下で-向日葵

2009年6月29日 (月)

空の下で-向日葵(1) 夏の始まり

 

青い空を薄くて白い雲が流れていた。

真夏の入道雲とは違い、ずいぶんと高いところに浮かんでいるように見える。

もう残暑すらも過ぎようとしているらしい。

いくぶん涼しくなった日差しの中、畑沿いのあぜ道を歩く。

目的の建物まではもうすぐだ。

 

 

巨大な山脈をバックにして、近代的な三階建てマンションが姿を現した。 

こんな畑だらけの山沿いの田舎町には似合わないほどの近代的なマンションだ。

この町から東京までは高速道路で2時間くらいかかるという。何故こんな場所にこんなマンションを建てたのか、不思議だ。

お洒落な外壁と正面入り口の自動扉が、またいっそう似合わない。

1DKの部屋が24室あるというこのマンションに、今日も入らなくてはならない。

「なにしてんだろ・・・」

マンションを見上げてぼくは呟いた。呟いた後、少し前までの事を振り返る。

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・ 

 

ふと気付くと、マンションの入口に同年代くらいの男女が立っているのが見えた。

そのうちの女の方がぼくを見て声を出した。

「・・・探したよ」

声を聞いてぼくは体をビクリと動かしてしまった。知っている声だったからだ。

続いて男の方がぼくを睨みながら低い声で言った。

「こんな遠くまで来させやがって」

ぼくは思った事を口にした。

「ど、どうしてここに・・・?」

すると男の方が頭をガリガリと掻きながら答えた。

「いや、俺だってこんな遠くまで来るのは嫌だって言ったんだけどよ。大体、逃げたヤツを追っかけたって仕方ねーしよ」

逃げたヤツを追う・・・。この言葉にぼくはドキリとした。

「それによ、そいつがどうしてもって言うもんだからよ」

男はぼくの後を指差した。

「え・・・」

恐る恐る振り返ると、そこには制服姿の女子がいた。

そのコはぼくの顔を見ると一言、こう言った。

「帰ろう、英太くん」

帰る・・・。

そう。ここはいつもぼくらがいた多摩境高校からは100キロも離れた田舎町。

なんでこんな遠くの町にぼくがいて、ぼくを探している人がいるのかと言うと、話は一ヶ月半前の夏合宿にまで遡る。

 

 

空の下で  2nd season-4

向日葵の部

 

 

一ヶ月半前、一学期の最後の授業の日、担任の栃木先生はホームルームで夏休み中に勉強を疎かにするなという話を永延と続けていた。

「という訳だからな、この時期に授業が一ヶ月半も中断されるという事は逆に言えば個人の努力次第で成績がアップもするしダウンもする。しかもその幅が大幅という事になる訳だ。だからいかにして夏休み中に集中力を発揮するか。それが今後のみんなの未来・・・」

栃木先生は、生徒には進学してもらいたい派だ。

だから夏休みという期間に不安があるらしい。いかに集中して勉強するかを熱く熱く一時間語り尽くした。

もし、この教室に栃木先生の話を一時間集中して聞いているヤツがいるとしたら、そいつはきっといい大学に入れるほどの集中力がある気がする。

「相原!聞いてるのか!?お前、部活にだけに夢中になるんじゃないぞ!進学出来なくなるぞ?」

いきなり怒鳴られてビックリしつつも「はい!すいません!」とハキハキと答えた。

 

 

一学期の最後のホームルームを終えて、ぼくはクラスメイトの剛塚と未華と一緒に教室を出た。

未華は廊下に出るとニヤニヤしながらぼくの脇腹を突きつつ話す。

「英太くん、先生に怒鳴られてたねー。怒鳴られてる時の英太くんの顔面白かったよ」

「そ、そんなトコ見てないでよ。 わ!突っつくなって!くすぐったいって。うわ!」

そんなぼくと未華を見て剛塚は「兄弟みてえ」と苦笑した。

「おーい!相原ー!」

廊下の遠くからぼくの名を呼びながら柏木が走ってくるのが見えた。すでにサッカーの練習着だ。

「どしたの柏木」

柏木はぼくの前に立ち止まると、未華と剛塚を見た。

「ゴメン、相原。ちょっと話いい?」

「話?」

「そ、二人だけで」

相変わらずの爽やかスマイルの柏木。

仕方ないのでぼくは未華と剛塚に「先に部室行ってて」と言うと二人は部室に向かって歩いて行った。

 

 

ぼくと柏木は校庭の脇にある木製のベンチに座った。

このベンチには、よく野球部の顧問の怖そうな先生が座っているんだけど、今はまだ野球部が来てないから座っても怒られなさそうだ。

「どうしたの?何の用?」

ぼくの問いかけに柏木はニヤリと笑った。

「早川舞、彼氏いないってさ」

「はあ?」

そんな事をぼくに伝えるために呼んだのか??

「相原にも調べてって頼んでたけどさ。オレ、別ルートでも調べてたんだ。それで、早川に彼氏いないって突き止めた!」

何故か勝ち誇った様な口ぶりの柏木に、ぼくは少しイライラした。

「そうなんだ。じゃ、じゃあ、早川さんにもう一回告白したりすんの?」

くるみに・・・じゃなく、早川に??そう聞きたいけど、さすがにそれは聞けない。

「いや、そういう訳じゃないけど・・・今は」

「今は?」

「ああ。気になる人がいてさ」

「き、気になる人?」

「うん。若井さん、若井くるみさん」

声が出なかった。

もう一度、声を出そうと思ったけど、声が出ない。

「陸上部の若井くるみさん。あのコの一生懸命さって言うか、ひたむき?それを見てたら、何か早川に告白するとか復縁するとかって、今は何か違う気がしてきてさ」

な、何を言ってるんだ柏木は?

ぼくがくるみの事を好きだって知って、宣戦布告でもしに来たのか?

「だからさ。調べてなんて頼んじまった相原には謝ろうかと思って。ホント、ごめん」

そう言って柏木はベンチから立ち上がり、ぼくに頭を下げた。

ぼくはただ口を開けてポカンとするばかりだった。

柏木の言ってる意味が全く飲みこめなかった。

 

 

パニック状態のまま部室に辿り着くと、壁に見なれない白い紙が貼ってあった。

「ナニコレ?」

白い紙の一番近くいた部員にそう聞くと「なに?ため口?」と言われたので、よく見ると穴川先輩だった。

「あ!!す、すいません!気がつかなくて!!」

「部員で唯一の坊主頭のオレに気づかないとはね・・・」

「あ、いや・・・」

夏の暑さではない汗をかく。

「あ・・・えーと、この紙って?」

「あ?髪?オレは坊主頭だけど」

「い、いや・・・この壁に貼ってある紙です」

「見りゃわかるだろ。合同合宿の練習スケジュールだよ」

そうだった。百草高校と葉桜高校との合同合宿は、もう三日後からに迫っていた。

 

 

 

空の下で 向日葵の部「夏の始まり」END

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2009年7月 2日 (木)

空の下で-向日葵(2) 夏の行方(その1)

いつもより2時間以上も早く起きて、自分の部屋のカーテンを開けると、すでに空が明るくなりつつあるところだった。

夏というのはこんなに早く一日が目覚めるものなんだなあと思う。

フラフラとしながら少し冷たいシャワーを浴びて、陸上部の空色のジャージのズボンを穿き、大きなイラスト入りの白いTシャツを上に着る。

昨日のうちに玄関に準備しておいた、合宿に持って行く大きなドラムバックの中身を確認する。

着替え、タオル類、水筒、クツ、読む本、などなど。

確認していると母親が自分の部屋から出てきた。

「英太、はやいね。もう行くの?」

大あくびをしながら母親がそう言う。

「うん、そろそろ行くや」

「朝ゴハンは?」

「うーん、いいや。朝早すぎて食べる気にならないし・・・」

「じゃあ、駅までの間にコレ食べなさい」

母親はバナナを差しだしてきた。

「これなら食べれるでしょ?」

バナナを受け取り、カバンを持ちクツを履いた。

「合宿、ドコでやるんだっけ?」

「伊香保」

「伊香保ねぇ。群馬県だね。お土産よろしくね」

「遊びに行くんじゃないんだってば・・・。まあいいや、行ってきます」

「いってらっしゃい」

低いテンションでそう見送られて、ぼくは家を出た。

 

 

家から最寄の堀之内駅までは徒歩15分くらいだ。

途中、吹奏楽部の日比谷の家の前を通る。

まだ朝5時30分。さすがに日比谷の騒がしい声は聞こえなかった。

ぼくは歩きながらバナナを頬張った。

平日だから朝の早いサラリーマンやOLさんが少しいるけど、構わずにバナナを食べる。

うん、エネルギーになりそうだ。

 

 

堀之内駅のホームでバナナを食べ切り、下り電車に乗る。

わずか二駅で、多摩境駅だ。

多摩境駅を降りて学校へは大通りを15分ほど歩くのだけど、前の方に大山が見えたので走って追いついた。

「おはよー大山!」

後ろから声をかけたので大山は体をビクッと震わせて振り向いた。

「うわあ、ビックリしたなあ。朝から元気だね英太くん」

「バナナだったからね」

「え?バナナ?何が?」

大山は痩せたなあと思う。

入部当初は完全にぽっちゃり体型だった。

白い肌のぽっちゃり体型からか、クラスでは「白ブタ」なんてカゲ口をするヤツを見た事がある。

いや、最初は陸上部の中にさえそういう事を言うヤツもいた。先輩にもいた。

しかし辛い練習をしていく中で、大山は少しずつ痩せていき、健康的な肌の色になり、カゲ口をしていた部員は練習についてこれなくなり退部していった。

根性があったのは、そういうカゲ口をするヤツらより大山の方だったんだ。

ちなみにカゲ口をしていた連中の中で、生き残っているのは穴川先輩と早川舞だ。

口の悪い人達だけど、二人とも大山の事が嫌いという訳じゃなさそうだ。

大山の努力を見てカゲ口も言わなくなった。

「英太くん?英太くん?」

大山がぼくの肩を叩きながら呼びかけて来て、ぼくは「ん?」と答えた。

「なんかボーっとしてたよ?大丈夫?」

「いや、なんか考え事してた」

「あ・・・くるみさんの事を考えてた?」

何故か赤い顔をして聞いてくる大山。

「ち、違うって。大山の事だよ」

「え・・・僕、そういう趣味は無いんだけど・・・」

「アホ!!」

 

 

高校に到着すると校門のところにマイクロバスが一台止まっていた。

短距離顧問の志田先生が熱心にフロントガラスを磨いている。

その周りには短距離も中距離も長距離も投擲のメンバーも集まりつつあった。

集合の6時30分になり、部員が全員集まると部長の雪沢先輩が号令をかけた。

「集合ー!!」

集まった部員の前の志田先生と五月先生が並ぶ。

その横には雪沢先輩。それにもう引退していた短距離3年生の二本松ゆりえ先輩もいた。

あれ?と思っていると志田先生が説明をした。

「じゃあこれから伊香保に向かうけどな。今回は長距離は五月先生と雪沢に仕切ってもらう。で、短距離はワタシと、引退したけど手伝ってくれるという二本松が仕切る」

言われて二本松先輩は「よろしくね」とお辞儀をした。

「ちなみに全体の責任者は、志田、ワタシダ」

志田先生はここで間を置いた。

今のがギャグだとは気づくまで5秒かかった。

一人爆笑したヒロは何故か志田先生に引っぱたかれた。

「えー?!なんでー?!」

ここで五月先生が話す。

「それと今回は知っての通り、他校との合同合宿だ。百草高校と葉桜高校に迷惑をかけないようにな!それと他校の生徒との恋愛も禁止だからな!」

「えー?!」

何人かの部員がブーイングをすると五月先生が「恋愛じゃなく走りに燃えろ」と言った。

その視線が牧野に向いていたので牧野は真っ赤になって「オレは一途だ!」と訳のわからん反論をしていた。

 

 

マイクロバスに部員全員が乗り込む。

運転手は志田先生。五月先生は助手席に乗り込んだ。

左右2席ずつのバスに、ぼくはたくみと同席になった。

たくみは座るなり質問をしてきた。

「牧野のヤツ、この合宿でコクるんだって?」

「よく知ってるね」

「オレのネットワークをナメるなよ。英太の好きな人も知ってるぜ?」

「嫌なヤツ・・・」

バスは走りだした。

東京を出て、北へ北へ、群馬県伊香保温泉街へ。

 

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2009年7月 6日 (月)

空の下で-向日葵(3) 夏の行方(その2)

マイクロバスは全ての窓を全開にしたまま多摩境高校を出発した。

今回の、夏の三校合同合宿は3泊4日で群馬県伊香保温泉街に宿泊する。

四日後にはこの多摩境に戻って来るのだけど、去年の合宿の辛さを思い出せば、四日間というか、長い戦いに出かける気分になる。

 

 

バスの中では志田先生が用意したMDにより80年代のナツメロをBGMとしながら、みんな和気あいあいと会話をしている。

二年生、三年生は合宿の辛さを知っているので、今のうちに楽しい時間を満喫しておこうという腹の人も多い。

そんな部員達を乗せ、バスは安全運転のまま八王子から圏央道という高速道路に入った。

さすがに高速道路で全ての窓を全開にしていると風がすごいので、窓を半開くらいにするのだけど、そうすると車内が少し暑くなるので大山は汗だくだ。

「これは・・・痩せるよ」

とか言いつつもポテチなんか食べている。しかも飲み物はソーダだし・・・。

これでも痩せていくんだから陸上部の練習がいかに走っているのかがわかる。

 

 

7月のはじめに多摩地区の小さな記録会があった。

出場制限などが無かったので、長距離チームは全員が5000mに参加した。

トップ記録は名高。次いで雪沢先輩。

そこからはだいぶ遅れて牧野・ぼく・穴川先輩・染井・剛塚・大山・ヒロという順だったのだけど、大山は春の記録会より大幅にタイムを上げていた。

全員、確実にタイムを上げている中で、一番成長していたのが大山だったので、染井なんか「ウソでしょ!?すげえ早くなってるじゃないすか・・・」などと驚いていた。

「へへ、僕もなかなかやるでしょ」と、笑顔で大山は言っていた。

 

 

バスは圏央道から関越道へと乗り換え、北へと走行していた。

見たことの無い景色が流れていく。

知らない土地に行くのって妙にワクワクするんだよね。小学生の遠足じゃあるまいし、とか思うけどさあ。

「英太、英太」

隣に座っているたくみが携帯ゲームをやるのをやめて話しかけてきた。

「ん?なに?」

「牧野、未華にコクって上手く行くと思う?」

「うーん・・・どうなんだろう。全く予想不可能」

未華は牧野の事をどう思っているのか、ぼくも知らない。

でも二人で話している時、未華も牧野もすごい楽しそうなのはよく見る。

お互いくだらない冗談を言っては叩きあってるから、知らない人が見たらカップルかと勘違いしそうなくらいだ。

「だぶん・・・うまく行くんじゃないかな」

何の確証も無い発言だ。

そうなってほしい。というぼくの希望的観測ってやつだ。

「そっかー。オレも彼女ほしいな・・・百草高校か葉桜高校にかわいいコいないかな?」

「知らないよそんなの」

「まあ、いたとしても練習ツライからそれどころじゃないかもな・・・」

 

 

埼玉県内のサービスエリアで休憩をしたところで、運転手が五月先生に代わった。

「行くぞー」と言って、バスが動き出すと、物凄い爆音のロックをかけながら高速道路を走った。

あまりの音量にみんなが耳を塞ぐ。

「ちょ・・・五月先生!!」

助手席に座る志田先生が慌てて声をかけるが、五月先生は無視したので志田先生は少しだけ音量を下げた。これなら「デカイなあ」と思うくらいだ。

「行くぜオラー!!」

五月先生は激しく咆哮してバスを進めた。でも運転は安全運転だ。

「ひゃー!!」

あまりの豹変ぶりに部員たちが驚いている中、名高だけは「いい曲かけやがるな」とか呟いていた。

 

 

五月先生の上がりすぎなテンションおかげでなのか、予定よりかだいぶ早めに群馬県に入ったが、高速を降りたところで「私が運転します」と言って志田先生が運転手に戻った。

「どうですか志田先生。私の運転は?シビれたでしょう」

五月先生は笑ってそう言ったが志田先生はシカトした。

バスは再び80年代のナツメロで伊香保へと向かった。

 

 

午前10時30分。約4時間の走行を経て、バスは群馬県伊香保温泉に到着した。

高速道路からは街道を進み、かなりの角度の登り坂を30分ほど進むと伊香保温泉だった。

途中までは山だけだったのが、急に大きなホテルや旅館などが立ち並ぶ街並みになったので少しビックリした。

去年の合宿は山奥の山荘だったので、こんなに栄えている街が合宿場所だとは想像していなかった。

街道を右に逸れ、バスは古い大きなホテルの前に広がる大駐車場に止まった。

「ここだー!!到着したぞー!」

言われてバスを降りると、思ったよりか涼しかった。

「なんか大きなホテルだねー」

同じくバスから降りてきたくるみにそう言われ、ホテルを見上げると、ホテルが7階建てだというのがわかった。

外壁は少し古くなっているようだけど、意外と立派なホテルだ。

入口には自動扉があって、その脇に置いてある黒板みたいな物に「ご予約」と書いてあり、そこに「多摩境高校陸上部様」という文字が見えた。

その横には「百草高校陸上部様」と「葉桜高校陸上部様」という文字も書いてある。

その他にも大手企業の名前などが書いてあり、このホテルは団体客に利用される場所だというのがわかった。

 

 

志田先生がチェックインの手続きをするためにホテルに入っていった。

10分ほどして志田先生が戻ってきた時、一台のマイクロバスが駐車場に入ってきた。

白い車体に小さく「都立・百草高等学校」と書いてあった。

その文字を見て、ぼくらに緊張感が漂った。

一緒に四日間を過ごすヤツらの登場だ。ぼくも体が硬くなった。

怖い先生とか生徒とかいいたらどうしよう・・・とか思っていたら、運転席からツルツル頭の太ったオッチャンが「いやーはっはっは」とか笑いながら出てきたので度肝を抜かれた。

「いやーはっはっは!志田先生、五月先生!お久しぶりですなー!今回はよろしくお願いいたしますよー!はっはっは!!」

何が面白いのか終始笑いながら挨拶する百草高校の先生・・・らしき人。

「紹介しよう!百草高校陸上部の顧問の淵野辺先生だ!!」

五月先生がそう言うと、淵野辺先生という人は「いやーはっはっは!よろしく!」と言い、ピシャンという音をたててツルツル頭を叩いた。

「おい英太、あれホントに陸上の先生か?」

牧野はそう言うけど、ぼくも「さ、さあ・・・」としか言いようが無かった。

そんな事をしている間にも、バスからは百草高校の生徒が次々と降りてくる。

その中の一人、ツンツン頭で目の細い男が雪沢先輩に話しかけてきた。

「どうも。部長の雪沢くんだよね。オレは百草高校陸上部の部長の町田です」

「あ、君が町田くん・・・。どうも、多摩境高校陸上部の部長の雪沢です。・・・何度か試合で一緒に走った事・・・あるよね?」

雪沢先輩の問いに町田さんは細い目をさらに細くして笑った。

「多分ある・・・かな。なんか見た事ある気がするし」

そんな会話をする二人の横を百草高校の女子が歩いて行く。

そのうちの一人を見て未華がぼくに囁いた。

「あそこにいるコ・・・エクボが目立つコ・・・あのコが二年生エースの古淵さんだよ。4月の総体予選で地区5位だったコだよ」

めちゃくちゃライバル心満点の声で未華がそう言った。

未華よりも早い女子・・・か。

そう思っていると、さらに一台のマイクロバスがやってきた。

その窓には秋津伸吾と内村一志の姿が見えた。

「葉桜高校のおでましか・・・」

名高が楽しそうに呟いた。

 

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2009年7月 9日 (木)

空の下で-向日葵(4) 夏の行方(その3)

到着したマイクロバスから葉桜高校の部員達が次々と降りてくる。

まず目についたのは内村一志だ。

「よ!英太!牧野!」

内村はニヤニヤしながらぼくらに手を振った。

「一緒に頑張ろうぜ~」

何か歌いだしそうな感じでそう言って伸びをした。

続いて気になったのは秋津伸吾だ。

ぼくらと百草高校の部員達に向かって会釈をした。

その時、名高と目があったみたいで、軽くほほ笑んだように見えた。

名高も少し楽しそうな表情を見せている。

ぼくは秋津伸吾とは直接話した事は無い。

東京多摩エリアで一番早い男・・・。ただそれだけの事しか知らない。一体どんな性格の男なのか・・・、やっぱり興味はある。

 

 

部員たちが全員降りた後、すこし高めの声が響いた。

「おー!久しぶり隆平ー!!」

運転席から30歳くらいの爽やかな男の先生が降りてきた。

・・・隆平って誰だっけ。

その先生は百草高校の淵野辺先生と、うちの志田先生に「よろしくお願いします」と言った後、五月先生のとこに行って「おひさー、隆平」と声をかけた。

すると五月先生はぼくらに向かって「紹介しよう」と言った。

「葉桜高校の陸上部顧問の真木先生だ。オレとは高校の同級生だ」

「真木です。みんな、よろしくね」

まるで20歳前後みたいな童顔の先生だ。少年のまま大人になったような感じがする。

「ちなみに真木先生は高校時代に5000mで関東大会の決勝まで行ってるんだ」

「言うなよ隆平。昔の話じゃん」

真木先生は照れ臭そうに笑った。

 

 

ホテル内部に入ると、最初に赤い絨毯のしかれた大きなロビーがあり、そこにはフロントがあったり自動販売機やUFOキャッチャーが2台あった。

静かなロビーにUFOキャッチャーからの電子音楽が響いていた。

フロントに立っている受付の人に向かってお辞儀をして、ぼくらは自分たちの部屋へと向かう。

向かった先は、7階建ての本館から一度外に出て、小さな庭を通り過ぎた先にある別館だった。

別館は2階建てで、1階には4人部屋が5つと食堂とトイレ・温泉があり、2階には大部屋が3つあるという事だった。

ぼくら男子は学校ごとに別れて2階の3部屋ある大部屋に入った。

先生たちは1階の入口近くの4人部屋で、女子は残りの小部屋に別れて入った。

 

 

ぼくら多摩境高校の男子メンバーは2階の大部屋に入ると、みんな荷物を放り出した。

畳のいぐさの香りのする広い部屋だけど何も置いてない部屋だ。テレビすら無い。

「うおー!重かったー、このドラムバッグ!3泊分はキッツイね!」

牧野はそう言ってバッグを放り投げると、大部屋の畳に寝転んだ。

「ぐお!!気持ちいい!!」

「あー!いいなー!」

そんな牧野を見て、ぼくと大山とヒロもゴロゴロと畳の上を転がった。

ヒロが興奮気味に叫ぶ。

「先輩!!レースしましょうよ!畳ゴロゴロレース!!大部屋のハジからハジまで!ビリは一位にジュース奢るってルールで!!」

あぶなく「やろうやろう!」と言おうとしたところで穴川先輩に「体力減るぞ」と言われ、やるのは止めた。

「えー!なんでやらないんですかあ!!」

あからさまに不満そうな声を出すヒロに染井は「子供かよ」と冷たい声で言った。

 

 

別館1階の食堂で昼食を摂り、いよいよ合宿最初の練習の時間になった。

短距離・中距離・投擲のメンバーは百草高校のバスに乗り込み、近くの競技場へと出発した。

ぼくら長距離メンバーだけはホテル前の大駐車場に集合だ。

長距離指導は五月先生と、葉桜高校顧問の真木先生だ。

「じゃ、真木、頼む」

五月先生に促されて真木先生は爽やかな声を出した。

「よーし、じゃあ合同合宿最初の練習をするよー!」

爽やかなのは声だけじゃない。口調も表情も爽やかだ。

「まずはね!さっき短距離のメンバーがバスで向かった、近くの競技場まで走って行く。そんな遠くないから安心してね。少しアップダウンのある道だけど20分も走れば着くから」

真木先生は腕時計をチラリと見てから話を続けた。

「ゆっくりと1キロ4分半くらいのペースで走っていこう!」

 

 

多摩境高校12人・百草高校10人・葉桜高校10人の合計32名でひと固まりになって競技場までジョックしていく。

伊香保温泉街を5分も走ると山ばかりに囲まれた二車線の道になった。

確かに多少のアップダウンはあるものの、大して疲れる事もなく競技場へと到着した。

ヒロでさえ遅れなかったのでウォーミングアップという程度の事だろう。

合宿がこんな楽な訳は無い。油断するとヤバイのは知っている。

「いやあ!ラクショーっすね!相原先輩!!」

ヒロは大声でそんな事を言う。言うのは勝手だけどぼくの名前は使わないでほしい。

 

 

競技場は山に囲まれた中に突然現れた。

一応ホームストレート側には観覧席が多少設置されているけど、古びてる印象だ。

すでに短距離チームがバックストレートで100mを走っているし、フィールドでは投擲チームがミーティングみたいなものをしていた。

ぼくらは再び真木先生の指導を仰ぐ。

「じゃあここからが本練習ね。今日は1万メートル走って、その後に1000mを3本ね」

「へえ・・・」

サラッと言うけど、かなりキツイよそれ。

「ちなみに1万メートルは、さっきと同じ4分30秒ペースでいいからね。その後は5分休憩して1000mを全部本気で」

やりたいのは疲れた後の1000mって事か・・・1万メートルってのは長い長いウォーミングアップといったところだな。

「女子は別メニューね」

 

 

1万メートルというのは競技場25週分だ。

4分30秒ペースというのはさほどキツくはないペースだ。

まあ初日だしこんなもんかと思って走ってたら、真木先生は五月先生以上にフォームの事を注意してくる。

「きみきみ!!着地の時、音出し過ぎ!」

「きみ!!腕をナナメに振らない!!余計なエネルギー消費になるから!」

「肩の力抜いてー!!」

真木先生はぼくらと一緒に走りながら次々と注意点を叫ぶ。

それでいて全く息切れなどしていない。1万メートル走り切っても爽やか笑顔で指導した。

「はいー!5分休憩!5分間歩いてー!ウォーキングねー!」

休憩と言っても座ってはいけないらしい。息切れしたまま歩かされた。

1万メートルはヒロを含めて何人かが遅れたけど、3分の2以上のメンバーは最後まで着いてきた。

 

「よーし!5分経過ー!じゃあ1000mをほぼ全力ね!!次の1000mまでの間は400m歩くからね。ここでもフォームを気を付けて」

1000mの一本目で、今回の参加メンバーの実力はだいたい判明した。

やはりダントツは秋津伸吾。フォームも乱れる事無く一位でゴールした。

続いて名高。名高は秋津に追いつこうとしてムリをして、ものすごく息切れしていた。

3位は雪沢先輩。4位は百草高校部長の町田さん。

そして5位は牧野・7位にぼくだった。

「はあ・・はあ・・・あれ?オレらってけっこう上位なんじゃね?」

牧野が嬉しそうに言うのでぼくも笑顔で答えた。

「そうだね!はあ・・・はあ・・・なんでだろ・・・。みんな手を抜いた?」

そんなぼくらを見て町田さんが呟いた。

「いや、普通に早いよ。君たち」

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2009年7月13日 (月)

空の下で-向日葵(5) 夏の行方(その4)

山合いの競技場とはいえ、やはり夏は夏だ。

東京で感じる様な強烈な湿度は無いけれど、日光は容赦無くぼくらの体力を奪っていく。

1万メートルを走り、1000mを3本のうち1本を走り終え、ぼくらは競技場を1周ゆっくりと歩いていた。

歩いているぼくらに日光が降り注ぎ、肌に暑さを感じた。

いや、暑さという表現は間違ってる気がする。熱さだ。暑さじゃあない。

歩いて進む1週はすぐに終わり、次の1000m全力走を始める。

「よし!気合入れていけよ!よーい・・・スタート!!」

五月先生の号令で長距離チームは走りだす。

 

 

この2本目は秋津伸吾と名高が並んでゴールした。

ぼくらが遅れてゴールすると名高に話しかける秋津の声が聞こえた。

「はあ・・・はあ・・・、やっぱ早いな。名高くん」

秋津は息切れし両手を膝につける格好で話していた。

名高はその言葉に対して「まだまだだよ」とだけ言って歩きだした。

かなり肩で息をしているのがぼくらにもわかる。ムリして・・・る?

 

 

「ラスト100mでフォームがバラバラな人ばっかだね。次はちゃんと意識して走る様にね」

真木先生はまたもフォームの指摘をし、五月先生が「よーい、ドン!!」と言って1000mの三本目は始まった。

男子長距離は今回20人いる。

3本目も20人が同時に走りだす。

ここは土の競技場なのでバタバタとした足音を響かせながら、最初の200mくらいは全員がひと固まりで走る。

しかし300mもすると集団はバラバラになり、ぼくは牧野と町田さんと3人で走る形になった。

1000mというのは長距離とは言えない距離だ。

ぼくらにとっては短い距離だ。

それだけに、いつもよりもスピードが要求される距離でもある。

ぼくは牧野よりかスピードで劣る。

必死に牧野の後を着いて行くのだけど、呼吸は乱れ、フォームは乱れ、顔も歪む。

ただ、全力で必死に走っているこの時間、嫌いじゃない。

こういう時だけは暑さすら忘れている。

ラスト100mで、一緒に走っていた町田さんがぼくを振りかえった。

すぐに前に向き直った町田さんは、ぼくと牧野より少しだけ先にゴールした。

ちなみに内村一志は3回ともぼくのひとつ後ろでゴールしていた。

 

 

「ダメだね。全然ダメ」

走り切ると、真木先生がぼくに向かってそう言った。

「きみは・・・えーと?」

「あ、多摩境高校の相原英太です」

「相原くんね。きみ、上位で走ってるのはスゴクいいんだけど、ただ走ってるだけだよ。一緒に走っていた町田くんとかを見なよ。同じくらいのタイムで走っているけど、腕ふりが最後までキチンとしてる。相原くんはスピードが上がるとすぐにフォームが乱れるから、ラストスパートであんまりスピードが上がってないよ」

ダダーっと真木先生が言うと、何故か牧野が反論した。

「でも先生・・・英太は後半に強いんですけど」

「後半に?それは長い距離になると・・・かな?」

「そうですね」

「なるほど、それは珍しいタイプだね。それならより一層腕ふりをキチンとしなくちゃ。ちゃんとフォームが維持できる様になれば、後半の伸びはさらにスゴクなるよ」

注意点を言われてはいるものの、褒められている気にもなる言葉だった。

ぼくは「はい!」と返事をして頭の中で「フォーム、フォーム」と繰り返した。

 

 

「じゃあホテルまで走って帰るよー。でも帰りは山道を走るからねー。坂道キツイよー」

真木先生の爽やかな声を聞き、メンバーは落胆したが、すぐに気合を入れなおし走り出した。

これは合宿だ。そんな簡単に一日が終わるわけは無いんだ。

 

 

競技場からホテルに帰る道はとんでもない山道だった。

アップダウンが苦手なぼくはすぐに集団から遅れてしまった。

遅れる時、内村一志に「あーらら、もう遅れんのかいな」とか言われたが、反論する元気も無かった。

 

 

やっとの思いでホテルに辿り着くと、足の力が抜けて駐車場に倒れそうになった。

フラついたところを町田さんが支えてくれた。

「だ、大丈夫?相原くん!」

細い目を思いきり見開いてぼくを心配そうに見た。

「大丈夫です。すいません、足が疲れ果てたみたいで・・・」

「うーん。そうかあ。ちょっと筋力足りないんじゃない?あのくらいの山道くらいでフラついてる様だと・・・」

「すいません・・・気合で何とかします」

そう言うと町田さんは少し怒った様な口調になった。

「気合なんかじゃ何ともならないよ」

「え・・・」

「何でも気合でクリア出来るだなんて思って走ってちゃダメだよ。そんなしょーもない根性論だけじゃこれ以上は早くはなれないよ。ちゃんと鍛えて行かないと。弱点は自分で無くしていかないと早くもなれないし、怪我だってするよ」

他の学校の部長さんにこんな真面目に怒られると思ってなかったので、ぼくはちょっと狼狽してしまう。

「いえ・・・あの・・・そうですよね」

曖昧な返事をするぼくに町田さんは言った。

「筋力が足りないって自覚してるのかな?もし自覚してるんだとしたら今のうちからちゃんと鍛えなくちゃダメだよ。鍛えないってのは・・・逃げるって事だよ」

「逃げる・・・」

「そう。相原くんはまだまだ早くなる素質がある気がするんだよね。今日しか見てないけどさ。だからもったいないなあ」

「あ・・・そうでしょうか・・・」

そこへ雪沢先輩がやってきて町田さんに言った。

「ごめん町田くん。うちのヤツにアドバイスなんかしてもらっちゃって」

「いいよいいよ雪沢くん」

細い目をさらに細くして笑う町田さん。

「でも雪沢くん。後輩の指導はちゃんと厳しくやらないとダメだよ。伸びなくなっちゃうよ」

「・・・そうだね。・・・ホントそうだよ。ありがとう町田くん。相原はもっともっと伸ばして行くよ」

妙にプレッシャーをかけられる言葉だ。

雪沢先輩は最後にぼくを向いてこう付け加えた。

「相原、お前は・・・いずれ名高クラスになってもらうからな」

それは急に上を見過ぎなんじゃ??

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2009年7月16日 (木)

空の下で-向日葵(6) 夏の行方(その5)

空は次第に暗くなり伊香保温泉の旅館たちに優しげな光が灯りだした。

浴衣姿の人たちがガイドマップ片手に街をカランコロンと音をたてて歩く。

昼間の練習の時には思わなかったけど、ここはやっぱり温泉街なんだなと実感する。

 

 

ぼくは別館にある小さな温泉に浸かってから、みんなと一緒に食堂へと入った。

食堂には多摩境高校・百草高校・葉桜高校のメンバーが集まり、淵野辺先生の「いただきます!」の号令で一斉に夕食の開始となった。

広い食堂には6人がけのテーブルがたくさん置いてあり、ぼくのテーブルには牧野・大山・未華・くるみ・早川が座った。

「いやあ、初日からキツかったねー。僕もうヘトヘト。ゴハンたくさん食べなくちゃやってらんないよ。あ!ヒレカツがあるよ?!ソ、ソースどこ?」

あんまり疲れてさなそうなセリフを言いながら大山がソースを探していると早川が「こんなに食べれないよ・・・疲れてるんだし・・・ヒレカツは大山にあげる」と言った。

「えー?なんてラッキー。早川さん優しいね!」

「そういう訳じゃないんだけど・・・」

くだらないやりとりの横で未華が怖い顔をしたまま白米をかきこんでいた。

「な、なんか未華、怖いね・・・どうしたの?」

見かねて牧野が聞くと、未華は俯いてしまった。

「え・・・?どうしたの・・・?」

「なんでもないよ」

そう言って顔を上げた未華の目は赤く充血していた。

思わずぼくはドキリとしてしまった。牧野と顔を見合わせる。

未華はあっという間にゴハンを食べ切って食堂を出て行ってしまった。ごちそうさまも言わない。

「ど、どうしたの・・・未華って」

ぼくがくるみに聞くとくるみは困ったような顔をしてから答えた。

「バカにされちゃった・・・みたい・・・」

「誰に?」

「百草高校の女子ナンバー1の・・・古淵由香里さんに」

くるみはサラダを食べながら教えてくれた。

長距離の女子チームは12人で、3000mの練習があったらしい。

そこで本気で走った未華だったのだけど、古淵由香里というコに負けたらしいのだ。

それは仕方無いのだけど、悔しそうにする未華に古淵さんは「その程度で全力?」と言い放ったらしい。

それを聞いた牧野はガタンと音をたてて立ち上がった。

「どいつだその古淵ってクソ女は!!」

「牧野!」

早川が「座れ」と言い、牧野はしぶしぶ座った。

「あそこにいるエクボの目立つコだよ」

くるみに言われて牧野は古淵由香里なる女子を睨んだ。

少しカールした茶髪でエクボが目立ち、目のくっきりとした女子だった。

とてもそんなヒドイ事を言う様には見えない。

「百草高校の女子はみんな早かったよ。でも古淵さんは別格。未華は全体でも2番目に早かったんだけど古淵さんはもっと上だったの」

くるみは少しだけ悔しそうな声でそう言った。

それを聞いてぼくも牧野も早川もため息をついた。

なのに大山は笑顔でこう言ってのけた。

「いいじゃん。そのうち未華さんが勝つよ。きっと」

絶対そうなる。そう信じている様な口ぶりだった。

それを聞き、牧野も続いた。

「そうだな・・・。未華は必ず勝つ。そういう女だよ。ここで心が折れる様なヤツじゃない。もし辛くても・・・オレがついてる」

「はあ??」

早川とくるみが口をポカンと開けたのが印象的だった。

言った牧野本人は真っ赤な顔をしていた。恥ずかしいなら言うな・・・。

 

 

夕食を摂り、多摩境高校用の大部屋に戻り、布団を敷いた。

ぼくは大部屋の窓側の一番ハジに場所をとった。

ハジには小さいけれど、物を置く台みたいなスペースがあったので、そこに持ってきた本とか携帯電話を置いた。

携帯電話を開くと母親からメール着信が来ているのに気がついた。

『無事ついた?栄養ちゃんと摂るのよ』

わかってるって。もう16歳なんだから。

 

 

夜9時に消灯だ。普段ならこの時間に寝る事はない。

けれどこれは合宿だ。いつもより疲労が溜まっているし、明日からの練習は過酷さを増していくだろう。そう考えるとこの時間でも十分に眠くなる。

雪沢先輩が部屋の電気を消すと、部屋はすぐに静かになった。

ぼくは目を瞑って考える。

昼間、百草高校の町田さんに言われた事をだ。

・・・筋力足りな過ぎる・・・

・・・筋トレから逃げている?・・・

雪沢先輩の言葉も思い出す。

・・・いつか名高クラスに・・・

ぼくはいつか名高の様なレベルになれるという事なのか?

そのためには苦手な事から逃げていてはいけない・・・という事か。

いつでもぼくより遥か前を行く名高涼。ぼくは後ろ姿ばかりを見てきたのだけど・・・

その後ろ姿をもっと貪欲に追ってもいいのかもしれない。

町田さんの言うとおりだ。逃げるなんてみっともない。

この夏、ぼくは出来る限り名高の背中を追ってみよう。その先に何があるのかはわからないけど。

 

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2009年7月20日 (月)

空の下で-向日葵(7) 夏の行方(その6)

夏合宿二日目。

この日もよく晴れていて、多少の雲があるものの日陰はあんまり出来なかった。

 

伊香保温泉は山の斜面に造られた一大温泉街だ。

その山の上の方には神社がある。

この日の朝は、この神社まで歩いて行って、合宿の無事を願うお参りをした。

ところがこの神社、ものすごい石段の上にあるので、朝から階段を登るのがものすごいキツかった。

その石段の通りはどうやら観光スポットになっているらしく、早朝にもかかわらず観光客が歩いていて「がんばれー!」とか声をかけられた。

中には海外の人もいて「おー!ムシャ・シュギョウ!!」とか言われたけど、前にもどっかでこんな事無かっただろうか?

 

 

ホテルに戻ると大部屋のハジの台に置いておいた携帯電話に着信があった。

携帯電話は開きっぱなしで置いてあったのですぐに気づく。

「不用心だな」

牧野にそう言われるけど、見られちゃいけない着信なんて無い。

着信は父親で、留守電が入っていた。

『頑張ってるかー!お父さんも果物の交渉頑張っているんだぞー!うおー!!』

どうやら明け方まで飲んでいる様子の父親の声が入っていた。何がうおーだ。

 

 

朝ゴハンを食べて午前中の練習が始まる。

「榛名湖まで行く!」

五月先生がそう宣言して、長距離チームはバスに乗り込み、五月先生の運転で10キロ以上離れた山の中にある榛名湖へと移動する。

またも爆音のロックをかけながら運転をする五月先生。

マイクロバスの窓からは激しいエレキギターの曲が外に漏れて、ちょっと恥ずかしい。

「な、なんだこの先生はー!?」

葉桜高校の誰かがそう叫んだ。ホントだよ。安全運転なんだけどねえ・・・。

 

 

榛名湖では湖畔を15キロ走った。

別に競争でも無いんだけれど、秋津伸吾と名高がやたら早いペースで走るので全体も吊られて早くなり、まるで全力走みたくなってしまった。

結局、男子は秋津がぶっちぎりで一位になり、二位の名高はゴール後、近くに生えていた木を蹴り飛ばしたらしい。

その展開は女子でも同じような感じで、百草高校の古淵由香里さんが一位で、やや遅れてゴールした未華には全く笑顔が無かった。

「だから勝てないって。アンタじゃ。私には」

古淵さんは笑いながらそう言ったらしい。

ぼくはというと牧野と内村一志とのデットヒートの末、二人に勝ったのだが、真木先生に「フォーム最悪。それじゃ今後伸びない」と真顔で言われて凹んだ。

 

 

午後の練習は苦手な山道でのクロスカントリーだった。

ここでも男子は秋津、女子は古淵さんがトップだった。

そして名高と未華に笑顔は無かった。

ぼくは牧野にも内村にも置いて行かれ、剛塚にも染井にも抜かれた。

「相原先輩って坂道でダセエっすよね」

染井にそう言われ泣きそうになった。・・・くそ。

本当に泣いたヤツもいた。ヒロだ。

ヒロはクロスカントリーと途中でリタイヤした。

歩けなくなって座っていたところを、後ろから走ってきた早川に見つけられて「リタイヤしなよ。みっともないけど」と言われてリタイヤした。

「くそ!!くそ!!なんで・・・僕だけ!!しかも早川先輩に・・・」

ホテル前の駐車場まで車で運ばれたヒロは大声で泣きまくった。

そんなヒロに大山は言った。

「悔しいなら泣いてないでどうすればいいか考えなよ。僕だって去年はビリばっかで悔しい想いばっかりしたんだ。それに早川さんにリタイヤを促されて悔しいみたいだけど・・・、早川さんだって一年半も辛い思いしながらも走ってるんだよ」

それを聞いてぼくもヒロに声をかけた。

「お前だって少しずつ早くなってるって。でも、強くなれって」

「つ、強く・・・ですか?」

「うん。早くなるのは誰でも出来るよ。ある程度なら。練習してればさ。でも・・・」

ぼくは少し考えてから言った。

「でも、強くなるのは意識しないとなれない。疲れ果てても、辛くなってもリタイヤしない、心の強さは」

思ったままを口にした。

もちろん本当にムリならリタイヤは必要だ。でも、走っていて辛い時、本当に頼れるのは体力ではなくて、心の強さだと思う。

心が強くなれば、ぼくだって真剣に筋トレをして筋力を付けて、坂道でも早くなれるはずだ。

ん?なんだ・・・自分に言い聞かせてるだけか??

でも、ヒロは少し考えてから「はい!強くなります!」と言った。

ぼくと大山は顔を見合わせてから笑った。

 

 

夜、消灯時間になり、大部屋の電気を雪沢先輩が消すと、あっという間に部屋が寝息に包まれた。

・・・・・・疲れた。

次第に夢の世界へと吸い込まれていく中で、ぼくは思った。

五月先生と志田先生は何で合同合宿にしたんだろうと・・・。

多摩境高校の男子エース名高、女子エース未華をもってしても秋津や古淵さんには敵わない。

名高も未華も明らかに焦っている様子だ。今日の午後の練習なんか無理なペースで秋津や古淵さんを追っていた。

勝てない相手と数日間一緒にいる事になる今回の合宿で、名高も未華も笑顔が消えている。

それくらいストイックになれという事なのか?それとも別の狙いがあるのか?それとも何の考えも無いのか?

あっという間に過ぎていく合宿を越え、ぼくらはどこへ向かうのだろう・・・。

どこへ・・・・・・。

夢の中に落ちる瞬間、携帯のバイブレータが聞こえた。

眠い体を何とか動かして、布団の脇にある台の上にある携帯電話に手を伸ばす。

携帯を開き、何かボタンを操作したところで、ぼくは夢の中へと落ちた。

 

 

 

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2009年7月23日 (木)

空の下で-向日葵(8) 夏の行方(その7)

突然、心臓が跳ね上がる様なけたたましい金属音が鳴り響き、ぼくは布団から飛び起きた。

「うっわ!ビックリした!!」

大部屋にはすでに朝日が差し込んでいて明るくなっている。

さっき寝たばかりだと思ってたのに、もう起床時間の六時になったらしく、たくみの用意していた目覚まし時計が鳴り響いていた。

「うるせー!その時計!!音、デカ過ぎだ!!」

穴川先輩が耳を塞ぎながらそう言うとおり、やたらと音の大きな時計だ。

たくみは音を止めてから、一言呟いた。

「これなら一気に目が覚めますよ」

たくみは小学校と中学校を皆勤したらしい。こういう目覚まし時計を使っているからかもしれない。

 

 

二階の大部屋からホテル前の駐車場へ移動する。

他の高校のメンバーも同じように部屋から出てくるが、みんな眠そうだ。

すでに真木先生が屈伸しながら待っていて「おはよー!」と元気に声をかけてきた。

「おはようございます。真木先生、早いですね。他の先生は?」

眠そうな顔の町田さんがそう聞くと真木先生は苦笑いで「飲み過ぎたそうだ」と答えた。

五月先生と志田先生と淵野辺先生は夜中2時までお酒を飲んでいたそうで、特に淵野辺先生は酔っ払って詩吟を吟じまくったそうだ。詩吟かい・・・。

それを聞いて染井が「何しに伊香保まで来てるんだ」と呟くと、内村一志が「宴会じゃね?」とため息混じりに答えた。

 

 

駐車場に集まる理由は、短距離も長距離も一緒に、全員で朝の体操をするためだ。

真木先生いわく「朝、体を動かすと、一日いい感じになる」という曖昧な理由でだ。

その体操の後、伊香保の街を30分ほど散歩するのだという。

昨日も神社まで歩いて、往復40分ほどだったから、これは合宿の日課ってところだろう。

「お?ヒロがいねーぞ」

剛塚がそう言うとおり、駐車場にヒロが来ていなかった。

他にも百草高校と葉桜高校も、男女ともに何人かが来ていなかった。

「なんだなんだ、寝坊かよ」

内村一志がけなし口調でそう言うが、内村の顔も眠そうだ。

真木先生は「んー、そこの女子二人。それぞれの部屋に行って、寝てる連中を起こしてきてくれ」と言った。

そこの女子というのは未華とくるみだった。

そういや早川もこの場にいない。あいつ、低血圧らしいから熟睡かもな。

 

 

十分ほどかけて体操が終わった頃、未華とくるみが寝ていたメンバーを連れて帰ってきた。

ヒロや他の寝坊生徒は慌てた様子で走って来たので印象悪くは無かったけど、早川だけは歩いてやってきた。

「ノーメイクで人前に出たくないのに・・・」

戻ってきた未華とくるみにも笑顔が無かった。

未華はこの合宿中ずっとこうだ。

でも、くるみは昨日の夜、談笑してるのを見たので、どうしたのかと思って声をかけてみる。

「どうしたの?くるみも眠いの?」

「知らないよ。うるさいなあ」

ぼくの顔を見る事もなく、くるみは未華と一緒にぼくとは離れたところに歩いて行こうとするので、慌ててもう一度話しかける。

「な、なんかあった?」

するとくるみは怒った様な表情でぼくを睨んでから言った。

「うるさいってば。あっち行ってよ」

「え?え・・・?」

ぼくはどうしていいかわからず未華の方を見ると、未華はぼくの顔を見てため息をついて首を横に振った。

「ど、どういう事?」

そこで真木先生が叫んだ。

「よーし、じゃあ揃ったから散歩に出かけるぞー」

 

 

散歩中の記憶はほとんど無い。

なんでくるみの機嫌が悪くなったのか、そればかり考えていた。

早川とかヒロを起こしに行った時に何かあったのか・・・?

それとも昨日、最後にくるみを見かけた後、女子チームの間で何かモメ事でもあったんだろうか・・・?

そんな心配をしているとあっという間に散歩の時間は終わってしまった。

 

 

三泊四日の合同合宿は三日目だ。午前中は練習が休みだ。

朝食を摂り、トイレに寄ってから大部屋に戻ると、牧野は「どういう事ですかコレ!」と叫んでいた。

牧野は大部屋の畳に座り、何かの本を読んでいる。

どうやら高校陸上の記録帳の様だ。

公式大会でのタイムは、こういう記録帳に乗っている。

後ろから覗いてみると、牧野が見ているのは、春に行われた総体地区予選会の記録一覧のページらしい。

牧野の声で気になったのか大山や雪沢先輩、穴川先輩も集まってきた。

「どうしたんだよ牧野」

穴川先輩が問いかけると、牧野はあるレースの記録を指差した。

『総体 地区予選会  男子5000m決勝』と書かれたレースの記録一覧だ。

このレースにはぼくも出ている。上位には秋津伸吾や名高や雪沢先輩の名前と記録も記されていて、ぼくの名前も少し下の方に乗っていた。

「相原がけっこう頑張ってた試合だな。これがどうかしたのか」

雪沢先輩が牧野を促すと、牧野はある選手のタイムを指差して口にした。

「百草高校、町田康一。タイム19分37秒。予選落ち」

「町田康一って・・・町田さん?」

大山が聞くと牧野はうなづいた。

「19分37秒というと・・・完全に予選落ちだな。相原よりもはるか後ろ・・・というか相原にさえ周回遅れって感じのタイムだな」

穴川先輩が不思議そうな顔をして言うと牧野が続いた。

「町田さんって雪沢先輩と同等のレベルっすよね。この合宿でも一緒に走ってるし」

「かなあ、多分」

雪沢先輩も不思議そうに言った。

「なんで総体地区予選、こんなに遅いんですかね。言い方は悪いけど・・・これだと大山よりも遅いし、いや、ヘタしたらヒロとそんなに変わらないんじゃあ・・・」

「風邪じゃねーの?」

穴川先輩がそう言った時、大部屋の入口の方から町田さんの声がした。

「違うよ」

みんな一斉に町田さんの方を見た。町田さんは少し間を開けてから言葉を続ける。

まるで、言わなくちゃダメかな?と自問自答する間をとったみたいだ。

「腹を痛めたんだ。試合中に」

水分でも摂りすぎたのか?みんながそう頭に思い描いたに違いない。

百草高校の部長ともあろう町田さんが、そんな初歩的ミスをするなんて・・・そう思った時だ。

「殴られたんだよ。落川学園の選手に。脇腹を」

町田さんの口からは信じられない言葉が飛び出していた。

その言葉で、寝ころんでいた剛塚が置きあがり、呟いた。

「落川学園・・・」

去年の秋、陸上部襲撃を計った男、安西がいた高校だ。

そして以前、安西はこう言っていたのを思い出す。

・・・妨害行為をするらしい・・・

 

 

その頃、他の部屋では未華がくるみに「落ちついて」と話しかけていた。

「落ちついてるって!」

いつもは出さない様な大きめな声を出すくるみに未華は優しく言う。

「何かの誤解だよ。絶対そうだって!アタシが保証するから」

するとくるみはこう言った。

「じゃあ・・・今日の夜のバーベキューの時に聞いてみる」

それを聞き未華は呟いた。古淵さんに見下されてタダでさえイラついているのに、さらにイライラする。

「なにしてんだよ、英太は・・・」

 

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2009年7月27日 (月)

空の下で-向日葵(9) 夏の行方(その8)

「妨害行為?」

大部屋にみんなの声が響いた。

町田さんはため息を吐き、一度間を空けてから、ぼくらの問いに答えてくれた。

「そう。落川学園のヤツに脇腹を殴られてさ・・・。多分、ヒジだったんだと思うんだけど。それで足が地面に接地するたびにズキズキと脇腹に痛みが走ってさ・・・結果、自分でも驚くほどの低成績だったよ」

話している間に町田さんの顔が歪んでいった。きっと悔しさが蘇ってきたんだ。

ヒロが大声で町田さんに問いかける。

「それ、審判とかに言わなかったんですか!!」

雪沢先輩も頷いてから続いた。

「そうだよ。そんなの反則行為だ。失格にしてもらうべきだと思うよ」

すると町田さんは首を横に振って言った。

「それがさ・・・誰がやったのかよくわからないんだよ。まさか試合中にそんな事されると思ってなかったしね。それに、やられた瞬間、周りには三人も落川学園の選手がいて、誰の仕業か断定できなかった」

「それって・・・」

ぼくは呟く。

「チームが協力して妨害をしたって事なんじゃ・・・」

それを聞いて牧野は興奮した表情でぼくを見た。

「組織的な犯行ってヤツか」

だいぶ大げさな表現だけど、まあそういう事だと思う。

町田さんは三年生だ。春の高校総体は、個人としては最後の大会だったはず。

その最後の試合を台無しにされた訳だから、本当は怒りと悔しさでいっぱいなはずだ。

なのに町田さんはこう言ったんだ。

「多摩境高校のみんなも落川学園には気をつけてな。オレの二の舞は見たくないからさ」

「町田さん・・・」

「でもオレはまだ戦いは挑むよ。秋の駅伝で、オレたち百草高校は、落川学園に勝つ!」

力強い町田さんの言葉に、ぼくは拍手したくなった。

 

 

町田さんの話題が終わり、微妙な空気感を漂わせたまま、ぼくらは大部屋のそれぞれの位置に戻った。

自分の布団を畳んでカバンから持参した小説を出す。

パラパラとめくって栞を探すが、栞が見当たらない。

どこへやったっけ、と辺りを探すと、横の台の上に置いてある携帯が開きっぱなしなのに気がついた。

「あれ?なんで開いてるんだ?」

そういえば昨日、寝る直前に誰かからメールが来て、何か返信をした様な気がする。

携帯を見ると、画面が写ったままになっていた。

どうやらぼくは寝ぼけたまま返信を書いている途中で寝てしまったらしい。

何か作成中のメールが画面に写っている。

それを見てぼくはザワザワと鳥肌が立った。

なんとなく覚えているからだ。メールの内容を。すぐに作成中のメール画面を見る。

『いいよ!じゃあ映画だから八月三日に南大沢の駅前だね。たまには会って話したいし』

送信ボタンは押されていない。が、送信先は画面に写っている。

『長谷川麻友』

思わず辺りを見回した。

こ、こんなメールの画面を開きっぱなしにして寝ちゃったのか・・・!

確かに何かボタン操作している記憶はおぼろげながら有る。

でもこんなメールを打つという事は長谷川さんから何かメールを受けたという事だ。

慌てて着信メールを見ると、長谷川さんからのメールが二件あった。

 

『久し振り。もう夏休みだね。夏休みも陸上部の練習は大変なのかな。あの、たまには練習休みの日もあるよね。一緒に映画とかどうかな・・・と思って。だめですか』

 

『合宿?じゃあ今大変なんだね!頑張ってね! 三日の日なんてどうかな。一人で映画行くのもなんか微妙なので・・・』

 

な・・・なんだこれ!!?

今度は自分の送信メールを確認すると、一件だけ長谷川さんに送信していた。

 

『今、合宿で群馬にいるんだ。映画?合宿の後、八月一日から三日は休みだから平気だよ』

 

真夏なのに冷や汗が出た。

ぼくは、寝ぼけながらこんなメールを打っていたらしい。

八月三日に長谷川麻友さんと南大沢で映画に行く事にしたらしい。

いや、らしい・・・という表現は違う。なんとなく覚えてる、このメールを。

「英太くん!!ちょっと来て!!」

いきなり部屋の外から未華の大声が聞こえて「ひっ!」と小声を漏らしてしまった。

 

 

未華はぼくを連れてホテルのロビーにあるソファへと移動した。

向き合って置いてある一人がけのソファに座る。

未華は怒ったような表情でイキナリ確信をついてきた。

「長谷川麻友って誰だよ」

ぼくはツバを飲み込んで答える。

「な、なんでその名前を・・・?」

「アンタ、携帯開けっ放しだったでしょ。メール画面が表示されっ放しだったんだよね」

そうか・・・。今日の朝、未華とくるみは寝坊した人を起こすために各部屋を周ったんだった。

「ま・・・さか?」

ぼくが言うと未華は頷いた。

「見ちゃったよ。ていうか見えちゃったよ、メール。私も、くるみも」

全身の血が頭に登って行くのを感じた。カーッと頭が熱くなる。

「く、くるみも・・・?」

「そう」

今度は一気に顔が青ざめていくのを感じた。もうパニックだ。

そんなぼくを見て未華は言う。

「長谷川麻友が誰だか知らないけどさ。くるみも、英太くんが誰か女子と映画行くって知っちゃったんだからね。くるみの事が好きなんじゃ無かったの?なんで他の女子と映画なんて行くんだよ。見損なったよ」

「本当・・・だね。そりゃ見損なうよ・・・」

「そんなコとデートしてんじゃなくってさ。くるみと遊びに行きなよ。ちゃんとさあ。今、くるみは完全に勘違いしてるよ、英太くんの事。ちゃんと自分で弁解しなよ」

「べ、弁解?」

「そうだよ。キチンとデートに誘いなよ。もう、そうでもしないとヤバイよ」

ぼくはもう一度、唾を飲みこんだ。

「そうだね・・・誤解されてるよね・・・。もう、覚悟を決めるしかないよね」

ぼくはソファから立ち上がった。

すると未華は「おお・・・」とか驚いた。

「マジで?覚悟を決めたの? きょ、今日の夜、デートに誘ってみれば?そういう事を話すチャンスはある夜だし」

「チャンスのある夜?? あ、そうか・・・今日は」

「そう、合宿恒例、バーベキュー大会」

それは、牧野が未華に告白しようとしてる時でもある。

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2009年7月30日 (木)

空の下で-向日葵(10) 夏の行方(その9)

合宿三日目の午後練は、この伊香保合宿で一番厳しい練習になるという話だ。

昼食を摂り、練習までの一時間の間、ぼくは大部屋のハジに座り窓から外を眺めていた。

大部屋は二階にあるので窓からは少し遠くまでの景色が見える。

大小色んな旅館やホテルが立ち並ぶ伊香保の街を見ているのだけど、ぼくの心はここにあらずって感じで、さっきの未華との会話を思い出していた。

今日の午後練の後はホテルの大駐車場を借りてバーベキュー大会が開かれる。

そこでくるみをデートに誘おうと決めていた。

長谷川さんに送ろうとしていたメールを見られてしまい、くるみはきっと「英太くんには長谷川麻友っていう好きな人がいるんだな」と思ったに違いなかった。

そう思われたまま過ごしていたら絶対にくるみとうまくいかないと思う。

まあ、もちろんメール見られてなくてもそろそろデートくらい誘わなくちゃなと思っていたところだ。逆にいい機会になったって事にしておこう。

 

 

午後練の時間になり、長距離チームは男女ともに駐車場に集合した。

集まったのを確認して真木先生が練習の説明を始める。

「今日の午後練は長くてアップダウンのあるコースを走ってもらう。走るペースは特に決めない。自分の思うままに走っていい自由走とする。ただし、本気で走るって条件だ。もちろんフォームはキチンと考えて走ってほしい」

町田さんが手を挙げて質問をする。

「どんなコースなんですか」

「うん。まずはこの伊香保の街を走り抜けて、昨日バスで行った榛名湖へ向かう。そこまでは山を一つ越える10キロ程の道のりだ。で、平坦な榛名湖を一周したら、最初に登った山の頂上まで戻ってくるというコースだ。ちなみに女子は榛名湖でゴール」

山か・・・。これは覚悟しないとな・・・。

「これはこの合宿で唯一のレース形式をとる。各自、ライバルに負けないように全力で走りぬいてくれ」

真木先生にそう言われ内村一志の方を見ると、内村はまたも嫌な笑みを浮かべて睨んできた。

にらみ返そうとすると牧野が「英太。お前のライバルはオレだ」と言ってきた。

「牧野?」

「内村なんかほっとけ。ああいうヤツに妙にライバル心出し過ぎるとうまく走れなくなるぜ」

 

 

準備体操とウォーミングアップを終わらせ、周りを見るとみんな戦闘モードに入っている表情をしていた。

普通の合宿とは違って、他校の選手もいるわけだから負けたくない気持ちが強く出る。

ぼくだって負けたくない。牧野にも、そしてやっぱり内村にも。

そういえば名高とか未華はどうなんだろうと思い、二人を見てギョッとした。

名高は瞑想する様に目を瞑って立っていた。静かなオーラが全身から溢れているかの様だ。

そして目を開けたかと思うと一瞬だけ秋津伸吾を見た。

未華は百草高校エースの古淵由香里さんに拳を突き出して「勝つ!」と宣言した。

スゲエ気合・・・。

まるで公式戦のレース前みたいな気迫と覚悟だ。思わず鳥肌が立った。

ぼくも集中して走らなければ!くるみとかメールの事は夜に考えよう。

 

 

「じゃあ行くぞー」

どうやら自分も走るらしい真木先生に代わり、五月先生が号令をかける。

みんなが集まり混雑した中をススッと内村一志が寄ってきて言った。

「ここで実力を思い知らせてやるよ」

さらにヒヒっと笑い内村はぼくから離れた場所に陣取った。

「負けないって・・・」

小声でつぶやくぼくに隣の牧野が驚く事を言った。

「だから内村なんてほっとけ。オレと英太が追うのは町田さんだよ」

「ま、町田さんを?」

思わず牧野を見入る。

牧野は「当然だろ?」と笑った後、言葉を続けた。

「内村も強敵だけどさ・・・実力拮抗した相手だろ?うちらは今より上の相手を見ようぜ。名高と未華みたいにさ。そうすりゃ内村にもきっと勝てる」

そう言って笑った牧野を見てぼくは自分の覚悟が足りない事を自覚した。

みんな前を見ている。上を見ている。そして足元も疎かにはしていない。

目の前に次々とライバルが現れる合同合宿で、みんなの意識が変化しつつある・・・。

そんなら遅れていてたまるか!

ぼくだって、遅れてる場合じゃない!追っかけて追っかけて必ず追いつき追いぬいてやる!牧野も内村も!そして・・・・町田さんにも!

この練習を戦い抜けて勢いそのままバーベキュー大会でくるみにも挑んでやる!

 

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