2-5.空の下で-金木犀

2009年10月 1日 (木)

空の下で-金木犀(1) 上京少年

 

「君、足速そうだよね。ちょっとウチの部、見学してみない?」

 

雪沢先輩に初めて声をかけられたのは、一年生の春、校門での事だった。

一体、何を見てそう思ったのかわからないが、僕の陸上部員としての始まりは間違いなくその言葉だった。

そうして僕は牧野と一緒に陸上部の見学に行ったのだった。

あの時は緊張したもんだ。

高校生活が始まり、右も左もわからない中で、全く知識の無い陸上部へと見学しに行ったのだから。

くるみとの事を除けば、これまでの高校生活で一番緊張したのはその時だったような気がする。

そして今、約半月に及んだ逃亡を終え、久しぶりに部活へ顔を出すところだ。

ただの練習に出るだけなのに、初めての見学の時と同じくらい緊張していた。

足が震え、呼吸も乱れているのが自分でもわかる。

それでも、制服を着て、校門をくぐり、部室の前まで辿り着いた。

8月31日、夏休み最後の日、まるで新入部員のごとく緊張した僕は意を決して部室の扉を開けた。

 

 

空の下で 2nd season - final

金木犀の部

 

「おはようございます!」

部室の中には長距離メンバーが揃っていて雑談していた様だったけど、みんな一斉にこっちを見た。

僕は間髪入れずに頭を下げて言葉を続ける。

「勝手に半月も部活休んでしまってすいませんでした!!」

こちらを向いて無言になるメンバー達。それでも僕は構わずに頭を下げたまま続ける。

「いきなり休んでみんなに迷惑かけたのはわかってます!でも、やっぱり戻らせてください!僕はこの部で・・・この多摩境高校陸上部で走りたいんです!!」

言葉を言い終わると部室に静寂が流れた。

数秒して「それでさー」という牧野の声が聞こえた。

何かと思って顔を上げると、牧野が染井に「やっぱ腕ふりがなってないんだよお前」と言い、何やら指導を始めた。

それをキッカケにみんなそれぞれが雑談の続きに戻った。

ヒロが剛塚に漫画の話題を振り、早川が未華にメイクの話題を振り、穴川先輩と名高は陸上に雑誌に目を落とした。

ゾクリとした。

無視されている・・・?

呆然と立つぼくをくるみと大山だけが心配そうに眺めていた。

雪沢先輩が僕の前に立つ。

「相原」

爽やかな顔立ちの雪沢先輩が鋭い視線を送ってくる。

「は、はい」

何を言われるのかと心配になり、呼吸がさらに乱れる。

「反省するとこは反省しろ。でも引きずるな。今日からはまたキチンと練習すればそれでいい。もちろん、次に勝手に逃げたらもう知らないけどな」

冷たくでも優しくでもない声で雪沢先輩はそう言う。

「どうせ、みんな大して気にしてない。ホラ、もうみんな普段通り雑談してんだろ」

それってシカトしてるんじゃ・・・。と内心ドキドキする。

その時、牧野が大声を出した。

「よーし!行くかー!今日の練習へ!!」

ヒロが「おー!」と拳を振り上げて立ち上がる。

「お前が仕切るな」と穴川先輩が牧野の頭を叩く。

みんなが立ち上がり、こちらを向いた。

「何ボーっとしてんだ相原。早く着替えろよ。もう時間だぞ」

穴川先輩が白けた様な口調でそう言い、染井が「はやく行きましょうよ、相原先輩」と続いた。

「ほら見ろ」

雪沢先輩が僕を見て笑った。

「みんな気にしてないだろ?」

そう言って部室から出て練習へ向かっていく。

部室の入口に立ち尽くす僕の肩を穴川先輩がポンと叩いて部室を出て行った。

続いてみんなが順番に僕の肩を叩いて部室を出て行く。

早川、剛塚、大山、未華、名高。染井とヒロは会釈をして出て行く。

くるみは「行こう」と言って行った。

最後に部室には牧野が残っていて、僕の方を見ていた。

「よう、上京少年」

「はあ?じょ、上京??」

「だってそうだろ?山梨県からやって来たらしいじゃねえか。山梨から東京へやって来たんだから上京少年だろ。あ、もう青年か?」

牧野は実に楽しそうに話している。

「まあ、しばらく休めば?なーんて言ったのはオレだからさ。何だか責任感じちゃうところだけどよ。こんなに長く休むとは思わなかったぞ。引責辞任しようかと思ったぜ」

「い、隕石?」

牧野は「はあ・・・」とため息をしてから言葉を続ける。

「天然ボケ相手は疲れるな」

「誰がだよ」

「英太」

「まさか」

何だかこうして下らない会話をするのは久し振りだ。思わず苦笑してしまった。

「お?認めたのか?天然ボケを」

「認めないって。それよりもごめん。何だか色々迷惑かけたみたいで」

「ん?まあさっき言ったけど、休めばって言ったのはオレだからな。それにオレは何も心配してなかったしな。名高もそうだったらしいけど」

「え・・・、何で」

牧野は笑顔でこう言った。

「どうせ戻ってくるって思ってたから。お前は走るのをやめたりしないってね」

だから山梨に迎えに行く話が出た時も、牧野は「オレはいいや」と断ったそうだ。

そんな暇があったら未華より早くなるために練習したいと言ったらしい。

そして山梨には同じクラスという事で未華と剛塚が向かい、何故かくるみが「私もついてく」と粘って同行したという事らしい。

「そうだったのか・・・」

「そういう事。あとねー、英太」

牧野は含み笑いっぽく言った。何だか嫌な感じだ。牧野のこういう笑みは嫌だ。

「オレね。謎が解けちゃったよ」

「な、謎?」

「そう!謎は全て解けた!真実はいつも一つ!」

牧野は高らかに宣言した。こいつこそ天然ボケなんじゃないか??

「何の謎だよー・・・」

「くるみの謎」

「はあ?」

「いや、表現違うかな。くるみの行動の謎、柏木の行動の謎、早川、未華、英太、全ての行動は一つの事件に繋がっていた!!」

興奮口調の牧野は早口でそう言って僕を指差した。

「自分で解いてみろ!そうすりゃハッピーエンドだ!!」

そして急に真顔に戻ったかと思うと「行くぞ英太。練習」と言い部室を出て行った。

「なんなんだよ一体・・・」

そう思いつつも、僕は部室に入った。もう足は震えてはいなかった。

 

 

僕は久し振りに練習用のジャージに着替え、校庭へ向かった。

校庭では長距離メンバーが「遅いぞー!」とか「早くしろー」とか言って手を振っている。

ここが、と思った。

ここが僕のいるべき場所だったんだ。

大切な仲間と、大切な場所。

もう、逃げない。

例え辛い事があろうとも、ここが僕の頑張って行く場所なんだ。

僕は全力でみんなの所へと走りだした。

 

空の下で 金木犀の部「上京少年」END

→NEXT 金木犀の部「つながり」

 

にほんブログ村 小説ブログ 学園・青春小説へ にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ Photo Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 5日 (月)

空の下で-金木犀(2) つながり(その1)

季節変わりというのは空気の変化でわかる気がする。

冬から春へ。春から梅雨へ。梅雨から夏へ。

空気の質みたいなものが変わる様な気がする。

もっと言えば風が違う気がするんだ。

そして、一番よく風が変化するのがわかるのが、夏から秋への変化だ。

ムシムシしたエネルギー満点の熱い風から、少しカラッとした切なさと寂しさを含んだ冷たい風になる。

そんな事を牧野に言ったら「オレ、そういう表現好きだな。なんかグッと来るね」と褒められたが「それをくるみに言ってみたら?おえ!気持ちワルイ!!」と続けて言われた。

 

 

二学期が始まり、授業も部活も通常通りになった。

嬉しい事にくるみとの会話も元通りになり、まるで何も無かったかの様に日常が進んだ。

ただ一つ、変わっていたのは僕の実力だ。

二学期最初の練習でいつも通り走ってみたら、すぐに息が上がりまるで走れなかった。

大山にもヒロにも後れをとり、ダントツのビリだった。

「うわ!遅いっすね相原先輩!!」

と、嬉しそうに声をかけてきたのはヒロだ。

珍しく自分より後ろに人がいたのが嬉しいらしい。ニヤニヤしまくっていた。

 

 

「相原、ちょっと話いいか」

練習後、雪沢先輩に声をかけられたのは練習二日目の事だった。

話はみんなが帰った後に部室に居残りさせらる形でだった。

室内には僕と雪沢先輩と五月先生だけがいた。

五月先生は部室の窓から夜の空を眺めていて、話は雪沢先輩が切り出した。

「相原、来週の新人戦なんだけどな」

雪沢先輩は厳しい表情だ。

「相原には外れてもらおうと思ってる」

ギクリとした。が、予想もしていた。

新人戦というのは公式な大会だ。

来週、いつもの下柚木競技場で支部予選会が行われ、上位八位に入賞すれば世田谷区の駒沢競技場で行われる都大会へと進めるのだけど、今の僕の状態では入賞どころか制限時間にゴールできるかどうかも怪しい。

ちなみに新人戦という名前ではあるけど、出れるのは一年生と二年生だ。そして一つの高校から同じ種目へ何人でも出れる訳ではなく、三名までという規制がある。

「相原が出場予定していた5000mは、名高と牧野、そして染井を出そうと思う」

僕の代わりは染井・・・か。

染井は一年生なのにメキメキと実力を伸ばしていて、剛塚や大山はもちろん、三年生の穴川先輩にも匹敵する記録を出している。

5000mの記録に限れば、名高、雪沢先輩、牧野、ぼくに次ぐ記録だ。

「相原、悔しいかもしれないけど、今の相原の状態じゃ、他のヤツが出た方がいい経験になるんだ。ここは耐えて次の機会を狙ってくれ」

僕は頷いた。

もちろん、新人戦に出たい気持ちはある。

僕は二年生だから、この大会に出るチャンスは今回が最後だ。

ここを逃したら、もう二度と新人戦に出る機会は無い。

でもそれは仕方のない事だとあきらめた。

半月間も逃げ回った代償だ。

それにしても半月休んだだけで、これほどまでに走れなくなるとは思わなかった。

 

 

練習を開始して五日、やっとマトモに腕が振れる様になり、足が前に出る様になったが、どの練習でもすぐに息が上がり、やっとの事でヒロと互角というところだった。

「く!!もうボクに追いついてきたんですか!!負けるか!!」

80分ジョックで僕と一緒に走り終えたヒロは鬼の形相でそう叫んでいた。

 

 

その日の練習後、暗くなった校庭の横を歩いていると、あの男がサッカーボールをドリブルしながら走ってきた。

「よー!相原ー!!」

かなり暗い中、正確にボールをコントロールしながら爽やかスマイルを僕によこす。

久し振りに見る柏木直人は、日焼けをしていて雰囲気が少し大人っぽくなっていた。

「久し振り、柏木。真っ黒じゃん」

「だろ?夏休み中、ほとんど休みなく練習してたからよ。いくら日焼け止め塗ったってムダなくらい外にいたからな。まあ、日焼け止めを塗った訳でもないけど」

そこで歯の見える爽やかスマイルでニッと笑った。

「相原はどーしてたん?あんま部活に出てない様な気がしたけど」

「僕?んー。まあ田舎暮らし・・・かな」

「なんだそれ?自分探しってヤツか?大丈夫かよ、そんな事してて」

「今はダメだよ。試合も出れないくらいだし。でも必ず復活する。走るの楽しいって改めて気がついたしね」

僕が堂々とそう言うと柏木は「そうか」と言って少し沈黙した。

「どうかした?」

僕がたずねると柏木は真顔で変な事を言い出した。

「なんか、変わったか?相原って」

「え?いや、別に。僕は何も」

「そうか?でも何かどっか変わった様な・・・。前はもっと弱々しく、ぼくって・・・みたいな事を言ってた気がしたんだけどな・・・。なんか、こう・・・」

「こう・・・?」

「力強くなったような」

「ええ?実力は下がったよ?」

柏木は腕を組んで僕をジロジロと見る。

「いや、何か変わった。何だかわかんねーけど」

「ナニソレ」

そう言って僕と柏木はお互いに笑い合った。

くるみの彼氏かもしれない男と笑いあうなんて、僕はどうかしちゃったんだろうか。

「ところで、相原さあ。この後、時間ある?」

再び真顔に戻った柏木がそう聞いてきた。

その眼には力強い意志みたいなものが感じられた。

これは・・・、もしかしたら何か確信に迫る事を聞けるかもしれないと思って、僕は答えた。

「平気だよ。どっかで話す?」

すると柏木は真顔のまま「じゃあ、制服に着替えてすぐ行くからさ。駅前のハンバーガー屋で待ってて」と言った。

 

 

駅前のハンバーガー屋は空いていたけど、わりと大きめなボリュームでJ-POPが流れていて、騒がしい雰囲気だった。

僕がポテトとオレンジシュースを買って四人がけのテーブル席に座っていると、十分ほどして柏木もジュースを片手にやってきた。

「お待たせ」

テーブルを挟んで反対側に柏木が座る。

「相原には色々と迷惑かけちまったみたいだな」

イキナリそんな事を言い出す柏木に、僕は少し不安を覚えた。

「な、何が?」

「いやさ、オレとくるみが会ってるの、見られちゃったみたいだしさ」

柏木の口からくるみの名前が飛び出したので、僕は不安というよりも息が苦しくなってきた。

「知らなかったんだよ。相原がくるみの事を好きだなんてさ。ホント、ごめん」

「ご、ごめん?」

今度は怒りがこみ上げてきた。

僕がくるみの事を好きだと知って、自分がくるみと付き合っておいて・・・ごめんだって?

思わずテーブルを叩こうと思った時、柏木の横に多摩境高校の制服を着た女子が座った。

ポカンとする僕にその女子が言う。

「驚いた?英太くん?わたしが来るなんて」

僕はその女子を数秒見た後に、柏木の方を向き「どういう事?」と聞いた。

「相原にオレの彼女を紹介しようと思ってさ。そうすれば相原の気持ちにも決着が着く事になるんじゃないかって、オレとこいつとで相談したんだ」

柏木がそう言い、女子が言葉を続ける。

「あ、勘違いしないでね。付き合い始めたのは最近だから。英太くんが山梨に逃げてた頃だよ。色々あってさ。こうなったわけ」

一体これはどういう・・・?そんな表情をしている僕に柏木は言った。

「一応ちゃんと紹介するや、オレの彼女、早川舞です」

そこから語られたのは、これまで僕が考えていたのとは全く違った展開の話だった。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 8日 (木)

空の下で-金木犀(3) つながり(その2)

午後七時のファーストフード店にいる高校生というのは、大抵が部活帰りや塾帰り、そして何かを勉強している人ばかりだ。

その中で、僕と柏木と早川舞の三人は謎解きをしに来ていた。

柏木は「オレの彼女」と言って早川を紹介した。

知っている。柏木と早川が昔付き合っていたというのは。

ところが早川は「最近付き合った」というじゃないか。

これは一体どういう事なんだ?と、いうかくるみはどうした?

「混乱してるね」

早川が自分の長い髪の先端をいじりながら言った。

「英太くんさ、勘違いしてるんだよ。くるみをさ。直人と・・・、柏木と付き合ってるとでも思ってるんでしょ?まあ、わたしもそう思ってたんだけどさ」

思わず僕も言う。

「そうだよ。くるみと柏木って付き合ってるんじゃなかったの?よく二人で会ってたじゃん!」

情けない事に、なんだか興奮してしまった。

そんな僕を見て柏木は「わるい」と言った。

「な、なんだよそれ」

「相原、ほんとわるい。全部オレがいけないんだ。勘違いさせる行動しちまったから」

柏木は本当に申し訳なさそうな声を出した。そして「全部聞いてくれるか?」と聞いてきた。

「ていうか・・・全部話してよ」

ちょっと強い口調で僕は頼んだ。

そうして柏木と早川が話してくれたのは、僕が今まで考えていたのとは、だいぶ違う展開の話だった。

 

 

 

柏木は高校に入学した時、実は彼女が存在していたらしい。

そのコは中学の卒業式の時に告白してきた人で、前から気になっていた人だったのですぐに付き合ったという事だった。

でもサッカー部での練習が忙しくなるにつれ、そのコには不満が溜まっていったのだという。

「もっとワタシの相手もちゃんとしてよ!!」

毎日毎日、走りまわりボールを追っかけていた柏木には、そのコの相手をしている体力と時間は無かった。

「オレだって忙しいんだよ!!」

なかなか会えずに、次第に疎遠になっていった二人。

そこに現れたのが早川舞だったらしい。

早川とはすぐに仲が良くなり、一年の夏頃には二人は付き合いだしていた。

「わりいな舞。次の日曜、試合だから会えなさそうなんだ」

柏木がそう言っても早川は「いんじゃない?毎週イチャつく必要もないっしょ」と冷めた対応だった。

そんな早川に、柏木は好印象を持ったらしい。この辺りを話す時の柏木はニヤけてて少しムカついた。

とにかく! 前の彼女の様に「また会えないの?」とは言わない早川との付き合いは続いた。

 

 

秋になり、早川が陸上部の試合に出る事が続くと、柏木は応援した。

「頑張れよマイ!!」

ところが早川の返事は、毎回気の無いものだった。

「んー、まあテキトーにやるよ」

元々、健康作りで走りだした早川だ。試合の記録とかには興味が無かったから、そういう返事をしていた。

しかし、試合の回数を重ねていくうち、柏木は言ってしまったのだ。

「もっと一生懸命やれよ」

「なんでよ。別にいいじゃん」

「よくねーよ。他の女子選手はもっと頑張ってるじゃんかよ」

「ああ、未華ね。あのコは実力あるんだよ」

「他にもいるだろ?若井さんてコなんて遅いのに一生懸命じゃねーかよ!ああいう風に頑張れって」

「一生懸命・・・ね」

部活に燃えている柏木としては早川の冷めた感じに嫌気がさしていた。

そうして、年が明ける頃には二人は別れていた。

 

 

一度は別れたものの、柏木はやっぱり早川が気になっていたらしい。

同じ陸上部の相原英太・・・つまり僕に早川の様子を聞く事にした。

「早川舞って新しく彼氏とか出来たとか知ってる?」

僕も覚えているが、この頃の柏木はやたらと僕に話しかけて早川の事を聞いていた。

おまけに「彼氏出来たのかどうか調べて」なんて頼まれたくらいだ。

 

 

この頃だ。柏木がくるみに話しかけ出したのは。

柏木としては早川と仲のいいくるみと仲良くなろうという姑息な手段に出たのだ。

後に未華が「柏木は姑息だよ」と言うのはこの辺りの事情があるっていう事かもしれない。

でも、当時の早川はそうは受け止めなかった。

「一生懸命なくるみ」の事を好きになったのかと思い、くるみの事が好きな僕に忠告をしてくれたんだ。

都内の遊園地ラクラクーの観覧車の中で早川と二人きりになった時の事だ。

「くるみって一生懸命だよねー。見ていて悔しくなるぐらい真面目で一生懸命。もちろん未華もなんだけどさ。未華と違ってくるみって早くもないのに一生懸命なんだよ」

早川はしきりに「一生懸命」という言葉を使っていた。 

「直人さ、一生懸命な人が好きらしいよ。女のコも。相原、私の言ってる意味わかる?」

この時、僕は初めて柏木に警戒心を持ったのを覚えてる。

 

 

早川は僕に忠告した後、自分が柏木とくるみが仲良くなるのが気に入らない事に気づいたらしい。

やっぱり柏木の事があきらめられないんだと。

じゃあ、どうすればもう一度付き合えるのかと言えば・・・

考えた早川は柏木の昔の言葉とくるみの行動を見て思いついた。

一生懸命さが足りない??

だって部活は健康つくりのためだったのだから仕方ない。

じゃあ、一度、一生懸命に走ってみようか。そう思い、早川はキチンと部活に出続けた。

 

 

そうして季節は巡り、冬から春、春から梅雨へと変わった頃だ。

柏木は行動に出た。

くるみを体育館裏に呼び出したのだ。

呼びだして頼んだのは「早川に彼氏がいるのか教えてほしい」という下らない事だった。

この時、呼び出されたのを伝え知った僕は「柏木がくるみに告白する」のかと勘違いしている。

でも真実を知った未華は「大丈夫だよ。英太はちゃんとくるみを見ていれば大丈夫!柏木なんか気にせずにさ。柏木はけっこうセコイよ。セコイ事やってる」と言ってくれた。

 

 

そして夏休み。サッカーの大事な試合が終わった柏木は、くるみに電話をした。

「早川と会えないかな・・・その、一度ちゃんと話をしたくてさ」

「うーん、じゃあどこかで一度、打ち合わせする?ケーキでも奢ってくれたらね」

くるみにしてはずいぶんと現金な事を言っているけれど、わからない事でもない。

カフェ好きなくるみの事だからそう言ったんだと思う。

そして柏木とくるみが打ち合わせするのは調布のカフェに決まったらしい。

 

 

そして陸上部の伊香保合宿中の事だ。

柏木は夜遅くに電話をかけた。

「じゃあ調布のカフェでね。ちゃんと奢るから頼むよ」

柏木が言うには、くるみは柏木と会うのをあまり人に見られたくなかったらしい。

前回、体育館裏で会った時も、未華に「そういうのやめなよ」と言われたらしく、この時のくるみは柏木にこんな事を言っている。

「今回も二人で会うってのは秘密でお願いね。だから柏木君も誰にも言わないでね。まだ、バレたくないんだ」

この電話は深夜の伊香保合宿所のホテルでの事だった。

僕が聞いてしまった電話だ。

この言葉を聞いて、僕は柏木とくるみは付き合っているのかと勘違いした訳だ。

それで、逃亡するんだけれど・・・まあそれは今回はいい。

 

 

そうして柏木とくるみは調布のカフェで会い、柏木は「早川への想いは本物なんだ」とか言い、くるみは二人を引きあわせた・・・という。

 

 

「で、今は復縁したって訳よ。な」

「そういう事」

柏木と早川は隣に座りながら長い長い話を終えた。

「な、なるほどー」

これで今年の柏木の行動も、早川の言動も、くるみの言動も全て繋がった。

「そういう事だったんだね・・・。いやあ・・・なんか僕、勘違いしてたよ。柏木ってくるみが好きなのかと思ってた」

「わるい!ホントわるい!」

柏木は手を合わせて拝むようにして謝っていた。

「だからさ・・・」

唐突に早川が呟く。

「英太くんも、一生懸命、くるみを目指しなよ」

早川は視線を僕から逸らした状態でそう言った。

一生懸命・・・。早川には似合わない言葉だと思ってた。でも今、似合ってるかも・・・なんて思えた。

 

僕は勝手に全ての謎が解けたなんて思っていた。

牧野もそんな事を言っていたわけだけど、牧野は僕よりももっと奥まで謎を解いていたのに気づくのはもっと先の話だ。

それはつまり、くるみの気持ちについてなんだけど、僕はそこまでは考えられなかった。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月12日 (月)

空の下で-金木犀(4) つながり(その3)

久し振りの下柚木競技場は大勢の選手でスタンドが埋まっていた。

ベンチ席があるホームストレート側はもちろんのこと、芝生席であるバックストレート側も各校の選手がところ狭し陣取っていて、歩くのが大変なくらいの混みようだ。

僕ら多摩境高校も朝から一年生が頑張ってテントを張り、バックストレート側中央最前の芝生席にテントとブルーシートをセッティングした。

「さすが、久しぶりの公式戦ですね」

テントを張り終わった染井が、後からやってきた僕にそう言った。

テント張りのせいか、朝九時だというのに汗をかいている。

「相原先輩の分まで頑張りますよ」

染井は不敵な笑みを浮かべながらそう言う。

今回の試合は新人戦の支部予選会で、出場者もすでに決まっている。

男子1500mに、剛塚と大山とヒロ。

男子5000mは、名高と牧野と染井。

女子3000mに、未華とくるみと早川だ。

ちなみに男子800mに、たくみが出る。

長距離チームでは三年生と僕だけが出場予定が無いので、記録係は僕がやる事にした。

とはいえ、今の染井の発言は何だか僕がいなくなってしまったみたいで嫌だ。

 

 

男子1500mの時間になり、僕は雪沢先輩と未華とくるみと一緒に芝生席の一番前に陣取った。

1500mの第1組には剛塚がエントリーされている。

「剛塚、健闘してくれるといいですね。多摩境高校の一番手だし」

僕がそう言うと未華が「あたりめーだ!」と乱暴な言葉使いで同調した。

第1組がスタートし、僕らの前をすごい速さで駆け抜けていく。

剛塚は中盤くらいに位置していた。

「ファイトー!!」「ガンバー!!」

各校のメンバーも応援を繰り広げ、僕らも大声を出した。

剛塚は37人中20位でゴールした。

 

 

続いて、第3組に大山とヒロが登場した。

また少し痩せた体を必死に動かして大山が走り、ヒロがメガネを何度も触りながら走る。

34人中、大山は23位。ヒロは29位だった。

もちろん予選敗退だけどヒロは「手ごたえ有り!」と叫んでいた。

 

 

お昼頃には男子800mにたくみが登場した。

猛スピードで最初の500mを一位で走っていたが、他の選手と接触し転倒、リタイヤとなった。

レース後、短距離の仲間に支えられながら戻ってきたたくみは涙を流していて、僕は声をかける事が出来なかった。

今日まで必死に練習してきたのに・・・。そう思うと余計に言葉が無かった。

 

 

短距離チームも奮わなかった。

男子、女子ともに100m、200m、400mと全員が敗退。

女子幅跳びで一年生が9位と健闘したが、都大会に進めるのは8位までなのでギリギリで涙を呑んだ。

 

 

そうして女子3000mの時間になった。

この種目は一発勝負で32名が走り、上位8位までが都大会に進出だ。

多摩境高校の女子三人組がスタート地点に姿を現した。

牧野が声を張り上げる。

「よしみんなー!この負け雰囲気を吹っ飛ばす様な派手な応援で行くぞー!!」

「ど、どんな?」

「とにかく喉が枯れるまで声出せばいいんだよ!」

単純明快だけど、確かにそれがいい。

「よーい・・・」という声の後、ピストルが鳴り響き、32名の選手が一斉に駆け出した。

あっという間に僕らの前を走り抜ける。

集団になったまま走る32名が巻き起こす風が僕らにも届いた。

しかし一周もすると、すぐに集団はバラけた。

先頭集団と後続に別れ、先頭集団は6人で形成されていた。

その中に、未華がいた。

「すっげーぞ未華!行け行け!!」

牧野が跳びあがる程に興奮して声を出している。

でも誰も苦笑なんてしない。必死に声を出して未華、くるみ、早川の応援をする。

くるみと早川は並んで15、16位あたりを走っている。

一生懸命・・・か。

早川はその言葉に振り回されてこの一年を過ごしてきた。

一生懸命さが足りないと柏木に言われ別れ、一生懸命なくるみに憧れ、そしてついにはこんなに一生懸命に試合を走っている。

「ファイトだ!!早川!!」

思わず個人名付きで応援をしてしまった。

「ファイトー!マイー!!」

その声にギョッとして声の方を見ると、遠くの席で柏木がサッカー部の仲間と一緒に応援しているのが見えた。

「いいな」

思わず呟いた。彼氏からの応援なんて嬉しいだろうな・・・と。

 

 

1600mを走った時、早川はくるみから遅れだした。

必死に応援する柏木。

しかしくるみも他の選手に抜かれていく。

僕は声を上げて応援する。拳に力を入れて、無我夢中に。

「くるみー!!!ファイトー!!早川ー!!未華ー!!」

別にそれでくるみ達がこっちを見るわけはない。

でも、きっと、力になる。

仲間の応援というのは力になる。

そう、僕らは同じ部活の繋がりを持った仲間なんだ。

その仲間の応援は、きっと何よりのエネルギーとなるはずだ。

 

 

ラスト一週に入り、未華は7位を走っていた。

そのすぐ前には、あの古淵由香里が走っていた。

伊香保の合宿で、未華がいつも勝とうとして勝てなかった、百草高校のエースの古淵由香里さんだ。

いつかは勝つ、未華は合宿後半にそう言っていた。

合宿では一度も勝てなかった相手に未華は必死に食らい付いて走っていた。

正直、古淵さんに追いついた時の未華の表情はかわいくは無かった。

でも、そんなのどうでもいい様な激烈なデッドヒートだった。

ラスト250mで二人は並び、200mで未華が体ひとつ前に出た。

しかし残り120mくらいで古淵さんが再び前に出たんだ。

「こ・・・の・・・!!」

未華がそう心で叫び、残り70mで古淵さんを置き去り、6位でゴールした。

 

 

結局、未華が6位。古淵さんは7位で都大会進出。

くるみは17位、早川は22位だった。

くるみと早川は予選敗退だけれど、二人とも記録を更新し、笑顔で帰ってきた。

それを見て、今回出場できない自分が悔しかった。

なんで半月も走らなかったのか。後悔しても遅いのだけど、やはり後悔した。

 

 

この後は男子5000mに名高と牧野と染井が出る。

そこには葉桜高校の秋津伸吾や内村一志も出る。

そしてこのレースで僕らは、言い様の無い怒りを感じる事になる。

僕らは忘れていたんだ。安西や百草高校の町田康一さんが言っていた事を。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月15日 (木)

空の下で-金木犀(5) つながり(その4)

少し前までより乾いた風が競技場に吹いている。

その中で、多摩境高校の陸上部のメンバー全員がトラックに集まった選手の一団を見ていた。

男子5000mの出場者達だ。

この種目には多摩境高校のエースである名高、そして牧野と染井がエントリーしている。

出場者は55名いるので、スタート地点はかなりごったがえしている。

多摩境高校の陣取っているテントは5000mのスタート地点に近い位置にあるので、ここからでも名高たちの姿は確認出来る。

名高と牧野はすでに試合慣れしているのか、ジャンプしたり体をひねったりしてウォーミングアップで温めた体を冷さないようにしているのが見える。

染井は公式戦は初なので緊張してるかと思いきや、かなりリラックスしている様子だ。

逆に、三人のサポートでスタート地点にいる大山とヒロが、おろおろしてる感じがする。

「大丈夫かな」

すでに都大会行きを決めた未華が僕の隣に立ち、心配そうにスタート地点を見ている。

「誰が?大山とヒロ?」

僕がそう聞くと未華が意外な事を言った。

「牧野」

「え?」

すると未華は自分の言った事に気づいたらしく、顔を赤らめて「いや!いやいやいや!」と言って顔の前で手を横にブンブンと振った。

「いや!牧野の心配ばっかしてる訳じゃなくって!違うって!みんなの心配してるんだって!あーもう、英太くん!勘繰るのやめてよね!最悪!!」

めちゃくちゃ必死に否定しまくる未華に思わず吹き出してしまった。

が、すぐに頭を後ろから叩かれた。

「なにイチャついてんだ相原、大塚。ちゃんと見ろ、もうスタートしたぞ」

叩いたのは穴川先輩だった。言われてトラックを見るとすでにスタートしていた。

「うわ!スタート見逃した!!」

「最悪!やっぱ最悪!!」

55名の選手が最初のコーナーを走って行く。

5000mというのは400mのトラックを12週と半分を周る競技だ。

いつもはこの中にいるはずなのに、今回は応援に回ったのが少し悔しいけれど、名高たちが僕らの前を通り抜けるたびに僕は大声を出した。

距離が進むにつれ、先頭から選手が次々と遅れて行く。

2000mを過ぎると、先頭集団は15人ほどまでに減っていた。

その中に名高も牧野も染井もついていた。

「すごい」

いつの間にか未華の隣にくるみが立っていて、ボソリと呟いたのが聞こえた。

そう、これは凄い。三人とも先頭集団についていってるなんて。

そう思った時、一人の選手が先頭集団からさらに前に出たのが見えた。

「あれは・・・赤沢だな」

穴川先輩が厳しい表情でそう言った。

「赤沢?」

「松梨大付属高校の二年生エースの赤沢だよ。去年の今頃は雪沢と同じくらいだったのが今年に入って物凄い勢いで成長してるヤツだ」

松梨大付属高校というと、この地区の運動部では有名な私立高校で、陸上部もかなりの強豪だ。

それに・・・長谷川麻友さんが通っている高校でもあるんだよね・・・。関係ないけど。

「ファイトー!!」

赤沢に続いて名高が僕らの前を通り抜ける。

「に、二位で走ってる!!」

そのすぐ後ろには、白髪の選手と秋津伸吾が続いた。

「な、なんだあの髪の毛はー?!」

「染めてるんだろ」

ややあって牧野と染井を含めた10名の集団が通り抜ける。

「牧野ー!!」「ファイトー!!」「多摩境ファイトー!!」

僕らは必死に声を出す。

声で背中を押すぐらい出来るんじゃないかと錯覚しながら声を出す。

4000mを最初に突破したのは赤沢で、その後ろに名高と秋津と白髪の選手が続いた。

この四人はすでに遅い選手を周回遅れにしながら走っている。

牧野はというと10位前後を走っていて、染井は15位ほどの位置につけている。

「都大会へは8位までだから・・・牧野、チャンスあるんじゃねーか?!」

剛塚が興奮してそう言うと、未華の声にも力が入った。

「牧野!!死ぬ気で頑張れ!!」

その時だった。

わあ!!という歓声とも悲鳴ともつかない声が会場に響いた。

僕ら多摩境高校のメンバーにも悲鳴が上がった。

何かと思いトラックを凝視する。

染井も牧野も何も無かった様に走っている。

視線を先頭の方に向けると、何人かの選手がトラックに倒れているのが見えた。

二人、いや三人の選手がトラック上に倒れていた。

すぐに二人が起き上がり走りだす。

その二人とは、名高と秋津伸吾だった。

「ど、どうしたんだ?!」

僕が大声で未華に聞くと、未華は首を横に振って「わ、わかんない!」と慌てて言った。

すると穴川先輩が「接触した!」と叫んだ。

「名高が周回遅れの選手を抜こうとしたら、周回遅れの選手とぶつかったんだ!それで近くにいた秋津にもぶつかって、その三人が転倒した!!」

「転倒?!」

そのせいか、一緒に走っていた白髪の選手から名高と秋津はかなり遅れていた。

ここで秋津は今まで見たこともないような厳しい表情をして、猛追を見せた。

しかし名高は追わなかった。

いや、追わないというより失速した。

みるみるうちに秋津から遅れ、後続の選手にも抜かれていく。

「な、名高ー!!」

4位、5位、6位、と順位がどんどん落ちて行く。

7位まで落ちた時、名高はコースから外れて立ち止まってしまった。

そして、右足首に手をやって座り込んでしまった。

「足を捻ったか・・・!!」

穴川先輩が歯を食いしばって言い、「コールドスプレーを用意しろ!!」と怒鳴った。

名高はゴールまでわずか300mでそのままリタイヤした。

 

試合は松梨大付属の赤沢が制し、二位が白髪の選手、三位が秋津伸吾という結果だった。

牧野も奮闘したが9位、染井は15位だった。

これで多摩境高校は、都大会行きのチケットを手に入れたのは未華だけという結果に終わった。

 

 

試合後、テントをかたずけ終わった後、競技場を出たところで五月先生がミーティングを開いた。

短距離も長距離も投擲も関係なく、全員がその場に集まった。

いなかったのはレース後にすぐに近くの接骨医院に運ばれた名高と、車を出した志田先生だけだ。

すでに午後4時を回り、辺りは夕焼けに染まり、涼しくなってきていたが、五月先生は熱くなっていた。

「今日の名高の件だが!!」

いつもよりドスの効いた低い声で五月先生は話を始めた。

「接触というのはどの競技でもあり得る話だ!名高は残念な結果になったが、あの姿を忘れないでいてくれ!誰にでもあり得る話なんだ。ああいう事も起こりえると・・・それを忘れるな!」

名高はあのまま走っていれば確実に都大会行きを手にしたはずだった。

だから、メンバーには悔しさが広がっていた。

長距離メンバーはもちろん、短距離・中距離・投擲のメンバーもそれは同じだった。

陸上部の仲間という繋がりのあるメンバー名高のリタイヤという結果に、悔しい気持ちが充満しているのだ。

しかし、五月先生はこんな事を言うのだ。

「みんな、この悔しい結果を絶対に忘れるな。そして、こんな事を絶対に巻き起こすな」

巻き起こす・・・?

「オレは・・・」

五月先生の拳は何故か震えている様に見えた。

「オレは、こんなやり方は許さん」

それが一体何の事なのかわからなかった。五月先生が言った事が何なのか。

でもこの時、剛塚が頷いたのを、僕は見逃さなかった。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月19日 (月)

空の下で-金木犀(6) つながり(その5)

「おはようございます」

新人戦から一夜明け、朝、授業の前に部室に長距離メンバーが集まっていると、名高が姿を現した。

その姿を見てギョッとしたのは僕だけじゃないだろう。

なにしろ、名高は制服姿ではあるものの、右足首に包帯を巻き、松葉杖をついていたのだ。

「名高、それは・・・」

ガタンと音を立てて雪沢先輩が立ち上がった。

「お前、その足・・・大丈夫か」

「あ、大丈夫っすよ。治りが早くなるように松葉杖を借りてきただけです。単なる捻挫です」

「捻挫?本当か」

雪沢先輩は右足を気にしながら問いかける。

「本当です。オレ、怪我を隠して無理をするとか、そういうキャラじゃないですから。そういう根性論は好きじゃないんで」

そう言って名高は部室に置いてあるパイプ椅子に、ぎこちなく腰掛けた。

「うーん、片足使えないと動きにくいっすね」

他の部員も心配そうに名高を見つめたが、当の本人は淡々としたもんだ。

「雪沢先輩。オレはまあ、こんな感じで2週間くらい走れなさそうなんで、練習は上半身の筋トレでもいいですか。マシンとか使って」

こんな状態でも名高は鍛えるつもりらしい。さすがといった感じだ。

「わかった。だが無理はするなよ」

「わかってますって」

名高は、それが当たり前かの様に言った。

 

 

「おい、英太。昨日の接触、ちゃんと見てたか」

昼休み、教室でお弁当を食べていると、剛塚がにぎり飯を片手に僕の机の前に立っていた。

「ふぇっひょく?」

僕はウインナーを口に入れたまま返事をしたので発音悪いし、おまけに机に口から物がこぼれた。

「汚ねえな。そんなんじゃモテねーぞ」

僕はウインナーを飲み込んで答える。

「モテるのとか関係ないでしょ」

「いや、食べこぼし野郎はモテないって週刊誌に書いてあったぜ」

「週刊誌なんて読むのかよー」

「悪いかよ」

剛塚はそう言ってにぎり飯を食べる。「やっぱにぎり飯は塩だな」

「で、接触って、昨日の名高の?」

「そうだ。お前、あれが何だったのかわかるか?」

質問の意味がよくわからない。

「何だったかって・・・。名高と秋津と、それと周回遅れの選手の接触コケでしょ?」

「接触コケ?接触転倒な」

剛塚に突っ込まれるとなんか腹立つ。

「それが・・・なんなの?」

「誰と接触したのか、わかってるか?」

「はあ?だから名高と秋津と・・・」

僕の言葉の途中で剛塚は「周回遅れがどこの選手かわかってないだろ」と聞いてきた。

「まあ・・・確かに」

「あれは落川学園の選手だ」

「おち・・・」

瞬間的に色んな人の色んな言葉が脳裏によぎった。

 

「レース中、反則行為をする。妨害行為とかな」

「殴られたんだよ。落川学園の選手に。脇腹を」

 

「まさか・・・」

驚く僕に剛塚は昨日の記録表を見せた。

一冊のノートに、僕が書いた各選手の記録が書かれている。

「お前、自分でこれを書いてて、気がつかなかったのかよ」

「え?」

剛塚はノートのある部分を指差した。

そこには確かに僕の筆跡で、昨日の新人戦の男子5000mの順位と記録が書かれていた。

一位は松梨大付属高校の赤沢という選手。

二位は・・・。

「剛塚、これって・・・まさか」

「そうだと思うぜ」

二位で白髪の選手がゴールしたのを覚えている。

その二位の選手の名前は八重嶋翔平と書かれていて、学校名は落川学園となっていた。

「落川学園だったのか・・・あの白髪の選手は・・・」

白髪の選手、八重嶋翔平。

彼と名高と秋津が三人で走っていて、その三人が周遅れの落川学園の選手を抜くときに、八重嶋翔平以外の二人が転倒した・・・。

そして名高はリタイヤ。秋津は転倒後、猛追したものの三位。

「八重嶋が上位になるように・・・妨害した??」

「だと思うぜ。大体、この周回遅れの選手。向井っていうらしいんだけど、前の大会はもっと早かったんだよ。今回、わざと遅れて妨害したんじゃねーかな」

そう言い、剛塚はいぎり飯を口に放り込んだ。

「ま、全部、たくみが調べたんだけどな。あいつ、きっと三流芸能記者になるぜ」

 

 

今日は練習が休みなので、僕は授業後に職員室を訪れた。

職員室ってのは、小学校の時からそうだけど、入る時、いっつも少し緊張する。

「失礼します」

ガラガラと音を立てて廊下から職員室に入ると、すぐに五月先生の机がある。

五月先生は何か資料をボヤっと見ていた。

僕に気づくと、資料をササッと隠して言った。

「相原、お前・・・、今、先生のクラスの出席簿を盗み見たろ!」

「そんなの見ないですよ・・・」

「そうか・・・。ギクリとしたよ」

そう言って両手を上に伸ばしてアクビをする。

職員室に入るのに緊張したのがバカバカしくなってきた。

「で、何か用か」

少し離れた場所で志田先生が「九日、十日」と言ってププッと笑った。

よくわからないので五月先生に話をする。

「先生。名高の接触コケって、落川学園の妨害じゃないでしょうか」

「接触コケ?ああ、接触転倒か」

「先生は昨日、許さんって言ってたじゃないですか。それって先生も妨害って気付いたからじゃないですか?」

そう言うと五月先生の顔から笑顔が消えた。

「相原。推測で物を言うな」

「でも・・・」

「お前の言いたい事はわかる。先生だって昨日は抗議しようとした。だがな、証拠は無いんだ。それに、名高に聞いたら、妨害なんて知らないと言うんだ」

「名高が??」

「そうだ。名高が知らないと言うんじゃ、どうしようもない。葉桜高校の秋津にしても何も言っていないらしい。だから今回の件はここまでだ」

「だからって・・・」

五月先生は机を叩いた。

バシンと音が部屋に響き、何人かの先生がこちらを向く。

「相原、今回の件はここまでだがな。先生は昨日言ったはずだ。名高の転倒を決して忘れるなと。ああいう事は誰にでも起こりうると。ああいう事は許さないと」

そうか。先生も悔しいのだ。

証拠も無い上に、名高も何も言っていないんじゃ、動きようが無い。

「それなら・・・一つ、出来る事があります」

僕は先生を見ながら言った。

「二度と、落川学園に負けないって事です」

それを聞き、五月先生は一瞬ポカンとしたが、すぐに笑った。

「そうだな。再来月の駅伝で落川学園に目にもの見せてやるか」

 

 

そうして僕は密かに打倒・落川学園を誓った。

その決戦の場は、名高も僕も復帰出来てるであろう、東京高校駅伝大会だ。

去年、部の活動停止をかけて戦った、あの大会だ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月22日 (木)

空の下で-金木犀(7) つながり(その6)

九月の下旬となるこの日の朝、五月先生を筆頭に、長距離メンバー全員が東京の世田谷区にいた。

多摩境から電車を乗り継ぎ、田園都市線という、いかにも都心なイメージの電車に乗り、駒沢大学前という駅で降りる。

駒沢大学駅から、徒歩で15分もかからないところに、今回の戦いの舞台である、駒沢競技場はあった。

新人戦・東京都大会。

うちの学校から、この大会に進出したのは未華ただ一人だ。

競技場の中に入ると、その立派さに驚いた。

トラックやフィールドはいつもの上柚木競技場とそんなに変わらないけど、観客席が全てベンチ席で整っていたからだ。

芝生席なんて全く無い。360度全て、整備されたベンチ席だ。

おまけにホームストレート側は、かなり大きな屋根がついている。

そして、各校の応援の規模も違う。

まず何よりも応援する人数がこれまでの予選会とは別次元だ。

東京中の高校が集まっている上に、大多数は予選ですでに敗退しているので、応援に回る人数がハンパじゃないのだ。

「なんだか楽しそうじゃない」

競技場を見回して未華が笑みを浮かべて呟いた。

 

 

この都大会では、女子3000mは予選と決勝の二回走る。

まずは予選だけど、これは各支部大会を勝ち残った48名が走るわけだ。

このうち上位20名で決勝が行われ、8位までに入ると関東大会へと進めるのだ。

ちなみに新人戦は関東大会がファイナルであり、その上は無い。

 

 

女子3000mの予選の時間になり、サポートのくるみと早川と共に未華がトラックに姿を現した。

肩に乗せていたジャージを早川に渡し、体をポンポンと弾ませる。

観客席にいる僕らにはわからないが、未華は早川とくるみに何かを言い、ガッツポーズみたいなのをしているのが見えた。

そうしてスタートの時間になる。

各支部大会を勝ち抜いた選手達が一斉に走りだす。

未華の調子は悪くなさそうだ。軽快に走り、集団の前の方を走って行く。

周を重ねるごとにそれぞれの選手が苦しそうな表情になり、未華もまた例外ではなかった。

上位20名が決勝に進めるわけだが、未華はある選手と並走したまま15位あたりを走っていた。

「あれって、百草高校の人じゃない?」

大山が未華と並走している選手を指差して言った。

確かにそうだ。あの茶色い髪でパーマを少しかけた選手は伊香保での合宿でいつも女子のトップを走っていた・・・

「古淵さんだな。古淵由香里さん」

合宿では未華は古淵さんに一度も勝てなかったのだけど、支部予選では未華が辛勝した。

しかし今回は、古淵さんが残り2週で未華を突き放し、そのまま12位でゴールした。

未華はというと15位でゴールし、見事に決勝進出を果たした。

「くっそ!!決勝戦で覚えてろよー!」

 

 

翌日、今度は多摩境高校陸上部、全員で未華の決勝を応援しにやってきた。

『女子3000m 決勝です』

競技場全体が揺れるかの様な歓声が湧き上がる。

なにしろ、東京の決勝の場だ。

女子3000mの東京のトップ20が戦うのだから、応援にも気合が入る。

「すげえよな、未華って。オレもここまで残りたかったな」

名高がそう言うと、少し悔しい気持ちが僕らには流れたが、すぐに未華の方を向いた。

前日と同じように、早川とくるみがサポートをし、未華がスタート地点に登場する。

決勝は20名の選手の紹介があった。

『ゼッケン2263番 百草高校 古淵由香里さん』

僕らからは反対側に陣取っている百草高校のメンバーが「由香里ー!」とか「古淵さーん!」とか叫び、古淵さんが自分の頬を両手でバシバシと叩いた。

『ゼッケン2312番 多摩境高校 大塚未華さん』

「うおおおー!!」というヒロの雄たけびを筆頭に僕らも力の限り応援の声を上げる。

未華はというと右拳を空に突き上げた。

この決勝を勝ち抜くには20名のうち上位8位に入らなくてはならない。

去年のタイムでいうと10分5秒ほどでゴールしないと8位にはならない。

未華のこれまでのベスト記録は10分32秒。古淵さんでさえ10分23秒。

関東大会進出の可能性はかなり低い。

それでも、誰もが全力で走る。

記録は欲しい。でもそれだけじゃない。

この大舞台で、自分の全てを出し尽くし、満足できる戦いをする。

そのために走るのだ。

未華も、古淵さんも、他の選手も。

勝ち残る者だけが主役なんじゃない。

走る者全てが主役なんだ。

そうして勝った者だけが、また次のステージで主役として戦うのだ。

 

 

ピストルが鳴り、未華たちが走りだす。僕らは大声を張り上げる。

多摩境高校の誰もが自分の事を忘れて未華を応援している。

牧野、大山、剛塚、早川、くるみ、染井、ヒロ、怪我をしている名高だって。

短距離チームも、中距離チームも、投擲チームも、そして五月先生も。

いつもは長距離チームに嫌味ばかり言う志田先生でさえ。

応援はきっと力になる。きっと未華の背中を押す力になる。

序盤、遅れた未華だったけれど、一人、また一人と抜き去っていく。

綺麗だな、と思った。

かわいいとかそういう意味じゃなくて。

全力を出して、何の迷いも持たずに走る未華の姿と生きざまが綺麗だと思った。

その未華は次々と選手を抜いて行き、11位まで登ったところで古淵さんと並んだ。

その前には遥か先まで選手がいない。

残り1周と少しなので、8位に入って関東大会というのはもう無理だろうけど、未華も古淵さんも全く諦めること無く走る。

このライバル対決には僕らも百草高校からも物凄い声援が飛んだ。

これはもう意地と意地のぶつかり合いだった。

ラスト一周をほとんど並走して二人は進み、ほんのわずか、本当に少しの差を作り、未華が先にゴールした。

記録は10分19秒。古淵さんは20秒。二人は11位と12位だった。

ゴールしてフラフラな状態なまま、二人はどちらからともなく、手をさしだし、握手をかわしていた。

握手はほんの一瞬のものだったけど、それだけで二人には十分だったようだ。

二人とも少し笑い、互いのチームのサポートの人のところへ消えていった。

 

 

「あー、面白かった!!」

クールダウンを済ませた未華が僕らの前に姿を現し、最初に言ったのがそのセリフだった。

牧野がすぐに反応する。

「すげえな未華。あれほどの激戦を終えて、面白いって言いきれるのは」

「だって面白かったんだもん」

そんな未華と僕らは、ジュースで乾杯をした。

敗退したのに乾杯ってのも変な感じだけど、未華の都大会決勝での大健闘のお祝いだ。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月26日 (月)

空の下で-金木犀(8) つながり(その7)

多摩境高校から駅へと続く二車線の道の歩道には、少しだけれど枯葉が落ちていた。

その枯葉が乾いた風に乗り、ガサガサと音をたてて飛んで行く。

その風と一緒にどこからかキンモクセイの香りが漂ってくる。

秋も深まりつつあるな、と思いながら吹奏楽部の日比谷と一緒に下校しているところだ。

「でよでよ!今年の定期演奏会もバッチリ決めてやったんだよ!マジで興奮したぜー!」

日比谷はトランペットケースをぶんぶん振りまわしながら語る。

もっと楽器を大事にしろよって思う。

「今年は演奏会観に行けなくてごめん」

「あ?英太が一人来なくたって別にどうでもいいよ」

「うわ、冷たい」

「でもマジでいい演奏会だったんだぜ。卒業したOBの先輩達も観に来てさ。なんつーか、スゲエよな」

「何が?」

「何がって、卒業したのに来てくれる・・・この、なんつーか、部活っていう場所で一緒に頑張った、なんていうの?繋がり?」

「繋がり・・・ね」

そういえば駅伝大会で雪沢先輩も穴川先輩も引退してしまうんだった。

二人とも卒業してしまったとしても、陸上部で一緒に走ったチームとして、いつまでも繋がった仲間のままでいるんだろうか。

「おい、ところで英太、お前、なんか最近必死だけど大丈夫か」

日比谷が心配そうな声を出した。

「必死?」

「おう。なんか鬼気迫るっつーか」

「それは・・・」

それは僕の調子がイマイチ上がらないからだった。

新人戦以降、名高が通常練習から抜けて2週間少し、僕は全く力を取り戻せないでいた。

部活から逃げだしたのは八月の後半。

今は十月の中旬だから、もう一ヶ月半は練習に取り組んでいるのだけど、逃亡前ほどの実力に戻らないのだ。

いや、正確に言えば逃亡から復帰して、最初のうちは力が戻るのを感じていた。

すぐにヒロを抜き、大山、剛塚に追いつく体力を取り戻したのだけど、新人戦以降は横ばいだった。

駅伝は11月のアタマなので、正直焦ってきている。

駅伝で落川学園に勝つなんて宣言したのに、全く主戦力になれる気がしないんだ。

「うん、大事な大会が近くてさ。ちょっと焦ってるかも」

「焦ってどうすんだ。楽しめよ、部活を」

「楽しむって言ったってさあ・・・」

何しろ、新人戦で名高が妨害行為で捻挫した訳だ。

その相手である落川学園に勝とうとしている今、調子が悪いのだから楽しんでなんかいられない。

 

 

次の日の練習もいまいちの結果だった。

焦る理由は他にもあって、名高が捻挫から復帰後、猛烈な勢いで実力を取り戻していたからだ。

捻挫から二週間。これまで全く走る事もなく筋トレに専念してきた名高だったが、一度走り出すと、最初の三日こそビリでのんびり走っていたが、足が大丈夫だと五月先生に判断されると、バリバリと練習をこなし、あっという間に雪沢先輩並みにまで力を戻した。

「駅伝、行けそうだな」

練習後、雪沢先輩が名高にそう声をかけると「もちろんです」と自信ありげに応えていた。

 

 

そうして秋も深まりつつある10月の中旬。

駅伝のオーダーを決めるためのタイムトライアルが開かれた。

場所は、たまには気分転換という事で、神奈川県の相模原市にある運動公園を使う事となった。

広大な公園にあるランニングコースを使い、10キロのレースを行い、そのタイムを見てオーダーを決めるとの事だった。

このランニングコースには多少のアップダウンもあるので、その辺りの適応力も見ると五月先生は語った。

 

 

駅伝大会は男子のみの参加となるので、くるみと早川の二人がタイムを計ってくれる事に なった。

未華は現在、軽い風邪でダウンしている。先日、検査でインフルエンザじゃないとわかり、ほっとしたところだ。

今年は新型のインフルエンザが流行しているので、各校とも大会前の今は健康管理にピリピリしているのだ。

「じゃあ、そろそろ位置についてー」

くるみが声をかけ、男子メンバーが集まる。

駅伝大会というのは、長距離チームにとっては年間最大のイベントとなる。

しかも三年生の引退試合でもあるので、メンバーそれぞれには特別な思い入れがある。

特にうちの学校は、去年は部活の活動停止を賭けた試合でもあったので、特別な大会という気持ちはより強い。

「先生、始めてもいいですか」

くるみが五月先生に聞くと、先生は大きく頷いて言った。

「そうだな、やるか。いいかみんな、このタイムトライアルで駅伝のメンバーはほぼ決めるからな。駅伝に出たいのなら、ここでいい結果を残せ」

駅伝のメンバーは七人だ。

長距離メンバーは、僕、牧野、名高、大山、剛塚、雪沢先輩、穴川先輩、染井、ヒロの9人いるので、二人が補欠メンバーとなる。

補欠になってしまえば、正規メンバーが体調不良や怪我でもしない限り、出場するチャンスは全く無いのだから、ここは何が何でも7位内でゴールしなくてはならない。

でも、今の僕の実力で、確実に勝てるのはヒロだけだ。

何としても大山と剛塚に勝たないとやばい。

「じゃあ、行くよ。よーい・・・」

くるみがそう言うと、体が強張った。

なんとしても駅伝メンバーに!!そして落川学園と戦い、勝つ!!

そう考えると体に力が入った。

そんな僕を、くるみがチラッと見た。

なんだろう、と思う間もなく「どん!!」とくるみが叫び、タイムトライアルはスタートした。

 

 

ゴール後、僕は近くにある芝生に膝から倒れこんだ。

「はあ・・・はあ・・・」

芝生はとても冷たかった。

もう秋なのだから地面は冷えているのだ。こんなところに倒れていたら体が冷えてしまって、怪我の元になる。早く立ち上がらなくては。

そう思い、立ち上がると、何故か涙が溢れた。

「あれ?」

思わずそう言って、涙を拭う。

こんなトコをくるみに見られたらヤバイ。幻滅されるかもしれない。

悔しくて泣くだなんて・・・。

すぐに涙を拭いきり、空を見上げた。

薄い青空を、小さな鳥が飛んで行く。

「八位・・・か」

何かが違う。

走っていて、何かが前と違う。

それはわかったのだけど、何がなのかがわからなかった。

 

 

次の日、駅伝メンバーが五月先生から発表された。

「一区、10キロ。雪沢!!

 二区、3キロ。大山!!

 三区、8キロ。名高!!

 四区、8キロ。牧野!!

 五区、3キロ。剛塚!!

 六区、5キロ。染井!!

 七区、5キロ。穴川!!

 補欠、相原とヒロ!!」

部室でそう言い渡され、僕は拳に力を入れた。

辛い顔をしないようにと。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月29日 (木)

空の下で-金木犀(9) つながり(その8)

『ひさしぶりです。最近、全然メールとかしてないけど元気にしてますか?』

日曜の朝、起きたらこんなメールが長谷川麻友さんから届いていた。

少し悩んだ。メールを返信していいものかと。

でもシカトするのも変な話だと思い、何度かやりとりしていると『今日、ランチなんてどうですか?』という文面が送られてきた。

これには本当に悩んだ。

ランチくらいなら出かけてもいいんじゃないか、と思いつつも、好きなくるみ以外の女子と出かけるのも変だと思って『ごめん、今、大会が近いから無理』と断った。

すると最後にこんなメールが届いた。

『そうか、大会が近いんだね。楽しそうだね、応援してます』

楽しそう・・・?

楽しくは無い。落川学園に勝とうと意気込んでいるのだし、第一、僕は補欠だ。

 

 

東京高校駅伝大会まで、残り一週間となった。

走る区間が決まったメンバーは、それぞれの区間に合わせた練習をしている。

一番走り込んでいるのは名高だ。

担当は三区の8キロなので、そこまで長い距離という訳ではないのだけど、新人戦で落川学園の選手と接触して捻挫して、二週間も走っていなかったという事もあり、とにかく体力を戻そうと必死だ。

短い距離、つまり3キロや5キロを担当するメンバー達はスピードトレーニングに励んでいる。

特に大山は3キロ担当で、速度的な速さが必要になってくるのでヒーヒー言いながら走り込んでいる。

そしてエースの一区を走る雪沢先輩の気合いは凄まじい。

五月先生から言われたメニューをこなしつつも、自主的に朝練をやったり、昼休みにもジョックをしたりと鬼気迫るものがあった。

 

 

駅伝まで6日と迫った10月の下旬、学校に登校すると、雪沢先輩と穴川先輩が校庭をグルグルと走っていた。

丁度、朝練習が終わったとこらしく、二人は僕のところへと走ってきた。

「おう、相原」

穴川先輩がボーズ頭をタオルで拭きながら手を振る。

「おはようございます」

僕が挨拶すると雪沢先輩が「おはよう」と爽やか笑顔で答えた。

「今日も朝練ですか?気合入ってますね」

「ん?まあオレ達三年生にとっては最後の試合だからな。そりゃ気合も入るってもんだよ」

雪沢先輩は笑ってそう言うが、最後の試合って聞くと少し切ない気分になる。

「相原は最近、まだ調子悪そうだよな。ちゃんと気合入ってるのかよ」

穴川先輩にそう言われ「入ってます!バリバリに入ってる・・・んですけど」と歯切れ悪く答える。

「でも調子上がらないよなー。新人戦辺りからじゃねーか?しっかりしろよ」

穴川先輩は僕の肩を叩いて部室の方へと歩いて行った。

雪沢先輩はといえば難しそうな顔をして僕をジッと見ていた。

「な、なんですか」

問いかけると雪沢先輩は少し考えてから話した。

「相原さあ・・・楽しんでる?最近」

「はい?」

「いやさ、相原といえばさ、入部当初から、なんだか楽しそうに走るヤツだなーって印象があったんだよな。走るのが楽しいってのが見ていても伝わってくる・・・みたいなさ」

なんだかアホみたいに言われてる気がする。

「それがさ、最近感じられないんだよね。楽しんでないんじゃない?」

「だって・・・、落川学園に勝とうって時に楽しむだなんて・・・不謹慎じゃないですか?」

「おお、相原がそんな単語を使うとはね。国語の授業は有意義みたいだな」

やっぱり僕はアホだと思われてるみたいだ。

「でもな相原、落川学園に勝とうって言ったけど、何でだ?誰かそんな宣言したか?」

「何でって・・・。だって名高が捻挫したのは落川学園の選手の妨害行為で・・・」

「名高がそう言ったか?」

「いや、それは・・・」

「誰も妨害行為だなんて断言できないんだよ。やられた名高と秋津以外は」

確かにそうなのだ。僕もその瞬間を見た訳じゃない。

ただ単に状況から推理して落川学園の選手が妨害したと思っているだけなのだ。

転倒した名高も秋津も、一度たりとも妨害されたと訴えてはいない。

「でも、あれは妨害ですよ!五月先生だって許さないって言ってましたし」

「そう・・・だろうな。多分、妨害だよ」

「だったら!!」

僕は声を荒げてしまった。校庭に声が響き、練習中の野球部がこちらを見る。

「だったら何なの?」

「落川学園に、目にもの見せたいじゃないですか!こんな・・・負けたまま、怪我させられたままじゃ・・・悔しいじゃないですか」

僕は胸が熱くなってきていた。ふつふつとした怒りが芽生える。

「落川学園の去年の駅伝の順位は40位です!僕らは50位でした。勝てるかどうかは微妙なトコです。僕は、絶対に勝ちたいんです。そんな時に楽しんで走れだなんて」

「勝てるよ」

「え?」

雪沢先輩が何の迷いもなく「勝てるよ」なんて言うので僕はポカンと口を開けてしまった。

「オレ達は勝つ。いつもどおりに戦って落川学園に勝つ。あんなヤツらに心を揺さぶられた戦いはしない。それは被害者である名高も秋津もわかってるんだよ。だからさ相原、お前も心を乱されてる場合じゃないぞ」

心を乱されてる?僕が?

確かに名高は淡々と練習をこなしている様だけど。

「悔しい気持ちはわかるし、そういう気持ちは力になるけどさ、怒りはスポーツにとってはマイナスでしかないとオレは思う。陸上競技では間違いなくな。相原も変に落川学園に拘ってないで、自分らしく楽しく走れよ」

雪沢先輩はひと呼吸置いてから言う。

「みんなと走りたくて戻って来たんだろ?」

みんなと走る。

そう・・・。そうだった。

みんなと走りたくて、走るのが好きで、みんなと走るのが好きで、僕はここに帰って来たんだった。

ここが僕の居場所だなんて思っていたんだった。

その場所で、怒りや焦りばかりで走っていてどうするんだ。

もう駅伝大会はすぐそこだ。

補欠としてやれる事は怒っている事なんかじゃなかった。

全力でみんなをサポートして、誰かがケガしたとしてもその代わりで走れるくらいの力をつけなくちゃいけなかったんだった。

落川学園に勝つためではなく、多摩境高校という僕らのチームのために。

だって・・・、ここが僕が楽しく走れる場所なのだから!

「どうした?相原」

考え込む僕を、雪沢先輩が不思議そうな顔をして覗き込む。

「雪沢先輩・・・。やっぱ、先輩は凄いです!」

「え?な、何が?」

「やっぱり雪沢先輩は部長なんだと思いました」

「えーと、どういう意味?」

「部長ですよ、部長。やっぱり雪沢先輩は部をまとめているだけはあります。僕の気持ちまで察してくれるなんて・・・やっぱ、なんていうか、凄いと思います」

今度は雪沢先輩がポカンとした。

「僕は、雪沢先輩と出会って、陸上部に誘ってもらって、本当に良かったと思います」

そう言ってお辞儀をして、僕は走りだした。

自分の教室へ、制服のまま。

 

「君、足速そうだよね。ちょっとウチの部、見学してみない?」

 

初めて雪沢先輩にかけられた言葉が頭の中に響いていた。

あれから一年半。雪沢先輩に声をかけてもらって良かった。

例え補欠だとしたって、最後の大会となる駅伝大会で、せめてお礼と言える様な働きをしよう。

全身全霊でみんなをサポートするんだ!!

雪沢先輩の入部で始まった多摩境高校陸上部。

最初のメンバーである雪沢先輩からの意思は、きっと僕らの代にも伝わり、その下の代にも伝わっていく。

きっと部活ってのは、そんな壮大な繋がりを持った人たちの集まりなんだ。

勝つ、負ける、だけじゃない何かを受け止めるため、僕らは駅伝大会に臨む。

雪沢先輩と穴川先輩の、最後の戦いへと。

 

 

空の下で 金木犀の部「つながり」 END

→ NEXT 金木犀の部「ラストラン」

にほんブログ村 小説ブログ 学園・青春小説へ にほんブログ村 小説ブログ スポーツ小説へ にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ Photo Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 2日 (月)

空の下で-金木犀(10) ラストラン、五日前

楽しんで走る。

そう意識すると、走る事は全然楽しくない。

考えただけで楽しくなるのであれば、世の中の人みんなが走る事に楽しさを感じる事が出来るはずだ。

例えば運動自体が嫌いな人。例えばダイエットのために走る人。

そんな人達までが楽しんで走る事が可能になってしまう。

でも世の中はそんな甘いものではない。

あれほど楽しんで走っていた僕でさえ、雪沢先輩に「楽しんで走れよ」という意見を聞いて、楽しく感じる事は出来なかった。

でも雪沢先輩の「怒りはマイナスになる」という意見はよくわかった。

何だか落川学園に勝つ事ばかり考えていた僕は、怒りや焦りばかりで、全く楽しく走っていなかったわけだ。

どうやったら怒りや焦りを消せるかと考えたところ、牧野に「くるみとデートして来いよ」などと言われたのが駅伝5日前の話だ。

「そ、そんな事出来るか!!」

そう叫んだが「大丈夫だって。きっと付き合ってくれるよ。あ、付き合うってのは出かけるって事にだからな」とか言われ、何だか乗せられてくるみに「きょ、今日、ご、ゴハンなんかどう?」とか言ってしまったのだ。

 

 

「え?」

すでに練習着から制服に着替えていたくるみが驚いて目を丸くした。

突然、部室近くの廊下でゴハンなんか誘ってどうすんだよ!って思ったが、もう後の祭りだ。

午後6時過ぎの静かな廊下では、さっきの僕の言葉を聴き逃すって事は無いだろうし、今は周りには誰もいない。

「ご、ゴハン?これから?」

何故かアタフタと辺りを見回す仕草がかわいい。

「これから・・・なんてムリだよね。ム、ムリならいいんだけど」

「無理じゃあ無いけど・・・その・・・」

断られるかな・・・。そう思って心臓がドキドキしてきた。

なんでこんな大事な時期に、こんな事してんだろ、と牧野を恨む。

「いいよ。あんまりゆっくりは出来ないけど、行こう」

くるみは僕から視線を逸らしたままそう言ってくれた。

「ほんと?ありがと」

僕はしれっと言ってみた。本当は飛び上がりたいほどに嬉しいんだけど、何とか抑え込んだ。

 

 

僕とくるみは別々に部室を出て、隣駅である南大沢駅の改札で待ち合わせた。

普段、僕は牧野と、くるみは未華と早川と一緒に帰っているので、それぞれと別れて、この改札で会った。

「おまたせ、英太くん」

くるみが手を振りながら改札を抜けて駆け寄ってきた。

思わず「うわあ、幸せ」とか呟きたいけど、ここは我慢。

「待った?」

くるみは笑顔だった。この笑顔を見ると僕はホッとする。

癒されるとかそういう事ではなくて、ほんの数ケ月前には冷たい対応をされていたので、笑顔で話してくれる事が嬉しくてホッとするのだ。

もちろん、癒されたりもするんだけど・・・。

「待ってない。今さっき来たばっかだから」

「ほんと?マイちゃんと未華に、ちょっと今日は一人で帰るって言ったら色々聞かれちゃってさあ、遅くなっちゃった」

「え?大丈夫?なんか疑われたりした?」

「ううん、お母さんとゴハン食べに行くって嘘をついてしまいました!」

てへっと笑うくるみを見ると、自分までヘラヘラしてしまいそうになる。

「じゃあ、その辺のお店でも入ろうか」

「うん」

 

 

南大沢駅から、わずか二分も歩くと、大きなアウトレットモールがある。

ここには色々なブランドのアウトレットのテナントが50以上も入っていて、レストランも数店舗入っているのだ。

そのうちの、あまり高くなさそうなパスタ店に僕らは入った。

店内は50席ほどの広さで、少し照明を落として雰囲気作りをしていた。

そこにカップルや若い女性グループなどが賑やかに食事をしている。

入口近くの二人用のテーブル席につき、テーブルの上に置いてあるメニューを見ると、「ディナーセット1380円」と明るい色のポップ書体で書いてあり、1500円が最大予算だった僕としてはひと安心だ。

店員さんを呼び、二人でオーダーをし終わると、くるみが「久しぶりだよね」と言った。

「え?」

「英太くんと出かけるの」

くるみは運ばれてきたお冷のコップを見つめながら呟く様に話す。

「前は多摩センターでカフェに入ったんだよね。覚えてる?」

「そりゃ、覚えてるよ」

僕としては大事な思い出だもの。忘れるわけがない。

「あの時、今度は映画に行こうって英太くん言ってたよね」

ドキリとする。実際には映画は長谷川麻友さんと行ったわけで・・・。しかも、その事はくるみにはバレているわけで・・・。

「そ、そうだね」

「せっかく夏休みがあったのに、映画に行かなかったよね。その・・・、わたしが色々と勘違いしちゃって、怒っちゃったせいで・・・」

「いや、それは・・・あんなメール見れば勘違いもするって」

長谷川麻友さんと映画に行くっていうメールだ。

夏合宿中に、たまたま携帯を開いたまま置いておいたら、くるみが目撃してしまったんだった。

「英太くん、今日はせっかくの機会だから謝っておこうと思って」

「あ、謝る?」

「そう。わたし、別に英太くんの彼女ってわけでもないのに、英太くんと長谷川さんって人が映画行くって知って、なんだか冷たくあたっちゃってさ。頭おかしいよね」

「お、おかしくなんかないってば」

そこへ店員さんがオレンジジュースと紅茶を持ってきた。

オレンジジュースを僕の前に置き、紅茶をくるみの前に置き「お砂糖とミルクはこちらをお使いください」と言って去っていった。

くるみは店員さんが手で案内した場所から砂糖を取り出し、紅茶に入れてかき混ぜる。

「それでね。今度はわたしから誘おうと思って」

「え?」

「今度の駅伝大会終わったら・・・。えーと、そのさ、なんていうのかな、え、えーと・・・」

くるみは何やら呟きながら、ストローでぐるぐると紅茶をかき回す。

だんだん凄いスピードになっていく。

あまりにかき回すので紅茶が勢いあまってこぼれそうになって、はっとした表情をしてストローを止めて言った。

「え、え、駅伝大会終わったら、今度こそ映画を観に行こうよ」

最初、くるみの言葉の意味が理解できなかった。

くるみの方からデートに誘ってくれてるんだと判断するまでに五秒はかかり、その間の僕はコップを持ったまま固まっていた。

「も・・・、もちろん!」

と言ってから、駅伝大会という単語が頭に残り、言葉が止まってしまった。

「ど、どうしたの?英太くん」

「あ・・・いや・・・。そのさ、駅伝大会ってさ。僕は補欠なんだよね」

くるみは黙っている。

「補欠なりにみんなを全力でサポートしようと思ってるんだ。出場するみんなが試合に集中できる様にさ」

「うん」

「雪沢先輩と穴川先輩の最後の試合でしょ。あの二人に、悔いの無い試合をしてもらいたくて。だから本当に全力で補欠の仕事をしようと思ってるんだ」

「うん」

「雪沢先輩たちが、本当に悔いの無い試合が出来たら・・・、僕の補欠の仕事がちゃんとなってたって言ってもらえたら・・・。その時には・・・、映画行こう」

「・・・うん」

「全然ダメだったら、しばらく反省したいから、また今度の機会でいいかな。その時は絶対、僕から誘うから」

なんだか一気に話しまくった僕の言葉を、頷きながら聞いていたくるみは笑って答えた。

「うん、わかった。なんだか英太くんらしくなってきたね」

「そ、そう?」

「うん、今の・・・決意表明? 話してる時の英太くん、なんか気合い入ってたけど、楽しそうだったよ」

「楽しそう??」

久しぶりに部のメンバーに言われた気がした。

僕が楽しそうにしていると。

何かが元に戻りつつあるのか。

それはわからないけど、くるみと話しているうちに僕の気持ちは軽くなっていった。

ああ、やっぱり僕は、絶対に、間違いなく、この人が好きなんだと思いながら会話した。

そうして、駅伝大会五日前の一日は終わった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)