8.空の下で-向日葵

2009年6月29日 (月)

空の下で-向日葵(1) 夏の始まり

 

青い空を薄くて白い雲が流れていた。

真夏の入道雲とは違い、ずいぶんと高いところに浮かんでいるように見える。

もう残暑すらも過ぎようとしているらしい。

いくぶん涼しくなった日差しの中、畑沿いのあぜ道を歩く。

目的の建物まではもうすぐだ。

 

 

巨大な山脈をバックにして、近代的な三階建てマンションが姿を現した。 

こんな畑だらけの山沿いの田舎町には似合わないほどの近代的なマンションだ。

この町から東京までは高速道路で2時間くらいかかるという。何故こんな場所にこんなマンションを建てたのか、不思議だ。

お洒落な外壁と正面入り口の自動扉が、またいっそう似合わない。

1DKの部屋が24室あるというこのマンションに、今日も入らなくてはならない。

「なにしてんだろ・・・」

マンションを見上げてぼくは呟いた。呟いた後、少し前までの事を振り返る。

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・ 

 

ふと気付くと、マンションの入口に同年代くらいの男女が立っているのが見えた。

そのうちの女の方がぼくを見て声を出した。

「・・・探したよ」

声を聞いてぼくは体をビクリと動かしてしまった。知っている声だったからだ。

続いて男の方がぼくを睨みながら低い声で言った。

「こんな遠くまで来させやがって」

ぼくは思った事を口にした。

「ど、どうしてここに・・・?」

すると男の方が頭をガリガリと掻きながら答えた。

「いや、俺だってこんな遠くまで来るのは嫌だって言ったんだけどよ。大体、逃げたヤツを追っかけたって仕方ねーしよ」

逃げたヤツを追う・・・。この言葉にぼくはドキリとした。

「それによ、そいつがどうしてもって言うもんだからよ」

男はぼくの後を指差した。

「え・・・」

恐る恐る振り返ると、そこには制服姿の女子がいた。

そのコはぼくの顔を見ると一言、こう言った。

「帰ろう、英太くん」

帰る・・・。

そう。ここはいつもぼくらがいた多摩境高校からは100キロも離れた田舎町。

なんでこんな遠くの町にぼくがいて、ぼくを探している人がいるのかと言うと、話は一ヶ月半前の夏合宿にまで遡る。

 

 

空の下で  2nd season-4

向日葵の部

 

 

一ヶ月半前、一学期の最後の授業の日、担任の栃木先生はホームルームで夏休み中に勉強を疎かにするなという話を永延と続けていた。

「という訳だからな、この時期に授業が一ヶ月半も中断されるという事は逆に言えば個人の努力次第で成績がアップもするしダウンもする。しかもその幅が大幅という事になる訳だ。だからいかにして夏休み中に集中力を発揮するか。それが今後のみんなの未来・・・」

栃木先生は、生徒には進学してもらいたい派だ。

だから夏休みという期間に不安があるらしい。いかに集中して勉強するかを熱く熱く一時間語り尽くした。

もし、この教室に栃木先生の話を一時間集中して聞いているヤツがいるとしたら、そいつはきっといい大学に入れるほどの集中力がある気がする。

「相原!聞いてるのか!?お前、部活にだけに夢中になるんじゃないぞ!進学出来なくなるぞ?」

いきなり怒鳴られてビックリしつつも「はい!すいません!」とハキハキと答えた。

 

 

一学期の最後のホームルームを終えて、ぼくはクラスメイトの剛塚と未華と一緒に教室を出た。

未華は廊下に出るとニヤニヤしながらぼくの脇腹を突きつつ話す。

「英太くん、先生に怒鳴られてたねー。怒鳴られてる時の英太くんの顔面白かったよ」

「そ、そんなトコ見てないでよ。 わ!突っつくなって!くすぐったいって。うわ!」

そんなぼくと未華を見て剛塚は「兄弟みてえ」と苦笑した。

「おーい!相原ー!」

廊下の遠くからぼくの名を呼びながら柏木が走ってくるのが見えた。すでにサッカーの練習着だ。

「どしたの柏木」

柏木はぼくの前に立ち止まると、未華と剛塚を見た。

「ゴメン、相原。ちょっと話いい?」

「話?」

「そ、二人だけで」

相変わらずの爽やかスマイルの柏木。

仕方ないのでぼくは未華と剛塚に「先に部室行ってて」と言うと二人は部室に向かって歩いて行った。

 

 

ぼくと柏木は校庭の脇にある木製のベンチに座った。

このベンチには、よく野球部の顧問の怖そうな先生が座っているんだけど、今はまだ野球部が来てないから座っても怒られなさそうだ。

「どうしたの?何の用?」

ぼくの問いかけに柏木はニヤリと笑った。

「早川舞、彼氏いないってさ」

「はあ?」

そんな事をぼくに伝えるために呼んだのか??

「相原にも調べてって頼んでたけどさ。オレ、別ルートでも調べてたんだ。それで、早川に彼氏いないって突き止めた!」

何故か勝ち誇った様な口ぶりの柏木に、ぼくは少しイライラした。

「そうなんだ。じゃ、じゃあ、早川さんにもう一回告白したりすんの?」

くるみに・・・じゃなく、早川に??そう聞きたいけど、さすがにそれは聞けない。

「いや、そういう訳じゃないけど・・・今は」

「今は?」

「ああ。気になる人がいてさ」

「き、気になる人?」

「うん。若井さん、若井くるみさん」

声が出なかった。

もう一度、声を出そうと思ったけど、声が出ない。

「陸上部の若井くるみさん。あのコの一生懸命さって言うか、ひたむき?それを見てたら、何か早川に告白するとか復縁するとかって、今は何か違う気がしてきてさ」

な、何を言ってるんだ柏木は?

ぼくがくるみの事を好きだって知って、宣戦布告でもしに来たのか?

「だからさ。調べてなんて頼んじまった相原には謝ろうかと思って。ホント、ごめん」

そう言って柏木はベンチから立ち上がり、ぼくに頭を下げた。

ぼくはただ口を開けてポカンとするばかりだった。

柏木の言ってる意味が全く飲みこめなかった。

 

 

パニック状態のまま部室に辿り着くと、壁に見なれない白い紙が貼ってあった。

「ナニコレ?」

白い紙の一番近くいた部員にそう聞くと「なに?ため口?」と言われたので、よく見ると穴川先輩だった。

「あ!!す、すいません!気がつかなくて!!」

「部員で唯一の坊主頭のオレに気づかないとはね・・・」

「あ、いや・・・」

夏の暑さではない汗をかく。

「あ・・・えーと、この紙って?」

「あ?髪?オレは坊主頭だけど」

「い、いや・・・この壁に貼ってある紙です」

「見りゃわかるだろ。合同合宿の練習スケジュールだよ」

そうだった。百草高校と葉桜高校との合同合宿は、もう三日後からに迫っていた。

 

 

 

空の下で 向日葵の部「夏の始まり」END

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2009年7月 2日 (木)

空の下で-向日葵(2) 夏の行方(その1)

いつもより2時間以上も早く起きて、自分の部屋のカーテンを開けると、すでに空が明るくなりつつあるところだった。

夏というのはこんなに早く一日が目覚めるものなんだなあと思う。

フラフラとしながら少し冷たいシャワーを浴びて、陸上部の空色のジャージのズボンを穿き、大きなイラスト入りの白いTシャツを上に着る。

昨日のうちに玄関に準備しておいた、合宿に持って行く大きなドラムバックの中身を確認する。

着替え、タオル類、水筒、クツ、読む本、などなど。

確認していると母親が自分の部屋から出てきた。

「英太、はやいね。もう行くの?」

大あくびをしながら母親がそう言う。

「うん、そろそろ行くや」

「朝ゴハンは?」

「うーん、いいや。朝早すぎて食べる気にならないし・・・」

「じゃあ、駅までの間にコレ食べなさい」

母親はバナナを差しだしてきた。

「これなら食べれるでしょ?」

バナナを受け取り、カバンを持ちクツを履いた。

「合宿、ドコでやるんだっけ?」

「伊香保」

「伊香保ねぇ。群馬県だね。お土産よろしくね」

「遊びに行くんじゃないんだってば・・・。まあいいや、行ってきます」

「いってらっしゃい」

低いテンションでそう見送られて、ぼくは家を出た。

 

 

家から最寄の堀之内駅までは徒歩15分くらいだ。

途中、吹奏楽部の日比谷の家の前を通る。

まだ朝5時30分。さすがに日比谷の騒がしい声は聞こえなかった。

ぼくは歩きながらバナナを頬張った。

平日だから朝の早いサラリーマンやOLさんが少しいるけど、構わずにバナナを食べる。

うん、エネルギーになりそうだ。

 

 

堀之内駅のホームでバナナを食べ切り、下り電車に乗る。

わずか二駅で、多摩境駅だ。

多摩境駅を降りて学校へは大通りを15分ほど歩くのだけど、前の方に大山が見えたので走って追いついた。

「おはよー大山!」

後ろから声をかけたので大山は体をビクッと震わせて振り向いた。

「うわあ、ビックリしたなあ。朝から元気だね英太くん」

「バナナだったからね」

「え?バナナ?何が?」

大山は痩せたなあと思う。

入部当初は完全にぽっちゃり体型だった。

白い肌のぽっちゃり体型からか、クラスでは「白ブタ」なんてカゲ口をするヤツを見た事がある。

いや、最初は陸上部の中にさえそういう事を言うヤツもいた。先輩にもいた。

しかし辛い練習をしていく中で、大山は少しずつ痩せていき、健康的な肌の色になり、カゲ口をしていた部員は練習についてこれなくなり退部していった。

根性があったのは、そういうカゲ口をするヤツらより大山の方だったんだ。

ちなみにカゲ口をしていた連中の中で、生き残っているのは穴川先輩と早川舞だ。

口の悪い人達だけど、二人とも大山の事が嫌いという訳じゃなさそうだ。

大山の努力を見てカゲ口も言わなくなった。

「英太くん?英太くん?」

大山がぼくの肩を叩きながら呼びかけて来て、ぼくは「ん?」と答えた。

「なんかボーっとしてたよ?大丈夫?」

「いや、なんか考え事してた」

「あ・・・くるみさんの事を考えてた?」

何故か赤い顔をして聞いてくる大山。

「ち、違うって。大山の事だよ」

「え・・・僕、そういう趣味は無いんだけど・・・」

「アホ!!」

 

 

高校に到着すると校門のところにマイクロバスが一台止まっていた。

短距離顧問の志田先生が熱心にフロントガラスを磨いている。

その周りには短距離も中距離も長距離も投擲のメンバーも集まりつつあった。

集合の6時30分になり、部員が全員集まると部長の雪沢先輩が号令をかけた。

「集合ー!!」

集まった部員の前の志田先生と五月先生が並ぶ。

その横には雪沢先輩。それにもう引退していた短距離3年生の二本松ゆりえ先輩もいた。

あれ?と思っていると志田先生が説明をした。

「じゃあこれから伊香保に向かうけどな。今回は長距離は五月先生と雪沢に仕切ってもらう。で、短距離はワタシと、引退したけど手伝ってくれるという二本松が仕切る」

言われて二本松先輩は「よろしくね」とお辞儀をした。

「ちなみに全体の責任者は、志田、ワタシダ」

志田先生はここで間を置いた。

今のがギャグだとは気づくまで5秒かかった。

一人爆笑したヒロは何故か志田先生に引っぱたかれた。

「えー?!なんでー?!」

ここで五月先生が話す。

「それと今回は知っての通り、他校との合同合宿だ。百草高校と葉桜高校に迷惑をかけないようにな!それと他校の生徒との恋愛も禁止だからな!」

「えー?!」

何人かの部員がブーイングをすると五月先生が「恋愛じゃなく走りに燃えろ」と言った。

その視線が牧野に向いていたので牧野は真っ赤になって「オレは一途だ!」と訳のわからん反論をしていた。

 

 

マイクロバスに部員全員が乗り込む。

運転手は志田先生。五月先生は助手席に乗り込んだ。

左右2席ずつのバスに、ぼくはたくみと同席になった。

たくみは座るなり質問をしてきた。

「牧野のヤツ、この合宿でコクるんだって?」

「よく知ってるね」

「オレのネットワークをナメるなよ。英太の好きな人も知ってるぜ?」

「嫌なヤツ・・・」

バスは走りだした。

東京を出て、北へ北へ、群馬県伊香保温泉街へ。

 

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2009年7月 6日 (月)

空の下で-向日葵(3) 夏の行方(その2)

マイクロバスは全ての窓を全開にしたまま多摩境高校を出発した。

今回の、夏の三校合同合宿は3泊4日で群馬県伊香保温泉街に宿泊する。

四日後にはこの多摩境に戻って来るのだけど、去年の合宿の辛さを思い出せば、四日間というか、長い戦いに出かける気分になる。

 

 

バスの中では志田先生が用意したMDにより80年代のナツメロをBGMとしながら、みんな和気あいあいと会話をしている。

二年生、三年生は合宿の辛さを知っているので、今のうちに楽しい時間を満喫しておこうという腹の人も多い。

そんな部員達を乗せ、バスは安全運転のまま八王子から圏央道という高速道路に入った。

さすがに高速道路で全ての窓を全開にしていると風がすごいので、窓を半開くらいにするのだけど、そうすると車内が少し暑くなるので大山は汗だくだ。

「これは・・・痩せるよ」

とか言いつつもポテチなんか食べている。しかも飲み物はソーダだし・・・。

これでも痩せていくんだから陸上部の練習がいかに走っているのかがわかる。

 

 

7月のはじめに多摩地区の小さな記録会があった。

出場制限などが無かったので、長距離チームは全員が5000mに参加した。

トップ記録は名高。次いで雪沢先輩。

そこからはだいぶ遅れて牧野・ぼく・穴川先輩・染井・剛塚・大山・ヒロという順だったのだけど、大山は春の記録会より大幅にタイムを上げていた。

全員、確実にタイムを上げている中で、一番成長していたのが大山だったので、染井なんか「ウソでしょ!?すげえ早くなってるじゃないすか・・・」などと驚いていた。

「へへ、僕もなかなかやるでしょ」と、笑顔で大山は言っていた。

 

 

バスは圏央道から関越道へと乗り換え、北へと走行していた。

見たことの無い景色が流れていく。

知らない土地に行くのって妙にワクワクするんだよね。小学生の遠足じゃあるまいし、とか思うけどさあ。

「英太、英太」

隣に座っているたくみが携帯ゲームをやるのをやめて話しかけてきた。

「ん?なに?」

「牧野、未華にコクって上手く行くと思う?」

「うーん・・・どうなんだろう。全く予想不可能」

未華は牧野の事をどう思っているのか、ぼくも知らない。

でも二人で話している時、未華も牧野もすごい楽しそうなのはよく見る。

お互いくだらない冗談を言っては叩きあってるから、知らない人が見たらカップルかと勘違いしそうなくらいだ。

「だぶん・・・うまく行くんじゃないかな」

何の確証も無い発言だ。

そうなってほしい。というぼくの希望的観測ってやつだ。

「そっかー。オレも彼女ほしいな・・・百草高校か葉桜高校にかわいいコいないかな?」

「知らないよそんなの」

「まあ、いたとしても練習ツライからそれどころじゃないかもな・・・」

 

 

埼玉県内のサービスエリアで休憩をしたところで、運転手が五月先生に代わった。

「行くぞー」と言って、バスが動き出すと、物凄い爆音のロックをかけながら高速道路を走った。

あまりの音量にみんなが耳を塞ぐ。

「ちょ・・・五月先生!!」

助手席に座る志田先生が慌てて声をかけるが、五月先生は無視したので志田先生は少しだけ音量を下げた。これなら「デカイなあ」と思うくらいだ。

「行くぜオラー!!」

五月先生は激しく咆哮してバスを進めた。でも運転は安全運転だ。

「ひゃー!!」

あまりの豹変ぶりに部員たちが驚いている中、名高だけは「いい曲かけやがるな」とか呟いていた。

 

 

五月先生の上がりすぎなテンションおかげでなのか、予定よりかだいぶ早めに群馬県に入ったが、高速を降りたところで「私が運転します」と言って志田先生が運転手に戻った。

「どうですか志田先生。私の運転は?シビれたでしょう」

五月先生は笑ってそう言ったが志田先生はシカトした。

バスは再び80年代のナツメロで伊香保へと向かった。

 

 

午前10時30分。約4時間の走行を経て、バスは群馬県伊香保温泉に到着した。

高速道路からは街道を進み、かなりの角度の登り坂を30分ほど進むと伊香保温泉だった。

途中までは山だけだったのが、急に大きなホテルや旅館などが立ち並ぶ街並みになったので少しビックリした。

去年の合宿は山奥の山荘だったので、こんなに栄えている街が合宿場所だとは想像していなかった。

街道を右に逸れ、バスは古い大きなホテルの前に広がる大駐車場に止まった。

「ここだー!!到着したぞー!」

言われてバスを降りると、思ったよりか涼しかった。

「なんか大きなホテルだねー」

同じくバスから降りてきたくるみにそう言われ、ホテルを見上げると、ホテルが7階建てだというのがわかった。

外壁は少し古くなっているようだけど、意外と立派なホテルだ。

入口には自動扉があって、その脇に置いてある黒板みたいな物に「ご予約」と書いてあり、そこに「多摩境高校陸上部様」という文字が見えた。

その横には「百草高校陸上部様」と「葉桜高校陸上部様」という文字も書いてある。

その他にも大手企業の名前などが書いてあり、このホテルは団体客に利用される場所だというのがわかった。

 

 

志田先生がチェックインの手続きをするためにホテルに入っていった。

10分ほどして志田先生が戻ってきた時、一台のマイクロバスが駐車場に入ってきた。

白い車体に小さく「都立・百草高等学校」と書いてあった。

その文字を見て、ぼくらに緊張感が漂った。

一緒に四日間を過ごすヤツらの登場だ。ぼくも体が硬くなった。

怖い先生とか生徒とかいいたらどうしよう・・・とか思っていたら、運転席からツルツル頭の太ったオッチャンが「いやーはっはっは」とか笑いながら出てきたので度肝を抜かれた。

「いやーはっはっは!志田先生、五月先生!お久しぶりですなー!今回はよろしくお願いいたしますよー!はっはっは!!」

何が面白いのか終始笑いながら挨拶する百草高校の先生・・・らしき人。

「紹介しよう!百草高校陸上部の顧問の淵野辺先生だ!!」

五月先生がそう言うと、淵野辺先生という人は「いやーはっはっは!よろしく!」と言い、ピシャンという音をたててツルツル頭を叩いた。

「おい英太、あれホントに陸上の先生か?」

牧野はそう言うけど、ぼくも「さ、さあ・・・」としか言いようが無かった。

そんな事をしている間にも、バスからは百草高校の生徒が次々と降りてくる。

その中の一人、ツンツン頭で目の細い男が雪沢先輩に話しかけてきた。

「どうも。部長の雪沢くんだよね。オレは百草高校陸上部の部長の町田です」

「あ、君が町田くん・・・。どうも、多摩境高校陸上部の部長の雪沢です。・・・何度か試合で一緒に走った事・・・あるよね?」

雪沢先輩の問いに町田さんは細い目をさらに細くして笑った。

「多分ある・・・かな。なんか見た事ある気がするし」

そんな会話をする二人の横を百草高校の女子が歩いて行く。

そのうちの一人を見て未華がぼくに囁いた。

「あそこにいるコ・・・エクボが目立つコ・・・あのコが二年生エースの古淵さんだよ。4月の総体予選で地区5位だったコだよ」

めちゃくちゃライバル心満点の声で未華がそう言った。

未華よりも早い女子・・・か。

そう思っていると、さらに一台のマイクロバスがやってきた。

その窓には秋津伸吾と内村一志の姿が見えた。

「葉桜高校のおでましか・・・」

名高が楽しそうに呟いた。

 

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2009年7月 9日 (木)

空の下で-向日葵(4) 夏の行方(その3)

到着したマイクロバスから葉桜高校の部員達が次々と降りてくる。

まず目についたのは内村一志だ。

「よ!英太!牧野!」

内村はニヤニヤしながらぼくらに手を振った。

「一緒に頑張ろうぜ~」

何か歌いだしそうな感じでそう言って伸びをした。

続いて気になったのは秋津伸吾だ。

ぼくらと百草高校の部員達に向かって会釈をした。

その時、名高と目があったみたいで、軽くほほ笑んだように見えた。

名高も少し楽しそうな表情を見せている。

ぼくは秋津伸吾とは直接話した事は無い。

東京多摩エリアで一番早い男・・・。ただそれだけの事しか知らない。一体どんな性格の男なのか・・・、やっぱり興味はある。

 

 

部員たちが全員降りた後、すこし高めの声が響いた。

「おー!久しぶり隆平ー!!」

運転席から30歳くらいの爽やかな男の先生が降りてきた。

・・・隆平って誰だっけ。

その先生は百草高校の淵野辺先生と、うちの志田先生に「よろしくお願いします」と言った後、五月先生のとこに行って「おひさー、隆平」と声をかけた。

すると五月先生はぼくらに向かって「紹介しよう」と言った。

「葉桜高校の陸上部顧問の真木先生だ。オレとは高校の同級生だ」

「真木です。みんな、よろしくね」

まるで20歳前後みたいな童顔の先生だ。少年のまま大人になったような感じがする。

「ちなみに真木先生は高校時代に5000mで関東大会の決勝まで行ってるんだ」

「言うなよ隆平。昔の話じゃん」

真木先生は照れ臭そうに笑った。

 

 

ホテル内部に入ると、最初に赤い絨毯のしかれた大きなロビーがあり、そこにはフロントがあったり自動販売機やUFOキャッチャーが2台あった。

静かなロビーにUFOキャッチャーからの電子音楽が響いていた。

フロントに立っている受付の人に向かってお辞儀をして、ぼくらは自分たちの部屋へと向かう。

向かった先は、7階建ての本館から一度外に出て、小さな庭を通り過ぎた先にある別館だった。

別館は2階建てで、1階には4人部屋が5つと食堂とトイレ・温泉があり、2階には大部屋が3つあるという事だった。

ぼくら男子は学校ごとに別れて2階の3部屋ある大部屋に入った。

先生たちは1階の入口近くの4人部屋で、女子は残りの小部屋に別れて入った。

 

 

ぼくら多摩境高校の男子メンバーは2階の大部屋に入ると、みんな荷物を放り出した。

畳のいぐさの香りのする広い部屋だけど何も置いてない部屋だ。テレビすら無い。

「うおー!重かったー、このドラムバッグ!3泊分はキッツイね!」

牧野はそう言ってバッグを放り投げると、大部屋の畳に寝転んだ。

「ぐお!!気持ちいい!!」

「あー!いいなー!」

そんな牧野を見て、ぼくと大山とヒロもゴロゴロと畳の上を転がった。

ヒロが興奮気味に叫ぶ。

「先輩!!レースしましょうよ!畳ゴロゴロレース!!大部屋のハジからハジまで!ビリは一位にジュース奢るってルールで!!」

あぶなく「やろうやろう!」と言おうとしたところで穴川先輩に「体力減るぞ」と言われ、やるのは止めた。

「えー!なんでやらないんですかあ!!」

あからさまに不満そうな声を出すヒロに染井は「子供かよ」と冷たい声で言った。

 

 

別館1階の食堂で昼食を摂り、いよいよ合宿最初の練習の時間になった。

短距離・中距離・投擲のメンバーは百草高校のバスに乗り込み、近くの競技場へと出発した。

ぼくら長距離メンバーだけはホテル前の大駐車場に集合だ。

長距離指導は五月先生と、葉桜高校顧問の真木先生だ。

「じゃ、真木、頼む」

五月先生に促されて真木先生は爽やかな声を出した。

「よーし、じゃあ合同合宿最初の練習をするよー!」

爽やかなのは声だけじゃない。口調も表情も爽やかだ。

「まずはね!さっき短距離のメンバーがバスで向かった、近くの競技場まで走って行く。そんな遠くないから安心してね。少しアップダウンのある道だけど20分も走れば着くから」

真木先生は腕時計をチラリと見てから話を続けた。

「ゆっくりと1キロ4分半くらいのペースで走っていこう!」

 

 

多摩境高校12人・百草高校10人・葉桜高校10人の合計32名でひと固まりになって競技場までジョックしていく。

伊香保温泉街を5分も走ると山ばかりに囲まれた二車線の道になった。

確かに多少のアップダウンはあるものの、大して疲れる事もなく競技場へと到着した。

ヒロでさえ遅れなかったのでウォーミングアップという程度の事だろう。

合宿がこんな楽な訳は無い。油断するとヤバイのは知っている。

「いやあ!ラクショーっすね!相原先輩!!」

ヒロは大声でそんな事を言う。言うのは勝手だけどぼくの名前は使わないでほしい。

 

 

競技場は山に囲まれた中に突然現れた。

一応ホームストレート側には観覧席が多少設置されているけど、古びてる印象だ。

すでに短距離チームがバックストレートで100mを走っているし、フィールドでは投擲チームがミーティングみたいなものをしていた。

ぼくらは再び真木先生の指導を仰ぐ。

「じゃあここからが本練習ね。今日は1万メートル走って、その後に1000mを3本ね」

「へえ・・・」

サラッと言うけど、かなりキツイよそれ。

「ちなみに1万メートルは、さっきと同じ4分30秒ペースでいいからね。その後は5分休憩して1000mを全部本気で」

やりたいのは疲れた後の1000mって事か・・・1万メートルってのは長い長いウォーミングアップといったところだな。

「女子は別メニューね」

 

 

1万メートルというのは競技場25週分だ。

4分30秒ペースというのはさほどキツくはないペースだ。

まあ初日だしこんなもんかと思って走ってたら、真木先生は五月先生以上にフォームの事を注意してくる。

「きみきみ!!着地の時、音出し過ぎ!」

「きみ!!腕をナナメに振らない!!余計なエネルギー消費になるから!」

「肩の力抜いてー!!」

真木先生はぼくらと一緒に走りながら次々と注意点を叫ぶ。

それでいて全く息切れなどしていない。1万メートル走り切っても爽やか笑顔で指導した。

「はいー!5分休憩!5分間歩いてー!ウォーキングねー!」

休憩と言っても座ってはいけないらしい。息切れしたまま歩かされた。

1万メートルはヒロを含めて何人かが遅れたけど、3分の2以上のメンバーは最後まで着いてきた。

 

「よーし!5分経過ー!じゃあ1000mをほぼ全力ね!!次の1000mまでの間は400m歩くからね。ここでもフォームを気を付けて」

1000mの一本目で、今回の参加メンバーの実力はだいたい判明した。

やはりダントツは秋津伸吾。フォームも乱れる事無く一位でゴールした。

続いて名高。名高は秋津に追いつこうとしてムリをして、ものすごく息切れしていた。

3位は雪沢先輩。4位は百草高校部長の町田さん。

そして5位は牧野・7位にぼくだった。

「はあ・・はあ・・・あれ?オレらってけっこう上位なんじゃね?」

牧野が嬉しそうに言うのでぼくも笑顔で答えた。

「そうだね!はあ・・・はあ・・・なんでだろ・・・。みんな手を抜いた?」

そんなぼくらを見て町田さんが呟いた。

「いや、普通に早いよ。君たち」

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2009年7月13日 (月)

空の下で-向日葵(5) 夏の行方(その4)

山合いの競技場とはいえ、やはり夏は夏だ。

東京で感じる様な強烈な湿度は無いけれど、日光は容赦無くぼくらの体力を奪っていく。

1万メートルを走り、1000mを3本のうち1本を走り終え、ぼくらは競技場を1周ゆっくりと歩いていた。

歩いているぼくらに日光が降り注ぎ、肌に暑さを感じた。

いや、暑さという表現は間違ってる気がする。熱さだ。暑さじゃあない。

歩いて進む1週はすぐに終わり、次の1000m全力走を始める。

「よし!気合入れていけよ!よーい・・・スタート!!」

五月先生の号令で長距離チームは走りだす。

 

 

この2本目は秋津伸吾と名高が並んでゴールした。

ぼくらが遅れてゴールすると名高に話しかける秋津の声が聞こえた。

「はあ・・・はあ・・・、やっぱ早いな。名高くん」

秋津は息切れし両手を膝につける格好で話していた。

名高はその言葉に対して「まだまだだよ」とだけ言って歩きだした。

かなり肩で息をしているのがぼくらにもわかる。ムリして・・・る?

 

 

「ラスト100mでフォームがバラバラな人ばっかだね。次はちゃんと意識して走る様にね」

真木先生はまたもフォームの指摘をし、五月先生が「よーい、ドン!!」と言って1000mの三本目は始まった。

男子長距離は今回20人いる。

3本目も20人が同時に走りだす。

ここは土の競技場なのでバタバタとした足音を響かせながら、最初の200mくらいは全員がひと固まりで走る。

しかし300mもすると集団はバラバラになり、ぼくは牧野と町田さんと3人で走る形になった。

1000mというのは長距離とは言えない距離だ。

ぼくらにとっては短い距離だ。

それだけに、いつもよりもスピードが要求される距離でもある。

ぼくは牧野よりかスピードで劣る。

必死に牧野の後を着いて行くのだけど、呼吸は乱れ、フォームは乱れ、顔も歪む。

ただ、全力で必死に走っているこの時間、嫌いじゃない。

こういう時だけは暑さすら忘れている。

ラスト100mで、一緒に走っていた町田さんがぼくを振りかえった。

すぐに前に向き直った町田さんは、ぼくと牧野より少しだけ先にゴールした。

ちなみに内村一志は3回ともぼくのひとつ後ろでゴールしていた。

 

 

「ダメだね。全然ダメ」

走り切ると、真木先生がぼくに向かってそう言った。

「きみは・・・えーと?」

「あ、多摩境高校の相原英太です」

「相原くんね。きみ、上位で走ってるのはスゴクいいんだけど、ただ走ってるだけだよ。一緒に走っていた町田くんとかを見なよ。同じくらいのタイムで走っているけど、腕ふりが最後までキチンとしてる。相原くんはスピードが上がるとすぐにフォームが乱れるから、ラストスパートであんまりスピードが上がってないよ」

ダダーっと真木先生が言うと、何故か牧野が反論した。

「でも先生・・・英太は後半に強いんですけど」

「後半に?それは長い距離になると・・・かな?」

「そうですね」

「なるほど、それは珍しいタイプだね。それならより一層腕ふりをキチンとしなくちゃ。ちゃんとフォームが維持できる様になれば、後半の伸びはさらにスゴクなるよ」

注意点を言われてはいるものの、褒められている気にもなる言葉だった。

ぼくは「はい!」と返事をして頭の中で「フォーム、フォーム」と繰り返した。

 

 

「じゃあホテルまで走って帰るよー。でも帰りは山道を走るからねー。坂道キツイよー」

真木先生の爽やかな声を聞き、メンバーは落胆したが、すぐに気合を入れなおし走り出した。

これは合宿だ。そんな簡単に一日が終わるわけは無いんだ。

 

 

競技場からホテルに帰る道はとんでもない山道だった。

アップダウンが苦手なぼくはすぐに集団から遅れてしまった。

遅れる時、内村一志に「あーらら、もう遅れんのかいな」とか言われたが、反論する元気も無かった。

 

 

やっとの思いでホテルに辿り着くと、足の力が抜けて駐車場に倒れそうになった。

フラついたところを町田さんが支えてくれた。

「だ、大丈夫?相原くん!」

細い目を思いきり見開いてぼくを心配そうに見た。

「大丈夫です。すいません、足が疲れ果てたみたいで・・・」

「うーん。そうかあ。ちょっと筋力足りないんじゃない?あのくらいの山道くらいでフラついてる様だと・・・」

「すいません・・・気合で何とかします」

そう言うと町田さんは少し怒った様な口調になった。

「気合なんかじゃ何ともならないよ」

「え・・・」

「何でも気合でクリア出来るだなんて思って走ってちゃダメだよ。そんなしょーもない根性論だけじゃこれ以上は早くはなれないよ。ちゃんと鍛えて行かないと。弱点は自分で無くしていかないと早くもなれないし、怪我だってするよ」

他の学校の部長さんにこんな真面目に怒られると思ってなかったので、ぼくはちょっと狼狽してしまう。

「いえ・・・あの・・・そうですよね」

曖昧な返事をするぼくに町田さんは言った。

「筋力が足りないって自覚してるのかな?もし自覚してるんだとしたら今のうちからちゃんと鍛えなくちゃダメだよ。鍛えないってのは・・・逃げるって事だよ」

「逃げる・・・」

「そう。相原くんはまだまだ早くなる素質がある気がするんだよね。今日しか見てないけどさ。だからもったいないなあ」

「あ・・・そうでしょうか・・・」

そこへ雪沢先輩がやってきて町田さんに言った。

「ごめん町田くん。うちのヤツにアドバイスなんかしてもらっちゃって」

「いいよいいよ雪沢くん」

細い目をさらに細くして笑う町田さん。

「でも雪沢くん。後輩の指導はちゃんと厳しくやらないとダメだよ。伸びなくなっちゃうよ」

「・・・そうだね。・・・ホントそうだよ。ありがとう町田くん。相原はもっともっと伸ばして行くよ」

妙にプレッシャーをかけられる言葉だ。

雪沢先輩は最後にぼくを向いてこう付け加えた。

「相原、お前は・・・いずれ名高クラスになってもらうからな」

それは急に上を見過ぎなんじゃ??

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2009年7月16日 (木)

空の下で-向日葵(6) 夏の行方(その5)

空は次第に暗くなり伊香保温泉の旅館たちに優しげな光が灯りだした。

浴衣姿の人たちがガイドマップ片手に街をカランコロンと音をたてて歩く。

昼間の練習の時には思わなかったけど、ここはやっぱり温泉街なんだなと実感する。

 

 

ぼくは別館にある小さな温泉に浸かってから、みんなと一緒に食堂へと入った。

食堂には多摩境高校・百草高校・葉桜高校のメンバーが集まり、淵野辺先生の「いただきます!」の号令で一斉に夕食の開始となった。

広い食堂には6人がけのテーブルがたくさん置いてあり、ぼくのテーブルには牧野・大山・未華・くるみ・早川が座った。

「いやあ、初日からキツかったねー。僕もうヘトヘト。ゴハンたくさん食べなくちゃやってらんないよ。あ!ヒレカツがあるよ?!ソ、ソースどこ?」

あんまり疲れてさなそうなセリフを言いながら大山がソースを探していると早川が「こんなに食べれないよ・・・疲れてるんだし・・・ヒレカツは大山にあげる」と言った。

「えー?なんてラッキー。早川さん優しいね!」

「そういう訳じゃないんだけど・・・」

くだらないやりとりの横で未華が怖い顔をしたまま白米をかきこんでいた。

「な、なんか未華、怖いね・・・どうしたの?」

見かねて牧野が聞くと、未華は俯いてしまった。

「え・・・?どうしたの・・・?」

「なんでもないよ」

そう言って顔を上げた未華の目は赤く充血していた。

思わずぼくはドキリとしてしまった。牧野と顔を見合わせる。

未華はあっという間にゴハンを食べ切って食堂を出て行ってしまった。ごちそうさまも言わない。

「ど、どうしたの・・・未華って」

ぼくがくるみに聞くとくるみは困ったような顔をしてから答えた。

「バカにされちゃった・・・みたい・・・」

「誰に?」

「百草高校の女子ナンバー1の・・・古淵由香里さんに」

くるみはサラダを食べながら教えてくれた。

長距離の女子チームは12人で、3000mの練習があったらしい。

そこで本気で走った未華だったのだけど、古淵由香里というコに負けたらしいのだ。

それは仕方無いのだけど、悔しそうにする未華に古淵さんは「その程度で全力?」と言い放ったらしい。

それを聞いた牧野はガタンと音をたてて立ち上がった。

「どいつだその古淵ってクソ女は!!」

「牧野!」

早川が「座れ」と言い、牧野はしぶしぶ座った。

「あそこにいるエクボの目立つコだよ」

くるみに言われて牧野は古淵由香里なる女子を睨んだ。

少しカールした茶髪でエクボが目立ち、目のくっきりとした女子だった。

とてもそんなヒドイ事を言う様には見えない。

「百草高校の女子はみんな早かったよ。でも古淵さんは別格。未華は全体でも2番目に早かったんだけど古淵さんはもっと上だったの」

くるみは少しだけ悔しそうな声でそう言った。

それを聞いてぼくも牧野も早川もため息をついた。

なのに大山は笑顔でこう言ってのけた。

「いいじゃん。そのうち未華さんが勝つよ。きっと」

絶対そうなる。そう信じている様な口ぶりだった。

それを聞き、牧野も続いた。

「そうだな・・・。未華は必ず勝つ。そういう女だよ。ここで心が折れる様なヤツじゃない。もし辛くても・・・オレがついてる」

「はあ??」

早川とくるみが口をポカンと開けたのが印象的だった。

言った牧野本人は真っ赤な顔をしていた。恥ずかしいなら言うな・・・。

 

 

夕食を摂り、多摩境高校用の大部屋に戻り、布団を敷いた。

ぼくは大部屋の窓側の一番ハジに場所をとった。

ハジには小さいけれど、物を置く台みたいなスペースがあったので、そこに持ってきた本とか携帯電話を置いた。

携帯電話を開くと母親からメール着信が来ているのに気がついた。

『無事ついた?栄養ちゃんと摂るのよ』

わかってるって。もう16歳なんだから。

 

 

夜9時に消灯だ。普段ならこの時間に寝る事はない。

けれどこれは合宿だ。いつもより疲労が溜まっているし、明日からの練習は過酷さを増していくだろう。そう考えるとこの時間でも十分に眠くなる。

雪沢先輩が部屋の電気を消すと、部屋はすぐに静かになった。

ぼくは目を瞑って考える。

昼間、百草高校の町田さんに言われた事をだ。

・・・筋力足りな過ぎる・・・

・・・筋トレから逃げている?・・・

雪沢先輩の言葉も思い出す。

・・・いつか名高クラスに・・・

ぼくはいつか名高の様なレベルになれるという事なのか?

そのためには苦手な事から逃げていてはいけない・・・という事か。

いつでもぼくより遥か前を行く名高涼。ぼくは後ろ姿ばかりを見てきたのだけど・・・

その後ろ姿をもっと貪欲に追ってもいいのかもしれない。

町田さんの言うとおりだ。逃げるなんてみっともない。

この夏、ぼくは出来る限り名高の背中を追ってみよう。その先に何があるのかはわからないけど。

 

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2009年7月20日 (月)

空の下で-向日葵(7) 夏の行方(その6)

夏合宿二日目。

この日もよく晴れていて、多少の雲があるものの日陰はあんまり出来なかった。

 

伊香保温泉は山の斜面に造られた一大温泉街だ。

その山の上の方には神社がある。

この日の朝は、この神社まで歩いて行って、合宿の無事を願うお参りをした。

ところがこの神社、ものすごい石段の上にあるので、朝から階段を登るのがものすごいキツかった。

その石段の通りはどうやら観光スポットになっているらしく、早朝にもかかわらず観光客が歩いていて「がんばれー!」とか声をかけられた。

中には海外の人もいて「おー!ムシャ・シュギョウ!!」とか言われたけど、前にもどっかでこんな事無かっただろうか?

 

 

ホテルに戻ると大部屋のハジの台に置いておいた携帯電話に着信があった。

携帯電話は開きっぱなしで置いてあったのですぐに気づく。

「不用心だな」

牧野にそう言われるけど、見られちゃいけない着信なんて無い。

着信は父親で、留守電が入っていた。

『頑張ってるかー!お父さんも果物の交渉頑張っているんだぞー!うおー!!』

どうやら明け方まで飲んでいる様子の父親の声が入っていた。何がうおーだ。

 

 

朝ゴハンを食べて午前中の練習が始まる。

「榛名湖まで行く!」

五月先生がそう宣言して、長距離チームはバスに乗り込み、五月先生の運転で10キロ以上離れた山の中にある榛名湖へと移動する。

またも爆音のロックをかけながら運転をする五月先生。

マイクロバスの窓からは激しいエレキギターの曲が外に漏れて、ちょっと恥ずかしい。

「な、なんだこの先生はー!?」

葉桜高校の誰かがそう叫んだ。ホントだよ。安全運転なんだけどねえ・・・。

 

 

榛名湖では湖畔を15キロ走った。

別に競争でも無いんだけれど、秋津伸吾と名高がやたら早いペースで走るので全体も吊られて早くなり、まるで全力走みたくなってしまった。

結局、男子は秋津がぶっちぎりで一位になり、二位の名高はゴール後、近くに生えていた木を蹴り飛ばしたらしい。

その展開は女子でも同じような感じで、百草高校の古淵由香里さんが一位で、やや遅れてゴールした未華には全く笑顔が無かった。

「だから勝てないって。アンタじゃ。私には」

古淵さんは笑いながらそう言ったらしい。

ぼくはというと牧野と内村一志とのデットヒートの末、二人に勝ったのだが、真木先生に「フォーム最悪。それじゃ今後伸びない」と真顔で言われて凹んだ。

 

 

午後の練習は苦手な山道でのクロスカントリーだった。

ここでも男子は秋津、女子は古淵さんがトップだった。

そして名高と未華に笑顔は無かった。

ぼくは牧野にも内村にも置いて行かれ、剛塚にも染井にも抜かれた。

「相原先輩って坂道でダセエっすよね」

染井にそう言われ泣きそうになった。・・・くそ。

本当に泣いたヤツもいた。ヒロだ。

ヒロはクロスカントリーと途中でリタイヤした。

歩けなくなって座っていたところを、後ろから走ってきた早川に見つけられて「リタイヤしなよ。みっともないけど」と言われてリタイヤした。

「くそ!!くそ!!なんで・・・僕だけ!!しかも早川先輩に・・・」

ホテル前の駐車場まで車で運ばれたヒロは大声で泣きまくった。

そんなヒロに大山は言った。

「悔しいなら泣いてないでどうすればいいか考えなよ。僕だって去年はビリばっかで悔しい想いばっかりしたんだ。それに早川さんにリタイヤを促されて悔しいみたいだけど・・・、早川さんだって一年半も辛い思いしながらも走ってるんだよ」

それを聞いてぼくもヒロに声をかけた。

「お前だって少しずつ早くなってるって。でも、強くなれって」

「つ、強く・・・ですか?」

「うん。早くなるのは誰でも出来るよ。ある程度なら。練習してればさ。でも・・・」

ぼくは少し考えてから言った。

「でも、強くなるのは意識しないとなれない。疲れ果てても、辛くなってもリタイヤしない、心の強さは」

思ったままを口にした。

もちろん本当にムリならリタイヤは必要だ。でも、走っていて辛い時、本当に頼れるのは体力ではなくて、心の強さだと思う。

心が強くなれば、ぼくだって真剣に筋トレをして筋力を付けて、坂道でも早くなれるはずだ。

ん?なんだ・・・自分に言い聞かせてるだけか??

でも、ヒロは少し考えてから「はい!強くなります!」と言った。

ぼくと大山は顔を見合わせてから笑った。

 

 

夜、消灯時間になり、大部屋の電気を雪沢先輩が消すと、あっという間に部屋が寝息に包まれた。

・・・・・・疲れた。

次第に夢の世界へと吸い込まれていく中で、ぼくは思った。

五月先生と志田先生は何で合同合宿にしたんだろうと・・・。

多摩境高校の男子エース名高、女子エース未華をもってしても秋津や古淵さんには敵わない。

名高も未華も明らかに焦っている様子だ。今日の午後の練習なんか無理なペースで秋津や古淵さんを追っていた。

勝てない相手と数日間一緒にいる事になる今回の合宿で、名高も未華も笑顔が消えている。

それくらいストイックになれという事なのか?それとも別の狙いがあるのか?それとも何の考えも無いのか?

あっという間に過ぎていく合宿を越え、ぼくらはどこへ向かうのだろう・・・。

どこへ・・・・・・。

夢の中に落ちる瞬間、携帯のバイブレータが聞こえた。

眠い体を何とか動かして、布団の脇にある台の上にある携帯電話に手を伸ばす。

携帯を開き、何かボタンを操作したところで、ぼくは夢の中へと落ちた。

 

 

 

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2009年7月23日 (木)

空の下で-向日葵(8) 夏の行方(その7)

突然、心臓が跳ね上がる様なけたたましい金属音が鳴り響き、ぼくは布団から飛び起きた。

「うっわ!ビックリした!!」

大部屋にはすでに朝日が差し込んでいて明るくなっている。

さっき寝たばかりだと思ってたのに、もう起床時間の六時になったらしく、たくみの用意していた目覚まし時計が鳴り響いていた。

「うるせー!その時計!!音、デカ過ぎだ!!」

穴川先輩が耳を塞ぎながらそう言うとおり、やたらと音の大きな時計だ。

たくみは音を止めてから、一言呟いた。

「これなら一気に目が覚めますよ」

たくみは小学校と中学校を皆勤したらしい。こういう目覚まし時計を使っているからかもしれない。

 

 

二階の大部屋からホテル前の駐車場へ移動する。

他の高校のメンバーも同じように部屋から出てくるが、みんな眠そうだ。

すでに真木先生が屈伸しながら待っていて「おはよー!」と元気に声をかけてきた。

「おはようございます。真木先生、早いですね。他の先生は?」

眠そうな顔の町田さんがそう聞くと真木先生は苦笑いで「飲み過ぎたそうだ」と答えた。

五月先生と志田先生と淵野辺先生は夜中2時までお酒を飲んでいたそうで、特に淵野辺先生は酔っ払って詩吟を吟じまくったそうだ。詩吟かい・・・。

それを聞いて染井が「何しに伊香保まで来てるんだ」と呟くと、内村一志が「宴会じゃね?」とため息混じりに答えた。

 

 

駐車場に集まる理由は、短距離も長距離も一緒に、全員で朝の体操をするためだ。

真木先生いわく「朝、体を動かすと、一日いい感じになる」という曖昧な理由でだ。

その体操の後、伊香保の街を30分ほど散歩するのだという。

昨日も神社まで歩いて、往復40分ほどだったから、これは合宿の日課ってところだろう。

「お?ヒロがいねーぞ」

剛塚がそう言うとおり、駐車場にヒロが来ていなかった。

他にも百草高校と葉桜高校も、男女ともに何人かが来ていなかった。

「なんだなんだ、寝坊かよ」

内村一志がけなし口調でそう言うが、内村の顔も眠そうだ。

真木先生は「んー、そこの女子二人。それぞれの部屋に行って、寝てる連中を起こしてきてくれ」と言った。

そこの女子というのは未華とくるみだった。

そういや早川もこの場にいない。あいつ、低血圧らしいから熟睡かもな。

 

 

十分ほどかけて体操が終わった頃、未華とくるみが寝ていたメンバーを連れて帰ってきた。

ヒロや他の寝坊生徒は慌てた様子で走って来たので印象悪くは無かったけど、早川だけは歩いてやってきた。

「ノーメイクで人前に出たくないのに・・・」

戻ってきた未華とくるみにも笑顔が無かった。

未華はこの合宿中ずっとこうだ。

でも、くるみは昨日の夜、談笑してるのを見たので、どうしたのかと思って声をかけてみる。

「どうしたの?くるみも眠いの?」

「知らないよ。うるさいなあ」

ぼくの顔を見る事もなく、くるみは未華と一緒にぼくとは離れたところに歩いて行こうとするので、慌ててもう一度話しかける。

「な、なんかあった?」

するとくるみは怒った様な表情でぼくを睨んでから言った。

「うるさいってば。あっち行ってよ」

「え?え・・・?」

ぼくはどうしていいかわからず未華の方を見ると、未華はぼくの顔を見てため息をついて首を横に振った。

「ど、どういう事?」

そこで真木先生が叫んだ。

「よーし、じゃあ揃ったから散歩に出かけるぞー」

 

 

散歩中の記憶はほとんど無い。

なんでくるみの機嫌が悪くなったのか、そればかり考えていた。

早川とかヒロを起こしに行った時に何かあったのか・・・?

それとも昨日、最後にくるみを見かけた後、女子チームの間で何かモメ事でもあったんだろうか・・・?

そんな心配をしているとあっという間に散歩の時間は終わってしまった。

 

 

三泊四日の合同合宿は三日目だ。午前中は練習が休みだ。

朝食を摂り、トイレに寄ってから大部屋に戻ると、牧野は「どういう事ですかコレ!」と叫んでいた。

牧野は大部屋の畳に座り、何かの本を読んでいる。

どうやら高校陸上の記録帳の様だ。

公式大会でのタイムは、こういう記録帳に乗っている。

後ろから覗いてみると、牧野が見ているのは、春に行われた総体地区予選会の記録一覧のページらしい。

牧野の声で気になったのか大山や雪沢先輩、穴川先輩も集まってきた。

「どうしたんだよ牧野」

穴川先輩が問いかけると、牧野はあるレースの記録を指差した。

『総体 地区予選会  男子5000m決勝』と書かれたレースの記録一覧だ。

このレースにはぼくも出ている。上位には秋津伸吾や名高や雪沢先輩の名前と記録も記されていて、ぼくの名前も少し下の方に乗っていた。

「相原がけっこう頑張ってた試合だな。これがどうかしたのか」

雪沢先輩が牧野を促すと、牧野はある選手のタイムを指差して口にした。

「百草高校、町田康一。タイム19分37秒。予選落ち」

「町田康一って・・・町田さん?」

大山が聞くと牧野はうなづいた。

「19分37秒というと・・・完全に予選落ちだな。相原よりもはるか後ろ・・・というか相原にさえ周回遅れって感じのタイムだな」

穴川先輩が不思議そうな顔をして言うと牧野が続いた。

「町田さんって雪沢先輩と同等のレベルっすよね。この合宿でも一緒に走ってるし」

「かなあ、多分」

雪沢先輩も不思議そうに言った。

「なんで総体地区予選、こんなに遅いんですかね。言い方は悪いけど・・・これだと大山よりも遅いし、いや、ヘタしたらヒロとそんなに変わらないんじゃあ・・・」

「風邪じゃねーの?」

穴川先輩がそう言った時、大部屋の入口の方から町田さんの声がした。

「違うよ」

みんな一斉に町田さんの方を見た。町田さんは少し間を開けてから言葉を続ける。

まるで、言わなくちゃダメかな?と自問自答する間をとったみたいだ。

「腹を痛めたんだ。試合中に」

水分でも摂りすぎたのか?みんながそう頭に思い描いたに違いない。

百草高校の部長ともあろう町田さんが、そんな初歩的ミスをするなんて・・・そう思った時だ。

「殴られたんだよ。落川学園の選手に。脇腹を」

町田さんの口からは信じられない言葉が飛び出していた。

その言葉で、寝ころんでいた剛塚が置きあがり、呟いた。

「落川学園・・・」

去年の秋、陸上部襲撃を計った男、安西がいた高校だ。

そして以前、安西はこう言っていたのを思い出す。

・・・妨害行為をするらしい・・・

 

 

その頃、他の部屋では未華がくるみに「落ちついて」と話しかけていた。

「落ちついてるって!」

いつもは出さない様な大きめな声を出すくるみに未華は優しく言う。

「何かの誤解だよ。絶対そうだって!アタシが保証するから」

するとくるみはこう言った。

「じゃあ・・・今日の夜のバーベキューの時に聞いてみる」

それを聞き未華は呟いた。古淵さんに見下されてタダでさえイラついているのに、さらにイライラする。

「なにしてんだよ、英太は・・・」

 

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2009年7月27日 (月)

空の下で-向日葵(9) 夏の行方(その8)

「妨害行為?」

大部屋にみんなの声が響いた。

町田さんはため息を吐き、一度間を空けてから、ぼくらの問いに答えてくれた。

「そう。落川学園のヤツに脇腹を殴られてさ・・・。多分、ヒジだったんだと思うんだけど。それで足が地面に接地するたびにズキズキと脇腹に痛みが走ってさ・・・結果、自分でも驚くほどの低成績だったよ」

話している間に町田さんの顔が歪んでいった。きっと悔しさが蘇ってきたんだ。

ヒロが大声で町田さんに問いかける。

「それ、審判とかに言わなかったんですか!!」

雪沢先輩も頷いてから続いた。

「そうだよ。そんなの反則行為だ。失格にしてもらうべきだと思うよ」

すると町田さんは首を横に振って言った。

「それがさ・・・誰がやったのかよくわからないんだよ。まさか試合中にそんな事されると思ってなかったしね。それに、やられた瞬間、周りには三人も落川学園の選手がいて、誰の仕業か断定できなかった」

「それって・・・」

ぼくは呟く。

「チームが協力して妨害をしたって事なんじゃ・・・」

それを聞いて牧野は興奮した表情でぼくを見た。

「組織的な犯行ってヤツか」

だいぶ大げさな表現だけど、まあそういう事だと思う。

町田さんは三年生だ。春の高校総体は、個人としては最後の大会だったはず。

その最後の試合を台無しにされた訳だから、本当は怒りと悔しさでいっぱいなはずだ。

なのに町田さんはこう言ったんだ。

「多摩境高校のみんなも落川学園には気をつけてな。オレの二の舞は見たくないからさ」

「町田さん・・・」

「でもオレはまだ戦いは挑むよ。秋の駅伝で、オレたち百草高校は、落川学園に勝つ!」

力強い町田さんの言葉に、ぼくは拍手したくなった。

 

 

町田さんの話題が終わり、微妙な空気感を漂わせたまま、ぼくらは大部屋のそれぞれの位置に戻った。

自分の布団を畳んでカバンから持参した小説を出す。

パラパラとめくって栞を探すが、栞が見当たらない。

どこへやったっけ、と辺りを探すと、横の台の上に置いてある携帯が開きっぱなしなのに気がついた。

「あれ?なんで開いてるんだ?」

そういえば昨日、寝る直前に誰かからメールが来て、何か返信をした様な気がする。

携帯を見ると、画面が写ったままになっていた。

どうやらぼくは寝ぼけたまま返信を書いている途中で寝てしまったらしい。

何か作成中のメールが画面に写っている。

それを見てぼくはザワザワと鳥肌が立った。

なんとなく覚えているからだ。メールの内容を。すぐに作成中のメール画面を見る。

『いいよ!じゃあ映画だから八月三日に南大沢の駅前だね。たまには会って話したいし』

送信ボタンは押されていない。が、送信先は画面に写っている。

『長谷川麻友』

思わず辺りを見回した。

こ、こんなメールの画面を開きっぱなしにして寝ちゃったのか・・・!

確かに何かボタン操作している記憶はおぼろげながら有る。

でもこんなメールを打つという事は長谷川さんから何かメールを受けたという事だ。

慌てて着信メールを見ると、長谷川さんからのメールが二件あった。

 

『久し振り。もう夏休みだね。夏休みも陸上部の練習は大変なのかな。あの、たまには練習休みの日もあるよね。一緒に映画とかどうかな・・・と思って。だめですか』

 

『合宿?じゃあ今大変なんだね!頑張ってね! 三日の日なんてどうかな。一人で映画行くのもなんか微妙なので・・・』

 

な・・・なんだこれ!!?

今度は自分の送信メールを確認すると、一件だけ長谷川さんに送信していた。

 

『今、合宿で群馬にいるんだ。映画?合宿の後、八月一日から三日は休みだから平気だよ』

 

真夏なのに冷や汗が出た。

ぼくは、寝ぼけながらこんなメールを打っていたらしい。

八月三日に長谷川麻友さんと南大沢で映画に行く事にしたらしい。

いや、らしい・・・という表現は違う。なんとなく覚えてる、このメールを。

「英太くん!!ちょっと来て!!」

いきなり部屋の外から未華の大声が聞こえて「ひっ!」と小声を漏らしてしまった。

 

 

未華はぼくを連れてホテルのロビーにあるソファへと移動した。

向き合って置いてある一人がけのソファに座る。

未華は怒ったような表情でイキナリ確信をついてきた。

「長谷川麻友って誰だよ」

ぼくはツバを飲み込んで答える。

「な、なんでその名前を・・・?」

「アンタ、携帯開けっ放しだったでしょ。メール画面が表示されっ放しだったんだよね」

そうか・・・。今日の朝、未華とくるみは寝坊した人を起こすために各部屋を周ったんだった。

「ま・・・さか?」

ぼくが言うと未華は頷いた。

「見ちゃったよ。ていうか見えちゃったよ、メール。私も、くるみも」

全身の血が頭に登って行くのを感じた。カーッと頭が熱くなる。

「く、くるみも・・・?」

「そう」

今度は一気に顔が青ざめていくのを感じた。もうパニックだ。

そんなぼくを見て未華は言う。

「長谷川麻友が誰だか知らないけどさ。くるみも、英太くんが誰か女子と映画行くって知っちゃったんだからね。くるみの事が好きなんじゃ無かったの?なんで他の女子と映画なんて行くんだよ。見損なったよ」

「本当・・・だね。そりゃ見損なうよ・・・」

「そんなコとデートしてんじゃなくってさ。くるみと遊びに行きなよ。ちゃんとさあ。今、くるみは完全に勘違いしてるよ、英太くんの事。ちゃんと自分で弁解しなよ」

「べ、弁解?」

「そうだよ。キチンとデートに誘いなよ。もう、そうでもしないとヤバイよ」

ぼくはもう一度、唾を飲みこんだ。

「そうだね・・・誤解されてるよね・・・。もう、覚悟を決めるしかないよね」

ぼくはソファから立ち上がった。

すると未華は「おお・・・」とか驚いた。

「マジで?覚悟を決めたの? きょ、今日の夜、デートに誘ってみれば?そういう事を話すチャンスはある夜だし」

「チャンスのある夜?? あ、そうか・・・今日は」

「そう、合宿恒例、バーベキュー大会」

それは、牧野が未華に告白しようとしてる時でもある。

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2009年7月30日 (木)

空の下で-向日葵(10) 夏の行方(その9)

合宿三日目の午後練は、この伊香保合宿で一番厳しい練習になるという話だ。

昼食を摂り、練習までの一時間の間、ぼくは大部屋のハジに座り窓から外を眺めていた。

大部屋は二階にあるので窓からは少し遠くまでの景色が見える。

大小色んな旅館やホテルが立ち並ぶ伊香保の街を見ているのだけど、ぼくの心はここにあらずって感じで、さっきの未華との会話を思い出していた。

今日の午後練の後はホテルの大駐車場を借りてバーベキュー大会が開かれる。

そこでくるみをデートに誘おうと決めていた。

長谷川さんに送ろうとしていたメールを見られてしまい、くるみはきっと「英太くんには長谷川麻友っていう好きな人がいるんだな」と思ったに違いなかった。

そう思われたまま過ごしていたら絶対にくるみとうまくいかないと思う。

まあ、もちろんメール見られてなくてもそろそろデートくらい誘わなくちゃなと思っていたところだ。逆にいい機会になったって事にしておこう。

 

 

午後練の時間になり、長距離チームは男女ともに駐車場に集合した。

集まったのを確認して真木先生が練習の説明を始める。

「今日の午後練は長くてアップダウンのあるコースを走ってもらう。走るペースは特に決めない。自分の思うままに走っていい自由走とする。ただし、本気で走るって条件だ。もちろんフォームはキチンと考えて走ってほしい」

町田さんが手を挙げて質問をする。

「どんなコースなんですか」

「うん。まずはこの伊香保の街を走り抜けて、昨日バスで行った榛名湖へ向かう。そこまでは山を一つ越える10キロ程の道のりだ。で、平坦な榛名湖を一周したら、最初に登った山の頂上まで戻ってくるというコースだ。ちなみに女子は榛名湖でゴール」

山か・・・。これは覚悟しないとな・・・。

「これはこの合宿で唯一のレース形式をとる。各自、ライバルに負けないように全力で走りぬいてくれ」

真木先生にそう言われ内村一志の方を見ると、内村はまたも嫌な笑みを浮かべて睨んできた。

にらみ返そうとすると牧野が「英太。お前のライバルはオレだ」と言ってきた。

「牧野?」

「内村なんかほっとけ。ああいうヤツに妙にライバル心出し過ぎてうまく走れなくなるぜ」

 

 

準備体操とウォーミングアップを終わらせ、周りを見るとみんな戦闘モードに入っている表情をしていた。

普通の合宿とは違って、他校の選手もいるわけだから負けたくない気持ちが強く出る。

ぼくだって負けたくない。牧野にも、そしてやっぱり内村にも。

そういえば名高とか未華はどうなんだろうと思い、二人を見てギョッとした。

名高は瞑想する様に目を瞑って立っていた。静かなオーラが全身から溢れているかの様だ。

そして目を開けたかと思うと一瞬だけ秋津伸吾を見た。

未華は百草高校エースの古淵由香里さんに拳を突き出して「勝つ!」と宣言した。

スゲエ気合・・・。

まるで公式戦のレース前みたいな気迫と覚悟だ。思わず鳥肌が立った。

ぼくも集中して走らなければ!くるみとかメールの事は夜に考えよう。

 

 

「じゃあ行くぞー」

どうやら自分も走るらしい真木先生に代わり、五月先生が号令をかける。

みんなが集まり混雑した中をススッと内村一志が寄ってきて言った。

「ここで実力を思い知らせてやるよ」

さらにヒヒっと笑い内村はぼくから離れた場所に陣取った。

「負けないって・・・」

小声でつぶやくぼくに隣の牧野が驚く事を言った。

「だから内村なんてほっとけ。オレと英太が追うのは町田さんだよ」

「ま、町田さんを?」

思わず牧野を見入る。

牧野は「当然だろ?」と笑った後、言葉を続けた。

「内村も強敵だけどさ・・・実力拮抗した相手だろ?うちらは今より上の相手を見ようぜ。名高と未華みたいにさ。そうすりゃ内村にもきっと勝てる」

そう言って笑った牧野を見てぼくは自分の覚悟が足りない事を自覚した。

みんな前を見ている。上を見ている。そして足元も疎かにはしていない。

目の前に次々とライバルが現れる合同合宿で、みんなの意識が変化しつつある・・・。

そんなら遅れていてたまるか!

ぼくだって、遅れてる場合じゃない!追っかけて追っかけて必ず追いつき追いぬいてやる!牧野も内村も!そして・・・・町田さんにも!

この練習を戦い抜けて勢いそのままバーベキュー大会でくるみにも挑んでやる!

 

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2009年8月 3日 (月)

空の下で-向日葵(11) 夏の行方(その10)

伊香保合宿で一番キツイという練習がスタートした。

午後とあり日差しが強く、腕や首に感じる暑さがハンパじゃない。

今回のコースは長いので何か所かに給水ポイントが用意されているとの事なので、水分の補給だけはキチンとやらないとマズイ。

練習中に水を飲むなんてたるんでる!!なんて昔の運動部顧問の人はよく言ったそうだけど、飲まないのは熱中症に繋がるだけだ。

 

 

男子も女子も集団のまま観光客で賑わう伊香保の街を駆け抜ける。

観光客の人からすれば本当に一瞬で駆け抜けていく感じだろう。

今ここにいたかと思えば、あっというまに道路の遥か先の方へと消えていく。

それが長距離ランナーだ。

 

 

伊香保の街を出ると、登り坂が続いた。

榛名湖に向かう二車線の道路のハジを走る。

山という事でセミの鳴き声が鳴り響いているし、時折何かの虫が飛んでいて顔に当りそうになってビックリする。

ここで男子も女子もほとんどが集団から遅れていった。

前にいる秋津伸吾と名高、雪沢先輩、町田さんが四人で一気に坂を登って行く。

続いてぼく、牧野、内村、未華、古淵由香里さんがひと固まりになって進む。

登れど登れど坂道は終わらない。

綺麗な緑色の木々に囲まれた登り坂を息を切らして一歩一歩進む。

油断するとすぐに遅れそうになる。ぼくは坂道が苦手だから。

それでも腕を一生懸命振り、足を精一杯上げ、歯を食いしばり付いて行く。

登り坂なのになかなかぼくが遅れていかないので内村が「チ」と言うのが聞こえた。

その時、牧野と未華がニヤっと笑ったのが見えた。

 

 

急に視界が開けた。

どうやら山の頂上へと到着したらしい。

道路のハジに景色を眺めるスペースがあり、そこに五月先生がいた。

「給水だー!!」

どうやら車で先回りしたらしい五月先生は長机を設置していて、そこに紙コップが置かれていた。

紙コップを手に取り、口に含む。

甘い。スポーツドリンクだ。

走りながら少しずつ喉へと流し込み、コップを投げ捨てる。

「プロっぽいぜ!!」

牧野がそう言って加速した。

どうやらここから下り坂になるらしい。一気に前に出た牧野を古淵さんと未華が追う。

そこからやや遅れてぼくと内村が続いた。

 

 

長い長い直線の下り坂だ。

遥か先まで一直線に下り坂が続いているので、ずーっと前を走る秋津伸吾の姿が米粒の様に小さく見えた。

秋津の少し後ろには名高らしき姿が見え、その少し後ろに雪沢先輩と町田さんがいる。

そこからはだいぶ離れて牧野・未華・古淵さんという感じだ。

まるで直線のジェットコースターの様な道をグングンと加速をして走る。

いつもよりスピードが速くなってしまうので、転んだりフォームが崩れたりしない様に気を付ながら内村と並走する。

 

 

下り切ると湖が見えてきた。榛名湖だ。

女子はここでゴールとなる。榛名湖の湖畔では未華と古淵さんが歩いているのが見えた。

すでにゴールしたという事だろう。果たして勝ったのはどちらだったのか・・・。

一目でわかった。

未華が悔しそうな顔をしているのが見えたからだ。

そうか・・・未華は古淵さんに負けたのか・・・。

でも大差は無かったはずだ。きっとそのうち勝てる。

勝手にそう解釈してぼくは内村と一緒に平坦な榛名湖を走った。

 

 

あまりアップダウンの無い榛名湖の周りを内村とずっと一緒に走った。

一緒にいたい訳じゃあない。出来れば違う人と並走したい。

でも内村の前に出ればすぐに追いついてくるし、内村が前に出た時はぼくが必死にくらいついた。

そんな事を繰り返しているうちに榛名湖は全部二人きりで走りぬいてしまった。

 

 

入道雲が立ち登り、辺りは日陰になった。

日陰の中を最後の登りにさしかかる。

この登りはさっき下った長いジェットコースター直線だ。今度はここを登る。

またもずっと先まで見える。

少し先に牧野がいて、その少し前に町田さんが見える。

後ろを振り返ると染井が追ってきていた。

「はあ・・はあ・・スゲーな染井・・・一年なのに・・・」

感心していても仕方ない。横にいる内村より早く山を登らなくては・・・。

しかしもうスピードを上げるどころか腕を振るのも必死な状態だった。

少しずつ速度が落ちるが内村も同じらしくぼくより前に行く事は無かった。

 

 

「はあ・・・はあ・・・」

一歩一歩。前へ、前へ。

自分の進む地面を睨みつけながら進む。

なんだかもう歩いているのと大差ない速度だ。

「英太ー!!ラスト踏ん張れーー!!」

牧野の叫び声が聞こえた。

ハッとして前を見るとゴールの山頂が見えていた。残り50mほどか。

町田さんも牧野もゴールしたらしくこっちを見ている。

それでも内村にだけは負けたくないから足を前へと運ぶ。

「うおー!!」

思わず気合の雄たけびが出た。

叫びながらゴールし、内村を探すと、ヤツはまだ100m近く後ろを走っていた。

「あ・・・あれ??」

どうやら登ってる途中で置き去りにしたらしい。進むのに夢中で気がつかなかった。

「はあ・・・はあ・・・か、勝った!」

「やったじゃん」

嬉しくて牧野とハイタッチしたんだけど、もう腕が上がらなくって、ハイタッチにならずに牧野の顔面を叩いてしまった。

「な、なにすんじゃー!!」

 

 

すがすがしかった。

内村に勝ったのも理由の一つではあるんだけれど、久しぶりに必死に誰かを追えた自分に納得が出来たからだった。

この気持ちを切らさずに行こう。

これからの陸上の練習もそうだし、今日の夜、くるみをデートに誘うのも・・・だ。

恋愛だって、必死じゃなくちゃ。

そう、今夜のバーベキュー大会でぼくはくるみをデートに誘い、牧野は未華に告白する。

・・・予定なのだ。ドキドキしてきた。

 

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2009年8月 6日 (木)

空の下で-向日葵(12) 夏の行方(その11)

夏だというのに涼しい風が吹いていた。

練習後、いきなり豪雨が伊香保を襲ったからだ。

黒い雲が遠くの山から現れ、物凄い轟音の雷と共に雨が叩き落ちた。

ぼくらはすでにホテルに到着した後だったから助かったのだけど、夜のバーベキュー大会の買い出しに出かけた淵野辺先生と数人の生徒はビショ濡れになっていた。

二時間もすると雨は止み、夕日が差し込んできた。

その夕日に雨が照らされ、遠くの山には虹がかかった。

「虹だ・・・」

窓から虹を見つけてぼくが呟くと牧野は「二時間だけにな」とよくわからない事を言った。

ややオレンジ色になりつつある空にかかる虹を見ていたら、何かが起きる様な予感がした。

漠然とした表現だけど、そんな予感がしたんだ。

 

 

虹が消え、夕日に照らされたオレンジも色が濃くなっていき、辺りが暗くなり始めた頃、みんな駐車場に作られたバーベキュー会場へと集まっていた。

伊香保に来てから三日目の夜だ。

練習に向かうために駐車場に集まるのとは違い、みんなラフな格好で集まっている。

ぼくもズボンこそはジャージのまんまだけれど、Tシャツは練習用のものではなくて、少しかわいいイラストプリントの入った私服だ。

駐車場にはテーブルやイスが用意され、真ん中の大きなテーブルにはバーベキュー用の巨大サイズの鉄板が置かれていて、五月先生が「焼くぞー!」と言って肉と野菜を豪快に焼き始めた。

すぐに大山も焼くのに参加し五月先生はその素早さに驚いた。

「大山!肉を焼くのウマイな!手慣れてるっていうか!」

「はい。肉を焼くのだけは誰にも負けません」

大山は汗をダラダラと垂らしながら微笑む。また痩せそうだ。

肉と野菜は五月先生と大山と剛塚が次々と手慣れた感じで焼きまくって紙のお皿に乗せて配った。

剛塚が焼いている姿は何だか縁日の怖いオジサンみたいだ。

「ほれ、食えよ英太」

何故か強気な口調で剛塚に肉を渡されて食べる。

「あっつ!!でも美味しい!!」

「祭りはまかせろ」

各高校の生徒も焼いたり食べたりと楽しそうに過ごしている。

それを見て改めて部活っていいな・・・って思う。

いつもはそれぞれがライバルで、お互い勝ったり負けたりと必死に戦っているのに、練習が終わればこんなに楽しい時間を過ごせる仲間になれるんだ。

そんな空気が流れているからなのか、それはわからないけど、珍しく名高が声高に話しかけてきた。

「おう、英太。肉、ウマイな」

「名高。うん、美味しいね」

「どうだったよ。今日の練習は。内村一志に勝ってたじゃんかよ」

そんなの見ててくれたんだ・・・なんて思う。練習中の名高は自分の事しか考えてないのかと思ってたから。

「うん、一応ね。ここのところ内村には連敗してたから今日は勝てて嬉しかった」

「へっ。そんなのゴールした時の英太の表情でわかったけどな」

名高は何故だか楽しそうに笑っていた。

「オレは負けたよ。秋津に。この合宿中、一度も秋津に先行した瞬間が無い」

そう言っていても名高には暗い顔は無い。

合宿前半は秋津に負けるたびに厳しい表情をしていたのに、今は違う。

「まだ勝てないな、秋津には。それがよくわかった合宿だったな」

「そうかあ・・・秋津伸吾ってそんなに凄いんだね」

「ああ、スゲエ。でもよ」

「でも?」

「それでも、いつかはオレが勝つけどな。必ず!」

一瞬、名高は真剣な眼差しをした。その眼差しは未来を見ていた様に思う。

近い未来、公式戦で戦う秋津を見ていたに違いない。いや、秋津を抜き去る瞬間を。

 

 

バーベキュー大会も終盤に差し掛かり、淵野辺先生が何か大声で演説を始めていた。

しかし酔っているらしく意味のわからない話をしているので聞いているのはヒロだけだった。

ぼくは未華に呼び止められた。

「英太くん、英太くん」

「あ、未華。今日は古淵さんといい勝負だったね」

言ってから「しまった!」と思った。なんて無神経な事を言ったんだ・・・と顔をしかめる。

「ご、ごめん・・・」

「何謝ってるんだよ。別に気にしてないよ。今はもう。いつかは私が勝つんだしさ」

「未華・・・」

名高と同じような事を言うんだな、と感じる。

未華も名高と同じく合宿前半では古淵さんに負けるたびに機嫌が悪くなっていったのに、今はもうあっけらかんとしている。

「暗い顔すんなって英太くん!古淵さんには近いうち勝つからいいよ。逆に古淵さんと毎日戦えてスッゴク勉強になったしさ」

笑ってぼくの肩をたたく未華。痛いよ・・・

その未華が急に真顔になる。

「英太くん・・・今日誘うんだよね。くるみをデートに」

「う、うん。誘うよ」

「そっか。ドキドキするね」

ドキドキするのはぼくだよ。未華じゃないでしょ。

そこへ牧野がゆっくりとこちらへ歩いて来るのが見えた。バーベキューのための炎に照らされた顔が少し強張っているけれど、目には覚悟が感じられた。

ぼくはその表情を見て「ああ、ホントに言うんだ」と思い未華に言う。 

「その前にさ・・・未華の出番があるんだよ」

「なにそれ?」

不思議そうな顔をする未華に牧野が声をかけた。

ぼくは少しだけ二人から離れる。

行け、牧野。これまでの一年半の想いをぶちまけろー!!

 

 

ぼくは二人の声が聞こえるギリギリの距離まで下がって地面に座り野菜を食べていた。

未華と牧野の声がかすかに聞こえる。盗み聞きをしよう、と思った。

「未華。ちょっと話があるんだけどいいかな」

「え?いいよ。あれ?英太くんどこ行ったんだろ」

「英太はいいよ、ちょっと二人で話したいんだ」

おお・・・やっぱり言う気なんだな・・・。

「何の話?」

「いや、その、最近いいギャグが思いつかなくってさ」

「はあ?」

なんだそれ?!ちゃんと告白しろっての!!訳わからんじゃないかって!

「なにそれ?相変わらずアホだね牧野って」

「いやあ・・・へへへ」

照れる場面じゃないっての!!未華が苦笑いしてるよ・・・。

「いや、それでさ、ギャグが思いつかないってのは・・・その、他に考える事があって、そればっか考えててギャグとかどーでもよくなっちゃってさ」

「まあ・・・ギャグって最初からどーでもいい気がするけど。何か考え事がある訳だ。それを私に相談したいって事か!いいよ、何でも言ってみ!」

「相談・・・じゃないけど」

「何だよ水くさいなー。考え事って何だよ。私と牧野の仲じゃん。言ってよ」

未華は気分良さそうに笑っている。鈍感だなあ・・・

「じゃ、言うけどさ・・・。えーと、まあなんだ、好きなんだよ」

笑っていた未華が真顔になるのが見えた。

「は?な、何が?」

「何っていうか、好きな人がいるんだ」

「す、好きな人・・・?だ、誰?」

ここでやや間があり、周囲の騒がしさが辺りを包んだ。

そして牧野は力強く言った。一字一字、よく聞こえる様に。

「オレ、好きなんだ。未華が」

その瞬間、息を呑んだ。ぼくも、牧野も、未華も。

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2009年8月13日 (木)

空の下で-向日葵(13) 夏の行方(その12)

人生には覚悟が必要な時がある。

 

ぼくが初めて牧野と話したのは中学一年の時だった。

どうやら小学校も同じ学校だったらしい牧野だったけれど、会話をしたのは中学一年の時からで、いつもくだらない事ばっか話してる楽しいヤツだなあという印象だった。

牧野とは違う部活だったから、牧野がどんな陸上部員だったのかはよく知らない。早くもなく遅くもない。そんな事を内村一志が言っていた事があるから、そうなのかもしれない。

高校に入って一緒に陸上部に入り、これまで一年半ずーっと一緒に走ってきた。

相変わらずくだらない事ばかり話す牧野だったけれど、ぼくやたくみと接戦になれば目がキリリとしっかりとし、真面目な発言をしたり、相手と健闘を称える事を言ったりするヤツだった。

そんな牧野が入部当時から気に入っていたのが大塚未華だ。

一番最初の顔合わせの時から牧野は「おい英太、あのコかわいくない?」なんて言っていた。

初めのうちは外見だけ見てそう言っていたっぽいんだけれど、長い時間を同じ部活で過ごしているうちに牧野は本気で未華の事を好きになっていた。

「オレ、今度の合同合宿で未華にコクろうと思う」

合宿前、牧野がそう宣言したのを聞いてぼくは鳥肌が立った。

人が人に「好きだ」と告白するのはすごい覚悟が必要な事だと思ったからだ。

ましてや牧野と未華は同じ陸上部だ。もしフラれたとしても次の練習の日からはまた顔を合わせなくてはいけないんだから、相当の覚悟が必要だと思う。

今、大駐車場の端に立ち、未華の顔をまっすぐ見て「好きだ」と言った牧野を見て、ぼくは牧野の覚悟を想像して全身がブルッと震えた。

対して未華は目をキョロキョロと泳がせていて動転している感じだ。

「え?あ、あたし・・・?ま、牧野が??ちょ・・・ちょっと待って・・・えっと・・・」

何故か額の汗を持っていたタオルでふき取る未華。未華があんなに動揺してるのは初めて見た。なんかちょっとかわいい。

「きゅ、急すぎるよ。こんな所でいきなり好きだって言われてもさ・・・」

「急なのはわかってるんだけどさ・・・。なんていうか・・・、もう自分の気持ちを隠してるのが限界って感じで・・・ごめん」

どういう事か謝る牧野を見てぼくは噴き出しそうになった。なんで謝るんだか。

「あ、謝らないでよ。急だけど・・・好きって言われて嬉しくない事は・・・・・・ないんだからさ」

「え・・・」

今度は牧野がオドオドしだした。さっきまでは未華の顔をまっすぐ見ていたのに、急に視線が泳ぐ。

そこから二人は沈黙になってしまった。

沈黙してたのは一分もなかったと思うんだけど、ものすごい長さに感じられた。二人とも何か次の言葉を探している感じだ。

いつもいつもくだらない会話で盛り上がっている牧野と未華なのに言葉が思いつかないなんて事があるのか、と思う。

その沈黙を破ったのは牧野だった。

「それでさ・・・もし!もしよかったら、オレと付き合ってもらえないかなって」

一回目の「もし」をやたらと強く言った。

「付き合う・・・・」

未華が呟く。

そして再び沈黙が流れ、またも牧野が沈黙を破る。

「返事は今度でもいいからさ。今日はとにかく気持ちを伝えたくって。オレ、未華と一緒にいるとすげえ楽しくってさ。練習で辛い時も未華と話してると、辛い事も吹き飛ぶって言うか」

「牧野」

急に未華が牧野の言葉をさえぎった。牧野もそうだろうけど、ぼくもドキリとした。

「な、なに?未華」

「返事、今するよ。こういう答えに時間をかけるって変でしょ?答えはYESかNOかしか無いんだからさ」

「お。おう」

ここで少し間を空けてから未華は一人、頷いて返事を口にした。

「答えはNOだよ」

「え・・・そ、そうか・・・」

NO・・・か。それが何を意味しているのか理解するのに数秒かかった。

「そっか・・・。じゃ、じゃあ悪かったな、変な事言っちまって。わ、忘れてくれよ」

「忘れないよ」

未華は強い口調でそう言い続けた。

「あたし、今すごく部活に燃えてるんだ。絶対に古淵さんに勝つって気持ちに火がついたトコなんだ。この気持ちを今は別の事に向けたくないんだ。だからさ・・・」

未華は唾を飲み込んだ。未華もまた覚悟が必要な事を言おうとしている気がした。

「だからさ、あたしの本当の気持ちは、秋の新人戦で古淵さんに勝った後に伝える」

「未華・・・」

未華は顔が真っ赤だった。でも、ホントに未華らしい答えだ。

「それと一つ、あたし、自分より遅い選手と付き合う気は無いからよろしくね」

「それは・・・」

ぼくも牧野も未華とは接戦なんだけれど、未華の方がやや実力が上だ。

「それは心配すんな」

ここで牧野と未華は笑った。

お互いに試練を課し合いながらも優しい笑顔だった。

大丈夫、きっとこの二人はうまくいく。そう確信した。

 

 

ドサっと音を立てて、座っているぼくの左隣に内村が腰を降ろした。

「よう、英太。今日はやられたよ」

内村はぼくの顔を見るでもなくそう言い、「食えよ」と言って肉の入った紙皿を渡してきた。

「何の用だよ」

ぼくが冷たく言うと内村は「冷てえヤツだな」と甲高い声で笑ってから、くるみを指差した。

「あのコ、かわいいな。英太んとこの学校だろ?」

ギクリとした。まさか内村はくるみに目を付けたのかと勘繰る。

「だ、だから?」

「英太が好きになりそうなタイプじゃね?」

「なんでだよ」

「オレもあのコ、タイプだから。中学の時も一緒だったじゃん、好きな人。ほら、長谷川麻友とか」

嫌な笑いを浮かべる内村を見て、ぼくは少し腹が立った。

「だからよ。ちょっと英太に忠告しとこうかなと思ってよ。たまには親切だぜ?オレも」

「何が」

「あのコ、彼氏いるよ」

「は?」

一瞬、大きな地震でもあったのかと思うくらい視界が揺れた。

なんか内村が訳のわからん事を言うからだ。こいつの事を信用しちゃいけない。

人を陥れるのが好きなヤツだ。ぼくが今日、練習で内村に勝ったからって嫌がらせをしようという魂胆に違いないんだ。

「何言ってんだよ内村」

「だってさっきあのコが携帯で電話してるの聞いちゃったんだもんよ」

「電話?」

「そう。『じゃあ来週二人でスイーツ食べに行く時ね、柏木君』って。これって柏木って男と二人で出掛ける関係って事だろ?」

カシワギ??柏木って、柏木直人か?

あいつ!くるみとスイーツデートなんて約束してたのか?

くるみはそれに行くって事?

「この内村様の推理ではね。あのコはその柏木君ってヤツの事が好きなんだよ」

間に受けるな、こいつの話を。間に受けちゃだめだ、きっと・・・。

ぼくは立ち上がり、くるみの方へと歩きだした。

「おい英太、どうしたよ」

呼びとめる内村の声を無視してぼくはくるみに話しかけた。

「あ、くるみ、ちょっといい?」

するとくるみをぼくの顔を見てから、こう答えた。

「ん?うーん・・・また今度でいい?」

そう言ってくるみは早川と一緒に雑談を始めた。

何か、おかしい。

何か、おかしくなりつつある。

ぼくは内村を振り返るが、内村はすでにチームメイトと違う話題で盛り上がっていた。

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2009年8月20日 (木)

空の下で-向日葵(14) 夏の行方(その13)

バーベキュー大会は真木先生のスピーチで幕を閉じた。

「まだ明日も練習があるけど、あと一日だからって気を抜く事のないように!」

ぼくはその話を聞き、頭では理解しているのだけど、視線はくるみの方に向いていた。

今日の朝あたりから、くるみの様子が少しおかしい。

と、言うかくるみのぼくに対する態度がいつもと違う。

どこか冷たいというかそっけないというか・・・。ぼく、何か言ったんだろうか。

それとも、くるみと未華に見られてしまった「長谷川麻友さんへのメール」が何か悪い印象を与えてしまったんだろうか。

あのメールを読めば、ぼくが長谷川麻友という人と一緒に映画に行くってのはわかってしまう。

それで未華は「長谷川麻友って誰だよ」と聞いてきたくらいだ。

でもくるみにはその類の質問はされていない。と言うか、何だか話してもくれない。

一体どうなっているのか・・・訳がわかんなくなってきた。

これじゃ、合宿終わったら二人で出かけようなんて言える訳もない。

 

 

バーベキュー会場となっていた駐車場を出てホテルのロビーに入ると、牧野が幸せそうな笑顔で話しかけてきた。

「よ!英太!!」

なんだかバカに声がデカイ。

「どうだった?」

ぼくは牧野と未華の会話を聞いていたってのにわざと聞いてみた。意地悪いよね。

「おう。今はこのままだけど、フラれたって事でもないぜ」

親指を立ててグーサインを出す牧野。ぼくは「ち」と言って笑った。

「おいー、ちって何だよ」

ぼくの肩を思いきり叩く。痛い。テンション上がりすぎだ。

「いって!!何すんだよ。悪い結果じゃないなら叩くなよ」

「ワルイワルイ」

全然悪ぶれてない。こいつは・・・昔からこうだ。

「でもよ。やる事が出来たよ」

「や、やる事?」

牧野はいきなり真顔になったのでたじろいだ。

「そう。オレ、未華より早くならなくちゃならねえ。あいつは、自分より遅い選手と付き合う気は無いって言うんだ。だから、オレはこれからとにかく早くなるつもりだ」

「そ、そうか・・・」

牧野の目には、さっき未華に告白する直前と同じ様な、覚悟の色が浮かんでいた。

「ぼくも、覚悟を決めないとな」

 

 

その夜の事だ。

ぼくはこの夜の事は忘れられない。

いや、正確に言うと「忘れたいのに忘れられない夜」だ。

消灯時間になり、大部屋の電気が消された後、ぼくは何故だか眠れないでいた。

暑いからというのもあるし、さっきの牧野の告白の事もあるし、くるみに微妙に冷たくされてるって事もあるし、長谷川さんへのメールをどうしようかって事も考えていたので、目が冴えてしまっていたのかもしれない。

とりあえずは長谷川さんへのメールをどうしようかと考えていた。

寝ぼけていたとはいえ、長谷川さんと映画の約束はしてしまっている。

しかもこの合宿のすぐ後だ。

映画には行ったとしても、長谷川さんと出かけるのはその一回だけにしよう。

それとも約束してしまったけれど、今からでも断った方がいいか・・・。

そうだよね。長谷川さんにはキチンと断った方がいい。

そんな事を考えている間に時間がどんどん過ぎていく。

ふと、トイレに行きたくなり、布団から出て大部屋を物音を立てない様に静かに歩き、廊下へ出る。

トイレは大部屋のある二階ではなく一階にあるので、廊下を歩き階段を降りる。

小さな電球しか点灯していない一階の廊下には窓から月明かりが差し込んでいた。

男子トイレの扉を開き、中へと入る。

静かだった。

一階に宿泊している先生達や女子達の声も聞こえない。

聴こえてくるのはトイレの窓の外からの虫の音だけだ。

だからこそ聞こえたのかもしれない。

聞かなくても良かったあの声、あの言葉を。

それは多分、男子トイレの近くにある洗濯室という部屋からの声だったんだと思う。

思う、と言うのは、その方向から声が聞こえてきたからそう推理出来るというだけで、実際に目で見たわけじゃないからだ。

でも確かに聞こえた。くるみの声が。

恐らく、こっそりと部屋を抜け出して、携帯電話で電話している声だったんだと思う。

「わかった。じゃあ五日の午後七時に調布駅の改札前で待っててね」

くるみの声が聞こえてぼくは身動きが出来なくなった。

今、トイレから出て行くと、その物音でくるみに気付かれてしまいそうな気がしたからだ。

どうしようかと思いトイレ内で悩んでいると、顔面を殴られたかと思う様な衝撃の言葉が聞こえてしまった。

「今回も二人で会うってのは秘密でお願いね。だから柏木君も誰にも言わないでね。まだ、バレたくないんだ」

膝が折れて座ってしまいそうになるのを何とかこらえた。

辛い練習を乗り越えてゴールした直後の様な、強烈な疲労感が体を襲う。

「え?英太くん?知らないよ。それより調布駅でね。じゃあまた電話するね。うん、おやすみ」

ポ。というマヌケな電子音が鳴り、その後でくるみが部屋に戻っていく足音が聞こえた。

ぼくはしばらく立ち尽くしてからトイレを出て大部屋に戻った。

・・・のだと思う。この辺りの記憶はあまり無い。

 

 

翌日、合宿最後の練習は軽いメニューのものだったのだけど、全く気合が入らなかった。

いつも接戦の牧野や内村からはるかに遅れ、染井や穴川先輩よりも後ろを走っていた。

五月先生に「真面目にやらんか!」と怒鳴られ、真木先生に「気持ちいれて」と言われても全く身がひきしまらないまま練習を終えてしまった。

「たまにはそんな日もあるよな」と牧野が言ってくれたが、未華とうまく行きつつある牧野の言葉を聞く気にもなれなかった。

唯一、大山だけは「英太くん、何かあったの?」と心配してくれたけど、昨日の夜の事は言えなかった。

何か言うと涙が出そうな気がして、誰ともほとんど会話をしないまま、合宿は終わった。

 

 

疲労感たっぷりのまま一人、八王子の自宅に着くと、家には誰もいなかった。

母親も弟も出かけているらしい。

シャワーを浴びて、自分の部屋のクーラーをつけて、ベッドに寝転がる。

何も考えたくなかった。

その時だった。携帯電話に着信があった。

長谷川さんからのメールだった。

『今日で合宿終わりだったっけ?明日だっけ?どっちにしろお疲れさまー。こないだ言っていた映画、どうしよっか?』

ぼくは何も考えず、長谷川さんへメールではなく、初めて電話をかけた。

二人で映画に行く約束をするために。

・・・もういいや、長谷川さんと一緒に出かけよう。

 

 

空の下で 向日葵の部「夏の行方」編 END

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2009年8月24日 (月)

空の下で-向日葵(15) 迷走(その1)

合宿から五日間は部活も休みとなった。

その三日目である八月三日、午後三時というとんでもなく暑い時間に、ぼくは多摩センターの駅へと降り立った。

買ったばかりの爽やかなジーンズに、お気に入りのメーカーのイラスト入りの薄いブルーのTシャツを着て、駅から北へ続く歩行者しか通れないレンガ道を歩く。

しばらく進むとレンガ道の十字路があり、その中央には大きな一本の木がそびえ立っている。

その木の影に隠れるように長谷川麻友さんはいた。

「長谷川さん、お待たせ」

声をかけると長谷川さんはちょっと首をかしげながら笑った。

「久し振りだね相原くん。焼けたね」

ほんのりと薄いピンク色柄のチュニックを着こなす長谷川さんは、運動部の女子には無い儚い雰囲気が漂っていた。

女のコっていう感じ・・・と言ったらおかしな表現になるけれど、ぼくが普段会話している女子とは違って大人しそうな感じがする。

「やっぱり陸上部の人って焼けるんだね」

「うん、まあ毎日外で練習してるからね」

「ちょっと強そうに見えるよね、色黒だと。相原くんってそういうイメージ無かったけど」

「え?ダメかな」

長谷川さんは鼻の先っぽを指でかきながら何かを考えている様な間を空けた。

この仕草は前に梅雨の時期に遭遇した時もしていた。

「ダメじゃないよ。私の中で、相原くんって吹奏楽部のイメージが強かったからだよ」

「ずいぶん前のイメージだよ」

「そうだよね。もう高校二年だから、二年前のイメージだね」

歯を見せずにニコリと笑う。前に会った時と違い髪が少し長くなり、後ろで纏めている。

映画までは時間があったので、この十字路の近くにあるカフェに入った。

カフェ・・・には本当はくるみと来たかった。

つい先週まではそう考えていたし、今も長谷川さんと二人でカフェに入るのには少しだけ違和感がある。

 

「今回も二人で会うってのは秘密でお願いね。だから柏木君も誰にも言わないでね。まだ、バレたくないんだ」

 

合宿最後の夜に聞いたくるみの言葉が鮮明に蘇る。

くるみは柏木直人と二人で会う関係になっている。それを確信する言葉だった。

一体いつの間に・・・それを考えると胸が苦しくなって食欲もなくなる。

「どうかした?」

長谷川さんに聞かれて現実に戻る。

「え?」

「なんか怖い顔してたよ?おいしくなかった?ここのカフェ」

「あ、そういう訳じゃないってば。ちょ、ちょっと考え事してたかも」

「そうなんだ」

そのままお互いの近況を話しだした。

ぼくは陸上部に入って練習が大変だけど楽しくて、試合に出た事とかを。

長谷川さんは英語が得意になってきて、カナダからの留学生と少し話せる様になった事とかを。

 

 

映画館に入り、ヒット中の映画のチケットを買い、座席に向かった。

カフェでは向かい合って座っていたんだけど、映画館では隣に座る事になる。

意外と長谷川さんと近い状態になるので腕とかが触れ合わないように気をつける。

ここでもやはり「くるみと来てみたかったなあ」とか一瞬考えた。

「また難しい顔してる」

長谷川さんは鋭い人だ。くるみの事を考えていたのはほんの数秒だったはずなのに、表情から何かを察している。

「え・・・いや、えっと・・・なんか隣に座るのが恥ずかしくてさ・・・」

「そ、そう?」

そう言われる方が恥ずかしいのか長谷川さんはまた鼻をかいた。

 

 

映画はほのぼのとした犬のストーリーだった。

気楽に見れて良かったけれど、一回だけ若い俳優の軽いキスシーンがあり、その時は横にいる長谷川さんを意識してしまい顔が熱くなった。

すっかり忘れてたけれど・・・、ぼくは中学時代、この人が好きだったんだよな、と思いだす。

チラッと長谷川さんの方を見ると、横顔が相変わらずかわいかった。

中学の時は下校こそ一緒にした事があったものの、二人でこうして出かけるなんて出来なかった。

それが今はこんな展開になってしまっている。

これって一体どんな運命なんだろう・・・。

 

 

映画館を出ると、辺りは薄暗くなっていた。

さっきのレンガ道には西洋風のお洒落な外灯が灯っていて、その灯かりの中をカップルや家族連れが歩いている。

「ちょっと、歩こうよ」

長谷川さんはそう言い、ぼくの返事を待たずに歩きだした。

ぼくは慌てて長谷川さんの横に並び歩く。

レンガ道を十字路より先に進むと広大な公園が広がっていて、そこの真ん中には大きな噴水が出ていた。

噴水は水中から色とりどりにライトアップされていて、長谷川さんは歩くのを止めてそれをボーっと見だした。

どうやらここはカップルには有名な場所らしく、噴水の周りには何組かのカップルだけが佇んでいる。

「相原くん」

唐突に長谷川さんが言った。でも顔は噴水の方を見たままだ。

「ん?」

「また、会ってもらってもいいかな」

一瞬、答えに迷う。

それはやはり、くるみの事を考えたからだ。

くるみは柏木直人とうまく行きそうな感じだ。

でも、まだ何とかぼくが入るスキマは無いだろうか。

いや、もしかしたら前はあったのかもしれない。一緒にお茶とかしたくらいだから。

だけど合宿で長谷川さんと会う約束をするメールを偶然見られてしまった。

未華が言うにはくるみは「英太くんには長谷川麻友という好きな人がいる」と思ったという。

だとすると、柏木とうまく行きつつある今、ぼくはくるみとはこれ以上進めない気がする。

じゃあ・・・それなら・・・、このまま長谷川さんと仲良くなっていってもいいんじゃないか・・・。

「いいよ。また会おうよ」

そう答えると、長谷川さんはまた鼻をかいて笑った。

「今、ちょっと迷ってた?」

ギクリとする。なんて鋭い人なんだ。それとも女子ってみんな鋭いのか。

長谷川さんと問いに、ぼくは答えに詰まってしまった。

すると長谷川さんは再び噴水に目をやって言った。

「もしかして、彼女とかいたりする? ・・・それはないか。彼女がいるなら私と二人で会ったりしないもんね。相原くんならそんな事しないよ」

長谷川さんはまるで自分に言い聞かせるみたいに言い、ぼくを見た。

「あ・・・ごめん。変な事を聞いちゃって・・・」

ここでやっとぼくは気がついた。本当にやっと・・・だ。

もしかして・・・長谷川さんはぼくに好意を持ってくれている?

「えっと・・・いや、彼女とかはいないんだけど・・・」

「けど・・・?」

長谷川さんはそう問いかけて、「あ・・・」と声を出して何かに気づいた様な顔をした。

「そ、そうか・・・そうだよね・・・」

そう言って長谷川さんは「ごめん」と言った。

「え?何で謝るの?」

「えっとね・・・。ううん、何でもないよ。今日はこれで帰るね」

いきなり帰ると言い出した長谷川さんを見て、ぼくは思った。

長谷川さんはぼくに好きな人がいると気付いた・・・?

「じゃあ、相原くん、またね」

「うん・・・またね」

そう言って長谷川さんは少し駆け足で公園から出て行った。

「またね・・・か」

 

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2009年8月27日 (木)

空の下で-向日葵(16) 迷走(その2)

八月六日。

今日から陸上部の練習が再開される。

実は昨日は眠れなかった。

八月五日は、くるみと柏木直人が調布駅で落ち合っているハズの日だったからだ。

何度も何度も調布駅に行きたくなったけど、そんな事をしたって何の意味も無いので家で弟とテレビゲームなんかしてた。

テレビゲームをしていてもくるみと柏木がどんなデートをしているのかが気になって落ち着いていられなかった。

夜なんかドラマ見ていたら、主人公に彼女が出来て、腕を組んで歩いてる場面があって、それをくるみと柏木に重ね合わせてしまって叫びたくなった。

 

・・・そばにいてほしい。

 

こんなに強く思った事は無い。

今までももちろん好きだったけど、ついにくるみが他の男の人とくっつくかもしれない状態になり、焦りと共に想いはますます強くなった。

こんな気持ちになるのには他にも理由があって、長谷川さんと出かけた事も影響しているんだと思う。

長谷川さんと一緒に半日を過ごして、やっぱり長谷川さんはかわいくて良い人だったんだけれど、ぼくはくるみが好きなんだと再認識する事になったんだ。

長谷川さんには物凄く悪い表現になるんだけど・・・、ぼくは長谷川さんではなく、くるみと映画に行きたかったんだとよくわかった。

でも、それはもう叶う事の無い出来事へとなっていっているのもわかっていた。

そうして再開された練習初日。

九月にある新人戦へと向けてそれぞれが気合いを入れなおして練習に臨む。

 

 

学校に行き部室に入ると、間の悪いことにくるみしかいなかった。

「あ、おはようくるみ」

くるみはぼくを見るなり、無言で部室から出て行こうとした。

「ちょ・・・!ちょっと待ってよ!な、何で逃げるの?」

「う、うん。おはよう」

ぼくの顔を見る事もなく、くるみは小さくそう言って部室から出て行く。

「くるみってば!」

追いかけようとしたら、早川舞がやってきた。

「おはよ。英太、くるみ」

するとくるみは早川に変な事を言い出した。

「あ、マイちゃん。ちょっと話いいかなあ?マイちゃんに言いたい事があるんだ・・・」

「話?いいよ。あっちで話す?」

「うん。二人きりで話したいんだ」

そう言ってくるみと早川は部室から離れた所に歩いていった。

 

 

練習中、ぼくの頭の中はパニックだった。

どう考えてもくるみはぼくを避けてる。

何故なのかサッパリわからない。

やっぱり長谷川さんへのメールを見られたのが原因なのか?

でも、長谷川麻友という人物と会うってわかっただけで避けられてしまう事ってあるのか?

それとも柏木直人が絡んでいるのか?

そういえば、昨日くるみと柏木直人と調布駅で会って、どうなったんだ。

・・・ぼくは走っている途中だというのに冷や汗が出てきた。

まさか・・・、付き合ったとか・・・?

もしかして、だから柏木の前の彼女である早川舞に改まって話をしに行った・・・とか?

 

 

毎日毎日、くるみの事に気を取られ、集中力に欠いた練習を続けていた。

八月の中旬には多摩地区の記録会に出たのだけど、結果は散々なものだった。

この記録会では、ぼくは久し振りに穴川先輩に敗れた。

勝った穴川先輩は嬉しそうにする事もなくこう言った。

「フヌケた状態の相原に勝ってもつまんねーな」

逆に牧野は記録を大きく伸ばしていた。

未華よりも早い選手になるべく、今月に入ってからの牧野の集中力はハンパじゃなかった。

通常の練習の後、五月先生に頼んで個人メニューを追加していた。

それを見た未華も「簡単に負ける訳にはいかない」とか宣言し、打倒古淵さんとも相まって自己新記録を乱発していた。

この二人に触発されたのか、それとも秋津伸吾に勝ちたい一心からなのか名高も必死に練習していた。

そういう相乗効果が続いていき、剛塚、大山、染井、ヒロ、くるみ、そして雪沢先輩も集中力を増して練習をしていった。

変わらないのはぼくと早川だけだった。

 

 

多摩の記録会の翌週の練習帰り、たまたま早川と帰りが一緒になった。

「お、相原じゃん。駅まで一緒に帰ろうよ」

珍しく早川と二人で駅までの道を歩く。

今日も晴れていてアスファルトの照り返しが強い。

「相原ってさ、今やってる世界陸上とかって見てるの?」

先週から、ベルリンでやっているという世界陸上はテレビで連日報道されている。

「うーん、あんまり見てないや。深夜に放送でしょ?眠くてさ」

そう言うと早川は長い髪をかきあげながら言った。

「じゃあちゃんと寝てるんだ。それじゃ、何で最近疲れた様な顔してんの?それに走りもダサイでしょ、最近」

ダサイ・・・か。早川らしい表現だ。

「もしかしてさ、くるみとうまくいってないとか?」

嫌な事を聞いてくる。全くもってその通りだ。ぼくは思わず顔をしかめた。

「図星かよ・・・。じゃあいっその事、諦めればいいのに」

「あ、諦める?くるみを・・・?」

「そうだよ。違うコ探せば?」

頭には長谷川さんが思いつくがすぐに消し飛ばした。

「よ、余計なお世話だよ」

「そう。じゃあ余計ついでに一つ情報をあげるよ。こないだ、アタシさ、くるみに呼び出されたじゃない」

こないだの部室での話だ。それの内容は聞きたかった。

「なんかね。くるみ、柏木と出かけたりしてるらしいよ。それで、アタシが元彼女だから気を使ってくれたみたいなんだけど・・・」

「柏木と・・・ね」

「くるみと柏木って付き合ってるのかな?」

「・・・かもしれない」

そうとしか言いようが無かった。

いや、もうその確率は高い。でも本人に聞く勇気は無い。本人の口から「付き合ってる」とか言われた時のショックに耐えられないし・・・。

それにしても、柏木の元彼女である早川に「かもしれない」なんて答えるのは良くない事なのかもしれないけれど、今のぼくには余裕は無い。

 

 

それから何日たってもくるみと会話する事は出来なかった。

初めのうちはくるみに話しかけたりしてたんだけど、無視とかはされなくても会話は二言三言で終わり、気マズイ空気が流れるだけになってしまった。

それでも同じ部活なのでぼくらは毎日顔を合わせる。

好きな人と毎日、顔を合わせるのに会話が出来ないという苦しい日々が続いて行き、そのうちぼくは部室に入るのが億劫になってきてしまっていた。

くるみと顔を合わせて胸が苦しくなる部活自体が面倒になってきていたからだ。

そんな気持ちで練習に取り組むもんだから、練習では遅れるし、五月先生には怒られるしで、ついにある日、ぼくは牧野に相談した。

「なんか最近やる気出ないんだよね・・・」

すると牧野は驚いた顔をしつつも、大胆な事を言ったのだった。

「だったら、ちょっと休めば?リフレッシュってヤツだよ」

「や、休む?」

「ああ、英太、どうせくるみと会話出来なくなってツライんだろ?何日か休めば気も休まったりすんじゃね?」

「そうかなあ・・・」

そんな時だった。お父さんが単身赴任先の山梨県から、夏休みという理由で帰ってきたのは。

 

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2009年9月 1日 (火)

空の下で-向日葵(17) 迷走(その3)

八月の下旬になり、世の中は選挙の話題で持ちきりとなっていた。

ぼくの住む堀之内の街でも選挙カーが走り、暑い日差しの中を手を振りながら通り過ぎて行く。

普段あまりテレビを多く見ていないぼくでも日本が不景気なのは知っていた。

「今度の選挙で、何か景気が良くなるといいんだがな」

今日、久しぶりに単身赴任先の山梨県から帰ってきたお父さんが選挙カーを見ながら呟いた。

駅までぼくが迎えに行くと、この暑いのにお父さんはスーツ姿だった。

ぼくは額の汗を拭きながらお父さんに問う。

「不景気って、うちの家にも関係あるの?」

するとお父さんは眉間にしわを寄せたかと思うと、ぼくを見て笑った。

「給料が下がったらお年玉も下がるぞ。それが経済だ」

「えー?来年まではちゃんと欲しいなあ・・・部活引退した後ならバイトして稼ぐからさあ」

「甘いな英太。今はボーナスがカットされる人もいる様な時代だぞ。お年玉のカットくらい視野に入れておけ」

部活でもテンション下がっているってのに、家でもテンション下がりそうだ。

 

 

その日はお母さんが張り切って夕食を作ってくれた。

弟も加わり、久しぶりに家族四人全員で食卓を囲む。

弟は中学でサッカー部に所属しているので、お父さんに向かって試合での話を話しまくっていた。

なんでも地区大会での決勝点のアシストをしたらしく、まるで今試合中かの様に喜々として語った。

しかしぼくは、サッカーと聞いて柏木直人を思い出していた。

すぐに柏木の事を頭から振り払う。ついでに思い出してしまったくるみの事も。

 

 

多摩地区での惨敗の後、ぼくは牧野に「少しは休めば?」と言われたものの部活に出ていた。

でも、どうにもテンションが上がらず、相変わらずフヌケた練習内容になってしまっていた。

そんな時、練習終了後、未華に校庭に呼び出された。

夕方、言われた時間に校庭に行ってみると未華が腕を組んでこちらを睨みながら待っていた。

「遅い」

「そう?時間通りだけど」

未華は校舎の壁についている時計を見て「ん、確かに」と言った。

「でさ、英太くんさ。最近どうしたってのよ。・・・なんて聞くだけムダか。集中出来てない理由は一つだよね」

未華はため息混じりにそう言う。

「いや、ぼくとしては・・・くるみの事なんてもういいから部活に集中したいんだけどさ」

かなり強がって言ってみた。ホントはそんな事は思っていない。もういい、なんて。

それを見抜いてなのか、未華は険しい表情で言うのだ。

「くるみの事なんだけどさ。本当はアタシが英太くんに言うべきじゃないんだけどさ・・・」

そこで未華は言葉を切ってぼくから目を逸らした。

思わずドキリとする。きっと未華はくるみがぼくに冷たくしている理由を知っている。それをぼくに言う気なんだ。

「くるみはさ・・・弱っちいんだよね」

「はあ?」

未華の言葉にぼくは素っ頓狂な声を上げた。

「ど、どういう事?」

「くるみはね。すぐに弱気になっちゃうんだよ。だからさあ・・・アタシが言うのはホントはいけないんだけど・・・英太くんとかくるみとか柏木くんとか見ていて、もう我慢できないから言うんだけどさあ・・・口軽いかもしれないけど」

その時だった。

校庭にいるぼくと未華の近くを走って通り過ぎて行く生徒がいた。

最初、走っているのだから陸上部のヤツかと思った。

制服なのにタッタと軽快に走って行く横顔は柏木直人だった。サッカー部指定の大きな黒いショルダーバッグを左右に揺らして走っていた。

「柏木・・・」

柏木は校門に向かって走っている様だった。走って帰るのか?と思っていると、校門で一人の女生徒が待っているのが見えた。

それは、くるみだった。

柏木はくるみのいる所まで行くと、二人で校門から姿を消した。

ぼくと未華は黙ってそれを見ていた。

まるで、ぼくとは全く関係の無い映画かなんかのワンシーンを見ている気分だった。

とにかく、落ち着いて状況を整理したいので、自分の世界に入り込みたくなった。

カバンに入れてあったウォークマンを取り出し、耳につける。

「ちょ・・・英太くん!今のはさ・・・と、とにかくアタシの話聞いてってば」

「今日はいいや。また今度ね」

ぼくはウォークマンの音を大きめにして再生した。

再生する直前、未華が「くるみと柏木は!」と大きめな声を出したのだけど、ウォークマンの音にかき消された。

ぼくはそのまま一人で学校を出た。

しかし、残念ながら再生した曲は偶然にも失恋ソングだった。

 

 

フラフラと家に帰り、「おう、お帰り」とお父さんに言われても「ただいまあ」と元気の無い返事をして自分の部屋に入った。

ベッドに寝転ぶと、何故か涙が出そうになったので、気を紛らわすために牧野に電話した。

コール音が鳴る前に牧野は電話に出た。

「もしもし、英太だけど」

『なんだよ英太かよ。さっき部活で会ったばっかじゃんかよ。何の用だよ』

「あのさ・・・やっぱり、牧野の言った通り、ちょっと部活休もうかと思って」

すると電話の向こうの牧野は少し黙ってしまった。

『オレ、そんな事言ったっけ?』

「ええ?」

思わず笑ってしまう。こんなヤツだよなあ、牧野って。そこが好きなんだけどさ。

『でも何で休むんだ?心、折れたか?』

「ん・・・折れかけてる・・・かも」

『じゃあ話は簡単だ』

「簡単?」

明るい声を出す牧野に少し腹が立った。

『折れたなら治せばいい。骨折したってギブスしてりゃ治る。英太もギブスして少し休んでればいいんだ。な?簡単だろ?』

何だかよくわからん。なのにまた少し笑ってしまった。こういうヤツなんだよ、牧野は。

『んじゃキチンと治して出てこいよ。オレ、心配してないから。みんなにはテキトーにゴマかしておくよ』

「うん。悪い。五月先生には明日電話しとくから」

 

 

ギブスね・・・。

心のギブスって事かな。

くるみに・・・いや、柏木に折られたこの傷のギブスは何だろう。

失恋なんて誰でもする。でも、その時の傷はどうやって癒すんだろう。

時が悲しみを流してくれる?いや、ぼくの場合は時が経ってもダメだと思う。

だって同じ部活でくるみと毎日顔を合わせるんだから。

40人もいる大所帯のクラス内での失恋ならまだいい。

でもぼくらは同じ長距離チームで、10人ほどしかいない。

だから、部活をやっている限り、時間が経っても治らない。それだと引退までずっと集中しない練習しか出来ない。

だからギブスが必要なのかもしれない。

ふと長谷川さんの顔が浮かぶ。

次の恋愛で失恋を忘れるのは不純だろうか。それって長谷川さんに失礼じゃないだろうか。

そんな事を考えていると、部屋の扉がトントンとノックされた。

「入るぞー」と言ってお父さんが部屋にやってきた。

お父さんはうちにいるのは三日間だけで、すぐに単身赴任先の山梨へ帰ってしまう。

だから、なるべく息子と話したいのかもしれない。

ぼくは急に思い立ち、お父さんが何か言う前にこっちから頼み事をした。

「あのさあ、お父さんさあ・・・」

「ん?なんだ?疲れた顔して・・・」

「しばらく、一緒に山梨に行ってもいいかな」

 

 

空の下で 向日葵の部「迷走」END

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2009年9月 3日 (木)

空の下で-向日葵(18) 英太のいない陸上部

炎天下の校庭で、五月先生が「話がある」と切り出し、「相原英太がしばらく休部する」とみんなに伝えられてからすでに五日が過ぎていた。

最初、休部と言われて部員たちは「体調悪いのかな」と思ったらしい。

でも合宿以降のぼくの調子を考えると「ただの体調不良じゃないんじゃないかな」と考えるメンバーがほとんどだったという。

そうして休部から五日も経ってみると、メンバーの中には「何かあったのかな」的な雰囲気が漂い出していた。

おかげで、ぼくと一番仲のいい牧野は練習のたびにみんなに質問されたという。

 

 

「相原ってなんで休んでるんだ?」

一番最初に牧野に聞いてきたのは、やはり中距離のたくみだ。

「あいつがイキナリ休部ってのは何だか腑に落ちないんだよね。牧野、何か知ってんじゃね?」

何故かペンとノートを片手に聞くたくみに牧野は「わかんねえや」とシラッと答えた。

「でもよ。休部はいいけど、あと3日で二学期だぜ?英太のヤツ、ちゃんと学校には来るのかよ?」

「うーん。確かに・・・それはわかんねえな」

 

 

その日、牧野が練習を終えて部室を出たところで早川とくるみが待っていた。

「ちょっといいかな、牧野」

早川が少し声をひそめて話しかけてきたので、牧野は「ああ、英太の事?」と聞き返した。

早川とくるみが頷いたので、牧野は二人を連れて校内の人があんまり通らない廊下へ移動した。

「あいつ、何で休部してる訳?あんなに一生懸命だったのにさ」

早川はイライラしてる感じで早口でそう聞く。

「何でだか・・・わかんねえってオレも」

牧野はぼくが休んでる理由を全部知っている。全部、電話で話した。だからこの時期の牧野はウソばかりついている事になる。

「もしかしてさ・・・」

くるみは消え入りそうな声で口にする。

「何か・・・あったのかな。その・・・この陸上部の中で・・・」

「くるみに失恋したからじゃない?」と、言いたいのを牧野は堪えた。

言ってもいいけど・・・と思い、牧野は考えたという。

・・・英太のヤツ、失恋くらいで休部かよ、くっだらね・・・と。

「英太くんから連絡あったら教えてね。 わたし・・・英太くんと話したい事があるんだ」

くるみは俯いたままそう言う。

「話したいなら電話してみれば?」

「ううん・・・直接言いたい事があるから・・・いい」

もしかして・・・と牧野は思う。もしかして、くるみは・・・。

この時、牧野が何を思ったのかは、後になってもぼくには教えてはくれなかったけど・・・。

 

 

「相原先輩がいないと、なんかやる気が起きないっすね」

休部七日目、タイムトライアルで久し振りにリタイアした後、全員でストレッチ中にヒロが穴川先輩にそう言った。

穴川先輩はガリガリと坊主頭を掻きながら「お前、人のせいにすんなよ」と言うとヒロは反論した。

「いや、ボクだけじゃないっすって!なんとなく、みんな活気が無いっすよ。雪沢先輩も穴川先輩もみんな!」

「そうかあ?」

そのやりとりを見て雪沢先輩もストレッチをやめて呟く様に言った。

「確かに・・・相原のひたむきさって、みんなにも影響する雰囲気あったからな・・・」

その言葉で名高と染井以外のメンバーがストレッチを止めてしまった。

剛塚が牧野に問いかける。

「牧野、英太って部活辞めたいのかよ」

剛塚の声はイラついているのが見え見えだ。

「知らないって毎日言ってるでしょうが」

「・・・ち」

ストレッチを再開した剛塚の横から大山が雪沢先輩に質問した。

「五月先生は何て言ってるんですか、雪沢先輩」

「うん?そのうち復帰するか退部するかのどっちかだろって。本人の意思次第だってさ」

「うわ、つめた・・・」

ヒロはそう反応するが雪沢先輩は「五月先生はムリヤリ練習に出させるタイプじゃないから」と諭す。

 

 

休部八日目、8月30日だ。

あと二日で二学期が始まってしまう。

牧野にも「英太のヤツ、何してんだ」という考えが出てきていた。

それでも牧野は練習に集中した。

九月には秋の新人戦があり、牧野はどうしてもそこでの公式記録で未華を追い抜きたかった。

「英太は戻ってくる」

そう信じて牧野は練習に集中する。

しかし部内全員がそういう訳にはいかなかった。

みんな少なからず気にしていた。

その証拠についに染井までが牧野に「相原先輩、二学期は来ますよね。相原先輩いると・・・なんつーか、その・・・元気がもらえるんで・・・」とか言いだした。

部内が揺れている・・・。

牧野がそう思っている通りの事が起きた。

30日の練習はきついインターバル走だったのだけど、みんなが軒並みペースが良くなかったのだ。

そんな雰囲気の中でも名高と牧野と未華だけは必死に走り、満足できるタイムで走っていたのだけど、ゴール後に五月先生が怒鳴った。

「なんだこの結果は!! ちゃんと集中してやらないと記録どころか怪我するぞ!!」

そしてスーッと息を吸い込み、今度は穏やかな声で五月先生は言うのだ。

「自分に集中しろ。大丈夫だ。仲間を信じろ。ずっと一緒に走ってきた仲間を」

 

 

その日の練習後、部室で男子陣が着替えていると、剛塚が携帯を見て「お、安西からだ」と呟いたので室内が一瞬静かになった。

なんと言っても安西は陸上部を二回も襲撃した男だ。

この名前を聞いて嫌な空気にならない訳はない。

「誰ッスか安西って?」

何も知らない後輩であるヒロが空気も読まずに質問する。

「ヤベエ男だよ」

剛塚はニヤリと笑った後、安西からのメールを読んで顔色を変えた。

「どうした?」

牧野が聞くと、剛塚は「ちょっと牧野、こっち来てくれ」と言って部室から出て廊下に出た。

廊下にはくるみと未華がいたのだけど剛塚は「お、丁度いいところに」とか言って、牧野とくるみと未華に、安西からのメールを見せた。

「これ、どういう事なんだ?」

 

 

そんな事が起きていたなんてのは、もちろんぼくは知らなかった。

全部、後から聞いた話だ。

だってこの時のぼくはお父さんに同行して山梨県にいたからだ。

みんながいる多摩境高校からは100キロも離れた田舎町、山梨県勝沼町に。

 

 

空の下で 向日葵の部「英太のいない陸上部」END

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2009年9月 7日 (月)

空の下で-向日葵(19) 山間の町(その1)

多摩境高校の校庭で、五月先生が陸上部のみんなに「相原英太はしばらく休部する」と言い、部員達がざわめいている頃、当の本人であるぼくは、お父さんと二人で特急に乗っていた。

東京都の八王子から中央本線の特急に乗り込み、向かうは山梨県の甲府という駅だ。

座席は二人掛けで、窓側にぼくが座りお父さんが通路側に座っている。

「本当に良かったのか、部活休んでも」

お父さんは駅弁を食べながら新聞を読みつつ、さらにぼくに質問までしてきた。

「オレは運動部の事はよくわからんのだけど、休部なんてしてメンバーに迷惑かからないのか。お前の実力が下がってしまうとかさ」

視線は新聞に向いているけれど意識はぼくに向いているらしい。心配してくれてるのが少しだけ嬉しい。

「大丈夫。ぼく一人休んだって部活に影響なんか出ないって。それに山梨に行ったって練習はするから実力は下がらないって」

「うーん。そんなもんか?」

お父さんは疑問の言葉を残しつつも新聞に集中しだした。

きっとお父さんの中には「ホントに英太を山梨に連れて行ってもいいのか?」という思いが少しあるに違いない。

「ホントに大丈夫だよ、お父さん。ちょっと休んでリフレッシュするだけだからさ」

そう、くるみへの想いを消して、新たにスタートを切るための心の夏休みなんだ。

 

 

景色はあっという間に変わり、深い山ばかりになった。

トンネルや橋を何度も何度も越え、やがて、とてつもない広大な平地が姿を現した。

全方位を大きな山に囲まれているけれど、はるか先まで平地が続いている様な不思議な場所。

「ここが甲府盆地だ。たくさんの市町村がこの甲府盆地の中にあるんだ。まあ、山梨県の中心地区だな。オレのアパートは甲府盆地の東のハズレにある勝沼町ってトコにあるんだけどな、最初は甲府駅で降りて会社に寄って行く」

「か、会社?」

「うん。明日からぶどう農園を周って色々とやる事があるからな。ちょっと資料を取りに行かなくてはいけないんだ」

「へえ、お父さんが働いてる会社かあ。ちょっと楽しみだね」

 

 

特急を甲府駅で降りると、凄まじい暑さだった。

東京よりだいぶ標高が高いはずなのに、ヘタしたら東京よりも暑いんじゃないか。

「なんだか今日、暑いね」

一気に汗が噴き出してきた。お父さんは手慣れた感じでカバンからハンカチを取り出し、顔の汗をしきりに拭いている。

「甲府盆地は日本でも1、2位を争う高気温の名所でもあるんだ」

「ええ?涼しいんじゃないの?!よ、予想外だよ・・・」

「そうか、予想外か。あっはっは!」

何が面白いのかお父さんは駅前だってのに大笑いをした。

 

 

甲府駅から歩いて少しのところにお父さんの勤める果実酒メーカーのオフィスはあった。

五階建てのビルの一階から三階までがお父さんの会社らしくて、ぼくは二階にある休憩室でソファに座って待っていた。

お父さんはものの十分ほどで資料が入っているカバンを持って「行くぞ」と行った。

オフィスがあるビルの裏手には小さな駐車場があり、そこにある白い軽自用車に乗り込む。

助手席の扉には会社のロゴマークと会社名が描かれていた。

「この車って会社の?」

「そうだよ。これで農家を周るのがオレの主な仕事だ」

「へえ・・・」

車は甲府の市街地らしき場所を走る。

思ってたより栄えてる街だ。東京にもあるようなチェーン店のファミレスやコンビニ、携帯ショップなどが並んでいる。

「何か買いたい物があるなら今のうちだぞ」

「ん?どういう事?」

「甲府はこんなに栄えてるけど、アパートのある勝沼にはホントに何も無いからな」

「そうなの?じゃあ・・・」

ぼくはコンビニに寄ってもらい、お菓子とテレビ欄付きの雑誌を買った。

「あそこに陸上で強豪の大学があるけど、見ていくか?」

コンビニの駐車場でお父さんは遠くに見える大きな建物を指差したけど、ぼくは「え?いや、別にいいよ」と言って断った。

 

 

車は市街地を抜けて、次第に畑が広がるエリアへと入っていく。

畑と言っても東京で見るものとは少し違うものが多い。

地面で何かを育てている感じじゃなくて、頭の上の高さほどの場所に木々を這わせていて、そこに何か果物らしきものがぶら下がっている。

「あれって・・・ぶどう?」

車の窓から外を眺めながらぼくが聞くと、お父さんは「そうだ」と言って話を続ける。

「この勝沼って所はぶどうが名産品なんだ。山梨はフルーツ王国って言われているんだけどな、勝沼のぶどうはかなり有名なんだぞ」

「ぶどうかあ・・・」

「お父さんのこの時期の仕事は、色んなぶどう園を歩き周って、うちの果実酒メーカーとの橋渡し的な役をするんだよ。さっきの資料は今年から新たに契約する農園があるからな、その農園の資料だ」

「へえ、お父さんってちゃんと働いてるんだね」

「当たり前だ。だから少し尊敬しろ」

「えー、なんかそれ強引だね」

二人で笑いながら車は進む。

その間にもぶどう園は次々と姿を現す。ここは本当にぶどうの町なんだな、と思う。

その時、ふいに何かを思い出しそうになった。

ぶどう園・・・?

前に、誰かとぶどう園の事を話さなかっただろうか・・・?

 

 

車は畑沿いの砂利の駐車場に止まった。

車を降りると、道端には向日葵が何本か咲いていた。力強く空に向かって背筋を伸ばして咲いている。何かに向かって「どうだ!」と言っているみたいだ。

向日葵の横には細い砂利道があり、その先には三階建ての近代的な建物が見えている。

「あそこがアパートだ」

畑とぶどう園ばかりのこの山間の町には全く似合わないお洒落なレンガ調の外壁だった。

正面入り口が自動扉らしく、それがまた一層似合わない。

自動扉の前に立ってわかったのだけど、どうやらオートロック式の扉らしい。

お父さんが四ケタの数字を扉横にあるテンキーに打ち込むと扉が開いた。

「なんかここだけ近代的だね」

「そうなんだよ。恥ずかしい感じだよな。こんな何も無い町でここまで近代的なシステムだとな」

お父さんの部屋は三階の一番ハジの部屋だった。

かなり広い1DKの部屋だ。1DKと言ってもキッチンは広いし部屋自体も大きいのでお父さんと二人で寝転がっても全然狭く感じない。

窓を開けると大きめのベランダがあり、そこには小さな丸テーブルが置かれていて、果実酒の空のカンが置いてあった。

「たまにそこで飲むんだ。夕方にな。夜は虫が多いから部屋の中で飲むけど」

この建物は少し高台にあるらしく、けっこう遠くまで見渡せた。

どこを見てもぶどう畑。そのぶどう畑の中にポツンポツンと民家があったり工場みたいなものが見える。

かなり遠くだが、運動公園みたいなものも見える。もし走るなら、あそこまで行ってみてもいいかもしれない。

「何も無いだろ?夜は真っ暗だからな。出かけるなら昼間にしとけよ。お父さんはちょっと資料の整理してるから、適当にしててくれ」

「うん」

お父さんはこんな町で暮らしているんだ・・・。ぼくは初めてお父さんの生活を感じた。

親子だというのにぼくらはお互いを知らなさすぎた。

お父さんもぼくの休部の重さを知ってはいない。だからぼくをこんな遠い町へ連れて来てしまった。

ただ単に逃げたかっただけのぼくを。

 

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2009年9月10日 (木)

空の下で-向日葵(20) 山間の町(その2)

山梨県勝沼町に来て、初めての朝を迎えた。

昨日の夜は久し振りにお父さんと二人きりで同じ部屋で寝る事になり、なんだか恥ずかしかったけど、それでもよく眠れた。

朝、暑くて目を覚ますと、お父さんがキッチンで何か料理をしていた。

横から覗きこむと、フライパンで目玉焼きを作っているところだった。

「あれ?お父さん、料理なんて出来るの?」

「まあな、単身赴任してる期間が長いからな。少しは出来るぞ」

と言った瞬間、目玉焼きの気味が割れてフライパンの中はぐちゃぐちゃになった。

「ス、スクランブルエッグだ」

形はともかく、初めて食べるお父さんの料理はわりと美味しかった。

 

 

お父さんはスーツを着て例の白い車で仕事へ出かけて行った。

人がいなくなると1DKとはいえ、ガランとした感じになる。

部屋のハジにはテレビが置かれているので、寝転がってテレビを見ると、いつもと違う番組が流れているのに驚く。

東京からそんなに離れた訳でもないのに、テレビのチャンネルも内容も少し違ったものになるんだと妙に感心する。

午前中はそんな感じでテレビを見たり、持ってきた本とかを見ていたんだけれど、お昼頃にはさすがに飽きて、アパートの外に出てみた。

アパート前の砂利道を抜けると、まだ向日葵が背筋を伸ばして咲いていた。

太陽の方を向いて咲いている・・・という事もなく、昨日と同じ方向を見ている。

ぼくは何かするアテがある訳じゃないので、その向日葵が向いている方向の道を歩いていく事にした。

ぶどう畑と民家があるだけの道。

歩いても歩いてもぶどう畑だ。時折、軽トラックが道を走って行くのだけど、他には特に交通もあまり無い。

本当に田舎に来たんだなと感じた。

こないだの合同合宿で行った伊香保温泉街とは違って、本当の田舎町。

合同合宿を思い出して、くるみが冷たくなった日の事を思う。

あれは・・・朝の事だった。

寝坊してる人達を起こすためにくるみと未華が各部屋を周っていた時だ。ぼくの携帯電話が開いていて、長谷川さんへのメールを見られてしまったんだった。

なんで携帯をメール作成中の画面で開きっぱなしにしておいたんだろ・・・。

てゆーか、何でそれでくるみが冷たくなったんだろ・・・。

ぐうう・・・

急にぼくのお腹が妙な音をたてた。

「そーいや・・・、お昼ゴハンってどうすればいいんだ?」

見渡す限りのぶどう畑。そして、まばらな民家。まさか民家にお邪魔して「突撃となりのおひるごはーん」なんて言う訳にもいかない。

コンビニどころか商店もどこにあるかわからないので、仕方なくお父さんの携帯に電話してみる事にする。

しかし、仕事中なのかお父さんは電話に出なかった。

「あー・・・どうしよ・・・」

空を見上げると、甲府盆地全てを薄くて白い雲が覆っていた。

とはいえ、この町は暑い。気がつけば来ているTシャツも背中が汗で濡れている様だ。

そこへ、ブオオーっという音をたてて一台のワンボックスカーが通り過ぎて行った。

薄汚れた白いその車には五、六人の若い男が乗っていた。

その中の一人、天然パーマ風の男と一瞬目が合った。

「あれ?」

車はそのまま通り過ぎて行く。

「今の人・・・」

一瞬だったけど、見たことのある顔だった気がした。

誰だか思い出そうとしたら携帯電話が鳴りだしたので電話に出る。

「もしもし」

『英太か。お父さんだけど。さっき何か電話したか』

「ああ、この辺ってお昼ゴハンってどっかで買えたり食べれたりする所無いかなと思って」

『そうだなあ・・・歩いて30分くらいのところに田中商店ってのあるから、何か買うならそこだな』

「30分かあ。じゃあ走って行こうかな」

『さすが陸上部だな。それよりも今、近くのぶどう園に来てるんだ。車で送るから来ないか』

「ほんと?助かる!」

『このぶどう園、英太と同い年の男の子が働いてるんだ。ちょっと紹介したくてな』

 

 

お父さんに言われた通りに道を歩くと、わずか五分くらいのところにあるぶどう園に、お父さんが昨日使っていた車が駐車されているのが見えた。

「おおー、来たか来たか」

ぶどう園の民家の入口でお父さんが手を振っている。

ぼくは駆け足で近づいた。

すると民家からお爺さんが一人出てきた。

「おお、君が相原君の息子さんかね」

突然の見知らぬお爺さんの登場にぼくが驚いているとお父さんが「この農園の白川さんだ」と紹介された。

白川さんは白髪と白いヒゲを少し生やしているが、体格がシッカリしているし背も高く、体は黒いしで、なかなか強そうなお爺さんという感じだ。

「白川ぶどう園の白川だ。君のお父さんには世話になっとる。よろしくな」

そう言って白川さんは豪快に大笑いをした。

「世話だなんてそんな・・・世話になってるのはこっちですよ」

お父さんは笑いながら照れている。

「息子さんは何て言うのかね?前に聞いた様な・・・英太郎くんだったかな?」

ぼくも笑って答える。

「惜しいです。英太です」

「おお、郎はいらなかったか。がっはっは!」

何だかのんびりした世界だな。・・・そう思った。

そうやってしばらく雑談していると、民家の奥にあるぶどう畑から、一人のゴッツイ若い男が出てきた。

「じいちゃん、午前中分の仕事は終わったぜー」

若い、というかぼくと同じ年くらいの男だ。この人がお父さんが紹介したがってた人かな?

作業用のズボン、作業で汚れた白いTシャツ、頭には手ぬぐいを巻いている。

この男も体付きがガッシリしている。それに日焼けした体がかなり黒いし、何より堀の深い顔が怖いのでかなり強そうなオーラが漂っている。

その男がぼくを見て目を見開いた。

「お、おまえ・・・?」

男は明らかに驚いた様子でぼくを見ている。どこかで会った事があるか?確かに、この声は聞いた事がある気もするけど・・・

「なんだ英太。知り合いか?真志君と」

シンジ君・・・?いや、やっぱり知らない名前だ。

考えていると白川さんが言った。

「そういえば、真志も東京の八王子に住んでたんだったな。何だ?同じ中学だったとかか?」

「いや、ちげーけど・・・」

「真志。お前、頭に手ぬぐい巻いてるから、顔がよくわからんのだよ。手ぬぐいを取って、ちゃんと挨拶しなさい」

真志という男は「ああ、そうか」と言って手ぬぐいを頭から取った。

手ぬぐいの下からは見事に赤く染まった短髪が現れた。

それでぼくも気付いた。

「あ!」

「どうも、安西真志っす」

「あ、安西・・・」

長距離チームに襲撃をかけた男、安西の姿がそこにはあった。

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2009年9月14日 (月)

空の下で-向日葵(21) 山間の町(その3)

白川ぶどう園の白川さんの家の縁側に、ぼくと安西は腰をかけた。

縁側のすぐ目の前からは大きなぶどう畑が広がっていて、たくさんのぶどうがぶら下がっている。

「うちのぶどうはピオーネって種類がほとんどだ」

聞いてもないのに安西はそう言った。

「オレもここで働き出したのは今年の春からだからな。ぶどうは秋に収穫する果物だからよ。まだ一度も収穫の時期を迎えてねえ。半年かけてここまで来て、ついに・・・って感じだ」

「半年前かあ・・・」

「そういやお前もいたな、半年前のあの時」

よく覚えている。今年の春の事だ。

 

 

風の強い日だった。強風の中、安西は多摩境高校の校門で待っていたのだ。

ぼくと剛塚と雪沢先輩は安西の話を聞く事になったのだ。

そこで安西はこう言った。

「やりたい事を見つけたんだよ」

そして、続けて確かにこう言ったのを思い出した。

「田舎のジジイがよ、ぶどう園やっててよ。そこで手伝おうと思ってる」

 

 

・・・ああ、確かに言ってたな。ぶどう園を手伝うって・・・。

でもまさか、こんな形で再会する事になろうだなんて。

考え事をしている間にも安西はぶどうの話をしていた。

「でよ、今月末からはぶどう狩りも始まる予定だっつーわけだ。ホントはその時に剛塚とか落川学園高校のダチも呼ぼうと思ってたんだけどよ」

「お、落川学園って・・・あの不良で有名な?」

「オレが行ってた高校だもんよ」

「あ、そ、そっか」

すっかり忘れてたよ、そんなの。

「陸上の試合で出くわさなかったか?落川学園と。試合中に妨害行為するって忠告しといたよな」

そう、落川学園が妨害行為するってのは安西に教えてもらったんだった。

幸い、ぼくら多摩境高校は落川学園と試合で一緒になっても何もされなかったけれど、合同合宿で一緒に頑張った百草高校の町田康一さんが妨害行為されてたという。

「うん・・・本当に妨害するみたいだね。気をつけるよ」

「で、お前、こんなとこで何してんだ?」

安西はこちらを見て低い声でそう言う。

一度、襲撃されたぼくとしては、安西という男に威圧感を感じる。

「何って・・・」

「だってよ、今はもうお盆休みでもねーだろが。陸部は活動中なんじゃねーのか?それともサボリか」

「サボリなんかじゃ・・・!」

ぼくは声を荒げてそう言いかけたが、言葉が途中で詰まってしまった。

「なんだ、図星かよ。ウケる」

安西はウケるとか言いつつも全く笑ってなかった。

ぼくは話題を変える事にした。

「安西・・・くんは何してんの」

「見てわかんねーのかよ。ぶどう栽培だよ。夏前にはさくらんぼ栽培も手伝ったぜ」

安西は誇らしげに答える。その表情は生き生きとしていて、ぼくは何故だか胸が苦しく感じた。

去年の秋にぼくらを襲った男の顔とはまるで違った表情だ。

これが本当に陳腐な怒りと恨みで動いていた男の顔だろうか・・・信じられない。

「なんで、ぶどう栽培を?」

「あ?なんでか?うーん・・・」

安西は腕を組んで考え込むそぶりを見せたが、すぐにぼくから顔をそむけた。

「お前らの・・・せいじゃねえ?」

「ぼくらの?」

「そだよ。お前ら多摩境高校陸上部のせいだ。特に五月と剛塚のせいだ」

「な、なんで?」

安西はぼくとは違う方向を見ながら話す。

「剛塚が暴力沙汰をやめて陸上部に入った理由・・・知ってるだろ?オレと一緒に陸上部を襲撃した時に五月隆平に言われた言葉を」

「・・・そのエネルギー、もっと別の事に使えよ・・・ってやつ?」

安西はぼくの顔を指差して言った。

「それだ。それ。で、オレがお前らを上柚木競技場の近くで襲った時、剛塚はオレにこう言ったのを覚えてるか? お前もそのエネルギー、もっと別の事に使えば凄いのによって」

ああ、確かに剛塚はそんな事を言っていた記憶がある。

「それでオレ、ムカついてよ。剛塚に言い返したんだよな。じゃあ、お前はそれで凄くなったのかよって。そしたら・・・」

安西は再び顔をそむける。

「そしたら?」

「お前が言ったんだ。凄くなりつつあるよって」

「ぼくが?」

そんな事を言っただろうか。ぼくには記憶がない。

「だからオレは確かめに行った。お前らが出た東京高校駅伝を見に行ったんだ。そしたら剛塚はスゲエ気迫で走ってやがった。沿道で見てたオレにまでビシビシ伝わる様なとんでもないオーラでよ。それ見て・・・ぶっちゃけ鳥肌が立ったぜ。スゲエじゃねーかよって」

安西は縁側から立ち上がり、ぶどう畑の方を見た。

「だからオレも凄くなるためによ、やる事を見つけたんだ。ケンカに使ってたエネルギーをこの農園で働くエネルギーに変えてよ。それで半年やって、ついにぶどう出荷の季節になるとこだ。これがどういう事かわかるか?」

ぼくは迷わずに答えた。

「凄くなりつつある・・・ね」

「だろ?」

そう言って笑う安西には、ぼくの知らない爽やかさがあった。

この男に爽やかさを感じるだなんて信じられない気分だ。まさかそんな日がやって来るとは。

「お前もよ。こんな町でサボってんじゃねーよ。せめて走れよ、この町で。今のお前、全く凄いと思えないぜ?」

「走る・・・?」

「そうだよ。好きで走ってるんじゃねーのかよ。なら走れよ。どんな理由でこんな山間の町に来てるんだか知らねえけどな」

 

 

安西と連絡先を交換しあい、白川さんに挨拶をしてぼくは農園を出た。

すでにお父さんは車で次の仕事場に向かったらしい。

白川さんにぶどうジャムをいただいて、ぼくはお昼ゴハンを調達しに田中商店というお店に歩いて向かった。

田中商店には気さくなオバサンがいて、「きみ、かわいいからサービスするよ」とか言って頼んでもないのに食パンをサービスしてくれた。

ただ、賞味期限はギリギリだったけど。

 

 

アパートへの帰り際、買い物袋を下げたまま、ぼくは走ってみた。

風が気持ちいい。

でもすぐに止まってしまった。

今は陸上部の事は思い出したくなかった。

走るという行為は、すぐに名高や牧野とかのやりとりを思い出させ、部室でのくるみの冷たい態度を思い出させる。

くだらない・・・。もしかしてぼくはくるみに冷たくされたからって逃げて来たのか・・・。

くだらない。

くだらない。

こんな、くだらない理由で逃げたぼくが、おめおめと陸上部に戻ってもいいのだろうか。

アパート前に生えている向日葵は元気に空に向かっていて、その元気さがぼくを憂鬱にさせた。

 

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2009年9月17日 (木)

空の下で-向日葵(22) 山間の町(その4)

「今さら、何しに戻ってきたの?」

制服姿のくるみが部室前の廊下でぼくに向かってそう言った。

その顔は怒りに満ちている。

「今頃戻って来たって迷惑なだけなんだよね。さっさとここから消えてよ」

くるみはそう言ってぼくの肩をドンと押した。

「うわ!!」

押されたぼくを後ろから五月先生に羽交い締めにされた。

「さ、五月先生」

「相原、もう来るな。お前がいてもウザイだけだ。帰れ」

「か、帰れって・・・!!」

渾身の力を振り絞り、五月先生の腕を振りほどくと、布団がバサリと音をたてて吹き飛んで行くのが見えた。

「ふ、布団?」

よく周りを見ると、ぼくは部屋の中に敷いてある布団の上にいて、腕だけを上に突き上げて寝転がっている状態だった。

冷めた声が話しかけてくる。

「何してんだ英太。うおおとか叫んで布団を吹き飛ばすとは・・・。布団が吹っ飛んだっていうギャグを体現してみせたのか?」

声の主はお父さんだった。

ぼくがいるのは相変わらず勝沼のお父さんのマンションだ。

どうやら嫌な夢を見ていたらしい。

 

 

8月27日。勝沼に来てから、すでに一週間が過ぎていた。

ぼくは毎日、同じような日々を過ごしていた。

朝、お父さんと一緒に起きて朝食を食べ、散歩に出かける。

ぶどう畑を見ながらのんびりと歩き、田中商店でパンを買って外で昼食を摂り、午後はマンションに戻りテレビを見たり本を読んだりする。

そうして夜になり、お父さんの作るあまり美味しくないゴハンを食べて一日が終わる。

白川ぶどう園にいる安西とは連絡は取らなかった。

元々、気が合う仲間ではないし、とにかく一人でいたかったからだ。

練習、というか走るという行為そのものもしていない。

一度、かなり離れた場所にある運動公園に行ってみたが、そこにある土の競技場で練習している大学生を見ていたら、何か焦りの様なものを感じてすぐに立ち去ってしまった。

ぼくはどうしてしまったんだろう?

ほんの少し前まで、走るって事があんなに楽しく感じていたのに・・・。

 

 

この日も何の目的もなく散歩をしに出かける。

マンション前の向日葵は、ここに来た時より花が萎れていた。

そういえば勝沼に来てから全く雨が降っていない。後で水でもやろうかと思う。

とりあえずフラフラと散歩をしていると、自転車に乗った安西が前方からやってきた。

「お、相原か!」

安西はぼくの行く手を阻むかの様に自転車を止めた。

「まだいたのかよ、相原」

何故だか嫌そうな顔をする安西。

「お前、いつまで勝沼にいるんだよ。もうすぐ二学期だろうが」

「そう・・・だね」

二学期か。もうそんな時期か。いくらなんでも授業が始まったら勝沼にいる訳にはいかないな。

「二学期になったら帰るよ」

そう言うと安西は「何ナメた事を言ってんだよ」と低い声で言い自転車を降りた。

ガシャンという音をたてて自転車が道路に倒れる。

「相原、テメエ、さっさと東京に帰れよ。二学期なんて待ってんじゃねえよ。二学期になってから帰ったんじゃ『仕方なく帰ってきました』って感じだろうがよ。授業じゃなくて、最初に部活に顔を出せよ」

ものすごく真剣な目だ。思わず一歩だけ後に下がる。

「仕方なくじゃダメなんだ。やりたいって気持ちを持って行かないと、絶対に続かない。オレのぶどう栽培の仕事もそうだった」

「やりたいって気持ち・・・」

「そうだよ。お前、走りたいんだろ?本当は」

「走る・・・」

そうなんだ。ぼくは散歩をしていながらも常に走りたかった。

でも逃げる様に・・・いや、部活から逃げてきたぼくが、違う場所で走ってどうなるんだっていう気持ちがあって走りだす事が出来ないんだ。

「二日後の29日。お前ヒマか」

安西は突然話題を変えてきた。

「え?うん、ヒマだよ」

ぶどう園の手伝いでもさせる気かと思ったら、安西は意外な事を口にした。

「その日、近くの運動公園で陸上の記録会があるらしいからよ。見に行ってみろよ」

「記録会?」

「そうらしい。オレは詳しい事は知らねえけどよ。高校生も出るらしいぜ」

 

 

マンションに戻り、お父さんのパソコンを借りてインターネットに繋ぐ。

近くの運動公園での記録会はすぐにネットで見つかった。

この記録会は高校生・大学生・社会人のオープン参加で開かれる大会らしく、勝沼や近隣の町の高校名や大学名、一般参加の人の名前が参加者として並んでいた。

全く知らない土地の記録会・・・。

興味の湧いたぼくは行ってみる事にした。

もちろん、見るだけなのだけど・・・。

 

 

8月29日。

二学期開始までは、わずか三日というこの日、田舎町である勝沼にも選挙カーの遊説が行われていた。

明日は注目の選挙の日なのだとお父さんが言っていた。

その最後の演説のために各候補者が、こんな田舎町で声を張り上げている。

「もしかしたら日本の行く末が変わるかもしれない選挙だからな」

お父さんがそう言う大切な日にでも、記録会に出る選手は淡々とウォーミングアップをしていた。

運動公園にはかなりの人数の参加者が集まっており、みんなそれぞれ念入りに準備をしているのだ。

 

 

ぼくは参加する訳ではないので、昼頃に運動公園に入り、競技場の中へと進んだ。

競技場ではやり投げが行われていた。

「うおりゃ!」という図太い声と共に槍がヒューンと飛び、サクッという軽い音をたて地面に突き刺さる。

そんな様を横眼に、ぼくは競技場のゴール付近の席に陣取った。

ゴール付近の席というのは人気のある席なんだけど、田舎の大会ともあって、楽に座る事が出来た。

屋根も無く、日差しをまともに受けながら競技場を眺める。

やり投げ終了後は110mハードルが行われた。

高校生や大学生、一般参加の社会人が次々と登場しては走る。

「いいな・・・」

まるで風の様に走る選手たちを見ていたら思わずつぶやいていた。

そうしてしばらく見ていると、5000mの試合が始まった。

高校生、大学生、社会人の順でレースは行われ、発走するたびに拳に力が入った。

ぼくがあの中にいたら、こうするのに!

あの選手、ラストスパート速い!

うわ、遅いけど気迫が凄い!

色んな想いが体を駆け巡る。

ぼくはなんでここで座っているんだ??何で走っていないんだ??何でこんな町に逃げてきたんだ??ここにいて何になるんだ?そもそも何で走っていたんだ??

「君、足速そうだよね。ちょっとウチの部、見学してみない?」

多摩境高校に入学した時、校門で部活勧誘していた雪沢先輩の声が聞こえた気がした。

あの時から、ぼくは走りだした。

走って走って、一年後には高尾山とか山をいくつも走り抜ける様な事までした。

遠くまで来たって感じていた。でも、まだまだ先を目指すって決めていた。

決めていたのに、失恋くらいで逃げだした。

「何してんだろ・・・」

眩暈がした気がした。やっぱり考え過ぎるのは止めようと思う。気楽にしなくちゃ。帰ろう。

しかし次の瞬間、再びぼくは陸上の世界に引きとめられた。

次の試合のアナウンスが聞こえたのだ。

『続いて、大学生の部、男子100m 第1組』

最初はどうでもいいアナウンスだと思った。

第1レーンから順に選手が紹介されていく。そして第3レーンの紹介が始まった。

『第3レーン 甲府盆地大学 一年 中尾一輝くん』

どこかで聞いた事のある名前だと思い、第3レーンを眺めると、ぼくが陸上部に入部した時の部長、『雨のスプリンター』こと天然パーマの中尾部長の姿があった。

 

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2009年9月21日 (月)

空の下で-向日葵(23) 山間の町(その5)

中尾一輝先輩・・・。

多摩境高校陸上部の初代部長だ。

ぼくが入部した時にはすでに三年生で、部長として、短距離エースとして、活躍していた。

くるくるな天然パーマと、雨の日は記録が良くなるという変わった特性を持つ人で、部内では「雨のスプリンター」と呼ばれていた。

今年の春で高校を卒業し、山梨の大学で短距離を続けると言っていた。

その時、中尾部長は「山梨は雪がかなり降るらしいからな。今度は雪のスプリンターとでも言われるかもな」なんて冗談を言っていたのを覚えている。

中尾一輝先輩から部長を受け継いだのが今の雪沢先輩なのだ。

しかし、その中尾一輝先輩をこの勝沼の記録会で目撃する事になろうとは・・・。

お父さんのマンションがあるからという理由で来たこの勝沼。

ここで安西に再会し、中尾先輩の試合を見るなんて・・・。

運命がこの町で交錯しているんじゃないかと思えてしまう。

『位置に着いて・・・』

大学生の部、男子100m 第一組のメンバーが土のトラックに手を着き、クラウチングスタートの構えをする。

中尾先輩は第3レーン。集中しているオーラがゴール付近にいるぼくにまで届いてくる。

『よーい・・・』

短距離のスタートは、ぼくら長距離のそれとは別の意味を持つ。

コンマ何秒で勝敗が分かれる種目だ。スタートダッシュの重要性は短距離の方がはるかに重い。

パン!!という音と共に一斉に八人がスタートを切った。

土のトラックなので選手達が土のカケラを後ろに蹴りあげながら進む。

「速い!!」 

早いのではない。速い。

ずっと長い間練習してきたものを、100mの選手は10秒ちょっとで発揮しなくてはならない。

その集中力は凄まじく、選手達の表情は気合に満ちている。

しかし試合は30mで勝負が決まった。

第5レーンの選手が30mまでで一気に前に出た。

中尾先輩は二位で続き、そのままの順位で100mを走りきった。

あっという間にぼくのいるゴール横の席を走り去っていく。

「風だ・・・」

ゴクリと息を呑んだ。

まるで一陣の風の様だった。

その風は物理的な風でもあったのだけど、ぼくの心の中にまで吹いた。

「すごい・・・」

中尾先輩は高校時代よりも速くなっていた。

それでも二位だったのだけど、ゴール後の中尾先輩は笑顔だった。

満足のいく結果が出たんだと思う。

それは全力で取り組んだ人だけが辿りつける爽快感と笑顔だった。

それを見てぼくは全身が熱くなった。

走りたい。

ただ、走りたい。

そう頭で考えた時にはぼくは競技場からマンションへ向かって走っていた。

ペースなんか考えてもない。ただ、がむしゃらに。

競技場の芝生席を駆け抜け、暑い日差しの中、ぶどう畑に囲まれたあぜ道をひた走る。

ジーパンにTシャツ、それと安いスニーカーという、いつもの練習とは違って走る様な格好ではないのだけど、ぼくはひた走った。

速くではない。

遠くへ、遠くへ。

もっと遠くへ、もっと遠くへ。

何も考えなくていい。ただひたすらに走りたい。

くるみの事、柏木の事、長谷川さんの事、そんなの事は考えずにただ走った。

日差しの中、山間の町を、マンションを目がけて。

 

 

マンションの前まで走ると、息が上がり地面に座り込んでしまった。

「はあ・・・はあ・・・」

わずか20分しか走っていない。

なのに息切れはひどく、立ち上がる気力も体力も無くなっていた。

「はあ・・・はあ・・・」

座りながら横を見ると、マンション入口の向日葵が元気ないまま何とか咲いていた。

雨が降らないから水でもやろうかと思っていたのに、すっかり忘れていたんだった。

「はあ・・・はあ・・・、待ってろ・・・今、水を撒いてやる」

ぼくはしばらくしてから立ち上がり、マンションの部屋のキッチンでボールに水を入れ、向日葵の根本に水をやった。

「これで・・・、元気になる・・・かな?」

向日葵が何で元気を取り戻すのか、ぼくは全く知識は無い。

でも、頑張って咲いているのに・・・頑張っているのに駄目になるのは我慢出来ないから、せめて水をやったのだ。

「元気になれよな・・・。ぼくも元気になるから」

そうしてこの日は、お父さんが帰って来る前の早い時間に寝た。

少し走っただけなのに体はグッダリと疲れていた。

 

 

翌日起きると、すぐにお父さんに宣言した。

「お父さん。ぼく、明日東京へ帰るよ」

お父さんはキッチンでお決まりの卵焼きを作っていた手を止めた。

やや間があってから、「そうか」と笑った。

「じゃあ、お父さんは明日から一人だな。でもそれでいい。英太のいる場所はここじゃないからな。でも、世話になった人には挨拶して行けよ」

「そうか・・・。それもそうだね」

今日は日曜日なので、お父さんはマンションに残り、ぼくは田中商店に向かった。

田中商店のオバサンに「東京に帰ります。お菓子とかありがとうございました」と言うと、「あらあら、上京?」とよくわからない事を言われた。

そして白川農園に行くと、白川さんは「コレを持って行け。必ず役に立つ」と言って農園で作ったという赤ワインのボトルをくれたが、ぼくはまだ飲めない。

 

 

白川農園を出たところで後ろから安西に声をかけられた。

「行くんだって?東京によ」

ぼくは振り返り、安西にお辞儀をした。

「やめろよ相原。礼とかいらねーし」

とか言いつつもまんざらでもなさそうだ。

「で?今日帰って、部活には行くのか?明日か?」

「それは・・・わかんない。とにかく、東京にだけは戻ろうと思う。決心が着けば部活にも行くけど・・・」

ぼくはそこで言葉に詰まった。

「けど、何だ?」

「勝手に二週間も休んだぼくが、またイキナリ部活に行ってもいいのかわからないんだ。部のみんなには迷惑かけただろうし・・・どう謝ったらいいのか、どう声をかけたらいいのか・・・それがわからなくて。それがわかったら学校だけじゃなくて部活にも行こうと思ってる」

それに・・・安西には言えないけど、くるみとどう接したらいいのか・・・それもよくわからない。

そんな迷いの表情をしていると、安西は嫌な笑いを始めた。

「ヒッヒ・・・」

「な、なんだよ」

「イヤ、なんでもねーよ。どうやらオレ、余計な事を電話しちまったみてーだからよ。思わず笑っちまったんだ。いや、気にしねーでくれよ。大した事じゃねーし。またな」

勝手にそう言い切って安西は農園に戻って行く。

「安西くん!!」

ぼくはそう叫んで呼びとめた。

「あ?」

「いや、その・・・。ありがとう」

安西は笑い、そして農園に入っていった。

ぼくは・・・、僕は安西に一礼してマンションへと戻る。

 

 

青い空を薄くて白い雲が流れていた。

真夏の入道雲とは違い、ずいぶんと高いところに浮かんでいるように見える。

もう残暑すらも過ぎようとしているらしい。

いくぶん涼しくなった日差しの中、畑沿いのあぜ道を歩く。

マンションまではもうすぐだ。

すぐに巨大な山脈をバックにして、近代的な三階建てマンションが姿を現した。

ここにはもう二週間近くも滞在していた事になる。 

「なにしてんだろ・・・」

マンションを見上げて僕は呟いた。呟いた後、少し前までの事を振り返る。

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・ 

 

ふと気付くと、マンションの入口に同年代くらいの男女が立っているのが見えた。

そのうちの女の方が僕を見て声を出した。

「・・・探したよ」

声を聞いて僕は体をビクリと動かしてしまった。知っている声だったからだ。

「み・・・、未華・・・」 

続いて男の方が僕を睨みながら低い声で言った。

「こんな遠くまで来させやがって」

僕は思った事を口にした。

「ご、剛塚??ど、どうしてここに・・・?」

すると剛塚が頭をガリガリと掻きながら答えた。

「いや、俺だってこんな遠くまで来るのは嫌だって言ったんだけどよ。大体、逃げたヤツを追っかけたって仕方ねーしよ。でもま、安西からのメールと電話もあったしな」

安西・・・?安西の言っていた電話って・・・剛塚への電話だったのか。 

それにしても・・・、逃げたヤツを追う・・・。この言葉に僕はドキリとした。

「それによ、そいつがどうしてもって言うもんだからよ」

男は僕の後ろを指差した。

「え・・・」

恐る恐る振り返ると、そこには制服姿の女子がいた。

そのコは僕の顔を見ると一言、こう言った。

「帰ろう、英太くん」

全身に電撃が走った。

まだ、僕は整えていなかったからだ。この人にどう接するのかを。

「く、くるみ・・・」

 

 

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2009年9月24日 (木)

空の下で-向日葵(24) 山間の町(その6) 夏の終わりに

ぶどう畑をバックにして、若井くるみが制服姿で立っていた。

最後に見た時よりもやや日焼けした健康そうな肌になったくるみの瞳は、真っ直ぐに僕を見つめている。

僕は思わず目を逸らしそうになった。

この夏の、冷たくされた記憶が頭を駆け巡る。

ぐっと歯を食いしばり、心でこう考えた。

冷たくされたから何だ・・・と。

人が生活していく上で、全ての人間に好かれて生きて行こうなんて、無理な話なのだ。

どんなに誠実な人だって、どこかで誰かには嫌われているはずなんだ。

人は、人それぞれ。

だから、嫌われたって仕方ない。

くるみに嫌われたからって何だ。

僕は走りたいのだ。

僕が走りたいのは、多摩境高校陸上部だ。

くるみ一人に嫌われていようと・・・嫌われたくないけど、嫌われたくないんだけれど・・・でも!

「く、くるみ・・・」

何故だか呼吸が苦しくなりつつも、くるみの名を呼んだ。

いっその事、嫌われているんなら、ここで自分の気持ちを言ってしまったっていいんじゃないか?

どうせフラれる身だ。キチンと決着だけは着けていてもいいんじゃないか?

・・・そう思った時だ。くるみが声を出したのは。

小さな声だったけど、ハッキリと言った。

「帰ろう、英太くん」

帰る・・・。

そう、ここはいつも僕らがいる多摩境高校から100キロも離れた山間の町。

くるみは・・・、いや、くるみと未華と剛塚は、僕を連れて帰るために、ここまで来たのか?

「英太くんがいなくなってさ・・・。みんな何だか元気無くって。だから、帰ろうよ。多摩境に。ううん、陸上部に」

くるみは僕を見つめたままそう言って下を向いた。

すると、今度は剛塚が僕の横に歩いてきて、肩に手をかけて言った。

「行くぞ相原。こんな所まで来させて面倒かけさせてんじゃねーよ」

剛塚の声は優しくは無い。でも怒りを感じる訳でもない。

「剛塚・・・。何で剛塚と未華までここに?」

「あ?同じクラスだからだよ。それだけだ。俺は本当は来たくなかったよ。遠いからよ。ま、安西と直接の顔見知りなのは俺だって理由もあったけどな」

「アタシはねー」

聞いてもいないのに未華が機嫌悪そうな声を出した。

見ると、未華は自分のショートの髪をいじりながらこっちを見ないで話していた。

「英太くんが何だか勘違いしたままなもんだから、それを学校で伝えそこなったから来たんだよねー。勘違いしたままじゃ、陸上部に戻りにくいだろうと思ってさー。それに、同じクラスだし」

「勘違い?」

「そうだよ。じゃあアタシは話題を振ったから、後はくるみに任せるよ。剛塚、いこ」

「おう」

未華と剛塚は「ちょっと安西のいる農園に行ってくるや」と言って、その場を離れた。

マンション前の道には僕とくるみだけが取り残された。

 

 

僕とくるみが無言で向き合って数十秒、僕は「迷惑かけてゴメン」と当り前の事を言った。

「こんな遠くまで来させちゃって・・・。心配かけちゃってごめん」

すると、くるみは頭を下げて大声を出した。

「ごめん!英太くん!!」

くるみが大きな声を出すというのは、あまり無いので僕は驚いて心臓がドキンとした。

「私・・・、何だか冷たく当たっちゃって・・・。その・・・」

何故、くるみが謝るのか?全くわからなかった。

「ちょ・・・くるみ、顔を上げてよ!」

言われてくるみはゆっくりと顔を上げた。

「くるみ・・・、何で謝るの?」

くるみが拳に力を入れているのがわかった。

「私さ・・・。合宿中に・・・英太くんの携帯電話を見ちゃったんだ。その・・・、メール画面を」

やっぱり・・・。

全ての原因は、やはりあのメールから始まっていたのか?

「それで・・・その・・・。英太くんが長谷川麻友っていう人と二人で映画に行くって知って・・・。それでその・・・」

急にごもごもとする。ややあってから、話を続ける。

「ま、前に・・・英太くん、私と二人でカフェにお茶しに行ったじゃない。その時、私にも映画を誘ってくれたりして・・・」

確かに多摩センター駅近くでお茶して、勇気を振り絞って映画にも誘った。

あの頃の僕はくるみと上手く行く気がしていて、そんな事まで誘っていたんだった。

思い出して顔が熱くなるが、くるみは全く気付かずに話を続けた。

「それで・・・それでね、メール見て・・・、英太くんってどの女子にでも映画とか誘うんだって思って・・・、何か、悔しくて頭来ちゃって・・・。それで冷たい態度とっちゃって・・・ごめん」

ああ、そういう事なのか・・・。

「ど、どんな女子にでもって訳じゃないよ」

「え?」

何でイキナリそんな事を言ったのか、自分でも信じられなかったけど、とにかくそう言ったんだ。

「くるみと映画行きたくって誘ったんだ。でも長谷川さんと行ったのも本当なんだけど・・・」

「長谷川さんって・・・英太くんの彼女?」

くるみは僕の目を直視して聞いてきたけど、僕は即答した。

「違うよ。昔、仲良かったから・・・映画に付き合ってもらっただけ。彼女とかじゃないし・・・それに・・・」

僕はゴクリと唾を呑んだ。

次の言葉を言えば、もう長谷川さんと先に進む事は無くなる。

でもそれでいいんだ。僕は、やっぱりくるみが好きだから。

「長谷川さんとは彼女とかそういう関係になる様な間じゃないから・・・やっぱり二人で出掛けるのはやめようと思ってるんだ」

するとくるみは「・・・そっか」と言って目を逸らした。

そして「ごめん、変な事を聞いちゃって」と呟いた。

「いや、僕が悪いんだよ・・・。何だか変な行動とかしちゃったから・・・」

そうして沈黙が流れた。

するとそこへ銀色のワゴン車がやってきて僕らの横で停車した。

「終わったか、話は」

運転席の窓がうぃーんと開き、そこからそんな声がした。

声の主は五月先生だった。先生は扉を開けて車から降りてきた。

「先生・・・」

「相原」

五月先生はやや怒っている様な表情をしていた。

「オレは普段よー」

唐突に、遠い目をして先生は呟いた。

「オレは普段、自分から動く様な事はしねー。でもよー、自分の生徒達に必死に頼まれた時は話が別だぜー」

そして後部座席の方を見るように親指で促した。

後部座席には、安西の農園に行ったと思っていた未華と剛塚が乗っていた。

「未華とくるみに頼まれたんだ。部の活気を取り戻すため、相原を迎えに山梨まで連れて行って下さいってな。相原、お前、必要とされてんなー」

ニヤリと笑い、僕の頬に軽くビンタを浴びせた。

「いて!!な?な?」

「必要とされる様なヤツが簡単に逃げ出すんじゃない。帰るぞ、いいな相原」

たたみかける様にくるみが続く。

「帰ろう」

後部座席では未華が笑い、剛塚が「乗れよ」と手で合図をしていた。

僕は・・・

僕は一体何をしていたんだろうか。

こんな仲間思いな人達に恵まれていたのに、ちょっとした失恋気分で逃げていたなんて。

もう、逃げるのはヤメだ。

僕はすうーっと思いきり息を吸い込んだ。

「な、何してんだ相原」

キョトンとする五月先生と、くるみ、未華、剛塚に、そしてここにはいない陸上部の仲間達に向けて出せる限りの大声を出した。

後悔と反省と感謝と・・・色んな想いを込めて。

「どうもすいませんでした!!!」

あまりの大声に、近くにいた鳥たちがバタバタと飛び立った。

その鳥達の方を見て、僕はある事に気付いた。

昨日、水をやった例の向日葵が元気を取り戻していたのだ。

向日葵が水を得て元気になったのなら、僕も元気を取り戻そう。

水ではなく、仲間という理由で。

 

 

そうして僕は東京へ戻る。

季節は夏から秋へと変わろうとしていた。

それは三年生の引退試合のある季節。

つまり、雪沢先輩と穴川先輩の最後の戦いとなる季節の始まりだった。

 

 

空の下で 向日葵の部 END

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2009年9月30日 (水)

向日葵の部/目次

 

・・・あんなに色んな事があった夏が過ぎていく・・・

波乱の夏合宿が始まる!!

 

向日葵の部 全編

 

1.夏の始まり

2.夏の行方(その1)

3.夏の行方(その2)

4.夏の行方(その3)

5.夏の行方(その4)

6.夏の行方(その5)

7.夏の行方(その6)

8.夏の行方(その7)

9.夏の行方(その8)

10.夏の行方(その9)

11.夏の行方(その10)

12.夏の行方(その11)

13.夏の行方(その12)

14.夏の行方(その13)

15.迷走(その1)

16.迷走(その2)

17.迷走(その3)

18.英太のいない陸上部

19.山間の町(その1)

20.山間の町(その2)

21.山間の町(その3)

22.山間の町(その4)

23.山間の町(その5)

24.山間の町(その6) 夏の終わりに

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